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治癒魔法なんて要りません 〜転生外科医が教会の独占をぶち壊す〜  作者: いなばの青兎
対立勃発編

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第61話 それぞれの持ち場

 法律が成立してから三日後の朝、カーラが医療所に走り込んできた。


「神聖騎士団の秘密部隊が動き始めた」


 アレクが手を止めた。包帯を巻き終えた患者に「あとは三日に一度交換してください、薬草の浸出液は二日分お渡しします」と告げ、次の間に移った。


 扉を閉めた。カーラの呼吸は早かった。走ってきたわけではない、緊張が高い時の呼吸だった。土埃が外套の裾についていた。夜のうちに王都の外に出ていたのだろう、とアレクは思った。


 処置室の机の上には、昨日の記録帳が開いたままだった。シルヴィアが朝のうちに書類を持ち込んでいた。議会の通達文の写しが束ねられていた。法律が成立した三日間、医療所には日に日に「政治の匂い」が混ざり込んでいた。前は薬草と消毒液の匂いだけだった。


 アレクはペンを置き、椅子の背に手を当てた。立ったまま、カーラの言葉の続きを待った。


「何人だ」


「把握できている範囲で二十名。王都の外に集結している。ドナトゥスが直接命を下していると見ていい。昨夜から動きがあった——廃農場を使っている。私は昨晩から監視していた」


「装備は」


「全員が武装。剣と短弓。火種の用意も確認した。突発的な乱入ではなく、日を選んで動く準備をしている」


「目的は」


「法案の実力による覆しか、首謀者の排除——どちらかあるいは両方」


 首謀者、というのがアレクを指していることは、説明するまでもなかった。火種の用意——という言葉も、含意があった。建物を焼く可能性も視野に入れている、ということだった。


 アレクは腕を組んだ。窓の外を一度見た。朝の光が入ってきていた。今日晴れているという事実が、妙に場違いに感じられた。


 手術室の窓から朝日が差し込んでくる時の感覚に似ていた。前世で——徹夜の手術が終わって外を見たら、街が普通に動き始めていた。あの時の置いていかれる感覚と、今の感覚が重なった。違いは、隣に三人がいることだった。


 シルヴィアが書類を机に置いて立ち上がっていた。ミアが記録帳を胸に抱えて、こちらを見ていた。


「三方面に動く必要があります」とアレクは言った。「シルヴィア、議会に神聖騎士団の王都入城の事実を報告してください。武装集団の無許可入城は国家への武力介入として法的に阻止できる——そのための資料を今日中に揃えてほしい。議長への緊急提出は、あなたなら手続きを知っているはずです」


「できます」とシルヴィアは答えた。迷いのない声だった。


「カーラ、指揮系統に直接手を入れられますか」


「動揺させる程度なら」


「それで十分です。動き出せなければ意味がない。二十名を足止めする必要はない——混乱させて、時間を稼ぐだけでいい。騎士団が街に入る前に止める」


 カーラが頷いた。


「ミアは市民の誘導を」とアレクは言った。「東地区と南地区の要所に、騎士団が通る可能性のある路地が三か所ある。患者を避難させ、衛生状態を確保する。避難指示を出せる場所は分かりますか」


「……はい」とミアは言った。「第三避難所と、孤児院の北の広場と、南の水路沿いです。巡回で全部知っています」


「そこを押さえてください。治療の継続が最優先。患者を守る、それだけを考えてほしい」


「先生は」とミアが聞いた。


「王宮でドナトゥスに直接会います。法律が成立した今、実力行使を続けることへの合理的な根拠を問いただす必要がある。対話が成立すれば、騎士団は動かない」


「会ってもらえるんですか」とシルヴィアが聞いた。


「分かりません」とアレクは答えた。「会ってもらえなかった場合、向こうが正面から動く意志を持っていることが確定する。その情報自体に意味があります。会ってもらえれば、対話の余地は残っている」


 部屋が静かになった。


 それからミアが口を開いた。


「それぞれの持ち場って、私たちを一人にするってこと?」


 声に怒りはなかった。ただ正確に問うているだけだった。


 アレクは「そうです」と答えた。嘘はつかなかった。


「一人で何かを決断しなければならない場面が来ると思います。そのとき、俺の指示を待っていたら間に合わない。俺が隣にいることを前提にしないで動いてほしい。三人とも、自分の判断で動ける。知っている」


 ミアが間を置いて、アレクを見た。


「……分かりました」


 短い返事だった。でも、声に怯えはなかった。一年前にこの医療所に来たばかりの頃のミアなら、こんな顔はできなかった、とアレクは思った。記録帳を抱えた手が震えていない——それだけで十分だった。


「一つだけ聞いていいか」とカーラが言った。


「何ですか」


「先生は一人でドナトゥスのところに行くのか」


「はい」


「……」


「護衛は不要です。一対一の対話が目的だから。護衛がいると、向こうが構える」


 カーラが「理解はした」と言った。「納得はしていない」


「その違いが大事です」とアレクは言い、上着を手に取った。「行きましょう。時間がない」


 シルヴィアが机の上の書類を集め、外套を取った。カーラはすでに窓辺で外の様子を確認していた。ミアは記録帳を棚に戻し、薬草の籠を肩にかけた。


 動作に迷いがなかった。指示を受けてから動くのではなく、自分で次の一手を決めて動いている。半年前なら、アレクの顔色を見て指示を待つ場面だった——今は違う。アレクは、それを眩しく感じた。


 四人がそれぞれの方角へ向かうために動き出した。廊下で自然に散っていった。扉を出る直前、ミアが一度だけ振り返った。


 アレクと目が合った。ミアは何も言わなかった。


 でもアレクはその視線を、医者として受け取らなかった。それだけは確かだった。


 扉が閉まった。廊下に一人になった。


 上着を整え、王宮への道順を頭の中で確認した。ドナトゥスが会ってくれるかどうか、まだ分からなかった。


 窓の外に目を向けた。秋の終わりの光が石畳を照らしていた。今日この日に騎士団が動かなければならない理由はない。ドナトゥスが選んだ日だった。何かを区切るために選んだ日かもしれない、とアレクは思った。


 対話が成立すれば、騎士団は動かない。成立しなければ——三人は今頃、それぞれの場所で動いている。一人で全てを引き受ける時代は、もう終わっていた。それを認めるのは難しかったが、認めなければ次に進めない、とも分かっていた。


 アレクは歩き出した。


お読みいただきありがとうございます。

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