041 ただいま
2026年8月7日(金)、アメリカ西海岸に位置する都市の一つ、サンフランシスコ。ここでは例年さまざまなジャンルのフェスが行われているが、この日魂狼のメンバーたちは、その中でも最大規模を誇るカルフォルニアの野外フェスのメインステージに立っていた。勇は魂狼のメンバーと共に、ここでニッジに誓った5年前の約束をついに果たしたのだ。あれ以来彼らの活動は当然日本がメインではあったが、当時彗星の如くこの場に現れた彼らが残した爪痕はその後も現地の人々の心の中に燻り続け、日本での活躍を追い続け、いよいよ本物の彼らを再び目の当たりにする喜びを胸に今日ここへ足を運んだファンも少なくなかった。この国の東部では先月地球温暖化が原因と思われる山火事が相次ぎ連日その災害が報じられていたが、ここは5年前と変わらず豊かな自然が彼らを迎え入れた。
『今からお前らを俺たちの世界へ連れて行くッ!!
決して目を逸らすなッ。
誰の声も聞き漏らすなッ。
一人として乗り遅れることは許さない。
Are you ready ??
Come with us firmly !!!』
勇のその掛け声の背後にはずっと時を刻むあの秒針の音だけが響いていた。そして始まった一曲目も、あの日と同じ曲だった。しかし彼らのパフォーマンスはこの5年で得た経験と自信で確実にグレードアップしていた。そして曲自体も発表されてからそれだけの時が経過しているにも関わらず、今まさにチャートインしていても全く違和感を感じさせないクオリティで、変わっているのに変わっていない、もはやそんな不思議な時空の狭間に聴衆たちは連れていかれた。
勇は彼らを煽り続けた。しかし彼らのその激しい歌とダンスの中には常に敬意があった。ここまで導いてくれた同志に、同じステージに立ちお互いを信じ合う仲間に、憧れや期待を胸に同じ時間を共有してくれるオーディエンスに、誰しも蔑まず、自分におごらず、すべてをリスペクトしていた。仲間を、チームを、"家族"を信じて、互いにリスペクトし高め合ってきた"今"が最高、でもここはゴールではない、まだ通過点に過ぎない"今"に立ち会えた聴衆に必ず喜びをもたらす自信と覚悟を、メンバーたちは歌と踊りに乗せ発した。大自然に囲まれ、目の前に広がる空に向かって響く彼らの歌声は、まるで魂狼としてこの星に存在することを宇宙が認めたかのような、この上なく開放的な空間に溶け込んでいった。
(また、夢が一つ叶ったね。)
詩帆は彼らのパフォーマンスを日本でLive配信を通して見守っていた。
(でも……。)
"嬉しいのに、寂しい。みんな、何だかとても遠くに行ってしまった…。"
心から祝福してあげたいのに、詩帆の心は複雑だった。そんな予想もしていなかった感情に、詩帆自身が一番戸惑っていた。大きく舵を切れば、そこから新しく得るものもある。しかし、失うものもある。だが実際には失ったように見えて、そこからまた得るものもある。詩帆はあの日、すべてを受け止めてくれる稑のすべてを、自分も受け止めると心に誓った。しかし、稑のすべてはこの寂しさすらも受け止めてくれる。それが詩帆の知る稑だった。
"伝えたい思いがあれば、言葉にしたらいい。"
"僕はその全部を受け止める。"
だから詩帆は"おめでとう"も"寂しい"も、その両方の気持ちをちゃんと伝えようと思った。そう思ったら、心が少し軽くなった。
彼らの歌声が、パフォーマンスが、そこから滲み出る生き様が、また誰かの支えとなり、励みとなり、憧れとなる。その輝きが、また誰かの明日を照らしてくれる。彼らは無事にフェスを成功させた。そしてその後に続くツアーでも、皆己の役割を粛々と遂行した。
一方で、勇も稑も忙しい合間を縫いながら今年度から始まった新プロジェクトのオンラインレッスンにも継続して携わっていた。勇は以前レッスンを受け合ったダンス部の高校生たちのことをその後も気に掛けていた。彼らは文化祭で披露するダンスパフォーマンスのレクチャーを勇から受けていた。勇は最初彼らのダンスを見た時、まだ魂狼が結成されて間もない頃の自分たちを見た気がした。踊れる人が基準のクオリティで踊ることで一つのステージの中に一軍と二軍が存在し、センターのメンツもだいたい決まっている、そんなパフォーマンスだった。勇は彼らに個々の技術に重きを置くのではなく2人以上で踊ることの真意を諭した。もし自分が背中を押すなら"魂がシンクロする運命共同体"を彼らにも体感してほしいと勇は思った。そして誰しもがセンターに立てる喜びとそこを目指す向上心を誰にも諦めてほしくなかった。あれから3ヶ月ぶりに再会した彼らは、見違えるように皆目がキラキラと輝いていた。思いが伝わった。才能を死なせず、背中を押し、今の自分からさらに一歩前へ、勇も再びアメリカに身を投じ自身を高めながら、救える才能に己の役割を最大限に発揮していた。
2026年8月19日。
章と詩帆は、その日33歳の誕生日を迎えた。時差がある中お互いに時間の許されるタイミングを見計らい、テレビ電話でささやかなお祝い会が催された。
「レディに対して数字が露骨だッ!!」
詩帆は"3"と形取られたロウソクが2つ並んで中央に飾られた小さなホールケーキに思わず突っ込んだ。
"でも章さんと同い年なんだから詩帆さんだけ隠したって仕方ないでしょ!?"(新)
"詩帆さん、詩帆さんのロウソクは僕が消すね。行くよ!せーのッ"
稑は章と一緒に勢いよくロウソクを吹き消した。その時にはもう、詩帆はあのピンクゴールドの指輪を左手の薬指にはめていた。
会はお開きとなりリモートが終わると、その静けさがたまらなく切なく感じられた。詩帆は無意識に、その指輪に口づけをした。
「あ…。」
すると詩帆は突然、昔同じことをして炎上事件を起こした蓮のことを思い出した。
(あの時私、蓮に"こんなんで"…、って言ったんだ…。)
今はその蓮の気持ちが痛いほど分かる詩帆は、当時の蓮のことがとてもいたたまれなく、そして申し訳なく思えた。
(蓮…、あの時はごめん…。あんなこと言って、本当にごめん…。)
詩帆はまた一つ身をもって、今まで気付けなかった思いを知った。
2026年9月某日。
詩帆は長崎にいた。稜太との16回目の再会は、初めて章と揃っての墓参りが叶わなかった。しかしそこには洋子と、そして実海がいた。
(稜太、章は今アメリカで頑張ってるよ。)
詩帆は手を合わせ瞳を閉じ、また一年分の報告をした。
「稜太。来年は章と、それからもう1人新しい人がここへ一緒に来ると思う。その人も、歌を歌う人だよ。」
詩帆はここに稑もいる風景が、自然と思い描けた。合掌を解き墓石を見つめながらそう言った詩帆の横顔は、とても穏やかな表情をしていた。
2026年10月2日。
再びリモートでの稑の誕生日会を終え、詩帆は2人きりで久々にゆっくり話をした。メールはお互いの朝と晩だけを毎日していたが、電話は週に1回がやっとだった。
「稑、だいぶ髪が伸びたね。」
「そう?かもね。」
「うん。多分、知り合ってから一番長い気がする。」
「うん。ちょっとアメリカかぶれしてみた。」
「ふーん。でもいいんじゃない?似合ってるよッ。」
「ほんと?やったぁーッ。」
「ふふふ。」
(うそ。本当は詩帆さんが撫でてくれた髪1mmも切りたくなかった。なんて言ったら詩帆さん、何て言うかな…。)
「詩帆さん、また頭撫でて。」
「えー無理だよぉ。」
「撫でて。」
「えぇー…。」
そう言って稑は机の上で組んだ腕に頭を乗せスマホの画面の前に突っ伏した。詩帆は少し困惑したが、恐る恐る人差し指をその頭が目いっぱい映った画面に近付けていき、そっと触れてみた。稑の頭は指先一本で容易く撫でることができた。しかし脳裏には、自身の指に絡むあの稑のコシのある柔らかい髪が思い出された。
(前田と佳代さんも、こんな思いだったのかな…。)
詩帆は当時の2人に思いを馳せながら、また新たな気付きを胸に刻んだ。するとぼぉっとしていた詩帆の指に突然稑がかぶりつくようなジェスチャーをした。
「うわぁッ!!」
「詩帆さんッ。」
「はいはいッ。」
「自由の女神は僕1人で登っちゃったけど、スカイツリーは一緒に行こうね。」
「あ、それなんだけど、実はこの前哲夫さんと2人で行っちゃったんだよねぇ。」
「え"ッ、え…、えぇーッ!!ウソッ、マジでッ?!?」
あまりにショックだったのか稑はその場で飛び上がり後退りベッドに転がりそして全力で項垂れた。
「あっはっはっはッ!嘘ウソ!まだ行ってないよ!」
そんな稑に詩帆はお腹を抱えてしばらく笑った。そして言った。
「残るはあとニューヨークだけだね。」
「うん。しっかりやり切るよ。」
「うん。」
詩帆は稑が渡米後毎月一度は足を運んでいたあのスカイツリーが見える公園に、その電話を終えた次の日もまたやって来た。
(明日が最後、か…。それが終われば、やっと、会える。)
詩帆は遠くに小さくそびえ立つ、それでも凛とした存在感を放つスカイツリーに向かっていつものように手を合わせ祈った。
(どうか、無事に……。稑のおじいちゃん、そしておばあちゃん、どうか、どうか、一緒に稑を見守ってください…。どうか……。)
しかしそれからこうも唱えた。
(でも、大丈夫。稑は、大丈夫ッ。)
この2ヶ月で、魂狼はアメリカでのその存在感をさらに確かなものにし、詩帆は新たに享受したさまざまな感情からより情感豊かなピアニストへと成長を遂げた。
2026年10月中旬。
詩帆は羽田空港の関係者専用駐車場の隅っこに車を停め、彼らの到着を待ち侘びていた。新しい家族を迎える日、蓮は現地滞在時間が僅か3日間ではあったが渡米中に一時帰国をしたものの、再び我がベイビーと最愛の妻に一刻も早く再会するためひと足先に帰国し新潟に向かったためメンバーは4人になっていたが、その彼らもすでに着陸した飛行機から降り入国審査を終え、預けた荷物を受け取るところまで来ていた。
「もうすぐ会えるよ。」
稑からのメールを着信するも、詩帆はまだ実感がわかなかった。詩帆はもう目と鼻の先にいる稑の姿を一刻も早くこの目で捉えたいと切望する一方で、すでに車からは降り立っているものの、まるで接着剤で身体が車にへばりついているかのようにその場から離れることができなかった。
「このまま駐車場で待ちます。」
「え"……。」
稑は空港のロビーに到着すると目の前には詩帆がいて、その場にいる大衆には脇目も振らずに2人は固く抱きしめ合い涙の再会を果たす、そんなまるで映画のワンシーンを想定していたが、やはり詩帆は詩帆だった。
「駐車場って…、どこ。」
「稑ッ、着いてきてッ。」
結局途中までアテンドスタッフに案内してもらった彼らだったが、建物から出るとそこから先は新が率先して稑をサポートした。勇と優もそんな2人の後に続いた。
「どうか、どうか……。」
詩帆はその姿をこの目で確かめるギリギリまで、あのネックレスを強く握りしめ祈り続けた。すると遠くから聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「いたぁーーーーーッ!!!」
詩帆から送られた位置情報の写メと野生の勘を頼りに歩みを進めた視界の先に新はようやく詩帆を捉えた。
「んもぉッ!なんっでこんなわっかりにくいところに停めてるわけッ?!」
そう言いながらズカズカと近づいてきた新を、詩帆は一切視界に捉えていなかった。詩帆はその新の後に続く稑だけを見つめていた。伸びた髪の一部を結った稑は、そんなブツブツ文句を言っている新をなだめながらいよいよ詩帆の目の前までたどり着いた。詩帆はそんな稑を、尚も黙ったままキョトンと見つめていた。
(稑だ……。)
そう胸のうちで囁くも、頭では分かっているのに感情が全く追いつかなかった。目の前の稑は懐かしく、しかし半分はどこか知らない男の人のようにも感じられた。詩帆は5年前にもそんな感覚を味わった。しかしその時とは違い今回は自身も再会を待ち焦がれていた思いも時間もある分、すんなり現状が受け入れられなかった。しかし次の瞬間、詩帆の身体の中に一気に言葉にならない感情が湧き起こった。
「ただいま。」
詩帆の耳に届いたそれは、聞き慣れた、あの空気に溶け込むような柔らかい稑の声だった。
(あぁ…、稑だ。本当に稑だ。稑が、帰ってきた。無事に…、私のところへ……。)
優しい眼差しでひと言そう言った稑を見つめる詩帆の目には、やがてみるみると溢れんばかりの涙が溜まり始めた。
"伝えたい思いがあれば、言葉にしたらいい。"
しかし詩帆はもう言葉よりも先に身体が勝手に動いていた。
"触れたくなったら、抱きしめればいい。"
詩帆は一切の羞恥心や躊躇いといった感情は抜きに、迷いなく真っ直ぐに稑の胸に飛び込んだ。そんな詩帆に稑は少し驚いたが、すぐ傍にいた新や、遅れて後に続いた勇や優はもっと驚いていた。そんな彼らに構わず、詩帆は稑にしがみつきその胸に顔を埋め声を殺し身体を震わせ泣いていた。そんな詩帆を、稑も力いっぱい抱きしめた。それはもう2人の間に一切の存在を認めないほどの力だった。そしてもう一度詩帆の耳元で小さく囁いた。
「ただいま…、詩帆さん…。」
やんちゃ三人衆が温かい眼差しで見守る中、横に伸びる2人の影は、完全に一つに重なっていた。




