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治癒魔法なんて要りません 〜転生外科医が教会の独占をぶち壊す〜  作者: いなばの青兎
対立勃発編

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第42話 どこまでやるつもり

 シルヴィアが医療所に来たのは夕方だった。


「話がしたい」と言った。「作業の邪魔をするつもりはないですが」


「どうぞ」とアレクは言い、薬草の仕分けを続けた。


 シルヴィアが椅子に座った。しばらく黙ってアレクが作業するのを見ていた。それから言った。


「あなたはどこまでやるつもりなの」


 アレクが手を止めた。「具体的にはどういう意味ですか」


「制度を変えるとして——変えた後、あなたはどうする気なのかと聞いています。医術師制度が成立して、教会の独占が崩れて、それからどうするの」


 アレクは一拍置いて答えた。「医術師の学校を作りたいと思っています。次の医術師を育てる場所。俺一人では物理的な限界があるので」


「学校」


「魔力の有無は問わない。知識と技術と、患者を救いたいという意志がある者なら誰でも入れる場所です」


 シルヴィアが「……それがゴールですか」と言った。


「当面は。その先のことは、その先が来てから考えます」


「当面の目標が学校なら、その前に制度が必要で、制度の前に王の勅令が必要で、王の勅令の前に法案が必要で、法案の前に議会の支持が必要で——」


「そうです」


「気が遠くなる話ですね」


「一歩ずつやることをやれば気は遠くならない」


 シルヴィアが「……あなたって本当に」と言いかけて止まった。


「何ですか」


「変な人ね」


 アレクは「そう言われます」と言いながら作業を再開した。


* * *


 シルヴィアはしばらく黙っていた。


 それから「俺がしたいのは、どんな平民でも金の心配なく医者にかかれる制度を作ること、と言っていましたね」と言った。


「はい」


「教会はその障害でしかない、とも」


「そうです」


「……私はどんな存在ですか。あなたにとって」


 アレクが手を止めた。「法律と政治を動かせる人物です」


「それだけ?」


「それが一番重要な役割です」


 シルヴィアが「そういう意味で聞いたんじゃないんだけど」と言った。声が低くなった。


 アレクが「他にどんな意味がありますか」と返した。本当に分からないという声だった。


 シルヴィアが「……いいえ、なんでもない」と言い、立ち上がった。


「帰りますか」


「帰りません」とシルヴィアは言った。「今日ここに来たのは、もう一つ言いたいことがあったからです」


「聞かせてください」


 シルヴィアが、珍しく直接に言った。「……私も一緒に戦う」


「そのつもりでお願いしています」


「そうじゃなくて」とシルヴィアは言った。「あなたの目標に、私も賛成したってことです。最初は後援者として利益計算をして動いていたけど、今はそれだけじゃない。だから言いたかった」


 アレクが頷いた。


 シルヴィアが「……それだけです」と言い、椅子に戻って座った。アレクの作業する音が戻ってきた。薬草が棚に並んでいく音だった。


「一人で正義を振りかざすのは、ただの英雄ごっこよ。私が政治を動かす」とシルヴィアは続けた。声に今度こそ迷いがなかった。


* * *


 帰り道、馬車の中でエレナが「お嬢様」と言った。


「なに」


「先程の医療所での会話、扉の外で聞こえてしまいました」


「立ち聞きをしたの」


「結果的に。お許しください」


 シルヴィアが扇子を開いて、馬車の窓の外を見た。「何が聞こえたの」


「お嬢様が、先生に『私も一緒に戦う』と仰った部分です」


「それは聞かれてもいい。事実を伝えただけだから」


「事実を伝える時のお嬢様の声、いつもと違いました」


 シルヴィアが扇子を一度パチンと閉じた。「侍女が主の声を分析するとは」


「お嬢様、誤解しないでください」とエレナは言った。「私は今日のお嬢様を、初めて見ました。最初に医療所を訪れた頃のお嬢様は、後援者として利益計算をしていた方でした。今日のお嬢様は、その人と並んで戦うと自分から決めた方です。違う方です」


 シルヴィアが何も答えなかった。窓の外で、夕方の光が屋根に当たっていた。


「素直になられた方が、楽になりますよ」とエレナは言った。「先程の発言は、すでに半分素直でした。残り半分も口にされたら、お嬢様の重しが軽くなる」


「……侍女に説教される日が来るとはね」


「お嬢様にとって私は、立場の差を一度忘れて話せる相手のはずです。それは初めから決まっていたことですから」


 シルヴィアが「うるさい」と言いかけて、止めた。代わりに「そうね」とだけ答えた。


* * *


 その夜、屋敷の自室で、シルヴィアは書類仕事ができなかった。


 扇子を持つ手が、また止まっていた。今度はそれに気づいて、扇子を置いた。


 今日アレクの前で言った言葉を、頭の中で反芻した。「私も一緒に戦う」。事実を伝えただけだ。それは間違いなかった。ただ、伝える時に、自分の声がいつもと違ったというエレナの指摘が引っかかっていた。


 声がいつもと違う、というのが何を意味するか——シルヴィアは知っていた。気づかないふりをしてきたが、知っていた。


 立ち上がって、机の引き出しを開けた。中に入っていた羊皮紙の束を取り出した。アレクが書いた医術師制度の草案の控えだった。シルヴィアが法律的観点から修正を加えた版。文言の一つひとつに、シルヴィアの書き込みが残っている。


 その羊皮紙を、しばらく見つめていた。


 仕事の文書だった。それしかなかった。それでも、その文書に自分の手が加わっているという事実が、今のシルヴィアにとって何より確かなものだった。鏡に映る顔の表情よりも、扇子を持つ手の動きよりも、この文書の方が、自分とアレクの関係を正確に表していた。


「私の場所はここだ」とシルヴィアはつぶやいた。「議会で、法律で、文書で。あの人の隣にいるための場所は、ここしかない」


 その言葉は、自分に向けて言った。誰にも聞こえなくてよかった。


 羊皮紙を引き出しに戻した。明日、議会への提出書を完成させる作業がある。そのために、今夜は寝る必要がある。


 ランプの炎を消した。眉間の皺については、もう確認しなかった。


* * *


 翌朝、シルヴィアが医療所に行く前に、父の書斎に立ち寄った。


 ハルトマン侯爵が朝食前の書類仕事をしていた。「シルヴィアか」と顔を上げた。「今日も医療所か」


「はい。父上、議会の提出書を整えるのに、もう三日いただきたいです」


「構わない」と侯爵は言い、それからしばらく娘を見た。「シルヴィア、最近のお前は、屋敷にいる時より医療所にいる時の方が長い」


「仕事です」


「そうだろう。ただ、貴族の娘の仕事の範囲を超え始めている」


 シルヴィアが姿勢を正した。「父上、私は——」


「責めているのではない」と侯爵は言った。「ただ、お前が貴族の枠を超えて動くことを、私は受け入れる。お前はもうそういう人間だ。あの医者と並んで動くなら、それでいい」


「父上」


「貴族の娘らしくしろと言うのは、もう諦めた」と侯爵は短く笑った。「ただし、ハルトマン家の名前を背負っていることは忘れるな」


「忘れません」


 シルヴィアが頭を下げた。父が「行ってこい」と短く言った。


 書斎を出てから、シルヴィアは廊下で立ち止まった。父が今言ったことを、頭の中で整理した。父は娘の動きを認めた。それも、貴族の枠を超えてアレクと並ぶことを、認めた。


 顔が熱くなった。鏡がなくても、それは分かった。エレナが横に立って、何も言わずに扇子を差し出した。シルヴィアは扇子を受け取って、口元を隠して、馬車に向かった。


お読みいただきありがとうございます。

続きも毎日更新予定です。作品フォロー、評価、ブックマークで応援いただけると励みになります。

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