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治癒魔法なんて要りません 〜転生外科医が教会の独占をぶち壊す〜  作者: いなばの青兎
対立勃発編

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第28話 痛みを声に出せ

 切開は深かった。


 化膿性骨髄炎の手前——骨の近くまで感染が届いている。アレクが最初に切り開いたとき、黄白色の膿が出た。量は予想より多かった。ミアが「光の濁りが……かなり深いです。骨の際まで来てます」と言った。


「分かった。洗浄を丁寧にやる」


 切開した傷を清潔にしながら、内部を確認した。骨表面への到達はギリギリの段階だった。もう一週間放置されていれば、骨まで達していた。そうなれば切断の選択肢が出てくる——この段階で間に合ったことは、三ヶ月間の放置を考えれば幸運だった。


 カーラは声を出さなかった。


 歯を食いしばって、床を見ている。背中が緊張で固まっている。痛みを押し殺している——それが全身から伝わってきた。呼吸が止まっている。処置が来るたびに、体が一瞬だけ固まる。


「我慢するな」とアレクは言った。


 カーラが顔を上げた。


「叫んでいい。ここには俺とミアしかいない」


「……声を出すな、と自分に言い聞かせてきた」


「ここは手術台だ」とアレクは言った。「患者は痛みを声に出していい。黙って耐えることは痛覚の認識を歪める——処置中に体を硬直させると、細部の確認が難しくなる。俺にとっても問題だ。理屈として言っている」


 カーラがしばらく黙っていた。


「言い慣れていない」と言った。「声を出すことに」


「出さなくていい状況の方が少ない」とアレクは言った。「ただし今は出した方がいい」


 次に来た処置で、小さく声が出た。抑制された声だったが、出た。


「そのままでいい」とアレクは言った。


 処置を続けながら、アレクはカーラの腕の状態を改めて確認した。三ヶ月間、これを抱えながら仕事をしていた。依頼を受け、対象を観察し、暗殺の準備をした。それだけの仕事を、化膿性の感染を腕に抱えてやり続けた。


 感情は読めない。しかし体は正直だ。この傷は、痛かったはずだ。毎日、動くたびに痛かった。それを隠しながら動き続けることができる人間は、訓練だけではなく、他に選択肢がない環境で育つ。


「組織に入ったのはいつだ」とアレクは聞いた。


 カーラが顔を上げた。「なぜ聞く」


「治療に必要な情報だ。長期間のストレス下では、免疫の応答が変わる。感染の経過に影響する可能性がある」


 カーラが間を置いてから、「……十二の頃から」と言った。


「十年以上か」


「ああ」


 アレクはそれ以上聞かなかった。必要な情報は得た。十年以上の訓練で、この体の反応のパターンがある程度読める——次の処置の判断に使う。


* * *


 ミアが「ここ、もう少し奥です」と言った。「膿の固まりがあります。もう一回確認してもらえますか」


 アレクは手を動かした。膿の袋を確認し、丁寧に除去した。清潔な液で洗浄する。感染を抑えるための薬草液を傷口に流した。


 洗浄液が傷口に触れるたびに、カーラの息が変わった。最初は完全に止まっていたが、処置が進むにつれてゆっくり、呼吸が出るようになってきた。


「ミア」とアレクは言った。「骨の際の状態は」


「……さっきより光が透き通ってきました。膿が減ってます」


「感染は」


「まだ残ってます。でも範囲が小さくなってる」


「分かった。洗浄をもう一巡やる」


 カーラが「……どのくらい時間がかかる」と言った。声は落ち着いていたが、体が消耗しているのは分かった。顔の色が処置の前より白い。大量の膿を出した後の体は、一時的に力が抜けやすくなる。


「あと四十分」とアレクは言った。「今日が一番きつい処置だ。これが終われば次は楽になる」


「……明日も来るのか」


「三日間だ。一日でも抜かすと感染が戻る」


 カーラが目を床に戻した。体が消耗していても、顔の表情は変わっていなかった。訓練された人間の顔だ、とアレクは思った。感情を見せることが危険な環境で長く生きてきた——そういう疲れ方をしている。


「痛い、という言葉は覚えているか」とアレクは言った。


 カーラが顔を上げた。


「子供の頃は使っていたはずだ。患者として言っていい言葉だ。ここでは」


 カーラが黙った。それから「……痛い」と言った。小さく、試すように。


「そうだ」とアレクは言った。「正確に言えた」


 ミアが横で布を押さえながら、目を潤ませた。アレクはその様子を見ながら、洗浄を続けた。


* * *


 一時間後、縫合を終えた。


 カーラは疲れ切った顔をしていたが、意識はしっかりしていた。ミアが「先生、光が落ち着いてきました。さっきより透き通ってます」と言った。


「感染は残っている」とアレクは言った。「次の三日間、薬草の処置を続けることが必要だ。一人でやるか、ここにいるか、どちらかを選んでくれ」


「……なぜ助けた」とカーラは言った。「私はお前を殺しに来たのに」


「お前が来た理由より、目の前で死にそうな奴を放置できない理由の方が強い。もう一度言う。俺は医者だ。それだけだ」


 カーラが天井を見た。


 しばらく間があった。


「……依頼主の名前を教えよう」と言った。「レヴァン神官だ。教会の中枢神官」


 アレクは何も言わなかった。驚かなかった——予想の範囲内だった。しかし確認できたことは大きい。


「分かった」とアレクは言った。


 また間があった。


「……厄介な男だ」とカーラは言った。独り言のようだったが、アレクに向けて言っていた。「殺せない相手が、世話になった」


 アレクは道具を片付けながら「茶でも飲むか」と言った。


 カーラが答えなかった。しかし立ち上がろうとはしなかった。


 ミアが湯を沸かしに行った。アレクは縫合の確認をしながら、明日の処置に必要な薬草の量を頭の中で計算した。感染が完全に引くまで、あと最低でも三日かかる。それが終わったとき、カーラがどう動くかは、まだ分からなかった。


「……腕が動く」とカーラは言った。手術の前より動かしやすい——処置で膿を出し切ったことで、内圧が下がった。「三ヶ月間、動かすたびに痛かった」


「そうだろう」とアレクは言った。「明日の処置で感染の範囲がさらに縮む。三日後にはほぼ正常に戻る」


「三日後か」


「三日後、お前はどこにいる気だ」


 カーラが「……ここにいる」と言った。短く。「三日は処置が必要だろう。依頼は失敗した。組織に戻る理由がない」


「失敗した依頼者はどうするんだ、組織では」


「対象が死んでいれば失敗だ。依頼は成功か失敗かしかない。私の場合は失敗だから、組織には戻らない。それだけだ」


「戻らないというのは、永久にか」


「そうだ」とカーラは言った。声に感情がなかった。決めていたことを確認するように言った。「戻る理由がなくなった」


 ミアが湯を持って戻ってきた。カップを三つ置いた。カーラの分も含めて。


 カーラがカップを見た。それから手に取った。「……茶か」


「薬草茶だ」とミアが言った。「先生が作ったレシピです。感染の後は体が疲れるから、回復を助けるやつ」


「飲んでいい」とアレクは言った。


 カーラはカップを両手で持ったまま、しばらく動かなかった。それから口をつけた。熱かったが、飲んだ。


お読みいただきありがとうございます。

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