第78話 医療護衛官
カーラが「一つ聞いていいか」と言ったのは、夜の医療所の廊下だった。
夜回りから戻ってきたばかりのカーラが、アレクの部屋の前を通りかかって立ち止まった。アレクがまだ書類を見ていたのを見て、「寝ないのか」と言い、アレクが「もう少し」と言い、カーラが廊下で壁に背中をついた。
壁に背をつけて立つのは、考える時のカーラの癖だった。アレクはその姿勢を見るたびに、暗殺者として育てられた頃の名残なのだろうと思っていた。背中を取られないように、まず壁を選ぶ。今でもその習慣は抜けていなかった。
「一つ聞いていいか」
「どうぞ」
「私は何者として、ここにいればいい?」とカーラは言った。「元暗殺者という過去は訴追不問になった。借りを返すという目的も終わった。護衛としての仕事は続けているが——それが何者として、ここにいることになるのか、自分では分からない」
アレクがペンを置いた。「……そういう問いを持っているんですね」
「変か」
「変ではないです。正直な問いだと思います」
「答えは」
「俺たちの医療を守る人、それだけで十分だ」とアレクは言った。「役割の名前が必要なら護衛だが——役割の名前より先に、カーラという人間がここにいるということが、まず事実としてある」
「……それは答えになっているか」
「なっていないかもしれない」とアレクは言った。「でも俺が言えることは、カーラという人間が、ここにいるというだけでいい。それが出発点だと思う」
カーラが「……」と黙った。
廊下に風が入ってきた。夜の冷たい空気だった。
「私は長い間、何かの目的のために動く道具だった」とカーラは言った。「教会の命令で動いていた。借りを返すために動いた。仕事として護衛をした。どれも、目的があって動いていた。目的がなくなったら、私は何者か分からなくなる」
「目的がなくても、ここにいていい」
「……理解はした」
「納得は」
「……している」とカーラは言った。「ただ、自分でも腑に落ちていないだけだ」
アレクが「それは時間が解決します」と言った。
カーラが「先生は楽観的だな」と言った。
「そういうわけではないです。腑に落ちるには、ここにいる時間が必要だということです」
しばらく沈黙があった。
「……医療護衛官」とカーラは言った。
「何ですか」
「役職名が必要なら、そう名乗る。医療護衛官」
「……それは」
「自分でつけた」とカーラは言った。「誰かに決めてもらう必要はない。私が自分でつけていい」
アレクが「医療護衛官——いい名前だと思います」と言った。
「……そうか」
「公式な役職として申請しますか。今なら制度の設立段階なので、新しい役職を追加できます」
カーラが「……できるのか」
「シルヴィアに頼めば手続きを知っています」
「……検討する」とカーラは言い、廊下から自分の部屋の方向に向かって歩き始めた。
「医療護衛官」と、歩きながらもう一度小さく言った。
自分の名前を確かめるような言い方だった。
アレクは部屋の扉を見ていた。カーラが廊下の先に消えていった。
それが正しいかどうかは分からなかった。でもカーラが自分で「医療護衛官」という名前をつけた——それで十分だった。
アレクは部屋の灯りを消し、廊下を歩き始めた。
* * *
翌朝、シルヴィアにカーラの希望を伝えた。
シルヴィアは書類から目を上げ、「医療護衛官——なるほど」と言い、すぐにペンを動かした。
「役職の新設は局長官補の権限内で対応できます。医術師学校付き護衛官として、給金の枠も含めて手続きします」
「カーラに伝えます」
「ご本人がつけた役職名なら、そのまま正式名称にします」とシルヴィアは言った。「公式の文書にも『医療護衛官カーラ』と記載されることになります」
「……」
「何か気になることが」
「いえ」とアレクは言った。「カーラが喜ぶと思います」
「あの人が喜ぶ顔は、見たことがないですけれど」とシルヴィアは言い、少し笑った。「でも分かります。あの人は、自分でつけた名前を持つことに意味を見出している」
その日の昼、医療所の中庭でカーラに伝えた。
「正式に登録されることになりました」とアレクは言った。「医療護衛官カーラ。シルヴィアが書類を整えています」
カーラは黙って聞いていた。
「……そうか」とだけ、最後に言った。
いつも通りの短い返事だった。けれど、目だけはわずかに動いた——遠くを見るような目だった。
その夜、夜回りに出るカーラが、いつもより早く戻ってきた。アレクの部屋の前を通る時、廊下の明かりに照らされた横顔が、ほんのわずかに緩んでいた。
「お疲れ様」とアレクが言った。
「ああ」とカーラは言い、「医療護衛官、巡回終了」と付け足した。
アレクは「……お疲れ様」と、もう一度言った。
カーラはそのまま廊下を進み、自分の部屋に入っていった。扉が閉まる音は、いつもより小さかった。
初めて自分で名乗る名前を、まだ確かめている途中なのだろうとアレクは思った。確かめる時間は、いくらあってもよかった。
* * *
数日後、医術師学校の入口に、新しい看板が掛かった。
「医療護衛官 カーラ」——シルヴィアの手配で、職員一覧の中に、カーラの名前が刻まれた。木の板に黒い漆で書かれた字は、他の医術師たちの名前と並んでいた。
看板を掛ける作業の日、カーラは中庭の隅に立ってその様子を見ていた。職人が脚立に登り、釘を打ち、看板を固定する作業を、最初から最後まで黙って見ていた。
アレクが横に立った。
「立ち会わなくてもいいのに」とアレクは言った。
「立ち会う」とカーラは言った。「自分の名前が、誰のどの名前と並ぶのかは、見ておきたい」
「……そうですね」
看板の中で、カーラの名前は、医術師たちの名前の隣に並んでいた。一番下の段だったが、確かに同じ板の上に書かれていた。
「ここに私の名前があるのは、変な感じだ」とカーラは言った。
「変ですか」
「正確に言えば」とカーラは言い直した。「変ではない。落ち着かないだけだ」
「時間が解決します」
「先生はいつも同じことを言うな」
「他に言えることが少ないので」
カーラが「……」と笑った。声には出さなかったが、口の端が上がっていた。
その後、カーラは医療所の夜回りに出た。いつもより早めの時間だった。看板に書かれた「医療護衛官」という役職名を、足音で確かめるように、玄関から門までを一往復した。
医術師学校の中庭では、見習いたちが薬草を片付けていた。
「カーラさん、おかえりなさい」と一人の見習いが言った。
「ただいま」とカーラが返した。
「いってらっしゃい」と別の見習いが言った。
「いってきます」と、また返した。
平凡な挨拶だった。けれど、カーラがそれを返している姿は、暗殺者として育てられた頃には絶対になかった景色だった。
アレクは執務室の窓から、その様子を見ていた。
書類の続きに目を戻した。「医療護衛官カーラ」の役職申請書類が、机の角に置かれていた。シルヴィアの細い字で、すでに認可の署名が入っていた。
「ここにいるというだけでいい」——昨夜の自分の言葉を、アレクはもう一度思い返した。それが正しい答えだったかは、まだ分からなかった。けれど、カーラが自分で名前をつけ、その名前で挨拶を交わしている——それで十分だと思った。
お読みいただきありがとうございます。
続きも毎日更新予定です。作品フォロー、評価、ブックマークで応援いただけると励みになります。




