第40話 王の本音
シルヴィアから連絡が来たのは、翌朝のことだった。
「父を通じて、陛下から非公式の接触がありました」とシルヴィアは言った。「場所を変えて、今夜もう一度お話ししたいとのことです」
「非公式というのは」
「記録に残らない場で、ということです。レヴァン神官を同席させない形で」
アレクは一拍置いて答えた。「それは好都合ですね」
「ただし注意してください。陛下が動くときは、必ず計算があります」
* * *
夜、ハルトマン家の別邸でアルバート3世と二人だけで話した。
国王の周囲には護衛が二人いたが、部屋の外だった。室内は国王とアレクだけだった。
「座れ」と国王は言った。
アレクは椅子に座った。国王も座っていた。謁見の間ではない。小さな卓を挟んで向かい合っていた。
「単刀直入に言う」と国王は言った。「朕は教会を潰したい。しかし直接動けば内乱になる。だからお前を使わせてもらう」
「使うというのは」
「お前が正面から戦う。朕は後ろから押す。法律として成立させるためには議会が必要だが、議会を動かすためには世論が必要だ。お前はその世論を作っている」
アレクは頷いた。「それは受け入れます。ただし条件を一つ」
「言え」
「民を守る法律を作るという確約が必要です。医術師独立制度だけでなく、治療費を払えない者への最低限の保護。それを制度として残してください」
国王がアレクを見た。「条件を出すのか」
「はい。陛下が俺を使うなら、俺も陛下を使わせてください。それが対等な関係というものだと思います」
沈黙があった。長い沈黙だった。護衛の足音が廊下の外で一度だけ聞こえた。国王はその間、一言も発しなかった。アレクも待った。
国王が「……お前は臣下に言う言葉ではないことを言う」と言った。声に怒りはなかった。
「臣下ではありません。王権直属の認定を受けた医術師、という位置でお願いします。臣下として命令に従うのではなく、協力者として働く」
「協力者か」
「そうです」
国王が椅子に深く背を預けた。「……面白い男だ」と言った。前に会ったときと同じ言葉だった。しかし今回は、別の重みがあった。
「分かった。民を守る法律については検討する。ただし制度の構築に時間がかかる。その間、お前は前に出続けろ」
アレクは一瞬だけ何かを確認するように止まった。制度として残る——個人の約束ではなく、法律として。それが欲しかったものだ。
「承知しました」
「一つ教えておく」と国王は続けた。「教会の枢機卿会議が動き始めている。朕の耳にも入ってきた。相手は本気だ。気を抜くな」
「分かっています」
「分かっているかどうかは行動で見る」
国王が立ち上がった。部屋の外で護衛が動く音がした。アレクも立ち上がった。
「次に会うときは、草案を完成させて持ってこい」と国王は言った。「朕が動ける形にしろ。そうすれば動く」
「……面白い男だ」と国王は呟いた。苦笑に近い表情だった。
* * *
別邸を出ると、夜の風が冷たかった。
ハルトマン侯爵が外で待っていた。近くの建物の影から出てきて、アレクの隣に並んで歩き始めた。馬車が停まっている場所までの距離は短かったが、侯爵はその間に話す内容を持っていた。
「陛下はどうでしたか」と侯爵が聞いた。
「条件を出しました。民を守る法律を制度として残すこと」
侯爵が一瞬足を止めかけて、それから歩き続けた。「先生、王に条件を出すというのは——」
「臣下ではなく協力者として、と申し上げました」
侯爵が深く息をついた。「先生は本当に変わった方だ」
「陛下も同じことを言いました」
「陛下は嘘をつかれない方なので、そう言ったのは事実でしょう」と侯爵は言った。「先生、一つ確認させてください。陛下に条件を出した理由は」
「制度として残らないと意味がない。一人の王の好意で動く制度は、王が代われば消える。そうなれば俺がやってきたことは無駄になる」
「無駄になる、というのは——」
「俺の評価が消えるという話ではありません。患者を守る仕組みが消えるという話です」
侯爵がしばらく黙ってから、「先生、私はあなたの動機を時々誤解しそうになる」と言った。「あなたは権力を求めない、地位を求めない、富を求めない——では何を求めているのかと考えると、答えが見えにくい。ただ、今夜の話で分かりました。制度の永続性。それが先生の目標なのですね」
「そうです」
「分かりました」と侯爵は言った。「私もそのつもりで動きます」
* * *
医療所に戻ったのは、夜中の十二時を過ぎてからだった。
ミアがまだ起きていた。ランプの下で記録帳を開いていた。アレクが入ってきたのを見て、「先生」と立ち上がった。
「起きていなくていい」
「先生が帰ってくるまで、と思って」
アレクは外套を椅子にかけて、卓に座った。「陛下と話してきた。条件付きで、制度として進める方向で合意した」
ミアの目が広がった。「条件付き、っていうのは」
「民を守る法律を作るという確約。俺たちが押し出す制度が、ただの王の気まぐれで終わらないように」
ミアが「先生は……陛下にも条件を出すんですね」と言った。
「出すべき条件があれば出す。立場の上下は関係ない」
ミアが小さく笑った。「先生らしいです」
アレクが羊皮紙を広げて、今夜の合意の要点を書き留め始めた。ミアが横で記録帳を開いて、アレクの言葉に合わせてメモを取った。二人が並んで、夜中の灯りの下で、書き続けた。
「明日、シルヴィアさんに伝えてください」とアレクは言った。「侯爵連名で正式な提出書を作る。日取りは五日後でしたね」
「はい」
「カーラには別の指示を出します。王が動くということは、教会も動くということだ。次の攻撃が来る」
ミアが頷いた。書きながら、ふと顔を上げて窓の外を見た。星が見えていた。先生が王と話している間、自分はここで記録帳をめくっていた。それぞれが違う場所で、同じ目標のために動いていた。
「先生」とミアは言った。「私、明日も患者を一人で診ていいですか」
「容態の判断ができる範囲なら」
「ありがとうございます」
ミアが記録帳に書く字が、少しだけ早くなった。アレクは気づいていたが、何も言わなかった。
* * *
翌朝早く、シルヴィアが医療所に来た。父・ハルトマン侯爵から昨夜の謁見の概要を聞いて、すぐ駆けつけたという顔だった。
「条件を出したのですか、陛下に」と開口一番に言った。
「出しました」
「それは……父も少し驚いていました。ただ、内容を聞いて『あの男らしい』と笑っていました」
「侯爵は受け入れてくれましたか」
「父は『民を守る法律という条件は、貴族にとっても利益になる』と言っていました。教会への治療費が減れば、貴族の財政も楽になる。父はそれを理解しています」
アレクが頷いた。「では侯爵の支持は確実ですね」
「確実です。父は議会でも発言してくれます」
ミアが「先生、シルヴィア様、二人だけで話してください。私は朝の準備に行きます」と言って、台所に行った。
二人だけになって、シルヴィアがしばらく黙っていた。それから「先生」と言った。
「なんですか」
「……ありがとうございます」
「何に対してですか」
「あなたが陛下に出した条件は、平民を守る法律の確約でした。それは、私の家の利益とは関係ない。あなたは、自分の利益と関係なく、平民のために動いている。それを陛下にも伝えた」
「俺がやりたいのはそれだから」
「分かっています」とシルヴィアは言った。「分かっていて、それでもお礼を言わせてください」
アレクが「分かりました」と短く答えた。
シルヴィアが扇子を開いて、口元を隠した。今日は皺が出ていないか、確認できなかった。確認しなくてもよかった。
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