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治癒魔法なんて要りません 〜転生外科医が教会の独占をぶち壊す〜  作者: いなばの青兎
対立勃発編

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第26話 暗殺者の来訪

 カーラが孤児院に現れたのは、脅迫状の翌朝だった。


 夜明けの少し前。コウルたちはまだ眠っている時間。アレクは起きていた。気配を感じて扉を開けると、玄関の前に人が立っていた。


 二十代半ば。銀髪が短く切られている。目の色は暗い赤みがかった茶色。動作が無駄なく精密だ。短剣が見える——右腰に下げているが、構えてはいない。


「入るか」とアレクは言った。


「……」しばらく沈黙があった。「入っていいのか」


「扉を開けた」


 カーラが中に入った。


* * *


「軍人じゃない」とアレクは言った。「動き方が違う。でも素人でもない。暗殺者か護衛崩れだろう」


 カーラが止まった。「なぜ分かる」


「軍人は音を出さないが、痕跡を気にしない。暗殺訓練を受けた者は痕跡を消す癖がある。昨日の足跡の消し方がそれだった」


 カーラが何も言わなかった。


「脅迫状を送ったのはあんたか」


「……そうだ」


「なぜ殺さなかった」


 カーラがアレクを見た。今度の沈黙は長かった。「……それを聞くのか」


「聞きたいから聞く」


 カーラが壁に背中をつけた。考えているように見えた。「依頼を受けた。お前を始末しろという依頼だ。三日間、動きを見ていた」


「それで」


「……子供がいた。老婆もいた。お前が患者を診ている場面を見た。私が殺しに来た男が、別の男の腹を縫っていた」


「殺せなかったのか」


「殺す理由を、確認できなかった」


 アレクは頷いた。「合理的な判断だ。ところで——右腕を庇っているが、古傷があるか」


 カーラが固まった。


「右腕が右腰から自然に離れない。触ることを避けている。古傷の化膿か、筋肉の損傷だろう。以前から痛かったはずだ」


 カーラが何も言わなかった。


「先に治療しましょう」とアレクは言った。「話はその後でいい」


「……それは、どういう意図だ」


「俺は医者だ。目の前に怪我をしている人間がいたら治す。それだけだ。あんたが俺を殺しに来た理由より、今ここで化膿が悪化している状況の方が優先順位が高い」


 カーラがアレクを見た。長い沈黙。


 何かを測っているように見えた。この男を信用できるかどうかを——信用という概念を持っていなかった者が、初めて問われているように見えた。


「……なぜ、逃げない」と言った。


「逃げても解決しない」とアレクは言った。「お前を依頼した奴を潰す方が速い」


 カーラは答えなかった。しかし動かなかった。逃げなかった。


 ——この男、怖いと思っていない。


 それがカーラの中を通った。自分を殺しに来たかもしれない相手に対して、この男は怖がっていない。それどころか、怪我を治すと言っている。そして依頼した者を「潰す」と言いながら、今この瞬間に優先しているのは「目の前の怪我」だった。


 理解できなかった。ただ——動けなかった。


* * *


 台所の方からミアの足音が近づいてきた。寝間着の上に外套を羽織っただけの格好で、寝起きの目をしている。扉を押し開けて、「先生、こんな時間にお客さん——」と言いかけて、土間にいる人物を見て、止まった。


 ミアの目が、カーラの腰の短剣を見た。それから、アレクの方を見た。


「患者だ」とアレクは言った。


 ミアが息を一度、深く吸った。それから「お湯、沸かします」と言った。声がわずかに震えていた。それでも、足は台所の方へ動いていた。


 カーラが目だけでミアの動きを追った。「あの娘は」


「弟子だ」とアレクは言った。「ミアという。教会の元見習いで、今は俺の助手だ」


「教会の元見習いか」


「破門された側だ。お前の組織と教会本体は別系統だろう。直接の関係はないはずだ」


 カーラが短く頷いた。情報の処理速度が速い、とアレクは見た。訓練された者の頭の回転だった。


「ミアに私の傷を見せるのか」


「見せる。あの娘は魔力感知の精度が高い。傷の内部を診断する補助になる」


「魔力感知——」


「教会では使えない能力として捨てられた。俺の医療では中核の能力だ」


 カーラが視線を一度、台所の方へ向けた。ミアがやかんを火にかけている音が聞こえた。湯の沸く前の、低い水音。それに混じって、ミアが小さく息を吸ったり吐いたりしている音もあった。緊張を抜こうとしているのが、アレクには分かった。


「あの娘は、お前を怖がっている」とアレクはカーラに言った。「ただし逃げない。怖がりながら手伝うのが、あの娘の選び方だ」


「……そうか」


「今は患者として扱われる。それだけは覚えておいてくれ。脅すな、急に動くな。指示通りに動いてくれれば、傷は治る」


 カーラが「分かった」と言った。短く。


 ミアが湯を沸かしている間、アレクは煮沸した布と道具を並べ始めた。化膿性の傷の処置に必要なものを、頭の中で確認しながら出していった。短剣を腰に下げた患者を診るのは、外科医として珍しい状況ではない——ただし前世の話だった。


 壁にもたれたまま、カーラは目だけでアレクの手元を追っていた。動いていなかったが、その目は、何かを覚えようとしている目だった。


「お前は、医者の家系か」とカーラが聞いた。


「違う」とアレクは言った。


「どこで習った」


「別の場所で、長く」


 カーラがそれ以上聞かなかった。「別の場所」という言葉の意味を、追求しなかった。組織で育った人間の沈黙だ、とアレクは見た。聞かない方が良い情報の見分け方を、訓練で身につけている。


 ミアが湯を運んできた。やかんと、布で包んだ薬草の束。土間の机に置いて、「先生、お湯沸かしました」と言った。声が、前より少し落ち着いていた。


 カーラの目が、ミアの動きを追った。ミアの手の動きは、医療の助手として鍛えられた動きだった——緊張していても、手順は崩れていない。それを、カーラの目が読んでいた。


 アレクは煮沸した布を取り出して、机の上に並べた。「カーラ、こっちに来てくれ。机の前に座る」


 カーラが壁から離れた。一歩ずつ動く距離が、訓練された者の歩幅だった。机の前に座ると、右腰の短剣を一度確認してから、外して机の端に置いた。


「外す必要はない」とアレクは言った。


「処置の邪魔になる」とカーラは言った。「外す方が、お前の手順が早い」


 アレクは頷いた。短剣を外す動作は、暗殺者の側からの「今は患者として扱われる」という同意の合図だった。それ以上の意味は、今の段階では、聞かない方がいい。


お読みいただきありがとうございます。

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