第68話 老人が泣いていた
神聖騎士団の活動停止命令が出て五日後、ドナトゥスが再び医療所を訪ねてきた。
今回は助祭を二名連れていた。正式な訪問だった。アレクが出迎えると、老人は黙って頭を下げた——初めて見る仕草だった。
応接の小部屋に案内した。
ドナトゥスは椅子に座った。助祭が両脇に立った。
「正式な申し出として聞いてほしい」とドナトゥスは言った。声は落ち着いていたが、どこか重かった。何かを長い時間かけて決めた人間の声だった。
「はい」
ドナトゥスは姿勢を正した。背を伸ばすときに、わずかに痛みを堪えるような表情をした。それから、ゆっくりと話し始めた。一語一語の選び方が慎重だった。
「神聖騎士団に、撤退命令を出した。全部隊、王都外の集結を解除した。王国法への服従を各部隊長に通達した」
アレクが「……ありがとうございます」と言った。
「それだけではない」とドナトゥスは続けた。一拍、間を置いた。
「枢機卿会議の名において——教会の医療独占を正式に放棄する」
アレクは黙ってドナトゥスを見た。
「医術師独立法および公衆衛生基本法を、教会として承認する。各地の医療独占拠点の閉鎖または非教会組織への移管を、六か月以内に完了する。これは枢機卿会議十二名の連署による決定だ」
助祭の一人が、文書を取り出した。枢機卿の印が押された正式な文書だった。アレクはそれを受け取り、内容を確認した。
文書は六枚。表紙、決定文、各地の独占拠点の所在地一覧、移管計画、財務処理、署名欄。一つひとつの項目が具体的だった。理念の宣言ではなく、実務の文書だった——これを六か月で実行する、というのは、教会組織として相当な意志を要する。文書を作るまでに、ドナトゥスが内部でどれだけの説得をしたかが、行間から見えた。
「……これは」
「私が間違っていた」とドナトゥスは言った。
その言葉だけで、部屋が静かになった。
「医療と信仰を混同してきた。それによって、多くの者が傷ついた。治療費を払えなかった者が死んだ。病を神罰と言われて諦めた者がいた。それを——制度を守ることが神の意志だと言いながら、見過ごしてきた」
老人は手元を見ていた。皺の多い手だった。
「しかし」とドナトゥスは言った。「教会そのものが悪だったわけではないと、私は思っている。信仰には力がある。人の苦しみに寄り添う力が。それが本来の役割だった。医療の業務と財源に縛られて、その力が鈍っていた——それが今回、明らかになった」
「……」
「これからは魂の救済という本来の役割に戻る。医療のことは、お前たちに任せる。間違っていたなら、正すのが信仰だ——そう教えてくれた人間が昔いた。その言葉を思い出した」
ドナトゥスが目を伏せた。皺の奥に、わずかに濡れたものが光った。すぐに瞬きで消えた。気づかないふりをするのが礼儀だ、とアレクは思った。
「それが正しい判断だと思います」とアレクは静かに言った。
ドナトゥスが「……そうかもしれない」と言い、窓の外を向いた。秋の終わりの光が入っていた。
「お前との話は、腹が立つことが多かった」と老人は言った。
「申し訳ありません」
「謝るな。腹が立ったのは、正しいことを言われたからだ。制度を守ることが信仰だと思い込んでいた。お前はその思い込みに直接触れてきた。認めたくなかった——ただそれだけだ」
ドナトゥスが笑った。皺だらけの目が細くなった。「四十年前の自分なら、お前のような若造を許さなかっただろう。今は、若造にしか言えない言葉があると分かる。年を取るのも悪くない」
立ち上がった。助祭が椅子を引いた。
扉の方へ向かいながら、ドナトゥスは「お前の学校が成功することを、神に祈っている」と言った。それだけだった。
助祭が扉を開けようとしたとき、ドナトゥスが一度だけ立ち止まった。後ろを向いた。アレクと目が合った。
「お前のように考える者が、二百年前にも一人いた」と老人は言った。「教会に潰された男だ。私は若い頃、その男の名前を聖典の禁忌として教わった。今、お前を見ていると、その男が何を言っていたのか——わずかに分かる気がする」
「……」
「もっと早く分かっていれば、と思う。だが今からでも遅くはない、と自分に言い聞かせている」
ドナトゥスはそれだけ言うと、再び背を向け、扉を出ていった。
アレクが頭を下げた。ドナトゥスが出ていった。
* * *
カーラが廊下に立っていた。扉から数歩離れた場所で、壁に背中をつけて話を聞いていた。
「……老人が泣いていた」とカーラは言った。
アレクが廊下に出た。「泣いていたのか」
「最後の方。気づいていたか分からないが——目が濡れていた」
アレクは「……そうか」と言った。
「あれは本物だった」とカーラは言った。静かな、確信の声だった。「怒りではなかった。悔いだ。長い時間をかけた悔いだ」
「俺もそう思います」
「先生は勝ったのか」とカーラが聞いた。
アレクは「勝負をしていたわけではないので」と言った。
「……そうだな」とカーラは言い、ふと眉を寄せた。「あんたはいつも、そういうことを言う。勝ち負けより先にある話をする」
「患者を治すことに勝ち負けはない」
「……それも、そういうことだ」とカーラは言い、廊下を歩き始めた。歩きながら、後ろを向かないままで「でも——よかったな」と言った。
アレクは「はい」と答えた。
カーラが「……先生は、これが終わりだと思っているか」と聞いた。歩きながら、後ろを向かないまま。
「終わりではないです」とアレクは言った。「学校を動かさなければならない。各地の医術師を育てなければならない。制度が機能するまでには、まだ時間がかかります」
「……そうか」
「ただ——今日この場所で、一つ変わったことがある。それは確かです」
カーラが「何が変わった」と聞いた。声が低く変わっていた。アレクは答えなかった。廊下の先に、秋の終わりの光が差していた。
カーラが先に廊下の角を曲がった。背中が違って見えた。緊張が抜けた背中だった——ここ数か月、初めて見る後ろ姿だった。アレクはしばらく、その背中が消えた廊下の先を見ていた。
光の中に、塵が舞っていた。普段は気づかないものが見えるのは、心が落ち着いている時だ、とアレクは思った。
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