表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
治癒魔法なんて要りません 〜転生外科医が教会の独占をぶち壊す〜  作者: いなばの青兎
対立勃発編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
58/69

第58話 カーラが消えた夜

 脅迫状が届いたのは、朝の診察が始まる前だった。


 扉の隙間に挟まれていた。誰が置いたかは分からなかった。封蝋に印章はなかった。カーラが先に見つけ、開封せずにアレクのところへ持ってきた。アレクが開けて、中身を確認した。


「元暗殺者として、公の場で処刑する。三日以内に教会に出頭せよ」という内容だった。署名は教会の印章だけで、名前はなかった。


 カーラはその文書を一度読んで、テーブルに置いた。


「どこから漏れたんですか」とアレクが言った。


「……元の組織か、教会の調査部門か。どちらでも同じだ」とカーラは言った。「対応を考えます」


 しかし昼が過ぎると、カーラがいなくなっていた。


* * *


 ミアが最初に気づいた。


 午後の診察で、いつもの定時にカーラが見回りに顔を出さなかった。ミアが廊下を覗き、屋根を見上げ、裏庭を確認した。どこにもいなかった。


「カーラさんを見ましたか」とミアが聞いた。アレクが「朝から見ていない」と言った。カーラの部屋に荷物がほとんどなかった。短剣と最低限の装備だけが消えていた。


「逃げた……ですか」とミアは言った。


「迷惑をかけないつもりで出ていったのだと思います」とアレクは言った。「カーラがどういう人間か、分かっていますよね」


「……分かっています。でも先生がいつも言うじゃないですか。逃げても解決しない、って」


「そうです。追いましょう」


「でも場所が——」


「シルヴィアさんに連絡を」


* * *


 シルヴィアはすでに動いていた。


 ミアからの連絡が来る前に、シルヴィアは事態を把握していた。カーラが出ていく前に、ハルトマン家の情報網が動いていた。


「北門の外、旧街道沿いの廃屋にいます」とシルヴィアはミアに伝えた。「私が先に向かいます」


 ミアがアレクに「シルヴィア様が——」と言おうとすると、アレクが「先に行きましょう」と言い、すでに上着を着ていた。


 廃屋はひとけのない場所だった。シルヴィアが先についていた。カーラが部屋の隅で座っていた。


 壁にもたれて膝を抱えていた。短剣は鞘に収まっていた。荷物は床に置かれたままだった。逃げる準備の途中で止まった姿勢だった。


「……なぜここが分かった」とカーラは言った。


「調べました」とシルヴィアは言った。「あなたが隠れるなら、教会の目が届かない場所で、でも王都から遠すぎない場所だと判断しました」


 ミアが廃屋に入ってきた。アレクも後ろから入った。アレクの手には何も持たれていなかった。武装も道具も持たない。説得に来たのだということが、姿勢で分かった。


「……なぜ来た」とカーラは言った。「余計なことを」


「逃げても解決しない」とミアは言った。「先生の言葉です。カーラさんも知っているはずです」


 ミアが廃屋の床に膝をついた。カーラの正面に座った。普段のミアからは想像できない真直ぐな視線だった。


「カーラさんがいなかったら、私たちは困ります。先生も困ります」


「先生が困る、と言うな」


「困ります。本当に。私が一番、それを見ています。先生はカーラさんのことを、誰にも見せない顔で気にかけている」


 カーラが「……お前」と言いかけ、止めた。


「私は荷物だ」とカーラは言った。「お前たちに過去のことで迷惑をかけるつもりはない。借りを返したつもりだったが——まだ残っていた。すまない」


「借りの話はしていません」とアレクは言った。「お前は俺のチームの一員です。チームの一員が消えれば、チームは機能しない。論理的な話です」


「私は元暗殺者だ。それが公になれば——」


「公にさせなければいい。そのための準備を考えます」


 カーラが黙った。


 カーラの肩が、わずかに揺れた。否定しようとして、できなかった。短剣を握る手が、何かを掴みたくて行き場のなかった手のように、膝の上に戻った。


 しばらく後で、カーラが「……なぜ」と言った。「なぜそこまで」


「あなたが必要だからです」


 カーラが「……」と黙った。目が赤くなっていた。


 シルヴィアが、ミアが、アレクが、黙ってカーラを見ていた。誰も近づかなかった。近づくべき距離ではなかった。離れて見守ることが、今のカーラに必要なことだった。


 カーラが顔を手で覆った。声が出なかった。しかし肩が揺れていた。長い時間そうしていた。誰も急かさなかった。


 アレクは「明日、一緒に来てください」と言った。


 カーラが顔から手を下ろした。目が赤かった。「……どこへ」


「王宮です」とアレクは言った。「先手を打ちます。こちらから話す」


 カーラが「……そういうやり方をするのか」と言い、呼吸を整えた。何かが決まった顔だった。「分かった」と言い、立ち上がった。


* * *


 医療所に戻る道で、四人は黙って歩いた。


 ミアが何度かカーラを見た。カーラの目はもう赤くなかったが、頬の筋が動いていなかった。普段の無表情と、今夜の無表情は違っていた。何かが少し緩んだ顔だった。


 医療所の扉を開けると、シルヴィアが「お茶を入れます」と言って厨房に向かった。


 ミアが「カーラさん」と呼びかけた。


「なんだ」


「明日、王宮に行く前に、何か食べてください。お腹が空いていると判断が鈍ります。先生がよく言うことです」


 カーラが少しだけ笑った。「……お前は先生の言葉を、よく覚えているな」


「覚えるのが、私の仕事の一つなので」


「そうか」


 ミアが「カーラさん」ともう一度呼んだ。「逃げないでくれて、ありがとう」


 カーラが「逃げかけた」と認めた。「お前たちが追ってきたから、戻れた」


「先生が言ったことですよ。逃げても解決しない、って」


「そうだな」


 シルヴィアが茶を運んできた。四つの椀を机に置いた。湯気が立った。


 アレクが「明日、何時に出るか確認しておきます」と言いながら、手帳を開いた。


 カーラが椀を取った。両手で抱えた。両手で抱える持ち方を、カーラがする姿は珍しかった。シルヴィアが見て、ミアが見た。アレクは見ていないように見えて、視界の端で見ていた。


「冷めないうちに」とアレクが言った。


 四人で茶を飲んだ。誰も多くは話さなかった。それで十分な夜だった。


 ミアが途中で立ち上がり、台所から梅干しのような保存食を持ってきた。「お夜食です」と言って机に置いた。誰も食べなかったが、置いてあること自体に意味があった。家にあるもの、誰かが用意したもの。それを共有する時間。


 カーラがしばらくして「……戻ってきて、よかった」と低い声で言った。


 誰も返事をしなかった。返事をする必要のない言葉だった。


 窓の外で、夜の風が一度だけ強く吹いた。雨戸が一枚揺れた。カーラが反射的に立ち上がりかけたが、すぐに座り直した。座り直したとき、シルヴィアと目が合った。シルヴィアが小さく笑った。


「明日、王宮に行く前に、髪を整えた方がいいですよ」とシルヴィアは言った。「正式な場ですから」


 カーラが「……お前は本当に、貴族の言うことを言うな」


「貴族ですから」


 ミアが「私、お湯を沸かしておきます。明日の朝、髪を洗えるように」と言った。


 カーラが「……お前たちは」と言いかけ、止めた。続きは言わなかった。茶を飲んだ。茶の温度が、ちょうどよかった。


お読みいただきありがとうございます。

続きも毎日更新予定です。作品フォロー、評価、ブックマークで応援いただけると励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ