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治癒魔法なんて要りません 〜転生外科医が教会の独占をぶち壊す〜  作者: いなばの青兎
対立勃発編

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第50話 汚染の跡

 封鎖から三日目の朝、新規の感染者がほぼ出なくなった。


 二日目の午後あたりから感染曲線がはっきり下がり始め、三日目の朝には新しい発熱の訴えがゼロになった。歩ける患者は隔離部屋で休息を取り、重篤患者は段階的に回復に向かっていた。


 最初に持ち込まれた百二十名のうち、亡くなったのは三名だった。三名はいずれも、封鎖が始まる前から症状が重篤化していた者だった。アレクが手書きで死亡記録を書きながら、ミアが横で「先生」と呼んだ。


「三名、止められませんでしたね」


「止められなかった」とアレクは認めた。「初動が三日早ければ、たぶん救えていた」


「先生、それは——」


「事実です」とアレクは言った。「悔やんでいるのではない。次に同じことが起きたとき、もっと早く動ける制度を作る理由が、ここにある」


 ミアが頷いた。記録に「死亡三名」と書く手の動きが、少し遅くなった。


 夜の間に三人の重篤患者が安定し、朝の確認では新規発症者がゼロだった。ミアが朝一番にすべての患者を魔力感知で巡回し、悪化の兆候を確認した。光の歪みは、どの患者も一日前より小さくなっていた。


「先生、本当に止まりました」とミアが言った。


「止まったように見えます」とアレクは慎重に言った。「ただし、潜伏期間が一週間ある可能性もある。ここから三日は厳重に観察を続けます」


 ミアが「昨日は新しい発熱の患者がゼロでした」と報告したとき、アレクは記録帳の数字を見直した。感染のピークは封鎖初日から二日目の間だった。水源を切り替え、感染者を隔離してから、曲線が急激に下がっている。


「封鎖が機能した、ということですね」とミアが言った。


「水源の切り替えが機能した、の方が正確です。汚染源を断てば、接触感染がある程度続いても新規感染は止まる」


「先生、一つ聞いてもいいですか。コレラ系感染症、というのはどういう仕組みですか」


「腸内に入った細菌が毒素を出して、腸から大量の水分を奪う。その脱水が命取りになります。水分補給が治療の基本で、汚染された水を断つことが予防の基本。それだけです」


 ミアが「……分かりました」と言い、記録に追記した。


* * *


 五日目、シルヴィアが議会に「感染マップ・時系列データ・水質調査結果」を提出した。


 カーラが手配した水質調査の結果が添えられていた。東地区の共同水路から採取した水のサンプルと、南地区の井戸水の比較。教会の管理水路にのみ、特定の汚染物質が含まれていた。


「議会でどんな反応でしたか」とアレクが聞いた。


「驚きより、沈黙でした」とシルヴィアは言った。「数字が明確すぎて、否定しにくかった。教会側の議員も、その場では反論できなかった」


「汚染の原因は」


「それが——」とシルヴィアが少し間を置いた。「水質調査の専門家が一点、奇妙な点を指摘しました。汚染物質の分布が均一すぎる、と」


「均一すぎる」


「自然汚染なら、流れに従って濃淡が出るはずです。しかし今回の汚染は、水路全体にほぼ均等に広がっていた。流れの上流で均等に混入した可能性を示唆する、と言われました」


 アレクが「……自然に起きた汚染ではない可能性がある」と言った。


「可能性の話です。断定はできません」


「でもあり得る」


「あり得ます」とシルヴィアは言った。「ただし証明には時間がかかる。今は疫病の鎮圧が先です」


「そうですね」とアレクは言った。しかし手が止まっていた。


「均一すぎる」とアレクは繰り返した。「意図的に混入したとすれば——誰かが、疫病が起きることを知っていたことになる」


 カーラが「……その人間が教会の関係者なら」と言った。誰も先を続けなかった。


 ミアが「教会の医療記録に、不自然な空白がありました。以前、私が確認したときに」と言った。「記録が消されていたとしたら」


「いつの記録ですか」


「先週、東地区の感染が始まる直前の週です。教会管理の医療記録に、その週の三日間だけ、報告が一切ありませんでした。それまでは毎日記録があったのに」


 シルヴィアが「……それは偶然では説明しにくいですね」と言った。


「偶然の可能性もあります」とアレクは慎重に言った。「ただし可能性として記録に残しておきます」


「水路汚染は、偶発的ではないかもしれません」とアレクは言った。


 シルヴィアが「……証拠がなければ口にしない方がいい話です」と言った。


「分かっています。でもそういう可能性がある以上、記録しておく必要がある」


 ミアが「記録します」と羊皮紙を持った。


 カーラが壁際で「……水路の管理者の名前を調べる」と言った。


 シルヴィアが「もう一つ、議会で気になったことがある」と言った。「教会側の議員が一人だけ、早々に退席しました。汚染データを見た直後に。偶然かもしれないが」


「その議員の名前は」


「ダルマン子爵。教会との繋がりが深い人物です。今まで教会擁護の発言が多かった」


「……それは偶然じゃないかもしれない」


「可能性の話ですが」とシルヴィアは言った。「教会が水路汚染を事前に知っていたとすれば、疫病は『神罰』として利用するつもりだったということになります。医術師制度への揺り戻しの口実として」


 室内が静まった。


 それが本当なら、疫病は偶発ではなく意図的なものだったことになる。証明はまだできない。しかし記録する価値はあった。


* * *


 夕方、患者の経過確認のためにアレクとミアが封鎖区域に出た。


 封鎖はまだ完全には解いていなかった。新規感染ゼロが三日続いてから段階的に解除する予定だった。住民の表情には疲労があったが、最初の日のような怯えはもうなかった。


 水を運ぶ列の脇で、年配の女性がアレクに頭を下げた。「うちの子、助けていただいたって」と言った。「下の子が高熱で——」


「経過は安定していますか」


「はい。三日前から熱が下がりました」


「水は今のものを使ってください。煮沸を続けるよう近隣にも伝えてください」


 女性が「分かりました」と頭を下げた。隣の老婆が「先生、教会の祈祷より早かった」と言った。アレクが「祈祷も役に立つときはあります」と短く返した。老婆が「……あんたは謙遜まで早いね」と笑った。


 ミアが「先生、すごい。住民が先生を覚えています」と歩きながら言った。


「覚えているのは助かった結果です。途中で亡くなった患者がいれば、覚え方は別になります」


「それでも、助かった人がいるなら」


「そう、助かった人はいます」とアレクは認めた。「だから次もやれる」


 ミアが「先生は、どこで止まらないんですか」と聞いた。「いつでも、まだやるべきことがある、という顔をしている」


「止まる場所がないからです」とアレクは言い、立ち止まらずに歩き続けた。「止まると患者が死にます」


 ミアが「先生」と呼んでから、しばらく間を置いた。「先生が止まれる場所も、いつかは必要です」


 アレクが答えなかった。歩き続けた。


 ミアも黙って横を歩いた。風が冷たくなり始めていた。封鎖区域の境界の松明が、夕暮れの中で揺れていた。


お読みいただきありがとうございます。

続きも毎日更新予定です。作品フォロー、評価、ブックマークで応援いただけると励みになります。

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