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治癒魔法なんて要りません 〜転生外科医が教会の独占をぶち壊す〜  作者: いなばの青兎
対立勃発編

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第35話 カーラの仕事

 カーラが戻ってきたのは、四日目の夜だった。


 目立った外傷はなかった。ただ右手の甲に布を巻いていた。アレクが「怪我ですか」と聞くと、「擦り傷だ」とカーラは言った。「手当てはいらない」


「見せてください」


「……必要ない」


「俺が判断します」


 カーラが布を外した。擦り傷には違いなかったが、赤く腫れていた。アレクが消毒液を取りながら、カーラの報告を聞いた。


* * *


「工作員は二人だった」とカーラは言った。アレクの処置を受けながら、淡々と話した。「教会の末端——正式な神官ではなく、外注の情報工作屋だ。専門の暗殺者ではない。脅迫状を届け、監視して、次の指示を待っていた」


「制圧したんですか」


「拘束して、話を聞いた。それから警告して解放した」


「殺しませんでしたか」


 カーラが一瞬だけアレクを見た。「お前の依頼で動いているんだ。お前のやり方に合わせる」


 ミアが「……ありがとうございます」と小さく言った。「家族は」


「無事だ。シルヴィア嬢の手配した警備が来る前に着いたが、問題はなかった。弟二人は元気だった。末の子が驚いて、しばらく泣いていたが」


 ミアが「そうですか」と言って、目を細めた。


「一つ、重要な情報がある」とカーラは続けた。「工作員を問い詰めると、依頼の経路について話した。レヴァンから直接ではなく——枢機卿会議を経由しているという話だった」


「枢機卿会議」とシルヴィアが声を上げた。「それは確実ですか」


「工作員の言葉が全て正しいとは限らない。ただ複数の経路で一致していた。レヴァンは末端の実行者に過ぎず、上に指示を出している組織がある」


 アレクが処置を終えながら言った。「つまりレヴァンを潰しても、上が動いてくるということですね」


「そういうことだ」


 シルヴィアが腕を組んだ。「枢機卿会議は教会の最高意思決定機関です。全国十二か所の医療独占拠点を実質的に管理している。その収益は国家予算に匹敵するとも言われる。彼らにとって医療独占の廃止は……存在そのものへの脅威だ」


「それで俺を潰しにきているわけですね」


「レヴァンはその意思を実行しているだけだ」とカーラは言った。「本当の相手はもっと上にいる」


 室内が少し静かになった。


 ミアが「……大きな話になってきましたね」とつぶやいた。


「最初からそういう話でした」とアレクは言った。「教会の治癒独占を変えるということは、彼らの収入源を断つということだ。当然、組織の最上位まで動く」


「怖くないんですか」とミアが聞いた。


「さっきも同じことを聞きましたね」


「答えてもらえなかったんです」


 アレクは道具を片付けながら言った。「怖いかどうかは関係ない。相手が大きければ、対処する方法も大きくする。それだけです」


 カーラが「……お前は本当に」と言いかけて止めた。


「何ですか」


「変わらない男だ」とカーラは言った。それ以上言わなかった。


 アレクが羊皮紙を広げた。「整理しましょう。相手は枢機卿会議まで繋がっている。正面から戦うなら、制度を変えるしかない。一人や二人を論破しても、組織は動き続ける。だから俺たちは制度を変えることに集中する」


「どうやって」とシルヴィアが言った。


「王を動かす。あとはシルヴィアさんの仕事です」


 シルヴィアが一瞬黙った。この戦いで自分が果たすべき役割が、今はっきりと輪郭を持って立ち現れてきた。恐怖ではない——もし負ければハルトマン家まで巻き込まれる。それは分かっている。それでも、やると決めた。「……そうですね」と言った。


 その夜、四人が一つの羊皮紙を囲んで、次の手を考え始めた。


「一つ確認させてください」とアレクはカーラに言った。「工作員が枢機卿会議の経路と言ったとき、具体的な名前は出ましたか」


 カーラが少し間を置いた。「一つだけ。確認は取れていないが……ドナトゥスという名前を聞いた」


 シルヴィアの手が羊皮紙の上で止まった。「……枢機卿ドナトゥス。教会の最高幹部の一人です」


「その人物がどういう人かは」


「詳しくは知らない。ただ……学識があり、信仰心が本物だと言われている人物です」


 シルヴィアが羊皮紙の端に「ドナトゥス」と書き込んだ。「まずこの人物を調べます」と言った。


 誰も返事をしなかった。それで十分だった。


* * *


 ミアが夜中、寝床に入る前に、台所で水を汲んでいた。


 台所の隅に、カーラが立っていた。ミアは一瞬驚いて、それから「お疲れさまです」と頭を下げた。


「お前の弟、末の子が泣いた」とカーラが言った。「私の顔を見て。怖かったらしい」


 ミアが手を止めた。


「私は怖い顔をしている自覚がある」とカーラは続けた。「ただ、お前の弟が泣いたとき、申し訳ないと思った。そう思うことが、私には珍しい」


「カーラさんは……家族のところで、どんなことを話したんですか」


「お前の名前を出した。先生の弟子だと。それでお前の母親が信じてくれた。家の周辺を一晩監視してから戻ってきた。話したのはそれくらいだ」


 ミアが「ありがとうございます」ともう一度言った。


 カーラがしばらく黙った。それから「お前の家族を守ったのは、借りを返すためじゃない」と言った。


 ミアが顔を上げた。


「お前が先生の隣にいるからだ。先生にとって必要な人間だから守った。それが私の判断だ」


「……はい」


「お前は弱くない」とカーラは言った。「家族を持っているという理由で動けなくなる人間を、私は何人も見てきた。お前は動けていた。先生に話せたのも、お前の強さだ」


 ミアが目を伏せた。涙が出かかったのを、こらえた。今日は泣くまいと決めていた。先生に守られて、シルヴィア様に守られて、カーラさんに動いてもらって——その全部を泣くことで終わらせたくなかった。


「水を運んでください」とミアは声を整えて言った。「先生のところまで」


 カーラが「自分で運べ」と言いながら、それでも木の桶を持ち上げて、二人で並んで部屋に向かった。


* * *


 深夜、アレクは羊皮紙の前で次の手を整理していた。


 枢機卿会議。ドナトゥス。レヴァンの背後にある組織。世論工作の標的が個人ではなく周囲に向かったこと——その意味を一つひとつ分けて考えた。


 考えながら、ミアの言葉を思い出した。「怖くないんですか」と二度聞かれた。一度目は答えなかった。二度目に「怖いかどうかは関係ない」と答えた。


 関係ないわけではない、と書きながら思った。怖い。ただ、怖くなる前にすることがある。前世でも、手術台の前で同じことを何度も思っていた。怖い患者ほど、急いで手を動かす。それが今の自分を支えている。


 羊皮紙の端に「次にやること」と書き、項目を並べた。草案の完成。シルヴィアによる父への根回し。王への正式な提案。


 その下にもう一行、書き足した。


「ミアの家族の安全確保——シルヴィアと相談」


 書いてから、自分の字を見た。仕事の項目として書いた。それで間違っていない。ただ、項目の並びの中で、その一行だけが書き方が違っていた。気づいたが、消さなかった。


お読みいただきありがとうございます。

続きも毎日更新予定です。作品フォロー、評価、ブックマークで応援いただけると励みになります。

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