第58話 カーラが消えた夜
脅迫状が届いたのは、朝の診察が始まる前だった。
扉の隙間に挟まれていた。誰が置いたかは分からなかった。封蝋に印章はなかった。カーラが先に見つけ、開封せずにアレクのところへ持ってきた。アレクが開けて、中身を確認した。
「元暗殺者として、公の場で処刑する。三日以内に教会に出頭せよ」という内容だった。署名は教会の印章だけで、名前はなかった。
カーラはその文書を一度読んで、テーブルに置いた。
「どこから漏れたんですか」とアレクが言った。
「……元の組織か、教会の調査部門か。どちらでも同じだ」とカーラは言った。「対応を考えます」
しかし昼が過ぎると、カーラがいなくなっていた。
* * *
ミアが最初に気づいた。
午後の診察で、いつもの定時にカーラが見回りに顔を出さなかった。ミアが廊下を覗き、屋根を見上げ、裏庭を確認した。どこにもいなかった。
「カーラさんを見ましたか」とミアが聞いた。アレクが「朝から見ていない」と言った。カーラの部屋に荷物がほとんどなかった。短剣と最低限の装備だけが消えていた。
「逃げた……ですか」とミアは言った。
「迷惑をかけないつもりで出ていったのだと思います」とアレクは言った。「カーラがどういう人間か、分かっていますよね」
「……分かっています。でも先生がいつも言うじゃないですか。逃げても解決しない、って」
「そうです。追いましょう」
「でも場所が——」
「シルヴィアさんに連絡を」
* * *
シルヴィアはすでに動いていた。
ミアからの連絡が来る前に、シルヴィアは事態を把握していた。カーラが出ていく前に、ハルトマン家の情報網が動いていた。
「北門の外、旧街道沿いの廃屋にいます」とシルヴィアはミアに伝えた。「私が先に向かいます」
ミアがアレクに「シルヴィア様が——」と言おうとすると、アレクが「先に行きましょう」と言い、すでに上着を着ていた。
廃屋はひとけのない場所だった。シルヴィアが先についていた。カーラが部屋の隅で座っていた。
壁にもたれて膝を抱えていた。短剣は鞘に収まっていた。荷物は床に置かれたままだった。逃げる準備の途中で止まった姿勢だった。
「……なぜここが分かった」とカーラは言った。
「調べました」とシルヴィアは言った。「あなたが隠れるなら、教会の目が届かない場所で、でも王都から遠すぎない場所だと判断しました」
ミアが廃屋に入ってきた。アレクも後ろから入った。アレクの手には何も持たれていなかった。武装も道具も持たない。説得に来たのだということが、姿勢で分かった。
「……なぜ来た」とカーラは言った。「余計なことを」
「逃げても解決しない」とミアは言った。「先生の言葉です。カーラさんも知っているはずです」
ミアが廃屋の床に膝をついた。カーラの正面に座った。普段のミアからは想像できない真直ぐな視線だった。
「カーラさんがいなかったら、私たちは困ります。先生も困ります」
「先生が困る、と言うな」
「困ります。本当に。私が一番、それを見ています。先生はカーラさんのことを、誰にも見せない顔で気にかけている」
カーラが「……お前」と言いかけ、止めた。
「私は荷物だ」とカーラは言った。「お前たちに過去のことで迷惑をかけるつもりはない。借りを返したつもりだったが——まだ残っていた。すまない」
「借りの話はしていません」とアレクは言った。「お前は俺のチームの一員です。チームの一員が消えれば、チームは機能しない。論理的な話です」
「私は元暗殺者だ。それが公になれば——」
「公にさせなければいい。そのための準備を考えます」
カーラが黙った。
カーラの肩が、わずかに揺れた。否定しようとして、できなかった。短剣を握る手が、何かを掴みたくて行き場のなかった手のように、膝の上に戻った。
しばらく後で、カーラが「……なぜ」と言った。「なぜそこまで」
「あなたが必要だからです」
カーラが「……」と黙った。目が赤くなっていた。
シルヴィアが、ミアが、アレクが、黙ってカーラを見ていた。誰も近づかなかった。近づくべき距離ではなかった。離れて見守ることが、今のカーラに必要なことだった。
カーラが顔を手で覆った。声が出なかった。しかし肩が揺れていた。長い時間そうしていた。誰も急かさなかった。
アレクは「明日、一緒に来てください」と言った。
カーラが顔から手を下ろした。目が赤かった。「……どこへ」
「王宮です」とアレクは言った。「先手を打ちます。こちらから話す」
カーラが「……そういうやり方をするのか」と言い、呼吸を整えた。何かが決まった顔だった。「分かった」と言い、立ち上がった。
* * *
医療所に戻る道で、四人は黙って歩いた。
ミアが何度かカーラを見た。カーラの目はもう赤くなかったが、頬の筋が動いていなかった。普段の無表情と、今夜の無表情は違っていた。何かが少し緩んだ顔だった。
医療所の扉を開けると、シルヴィアが「お茶を入れます」と言って厨房に向かった。
ミアが「カーラさん」と呼びかけた。
「なんだ」
「明日、王宮に行く前に、何か食べてください。お腹が空いていると判断が鈍ります。先生がよく言うことです」
カーラが少しだけ笑った。「……お前は先生の言葉を、よく覚えているな」
「覚えるのが、私の仕事の一つなので」
「そうか」
ミアが「カーラさん」ともう一度呼んだ。「逃げないでくれて、ありがとう」
カーラが「逃げかけた」と認めた。「お前たちが追ってきたから、戻れた」
「先生が言ったことですよ。逃げても解決しない、って」
「そうだな」
シルヴィアが茶を運んできた。四つの椀を机に置いた。湯気が立った。
アレクが「明日、何時に出るか確認しておきます」と言いながら、手帳を開いた。
カーラが椀を取った。両手で抱えた。両手で抱える持ち方を、カーラがする姿は珍しかった。シルヴィアが見て、ミアが見た。アレクは見ていないように見えて、視界の端で見ていた。
「冷めないうちに」とアレクが言った。
四人で茶を飲んだ。誰も多くは話さなかった。それで十分な夜だった。
ミアが途中で立ち上がり、台所から梅干しのような保存食を持ってきた。「お夜食です」と言って机に置いた。誰も食べなかったが、置いてあること自体に意味があった。家にあるもの、誰かが用意したもの。それを共有する時間。
カーラがしばらくして「……戻ってきて、よかった」と低い声で言った。
誰も返事をしなかった。返事をする必要のない言葉だった。
窓の外で、夜の風が一度だけ強く吹いた。雨戸が一枚揺れた。カーラが反射的に立ち上がりかけたが、すぐに座り直した。座り直したとき、シルヴィアと目が合った。シルヴィアが小さく笑った。
「明日、王宮に行く前に、髪を整えた方がいいですよ」とシルヴィアは言った。「正式な場ですから」
カーラが「……お前は本当に、貴族の言うことを言うな」
「貴族ですから」
ミアが「私、お湯を沸かしておきます。明日の朝、髪を洗えるように」と言った。
カーラが「……お前たちは」と言いかけ、止めた。続きは言わなかった。茶を飲んだ。茶の温度が、ちょうどよかった。
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