第53話 レヴァンの最後
継続審議から二日後、レヴァンから個別の面談の申し入れがあった。
場所は教会の小会議室だった。シルヴィアとカーラが廊下に控えていた。アレクとレヴァンが向き合って座った。
レヴァンは最初から疲れて見えた。机の上に両手を置いていた。指先が一度だけ動いて、止まった。
「……審問での記録について、確認したい」とレヴァンは言った。「あの写しは本物か」
「教会の書庫から写したものです」とアレクは言った。「内部の方が提供してくれました」
「誰が」
「申し上げられません」
レヴァンが頷いた。「……そうか」
沈黙があった。
「一つ聞かせてください」とアレクは言った。「あなたはなぜ、ミアの家族を脅しましたか」
レヴァンが「……」と黙った。
「あなたが患者を人質に使ったことがある。シルヴィアの病気を、治さないことで貴族への圧力として使った。ミアの家族を脅した。それは俺には許せない」
「……教会を守るためだ」とレヴァンは言った。声が低かった。「教会が崩れれば、何万人もの信仰が崩れる。信仰が崩れれば民の心の支えが消える。俺はそれを守るために——」
「それは理由にならない」とアレクは言った。「患者を守ろうとするなら、患者を人質に使うことはできない。そこは矛盾しています」
レヴァンが答えなかった。書類に視線を落としたまま、しばらく動かなかった。
「あなたが最初から、制度ではなく患者を守ろうとしていたなら——今のあなたはいなかったかもしれない」
「……どういう意味だ」
「制度を守ることに集中した結果、制度の外にいる患者が見えなくなった。そういうことです」
「……そうだな」とレヴァンは言った。抗うものが何もない声だった。「俺はそこで間違えた」
* * *
しばらくの沈黙の後、アレクは言った。
「ただ一つだけ言わせてください。制度を守ろうとしたあなたの信仰は、本物だったと思います」
レヴァンが顔を上げた。
「制度の使い方を間違えた。患者を道具に使ったことは許されない。でも教会という制度を守ろうとした動機そのものは——本物だったと俺は判断しています」
「……なぜそれを言う」
「正確に評価したいからです。あなたを単純な悪人にしたくない。そうしてしまうと、問題の本質が見えなくなる」
しばらくの間があった。レヴァンが机の上の記録写しに視線を落とし、そのまま動かなかった。
「……負けた」とレヴァンは言った。
静かな声だった。抗うものが何もない、という声だった。
肩が一度だけ落ちた。落ちたまま戻らなかった。両手は机の上に置かれたままだった。指先はもう動かなかった。
「俺は長い間、制度を守ることが神への奉仕だと思っていた」
言葉は止まらなかった。レヴァンが続けた。
「治癒師認定の試験を受ける若者を見るたびに——この子たちが教会の名のもとで医療を担う、それが神の御業の伝承だと信じていた。費用が高すぎて受けられない者がいることは知っていた。それでも『教会の枠から外れた者は仕方がない』と思っていた」
「外れた者の中に、治療を受けられず亡くなった患者がいた」
「いた。知っていて、見過ごしてきた」
「なぜ」
「制度が完全に崩れるよりは、中で続けた方がましだと思った」
「あなたの判断は理解できます」とアレクは言った。「同じ立場で同じ判断をする者は他にもいたはずです。だから個人としてのあなたを責める言葉ではない」
「……それでも、俺は患者を人質にした」
「そこは別の話です。制度を守るために患者を道具に使った瞬間、あなたの動機の正しさが、結果から見て成立しなくなります」
レヴァンが「……そうだ」と言った。
「審問で記録を突きつけられたとき——制度そのものが、始めから人間の都合で作られたものだと分かってしまった。信じていたものの根拠が、そこにはなかった」
「……そうです」
「負けた。証拠としても、論理としても、そして——信仰としても」
レヴァンが立ち上がった。
「神官職を辞するつもりだ。教会には残らない」
アレクは何も言わなかった。
レヴァンが扉に向かう途中で、一度だけ振り返った。「お前は教会を潰したいのか」
「教会を潰したいわけではありません」とアレクは言った。「教会が患者を見捨てる構造を変えたい。それだけです」
レヴァンが頷いた。「……それが俺との違いか」と低い声で言い、出ていった。
* * *
廊下に出ると、シルヴィアが壁際に立っていた。何も言わなかったが、アレクを一度見て、目を伏せた。
ミアが「先生、大丈夫でしたか」と言った。
「大丈夫です」
「中で何を話していたんですか」
「審問の続きを話しました」
ミアが「……レヴァン神官、泣いていた気がしました」と言った。
「泣いていたかもしれません」
ミアが少し考えてから言った。「先生、次が来るまでに、何か準備できることはありますか」
「枢機卿会議の動き方を見てから判断します」
「……分かりました」とミアは言った。「今日くらいは、ゆっくりしてください」
アレクは返事をしなかった。
「先生」とミアが続けた。「レヴァン神官がいなくなった後——次は誰が来ますか」
「枢機卿会議が動く」とアレクは言った。「レヴァンは一人だったが、あちらは組織だ。個人より厄介になる可能性がある」
ミアが「……先生はもう考えているんですね、次のことを」と言った。
廊下を戻りかけたとき、カーラが低い声で言った。「一つ確認したいことがある。今日の審問の傍聴席に——ダルマン子爵の姿があった」
シルヴィアが「……来ていたのですか」と言った。「水質データを見た直後に議会を退席した人物が」
「こちらを見ていた。記録写しが差し出された瞬間に」
廊下が静まった。アレクが「……記録しておく必要がある」と言った。
ミアが羊皮紙を取り出した。シルヴィアが「覚えておきます」と言った。静かな声だった。
医療所に戻る道で、ミアが「先生」と言った。
「なんですか」
「先生って、敵にも優しいんですね」
アレクが歩を止めなかった。「優しいわけではありません。敵を単純化しないだけです。単純化すると問題の本質を見誤る」
「でも、辞めると言ったレヴァン神官に『信仰は本物だった』って言ったでしょう」
「言いました」
「あれは優しさだと思います」
「……そうかもしれません」とアレクは認めた。「ただ、患者を人質に使ったことだけは別です。そこは譲っていない」
ミアが「分かっています」と言った。「先生の優しさには、ちゃんと線が引いてあるんですね」
アレクが何も答えなかった。歩いた。
カーラが後ろから「ダルマン子爵の動向は私が追います」と言った。「水路汚染と審問の傍聴、二度こちらに姿を見せた。理由がある」
シルヴィアが「私は議会経由で子爵の最近の発言記録を集めます」と言った。
四人がそれぞれ次の動きを口にしながら歩いた。ひとつの戦いが終わった足取りではなかった。次が来ることを、四人とも知っていた。
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