第30話 公開の場で
貴族の社交集会は、月に一度開かれる。
ハルトマン侯爵家の大広間に、王都の有力貴族が集まる会だった。政治的な話はしない——という建前で、実際は情報交換と観測気球の場だった。誰かが何かを言えば、それが賛同を得るか批判を受けるかで、その人物の現在の位置が測れる。シルヴィアはその場の仕組みを熟知した上で、発言することを決めた。
「私が後援者になることを公表します」とシルヴィアはアレクに事前に言った。「そして私の病気の完治についても話します。教会の治癒師ではなく、ハルト・アレク先生によって治ったということを」
「リスクはありますか」とアレクは聞いた。
「あります。教会がすぐに否定してくる。レヴァン神官は必ず来るでしょう。あの人はこういう集まりを情報収集の場として使っている——私が何かを公表すれば、反論に来る」
「それで構わない。俺も同席させてください」
「しますか、そういう場に」とシルヴィアは言った。声に驚きがあった。
「証拠があれば行きます」
シルヴィアが頷いた。アレクが「場慣れしていないと思われても問題ない」と付け加えた。「むしろ関係ない場所から来た人間の言葉は、利害関係がない分、信じてもらいやすい場合がある」
シルヴィアが「……あなた、本当に貴族社会の計算ができますね」と言った。「表情は全く変えないのに」
「患者の状態を読むのと似ている」とアレクは言った。
* * *
当日、大広間には三十人を超える貴族が集まっていた。アレクは後方に立っていた。侯爵が「先生、前の方に」と促したが、「今は観察する方が有用です」と断った。
集会の前半は例年通り、領地の収穫報告と近隣諸国の動向に費やされた。アレクはその時間を使って、レヴァンの位置と視線の向きを観察した。レヴァンはアレクをすでに認識している——入室した時点で一度視線が来て、すぐに外れた。意識しているが、それを見せない技術がある。
集会の後半、シルヴィアが壇上に立った。
普段の彼女は貴族としての立ち居振る舞いが自然に出る。しかしこの日は、その下に何か別のものが透けて見えた——準備を重ねてきた緊張と、それを自分で押さえ込んでいる力が、わずかに肩に出ていた。
シルヴィアが話し始めた。蒼熱病と宣告された二年以上の経過。教会の治療が効かなかったこと。ハルト・アレクによる治療で完治したこと。手袋を外し、変色が消えた手の甲を貴族たちに見せた。
「神に見捨てられた病を、神の認可なき医者が治した」とシルヴィアは言った。「私はこの事実を、正式に記録として残すことを宣言します」
貴族たちがざわめいた。
レヴァンが前に出た。「嘘だ」と言った。声は落ち着いていたが、早かった。「症状の一時的な緩和と完治は違う。治癒魔法なしの根治は医学的に不可能だ」
「では反論をどうぞ」とシルヴィアは言った。「アレク先生、お願いします」
* * *
アレクが前に出た。道具袋から羊皮紙の束を取り出した。
「蒼熱病——自己免疫疾患の一種です」とアレクは言った。「治癒魔法は自然治癒力を高める魔法ですが、免疫系が誤作動している疾患では逆効果になる場合がある。これが教会の治療で改善しなかった理由です。免疫系が過剰反応している状態に活性化の魔法をかければ、症状は悪化する。理屈として当然の結果です」
羊皮紙を広げた。ミアが作った記録、シルヴィアの経過観察データ、症状の変化の数字。
「治療の経過記録、症状の推移、食事制限と薬草処置の内容——これが証拠です。日付と数値が入っています」
アレクは一枚を広間の前方に見えるように持ち上げた。「反論があれば医学的に説明してください」と続けた。「感情的な否定は受け付けません。症状がなぜ改善したか、データを見ながら説明してください」
「記録に誤りがあるというご指摘であれば、具体的にどの数値が問題かを教えてください。訂正します」
レヴァンが口を開いた。
しかし言葉が出なかった。
治療記録を否定するためには、治療記録に誤りを指摘しなければならない。そのためには医学的な知識が必要だ。「嘘だ」という言葉は、数字と記録の前では意味を失う。
場の空気が変わった。
レヴァンが一歩引いた。「……この場でのこれ以上の議論は適切ではない」と言い、退室した。
ざわめきが大きくなった。
アレクが羊皮紙を片付けていると、後ろから貴族の声が聞こえた。会話の切れ目で、声が漏れた。
「あの男、本物かもしれない」
誰が言ったかは分からなかった。しかしその声は、大広間の空気に溶けていった。
シルヴィアが壇上から降りてきて、アレクの隣に立った。「うまくいきました」と小声で言った。
「記録があれば予測できた結果だ」とアレクは言った。
シルヴィアが「あなたが怖くなった」と言った。笑いではなく、本音として言っていた。「計算して、その通りになる人間が、近くにいると」
「計算が正確なだけだ」とアレクは言った。「それだけだ」
シルヴィアはその言葉をしばらく黙って受け取っていた。広間ではすでに次の話題が立ち上がっていた。しかしアレクに問い合わせをしたい貴族が、こちらへ向かってくるのが見えた。
「先生」とシルヴィアは言った。「一つだけ確認させてください」
「何ですか」
「今日の論破——レヴァン神官は引き下がりましたが、次は何をすると思いますか」
アレクは間を置いてから、「周囲を削る」と言った。「力押しが駄目なら、俺への信頼を崩す方向に動く。民衆への風評か、貴族への圧力か、どちらかを先に試す」
「それは……」
「カーラの予測と一致している」
シルヴィアが「あなたはもう次の手を考えているんですか」と言った。「まだ今日の話が終わっていないのに」
「今日の結果は出た。次を考えない理由がない」
シルヴィアが黙って、「……怖い人ですね、本当に」と言った。笑いではなく、敬意と戸惑いが混ざった声だった。
貴族の一人がアレクの前に来て、「先ほどの記録、もう少し詳しく見せてもらえますか」と言った。
アレクは羊皮紙を取り出した。シルヴィアがその横に立って、補足説明を添えた。今日の集まりで、アレクを「本物」と見た者が何人かいた——その目が、次の貴族連合の基盤になる。シルヴィアはそこまで計算していた。
広間の片隅でレヴァンが去った後の空席を、誰かが静かに埋めていた。
第2章はここで区切りです。お読みいただきありがとうございます。
次章からは王都と権力者たちを相手に、医術の価値を突きつけていきます。




