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治癒魔法なんて要りません 〜転生外科医が教会の独占をぶち壊す〜  作者: いなばの青兎
対立勃発編

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第31話 国王への謁見

「あの男、本物かもしれない」という声は、社交集会の翌日には王宮に届いていた。


 ハルトマン侯爵がアレクを訪ねてきたのは、昼過ぎのことだった。「国王陛下が会いたいとのことです」と侯爵は言った。表情が固かった。


「いつですか」


「明後日の午前中。正式な謁見です」


 アレクは道具の手入れをしながら聞いた。「レヴァン神官は同席しますか」


「おそらく。何かお考えはありますか」


「証拠を持っていきます」


 侯爵が「先生」と言った。「国王への謁見というのは、通常、許可を得て話す順序があります。先生が黙っていられるか、私は少し……」


「黙っていられるかという質問への答えは、必要なことを全部話す、です」とアレクは言った。


 侯爵が短く息をついた。


* * *


 王宮の廊下は、医療所とは違う匂いがした。


 蜜蝋の香と石造りの冷気。磨き上げられた床に、アレクの姿が映った。自分が場違いな格好をしていることには気づいていたが、それを気にしなかった。招かれたのはこちらではなく向こうだ。


 侯爵が隣を歩いていた。「先生、陛下はお気に召さないことには表情を変えませんが、後で命令が出ます。言葉には気をつけてください」


「分かりました。ただし嘘はつきません」


「それは存じております。ただ、嘘をつかないことと、順序を整えることは別の話でして——」


「最初に民が死んでいる話をします」とアレクは言った。「それが一番重要な話なので」


 侯爵がまた溜め息をついた。廊下の向こう側に、文官が一列に並んで立っているのが見えた。


* * *


 謁見の間は広かった。


 天井が高く、壁に旗が並んでいた。玉座のアルバート3世は想像より老けて見えたが、目だけは違った。灰色の鋭い目が、入ってきたアレクを値踏みするように動いた。計算する目だった——感情で判断する人間の目ではない。


 レヴァンが脇に立っていた。昨日の集会から一日も経っていない。それでも表情は崩れていなかった。政治家の顔だった。


「ハルト・アレク」と国王は言った。声は静かだったが、室内に吸い込まれるような重さがあった。「そなたが例の医術師か」


「はい。ただし現時点では無認可です」とアレクは言った。「先に陛下の民が死んでいる話をさせてください」


 侯爵が隣で固まるのが分かった。レヴァンの目が細くなった。文官たちが顔を伏せた。


 国王は動かなかった。数秒の沈黙の後、「……続けよ」と言った。


 アレクは羊皮紙を取り出した。「王都で昨年一年間に、治療費を払えず死亡した者の推計です。教会が公開している治療件数と埋葬記録の差分から算出しました。最低で三百二十名。実際はその倍以上かと思われます」


「それは推計に過ぎない」とレヴァンが言った。「正確な記録がない以上——」


「推計です」とアレクは言った。「正確な数字は教会の治療記録を開示してもらえれば出せます。開示できますか」


 レヴァンが黙った。


 国王が「解決策はあるのか」と言った。


「あります。段階的に進められます」


 アレクは話した。教会から独立した医術師認定制度。平民でも費用なしで診てもらえる診療枠の設定。衛生教育の普及。それぞれの実現に必要な条件と、推計コスト。


 国王は最後まで口を挟まなかった。レヴァンは途中で一度口を開きかけたが、国王が視線を向けると、止まった。


 話が終わったとき、国王は初めて体を前のめりにした。


「面白い男だ」と国王は言った。声に笑いはなかったが、前のめりになった体がそれを示していた。「では持ち帰って検討しよう」


「ありがとうございます」


「ただし」と国王は続けた。目がアレクから離れなかった。「期待に応えられなければ、朕はお前を切り捨てる。有用な駒には惜しみなく使う。使えなくなれば同じことだ。分かっているな」


「構いません」とアレクは言った。「俺が欲しいのは制度です。陛下の評価ではありません」


 謁見の間がまた静まった。


 国王がわずかに口角を上げた。その意味をアレクは正確には読めなかった。しかし悪い反応ではないと判断した。


* * *


 謁見が終わり、廊下に出た。侯爵が隣に並んで小声で言った。「先生、陛下が笑うのは珍しいです。十年に一度あるかどうかという話です」


 アレクは「そうですか」と言った。


「陛下は嘘をつく人間を嫌います。正直に話した人間は、たとえ不都合な内容でも話を最後まで聞く——というのが陛下の方針なので、先生のやり方は結果的に合っていました」


「嘘をつくつもりはなかった」とアレクは言った。「ただそれだけだ」


 廊下の角を曲がりかけたとき、後ろでレヴァンが側近に何かを耳打ちしているのが見えた。その目がアレクを追っていた。視線が合った一瞬、レヴァンは表情を変えなかった。


「先生、少し急ぎましょう」と侯爵が言った。


 アレクは頷いたが、頭の中では今日のデータと、レヴァンの目と、次の一手を同時に整理し始めていた。王が「検討」と言ったことは前進だ。しかしレヴァンがこのまま黙って待つとは思えない。謁見の場で手詰まりになった者は、次に周囲を狙う——カーラがそう言っていた。


 その予測が正しければ、次の攻撃は早い。


「先生」と侯爵が言った。「今日の謁見、うまくいきました。陛下が『検討』と言ったのは、可能性があるということです。あの方が話を聞かないと判断したら、謁見は十分で終わっていた」


「どのくらいかかりますか、検討に」


「早ければ一ヶ月。普通は三ヶ月から六ヶ月」


「その間に何が起きますか」


 侯爵が「レヴァンが動くでしょう」と言った。「教会は王権よりも古い組織です。国王が動いたことで、教会は自分たちの立場が揺らいでいると判断する。急いで手を打ってくる」


「風評か、圧力か」


「おそらく両方。あの方は二方向から同時に来ます」


 アレクは頷いた。「シルヴィアとカーラに伝えます」


 侯爵が「先生、一つお願いがあります」と言った。「次に王宮に来る機会があった時は、もう少しだけ順序を整えていただけると——陛下はああ見えて、礼を重んじる方なので」


「最初に民が死んでいる話をすることは譲れないですが、順序は整えます」


 侯爵が「それで十分です」と言った。どこか諦めた、しかし悪くない表情だった。


 王宮の門を出ると、外の空気が変わった。石畳の上を歩きながら、アレクは今日の会話を整理した。国王が「面白い男だ」と言った瞬間の体の向き。レヴァンが口を開きかけて止まった瞬間の目の動き。どちらも記録しておく価値がある情報だった。


お読みいただきありがとうございます。

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