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治癒魔法なんて要りません 〜転生外科医が教会の独占をぶち壊す〜  作者: いなばの青兎
対立勃発編

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第47話 直訴

 王宮への緊急通達が通ったのは、シルヴィアの父親の名前のおかげだった。


 医療所の扉を出る前、シルヴィアが「父に直接書状を送ります」と言って羽ペンを走らせた。文面は短かった。要件、緊急度、王の判断が必要な根拠、それだけ。装飾はなかった。父親は装飾を嫌う性格だ。短い書状の方が早く動く。


 書状を運ぶ伝令が出たのは午前のうちだった。アレクは医療所の道具を整えながら、その伝令の足音が遠ざかるのを聞いた。


「シルヴィアさん」


「はい」


「侯爵が動かなかった場合、どうしますか」


「動きます」とシルヴィアは即答した。「父は、私が真剣な顔で頼んだ書状を無視したことが一度もない」


「それは、頼り方の問題ですね」


「私もそう思います」


 ミアが横で「シルヴィア様、すごい」と小声で言った。


 シルヴィアが「すごい話ではありません。家族の習慣です」と返した。声が少し平らだった。慣れた口調にしようとして、なりきれていない声だった。


 ハルトマン侯爵が「医術師認定者のアレクから緊急の医療情報がある」と先に連絡を入れたことで、アレクは謁見ではなく国王の執務室に通された。書類が積まれた室内で、国王は文官二人と話をしていた。


「来たか」と国王は言い、文官たちに下がるよう指示した。


 アレクは立ったまま話した。「東地区で感染症が広がっています。コレラ系の疾患と判断します。感染源は教会管理の共同水路です。今すぐ感染地区の封鎖と水源の切り替えを行えば止められます。一週間遅れれば、死者が数百人規模になります」


「証拠は」


「現時点では患者データと、感染の広がり方のパターンです。水源汚染の確定的な証明は水質検査が必要ですが、それを待っていれば間に合わない」


 国王の側近が口を開いた。「教会の水路管理権に触れることになります。法的に——」


「人が死にます」とアレクは言った。声を荒げなかった。ただ事実を言った。「法的な調整は封鎖と並行してできます。先に法律の話をしている間に、感染が広がります」


 国王が側近を見た。側近が「しかし教会は——」と言いかけた。


「やれ」と国王は言った。


 側近が「陛下」と言った。


「朕が命じた。教会への通達は後でいい。まず封鎖しろ。水路の切り替えはどこに繋げばいい」とアレクに聞いた。


「南地区の井戸系統が汚染のリスクが低いはずです。地図を見せてもらえれば判断できます」


 国王が地図を持ってこさせた。


 大判の街区図が机に広げられた。アレクが東地区の共同水路の位置を指で押さえ、汚染が広がる方向を辿った。


「水路はここから北へ流れています。下流側はまだ汚染が薄い段階だ。今日中に切り替えれば、下流の住民は救える」


「南地区との接続は」


「井戸系統は独立しています。一時的にこちらへ供給を切り替え、東地区の水路は完全に閉じる。井戸の水量が足りなくなる場合、王軍が水を運搬で補給するのが最速です」


 国王が「水量計算は」と聞いた。


「シルヴィアさんが議会経由で水路台帳を取り寄せている最中です。今日中に届きます。ただ、最悪の前提で動いた場合の必要量は、王軍の補給能力で賄える範囲です」


 国王の側近が「教会への通達はどうしますか」と言った。


「事後でいい」と国王は言った。「先に動かれて反対される方が困る。封鎖が完了してから通達しろ」


 側近が頷いた。書記官が王の口頭命令を書き取り始めた。


 アレクは「もう一点、確認させてください」と言った。「封鎖区域内の住民への食料と水の確保は、王家の手配ですか」


「朕が手配する。三日分。その間に水源切り替えを完了させろ」


「分かりました」


* * *


 一時間後、封鎖の命令が出た。


 王軍の一部隊が東地区に向かった。教会の治癒師が「何の権限で」と叫んだが、王の印章を見せると黙った。


 アレクは医療所に戻り、シルヴィアとミアとカーラに現状を報告した。


「動きました」とシルヴィアが言った。


「はい。あとは俺たちが現場を管理する。シルヴィアさんは封鎖地区の住民への告知と、代替水源への誘導をお願いします。議会経験から民衆への説明が得意なはずです」


 シルヴィアが頷いた。「カーラは?」


「教会の妨害が来るはずです。それを抑えてください」


「分かった」とカーラは言い、既に立ち上がっていた。


「ミアは俺と一緒に患者の診察と記録を続けます」


 ミアが「はい」と言いながら、道具袋に必要なものを詰め始めた。


「チームって、こういうことか」とアレクは内心で思った。


 四人がそれぞれの役割で動き出した。


 シルヴィアが出ていく前に振り返った。「教会はどう出ると思いますか」


「神罰だと言って、封鎖に抵抗するはずです。でも王命が出た以上、法的には対抗できない」


「カーラがいれば物理的な妨害は防げます」


「そうです」


 シルヴィアが「……なぜ俺たちがこんなことをしているんでしょう」と言った。独り言に近かった。


「何がですか」


「教会が本来やるべきことを、私たちがやっている。おかしい話ですよね」


 アレクが「だから変えようとしています」と返した。


 シルヴィアが頷き、出ていった。


 カーラが扉の外に向かいながら「教会の妨害が来ると言ったが——どんな手を使ってくる」と振り返らずに聞いた。


「分かりません。ただ、水路の汚染が意図的なものだとすれば——あれを誰かが命じた。その人間は、まだ動いています」


 カーラが「……そういうことか」と言い、足音が遠ざかった。


 ミアが「先生、今夜中にやるべき処置の優先順位を整理しましょうか」と道具を並べ始めた。


「頼む。重篤化のサインがある患者を最優先にする。それ以外は脱水の進行度で並べる。発疹が出ている者はさらに別枠だ」


「発疹が出ている人は、もう感染が血に回りかけている可能性ですか」


「可能性です」とアレクは言った。「断定はしない。ただ警戒値は高い」


 ミアがメモに走り書きをした。文字に少し震えがあった。


「ミア」


「はい」


「お前は怖がっていい。怖がりながら動けるようになっていれば、それで十分です」


 ミアが「……はい」と言った。それでも手の震えは止まらなかった。アレクは何も言わずに、ミアが書きやすいよう紙の位置を直した。


 扉の外で王軍の伝令が走る音がした。封鎖が始まっていた。後戻りのできる地点はもう過ぎていた。


お読みいただきありがとうございます。

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