第3話 孤児院の夜
孤児院に戻ると、エルダが玄関口で待っていた。
七十近い老婆で、この廃屋に近い孤児院を十五年以上切り盛りしている。アレクが農民の養子として育てられた後、行き場をなくしてここへ転がり込んだ時も、文句の一つも言わずに受け入れた。今は十二人の子供と、このエルダと、アレクの三人の大人で暮らしている。
「また教会の人に捕まったの」とエルダが言った。「あんたの顔を見れば分かる」
「咎められただけだ。捕まってはいない」
「今は、ね」
反論できなかった。エルダは続けた。「昨日の神官、今日も市場のそばにいたらしいよ。あんたのことを聞いてまわってたって」
アレクは何も言わなかった。
* * *
子供たちが寝静まった夜、アレクは土間の端に座って手元を見た。
石鹸の試作品が三つ。昨晩かけて作った——灰汁と動物性脂を混ぜ、乾かしたもの。形は歪だが、原理上は機能するはずだ。亜麻糸が一巻き。ヤロウ草(止血に使う)とカモミール(炎症を抑える)とニンニク(感染対策になる)の束。所持金は銅貨六十三枚。
今日の市場でかかった費用を引くと、これが全部だった。
足りないものを頭の中で並べた——刃物、針、消毒液、清潔な布。どれも、あれば人を救える。どれも、今すぐはない。メスの代わりになる鉄刃を作るだけで銀貨三枚はかかる。今の所持金では払えない。
魔力はほぼゼロ。これはもう諦めている。前世で使っていた電気メスも超音波メスも、この世界には存在しない。あるのは知識だけだ——解剖学、縫合の手技、衛生管理、薬草の有効成分。道具がなければ始まらないが、知識があれば道具は作れる。順番の問題だった。
どこから手をつけるか。
まず消毒液。薬草と蒸留を組み合わせれば作れる。今日の石鹸はその一歩だ。次に針と糸——縫合用の太さと強度を確保するには、今ある亜麻糸を煮沸して試すしかない。問題はメスだった。切開できなければ、どんなに薬草があっても根治できない。
鍛冶屋が必要だった。
* * *
廊下を小さな足音が来た。
七歳のコウルだった。髪が寝癖でひどいことになっている。「眠れない」と言った。
「俺も眠れない」とアレクは言った。「一緒に眠れなくていいか」
コウルが隣に座った。しばらく黙っていた。
「先生は何してたの」とコウルが言った。ここの子供たちはアレクを「先生」と呼ぶ。教会の治癒師への呼びかけと同じ言葉だが、意味はまるで違う気がしている。
「道具を作るにはどうするか、考えてた」とアレクは言った。「刃物とか、糸とか。怪我を治すのに必要なもの」
コウルが少し考えた。それから言った。「鍛冶屋のダリウスおじさん、先生のこと好きだと思う。去年、息子さんの傷を治してあげたじゃない。おじさん、すごく喜んでた」
アレクは子供を見た。
あの時の処置は単純な縫合だった。出来合いの針と糸を使い、傷を閉じただけだ。しかしダリウスの息子は深い切り傷で、治癒師には「これは神が見捨てた傷だ」と言われていた。縫えば閉じる。ただそれだけのことだった。ダリウスは礼を言いたいと言っていた。
「明日、行ってみる」とアレクは言った。
コウルが頷いた。それから眠そうに目を擦り始めた。アレクは毛布を引き寄せてコウルにかけてやった。子供はすぐに寝息を立て始めた。
軽い。
前世では子供の患者が多かった。小さな体で大きな傷を抱えてくる。助けられた子もいる。助けられなかった子もいる。この世界でも同じことが起きている。魔法があろうとなかろうと、金がなければ治療を受けられずに死んでいく。仕組みは違うが、結果は同じだった。
前の世界でも、こうして一人で深夜の処置室に残ることがあった。この世界でも変わらない。道具もなく、法律も敵で、理解してくれる人間もいない。それでも手を動かすしかなかった。
変えるしかない——昨日神官に言い返した時に出た言葉が、まだ胸の中にあった。
道具を作るところから始める。まずは明日、鍛冶屋へ行く。
* * *
コウルが寝入った後、アレクは亜麻糸の煮沸を始めた。
土鍋に水を張り、糸の束を投じる。湯がたった瞬間、水面に細かい毛羽が浮き上がってきた。婆さんの言ったとおりだった。糸が滑らかになっていく。これなら傷口の組織を引き裂かずに通る。
ニンニクを擂り鉢で潰した。ヤロウ草の葉を乾燥させたものを足し、水を加えて煮詰める。前世の知識から組み立てた即席の抗菌液——硫黄化合物が雑菌を抑える理屈は、この世界でも変わらない。臭いがきつかった。
エルダが台所の入り口に立った。
「眠らないのかい」
「もう少しで」とアレクは答えた。
エルダは黙ってアレクの手元を見た。それから言った。「あんた、前世のこと、子供たちに話したことあるかい」
「ない」
「話さない方がいい。怖がる子もいる」
「分かっている」
エルダは頷いて、自分の部屋に戻ろうとした。が、戸口で振り返って言った。「あんたが何者でも、ここの子供を見殺しにしないなら、私は追い出さないよ」
「ありがとう」
エルダの足音が遠ざかった。アレクは煮沸鍋に視線を戻した。
この孤児院は、教会から見れば「無認可の下層民の溜まり場」だ。アレクが医療行為を続ければ、いずれここも標的になる。エルダはそれを知っていて、なお言わなかった。
* * *
翌朝、鍛冶屋を訪ねた。
ダリウスの工房は市場の北端にある。鉄を叩く音が遠くから聞こえた。近づくと熱気が漂い、炉の前で背中を向けた大きな男が槌を振るっていた。
「ダリウスさん」とアレクは呼んだ。
男が振り返った。四十過ぎ、顎の張った顔に煤がついている。アレクを見た瞬間、目が細くなった。「治癒師のアレク先生か」
「先生はいらない。お礼を言いにきたんじゃなくて、頼み事だ」
ダリウスが槌を置いた。「聞こう」
「薄刃の鉄刃を作れるか。幅三ミリ、長さ十センチ、片刃。切れ味が命で、傷口に入れて組織を切り分けるのに使う」
ダリウスの眉が少し動いた。「メスというやつか。見たことはある。教会の上位治癒師が持つ銀細工の」
「それに近い。ただ銀は要らない。鉄でいい。焼き入れをきちんとしてくれれば」
「払えるか」
「今は無理だ」とアレクは言った。包み隠しても意味がない。「銅貨六十三枚しかない。足りなければ、分割でも仕事で返してもいい。あんたの息子の傷をタダで縫ったのはそれを計算してのことじゃないが——頼めるなら頼む」
ダリウスはしばらくアレクを見た。炉の音だけが続いた。
「銀貨二枚だ。先払いは無理なら、次に誰かの怪我が治った時に払え。俺の仕事場で誰かが指を落としたら、すぐ来い。それが先払い代わりだ」
「分かった」
「サイズは言ったとおりで作る。三日くれ」
アレクは頷いた。ダリウスが槌を拾い上げ、炉に向き直った。話は終わりだ、という背中だった。
工房を出ると、朝の空気が鉄の臭いを薄めた。所持金は増えていない。約束も「三日後」という先の話だ。だが最初の刃物が、今日初めて手の届く場所に来た。
次は糸だ、とアレクは思いながら市場へ足を向けた。
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