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治癒魔法なんて要りません 〜転生外科医が教会の独占をぶち壊す〜  作者: いなばの青兎
対立勃発編

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第24話 記録の価値

「法廷で戦うより、証拠を積み上げて世論を動かす方が速い」とアレクは言った。


 翌朝、孤児院の土間で三人がいた。アレクとミア、そして昨夕から残っていたシルヴィアだ。シルヴィアは教会法廷の話を聞くなり「対策を考えさせてください」と言い、一晩考えていた。


「教会法廷の問題は、公開性がないことです」とシルヴィアは言った。「非公開で進む可能性がある。その場合、アレク先生が何を主張しようと、外には伝わらない。だから法廷の場で正面から戦っても、有利とは言えない」


「同意です」とアレクは言った。「だから法廷の外で動く方がいい。治療の実績、費用の比較、治癒率のデータ——これを体系化して、見せる形にする」


「貴族に見せるということですか」


「貴族と、市民と、最終的には王家に見せる。教会の治療より俺の治療が優れているという主張ではなく、教会の治療で死んでいる患者の数と、俺の治療で助かった患者の数を並べる。数字は嘘をつかない」


 シルヴィアが頷いた。「記録を整備する必要がありますね。現在あるのは」


「ミアがつけてきた記録帳が四冊あります」とミアが言った。「患者の名前、症状、処置内容、結果——全部書いています」


「それを体系化しましょう」とシルヴィアは言った。「日付順、症状別、費用比較の順に整理すれば、一覧として示せます。法廷が開かれる前に、これを貴族の目に届かせる」


* * *


 記録の整理は三日かかった。


「先生」とミアが言った。手元の帳面を開いたまま、隣の記録と見比べていた。「教会の患者数、合いません。見習いの頃に書き写した月報の控えと、教会の公式帳面の数字が——一致しない。公式の方が少ない」


 アレクはミアを見た。「どのくらい差がある」


「先月だけで、十七人分。先々月も確認したら、二十三人分でした」


「それを確認しよう」とアレクは言った。


 ミアが書記として全力で動いた。アレクが記憶を補完し、シルヴィアが貴族に見せるための形式に整える。午前中は患者記録の整理、午後はデータの分析、夕方はシルヴィアの文書作成——三人が机を囲んで動き続けた。


 初日は患者名と日付の一覧を作った。「名前を出していい患者かどうか、確認が要る」とアレクが言い、ミアが走って確認を取った。二日目に治療内容と経過を記録した。「費用の比較をどう出すか」とシルヴィアが聞き、アレクが数字を出した。三日目に、教会の治療失敗例との比較表を作った。「これを見て、教会が反論できるか」とシルヴィアが言った。誰も即答しなかった。


 ミアの字は細かく、シルヴィアの字は大きかった。アレクの字は最小限だった。


 二日目の昼過ぎ、薬草屋の婆さんが断りを言いに来た。教会の者から「あの医者に売るな」と言われたらしかった。アレクは「分かった」とだけ答え、仕入れ先を変える段取りを夜のうちに考えた。


 三日目の夜、シルヴィアが「完成です」と言った。羊皮紙に二十枚の記録が整理されていた。


「ミアさん」とシルヴィアが言った。「あなたが記録を続けていてくれなかったら、これは作れませんでした」


 ミアが目を丸くした。シルヴィアから名前を呼ばれたのが初めてだったようだ。


 記録帳は、先生に言われた通りに付け続けてきた。ただ続けてきただけのつもりだった。でも——それが、この人の役に立ったのか。ミアは「ありがとうございます」と言った。「先生がいつも記録しろと言うから——ずっとやっていました」


 シルヴィアがアレクを見た。「あなたの弟子は有能ですね」


「知っています」とアレクは言った。


 シルヴィアが羊皮紙の束を丁寧に抱えた。「明日から貴族への配布を始めます」と言った。アレクは頷いた。


 三人それぞれが、自分の仕事をした。ミアが記録し、シルヴィアが形式を整え、アレクが事実を補完した。誰かに指示されたわけではなく、誰かが動くのを待ったわけでもなかった。


 夜、シルヴィアが帰る前に、机の上に羊皮紙の束を一度だけ整え直した。指先で揃える動きが、扇子を扱う時の癖と同じだった、とアレクは見た。シルヴィアが顔を上げて、ミアと目が合った。


「ミアさん」とシルヴィアは言った。「明日も同じ時間に、ここに来てください。配布の現場には、記録を作った人間が同席している方が、貴族の問い合わせに即答できます」


 ミアが「はい」と答えた。一拍置いてから、「私で——役に立ちますか」と続けた。


「役に立つから呼んでいます」とシルヴィアは言った。「論理的に考えれば、当然です」


 ミアが目を瞬かせて、「論理的に考えれば、ですか」と言った。少しだけ笑った。アレクの口癖が、シルヴィアの口に乗っているのが、ミアにも見えていた。


 シルヴィアが扉の前で振り返った。「明日、よろしくお願いします」と言って、出ていった。


 ミアが扉が閉まる音を聞いてから、アレクの方を見た。「先生、あの方の言葉、先生に似てきましたね」


「似ている」とアレクは言った。「論理で動く人間は、論理の使い方が伝染する」


 ミアが頷いて、机の上の記録帳を片付け始めた。今日の整理で、ミア自身の記録が貴族社会で使われる形に変わった——その実感が、手の動きに出ていた。


 そして次の問題がすでに、そこにあった。教会の帳面から、四十人分の患者が消えていた。


「四十人」とミアは言った。声が低かった。「先生、これって——」


「治療の途中で死んだか、あるいは打ち切られた可能性が高い」とアレクは言った。「教会は治療継続中の患者の数を公的記録に残す義務がある。死亡が出れば、別の頁に記録が回る。だが——その別頁の数字も合わない。死亡数を計上していない」


「治療の途中で死んだ患者を、記録から消したってことですか」


「あるいは、最初から記録に載せていない。費用が払えず追い返した患者は、形式上『治療を受けていない』ことになる。その患者が後で死んでも、教会の責任にはならない」


 ミアの手が、頁の縁で止まった。ペンを置いて、両手を一度膝の上で握り直した。


「それは——制度の問題ですね」とミアは言った。「先生が一人で治しても、教会の制度が変わらないと、同じ人が同じ理由で死に続ける」


「そうだ」とアレクは言った。「治すだけでは足りない理由が、ここにある」


 ミアが頷いた。それから、消えた四十人分の頁に、付箋を一枚刺した。「このページ、覚えておきます」と言った。アレクは頷いた。


お読みいただきありがとうございます。

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