第34話 守ると言った
夜明け前、カーラが出ていった。
荷物は短剣一本と小さな袋だけだった。アレクが住所の羊皮紙を渡すと、カーラはそれを一読して懐に入れた。「何日かかる」とアレクが聞いた。「往復で四日。状況次第で変わる」
「依頼人は教会系、と考えていいですか」
「おそらく。脅迫状の封蝋は教会の紋章だが、署名のない依頼は外注が多い。組織の末端の可能性がある」
「危険ですか」
カーラが一瞬目を伏せた。「私が対処できない相手ではない」
それだけ言って、カーラは短剣の柄に手を当てた。それから扉を開け、出ていった。
* * *
ミアはその朝から、様子が変わった。
怯えが消えたわけではない。弟たちのことを考えているのは顔を見れば分かった。しかし手が止まらなくなった。薬草を刻む速度が戻ってきた。患者の記録に集中している時間が長くなった。
昼過ぎ、ミアが突然「先生」と言った。
「なんです」
「先生って……本当に俺が必要だから助けるって、そういう話でしたよね」
「論理的にそうです」
「でも……それだけじゃないと思ってて」
アレクが手を止めた。「何が言いたいんですか」
「先生は患者が死ぬのが嫌なだけだ、っていつも言うけど。先生のところで働いてから、先生が患者を診るとき何を考えているか、見えるようになった気がして。患者が死ぬのが嫌、というより、患者が生きてほしいっていう気持ちに見えるんです」
アレクは黙った。
「……意味は同じです」
「でも違うと思います」
「どこが違う」
「どこが違うかは」とミアは言いかけて、ペンの先を紙に押しつけた。「……まだ、言葉になっていません」
ミアが笑った。「なんか変なこと言ってしまいました。ごめんなさい」
「謝らなくていい」
「先生が弟たちを守ってくれると言ってくれたとき、すごく安心したんです。泣いたのはそれが理由じゃないかと思って。先生が嘘をつかないのは知ってるから、守るって言ったら守る。それが信頼なんだって思いました」
アレクは返事をしなかった。道具の手入れを再開した。
「先生?」
「聞いています」
「怒りましたか」
「なぜ」
「なんか……無口になった気がして」
「考えています」
ミアが「そうですか」と言って、記録帳に戻った。
* * *
夕方、シルヴィアが来た。
脅迫状の件を報告すると、シルヴィアはすぐに「父に警備の増員を依頼します」と言った。「ハルトマン家の名前を使えば、ミアさんの実家周辺の警備は動かせます」
「ありがとうございます」とミアは言った。「でも……こんなことまでお願いしていいのか」
「後援者とはそういうものです」とシルヴィアは言った。それから一拍置いて付け加えた。「それに、あなたが先生の右腕であることは私も理解しています。右腕が動けなくなれば、医療所全体が止まる。論理的な話です」
ミアが「シルヴィア様も先生みたいなことを言う」と思ったが、声には出さなかった。代わりに両手を膝の上で握り、「お礼の言葉が、足りないです」と言った。
シルヴィアがその様子を見ていた。扇子を閉じた。「あなたの弟子は、本当に先生に懐いてるわね」とミアではなくアレクに向かって言った。
アレクが「弟子はそういうものです」と言った。
「他の医者の弟子は、ここまで懐かないものですよ」とシルヴィアは言った。声に笑いが混じっていた。「先生が気づいていないだけで」
ミアが顔を伏せた。耳が熱くなったのを、見られないようにした。
* * *
三人が同じ部屋にいた。それぞれが違う役割を持って、それぞれの方法で動いていた。
カーラが今頃、夜道を進んでいる。シルヴィアが父への手紙の文面を整えている。アレクが翌日の診療計画を立てている。
自分も何かしなければ、とミアは思った。
記録帳を開き、ペンを持った。書ける限りのことを書こうと決めた。今日来た患者の処置内容、明日の薬草の在庫、消毒液の残量。書ける項目は思った以上にあった。書いている間は、弟たちのことを考えなくて済んだ。
ペンが進むのを見ながら、自分でも気づいた——先生は、こうして手を動かす仕事を意図的に与えたのかもしれない、と。怖いと考える時間を減らすために。それを口にしては、先生はおそらく否定するだろう。仕事として必要だっただけだ、と。否定されることが分かっていても、ミアはその意図を信じたかった。
シルヴィアが「ミアさん」と言った。
「はい」
「もし、ご家族をハルトマン家の領地に一時的に移すという選択肢があったら、どう思いますか」
ミアがペンを置いた。「……いいんですか、そんなこと」
「父に話を通すのは私の仕事です。あなたが嫌なら無理にはしませんが、選択肢として知っておいてほしくて」
「弟たちは……知らない場所に行くのを怖がるかもしれません」
「その怖さと、今の脅迫の続く怖さと、どちらが大きいかを比べてください」
ミアは少し考えた。「相談してから返事をします。母にも、弟たちにも」
「それで構いません」とシルヴィアは言い、書きかけの羊皮紙を畳んだ。
* * *
夜が深くなった頃、孤児院の外で誰かが立ち止まる音がした。ミアは顔を上げた。アレクはすでに窓の方を見ていた。
足音は一つ。ゆっくり、近づいてくる。ミアの心臓が速くなった。
アレクが窓辺に寄った。それから「うちの患者の家族だ」と言った。「子供の容態が悪いと言いに来た」
ミアが息を吐いた。
扉が叩かれた。アレクが扉を開けて、外の人間の話を聞き始めた。子供の高熱と、嘔吐。アレクが「すぐ行きます」と答え、外套を取った。
「ミア、今日は休んでいい」
「先生、私も行きます」
「家族のことを考えて、一晩は落ち着いてからにしろ」
「考えていても、怖いものは怖いです。先生の隣で仕事をしている方が、まだ落ち着きます」
アレクが一瞬止まった。「……分かった」と言った。「道具袋を持ってこい」
ミアが立ち上がった。シルヴィアが見送りながら「気をつけて」と言った。
夜の道に二人で出た。風が冷たかった。ミアは怖さが消えたわけではないと知っていた。ただ、隣に先生がいるという事実が、その怖さの輪郭を変えていた。足が前に出た。先生の歩幅に合わせると、自分の歩幅も自然に決まった。
歩きながら、先生が「家族の方は、シルヴィアさんが領地に移すかどうかの選択肢を出すと言っていた」と言った。
「はい、聞きました」
「お前はどうしたい」
「弟たちの意見も聞きたいです。母にも」
「分かった。三日待つ。その間にカーラが警備を続ける」
ミアが「先生」と言った。「先生は私の家族のことまで考えてくれて、本当にどう感謝したらいいか分からないです」
「感謝はしなくていい。お前の家族は俺の弟子の家族だ。弟子が落ち着いて仕事をするためには、家族が安全である必要がある。それだけだ」
「先生はいつも、それだけだ、と言いますね」
「事実を言っている」
「事実を言うのが先生だってことは、分かっています」とミアは言った。「ただ、その事実の中に、私の家族のことも入れてくれたという事実が、私には嬉しいんです」
アレクが返事をしなかった。患者の家まであと半分の道のりだった。風が止んでいた。ミアは先生の隣で歩幅を合わせた。
子供の家は路地の奥にあった。扉を開けると、親が蠟燭を持って待っていた。アレクはすぐに子供の傍らに膝をついた。ミアは道具袋から指示された薬を取り出し、渡した。体温を確認する手つきを見ながら、自分も計ることを覚えた手つきだと思った。
高熱の原因は飲み水だった。アレクが煮沸の方法を親に教えた。嘔吐については、翌朝まで様子を見ることと、水以外を与えないことを伝えた。子供は処置の後に目を開けた。
「明日、また来ます」とアレクが言い、立ち上がった。
帰り道、ミアは道具袋を肩に提げて歩いた。先生が隣にいる、という事実は往診が終わった後も変わらなかった。それで十分だった。
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