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治癒魔法なんて要りません 〜転生外科医が教会の独占をぶち壊す〜  作者: いなばの青兎
対立勃発編

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第63話 医療の話をしている

 部屋の中はひっそりとしていた。


 ドナトゥスは窓際の椅子に座っていた。法衣ではなく、簡素な灰色の上着を着ていた。初めてその服装を見た。老人だ、とアレクは思った。六十代の、疲れた老人が、窓の外の朝を見ていた。


「座れ」とドナトゥスは言った。


 アレクは向かいの椅子に腰を下ろした。テーブルを挟んで向かい合った。


「医療の話があると言ったな」


「はい」


「……法律の話ではなく?」


「法律は既に成立しています。覆す話をしに来たわけではない。それは枢機卿もご存知のはずです」


 ドナトゥスが「なら何だ」と言った。声に棘はなかった。ただ疲れていた。長い年月を背負った疲れだった。


 アレクは「一つ聞かせてください」と言った。「あなたは三日前、医療所に来て、『神の時代が終わる』と言った。何が終わると思っているのですか」


「……」


「教会の医療独占が終わるのは確かです。しかし私が問いたいのは、あなたが何を守ろうとして神聖騎士団を動かしているか、ということです。騎士団が王都外で集結しています。あなたが命令を下したなら、あなたにしか止められない」


 ドナトゥスが「……神聖騎士団のことを知っているのか」と言った。


「カーラが情報を取りました。今夜動く可能性がある。私が来たのは、その前に話をするためです」


 ドナトゥスが視線を落とした。テーブルに置かれた老人の手は、皺の合間に古い指輪が一つだけ嵌まっていた。教会の紋章のついたものだった。長年つけてきたのだろう、指の付け根がわずかに変色していた。


「止めに来たのか」


「話に来ました」とアレクは言った。「止めるのはシルヴィアが議会で動いています。私はあなたに、なぜそれが必要だと思うのかを聞きたい」


 ドナトゥスが「……」と黙った。窓の外に目を向け、それから手元を見た。皺の多い手だった。


「教会がなければ」と老人は言った。「民の精神的な支柱は何になる。信仰が失われれば、人々は何を拠り所にして生きる。それを——お前は考えたことがあるか」


「それは大切な問いです」とアレクは言った。本音だった。神を信じる人がいる、信仰に救われる人がいる——それを否定するつもりはなかった。アレク自身は信じていなかったが、信じる人の存在は否定しない。それが医者として現場に立ち続けた末に身につけた感覚だった。


「なら——」


「ただ」とアレクは続けた。「精神的支柱の話はしていません。医療の話をしています。両者を混同してきたのが、問題の根本だと思う」


 ドナトゥスが顔を上げた。


「人は信仰を必要としています。その通りです。しかし骨折の患者が治療を受けられないことと、信仰の力は別の問題です。高熱の子供が死ぬことと、神が民を見捨てたかどうかは別の話です。教会は長い間、医療と信仰を同じ籠に入れて守ってきた。それが問題だった——信仰が医療を人質にすることで、医療が信仰の盾になることで、どちらも本来の力を失った」


「……」


「教会が医療を手放しても、信仰は消えない。むしろ本来の役割——魂に寄り添うことに、全力を集中できるようになる。医療は医療の専門家が担う。それだけのことです」


 ドナトゥスが「……そんなに単純ではない」と言った。しかし声には以前の力がなかった。


「単純ではないです」とアレクは認めた。「制度として切り分けるには時間がかかる。しかし方向性として、それが正しいかどうかは別の問いです。あなた自身は——医療と信仰を、本当に同じものだと思っていたのですか」


 長い沈黙が来た。


 外から風の音がした。廊下で誰かが歩く足音が遠くに聞こえた。窓の外で、王宮の庭の樹が秋風に揺れていた。落ち葉の音がかすかに混ざった。


 ドナトゥスはしばらくテーブルの一点を見ていた。傷一つない磨き上げた木目だった。アレクは急かさなかった。手術中に患者の容態が動く瞬間を待つのと同じ感覚で、老人の中で何かが動くのを待った。


「私は」とドナトゥスは言った。声が少し変わっていた。「千年続いた制度を守ることが神への奉仕だと信じてきた。それが私の信仰だった」


「はい。そうだったのだと思います」


「……私は間違っていたのか」


 アレクは答えを急がなかった。間違っていた、と断言するのは簡単だった。しかしそれは正確ではなかった。


「制度を守ろうとした信仰は本物だったと思います」とアレクは言った。「ただ、制度と信仰を同一視したところで、何かが歪んだ」


 ドナトゥスが「……」と言い、目を閉じた。


 この老人は、本当に信仰者だった——アレクはそう思った。純粋な悪ではなかった。老人の皺の多い手が、膝の上で静かに重なっていた。


 千年の制度を守ることに人生を賭けた人間が、ここにいた。その人間が今、何かを疑い始めている——その疑いは本物だった。


「今夜の騎士団については」とアレクは言った。「撤退の命令を出してほしい。あなたが動かしているなら、あなたが止められる」


 ドナトゥスはまだ目を閉じていた。


 返事はなかった。しかし老人はゆっくりと手を挙げた。扉に向けて、助祭を呼ぶ仕草だった。


 助祭が一礼して入ってきた。ドナトゥスは目を開けないまま、低い声で「神聖騎士団に伝令を。各部隊に活動停止と帰投を命じる。本日中に着任せよ」と言った。声は小さかったが、迷いはなかった。助祭が一瞬だけ動きを止め、それから再び一礼し、足早に部屋を出ていった。


 ドナトゥスがゆっくり目を開けた。


「これでいいか」と老人は言った。


「はい」とアレクは答えた。


「お前は……勝った気がしているか」


 アレクは少し考えてから、「勝ち負けの話ではないと思っています」と言った。「枢機卿が今、間違っていたかもしれないと考えている。それだけで、私の患者の何人かは助かる。それで十分です」


 ドナトゥスが「……お前は妙な男だ」と言った。「神官だった頃、何百回となく『勝った負けた』の話を聞いた。お前のような言い方をする者はいなかった」


「医者は勝ち負けを数えるより、患者が次の朝を迎えられるかを数えます」


「……そういうことか」


 部屋がまた静かになった。ただし、入った時の重苦しさはなかった。


 それで十分だった。アレクは席を立ち、頭を下げた。ドナトゥスは黙って頷いた。扉を閉めた廊下に、朝の光が長く伸びていた。


お読みいただきありがとうございます。

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