025 賑やかな食卓
「詩帆ぉー、晩ご飯、出来たよ?」
何度呼んでも降りてこない詩帆を心配し、あゆみがわざわざ部屋まで訪ねると、詩帆はベッドの上に突っ伏し大の字で寝ていた。
「おーぃ、詩帆…?」
「あ…、うん…。ありがと。」
そう言うと詩帆はゆっくりと目を擦りながら上半身を起こした。
「うん、じゃあ先に降りてるね。あ、服はちゃんと着て来てね?」
「…、はーい…。」
あゆみは抜け殻の如く床に落ちている服を見て小さなため息をつくとそのまま部屋を出て行った。詩帆は今日も序盤こそ失敗はしたものの使命は全うできたはずなのに、どこか気持ちがスッキリと晴れず帰宅してからずっと塞ぎ込んでいた。しかし目が覚めればやはり空腹には抗えず、そこら辺にある部屋着を適当に着ると自室を後にした。
「あぁ!やっと来た!!もぉ!遅いよ詩帆さん!!」
「…あん?」
階段を降りていると聞き覚えのある声が耳に飛び込み顔を上げると、ダイニングテーブルに座っている人の数がいつもよりやたら多いことに詩帆は一瞬戸惑った。そしてそのメンツをよく見ると、そこには滝本家の他に新と稑の姿があった。
「げッ、何でいんの?!」
詩帆は今日2度目の突っ込みをしてしまった。
「そりゃあ、あの流れなら当然こうもなるでしょう。どうしてこの私が食べ盛りの男の子たちを無視できますか。」
「男の、子…か??」
すると新は嫌味ったらしくニーッと満面の笑みを詩帆に向けた。稑はちょうど階段には背を向けた席だったため顔は見えなかった。
詩帆は最後に余っていた席に座ったが、そこはちょうど稑の向かいになる席だった。そしてようやく稑の顔を捉えたが、稑は明らかに拗ねて元気がなかった。そんな稑を見た詩帆は思わず胸の奥がチクッとした。
「じゃあ、温かいうちに食べるとしよう。いただきます。」
「いただきますッ。」
その日はお誕生日席に座った章がそう声を掛けるとみんなも続いた。
「ミートボールはまだまだたぁっくさんあるからほしかったら声掛けてね。」
「わーい僕あゆみさんお手製のミートボール大好き!いただきまぁすッ!!」
章の右隣りに座る新は早速大きな口で一つ目のミートボールを頬張った。そのミートボールは卓球のピンポン玉ほどの大きさがあった。その右隣りに座る明は突然新と一緒にご飯を食べることになりややテンションが上がっていた。それとは対照的に、その隣りに座る稑はまだ半分もぬけの殻状態で、その隣りで章の正面にもなるもう一つのお誕生日席に座っていた光は淡々と食事を進めていた。その隣りの詩帆はまだこの状況を受け止めきれずにモヤモヤしており、その隣りに座るあゆみは尚も全体に目を行き渡らせ無意識に気配りに徹していた。
しばらくして、詩帆もようやく箸を手に取り食べ始めようとした時だった。寝起きでまだ疲れも残っていた詩帆は思いの外手に力が入らなかったためか、掴んだはずのそのずっしりと重たそうなミートボールはお皿から落ちコロコロと稑の方に転がっていってしまった。
「あ…。」
致し方なく思った詩帆は今一度箸を握る力を意識してそのミートボールを掴もうとした。しかしその僅か前にミートボールの上から思いきり別の箸が刺さった。
(ん…?)
詩帆はその状況がいまいち飲み込めず、尚もそのミートボールを見つめていた。するとそれはクレーンゲームの如くその箸と共に持ち上がると、そのままゆっくりと稑の口の中に丸ごと消えていった。詩帆はしばらく口をぽかんと開けたまま目が点になっていた。しかしあまりにも美味しそうに、そして大袈裟なまでに口をもぐもぐしながら食べる稑のその表情に、詩帆は次第に沸々と怒りが込み上げてきた。
「あ"ぁーーーーーーッ!!!稑が私のミートボール取ったぁッ!!!」
詩帆はそう発狂するのと同時にその場に仁王立ちになり、バンッとテーブルに両手を付くと上半身を前にのめり出し上から稑を睨みつけた。しかし稑は全く悪びれる様子もなく尚も美味しそうにもぐもぐしていた。すると詩帆の顔はみるみるとしわくちゃになっていき、悔しさを通り越して今にも泣きそうになっていた。
「稑のバカぁーーーー!!!」
(え…、ミ、ミートボールだよね?何この食い意地…。まぁあゆみさんのミートボールだし分からなくもないけど…、でもミートボールだよね?!)
そんな詩帆に、新は心底ドン引いていた。
「こら!稑ッ。刺し箸はダメッ!」
あゆみはすぐにそれを注意した。しかしそれとほぼ同時に今度は明が稑のお皿にあるミートボールを目掛けて上から思いきり自分の箸をぶっ刺した。そして立ち上がるとそれをそのまま尚も叫ぶ詩帆の口の中に突っ込んだ。
「こらッ!?明まで!!何をやってるの?!?」
しかし詩帆はやっとお望みのミートボールにありつけると溢れんばかりの幸せそうな顔に様変わりしていた。
「おいちーー。」
すると稑は慌ててさらに次のミートボールが狙われないようにお皿を明から思いきり遠のけた。そしてその隣りではソースで汚れたテーブルを光がウェットティッシュでささっと拭き取り、まるで2人目のあゆみかのようにさり気ない気配りを静かに遂行していた。
「詩帆…、早く座れ。」
大黒柱の章が注意を促すとそれには詩帆も素直に従った。そしてあゆみがキッチンから早速追加のミートボールを持って戻ってくるとそこで一旦落ち着きを取り戻し、ここからようやく静かな食事が始まろうとしていた。しかしそこを今度はまさかの光がぶった斬った。
「お父さん。」
「ん?なんだ、光。」
「僕、今夜は詩帆ちゃんと一緒に寝たい。」
"ゲボッッ!!ゲホッゲホッゲホッ、ゲホッ!"
その稑のむせり様は昼間の詩帆を遥かに上回っていた。
「ん?そうか。いいんじゃないか?詩帆さえ良ければ。」
「い、い、いいんですかッッ!?!?」
今度は稑がその場に仁王立ちし発狂混じりに叫んだ。
「私は別に構わないけど、どうした光?なんかあったの?」
「うん…。この間詩帆ちゃんの抱き枕を稑に返してから…、最近ずっと寝付きが悪くて…。」
「そーなんだ。そっかぁ、じゃあご飯食べて風呂済ませたらおいでよ!一緒に寝よ!」
「うんッ。」
「…えぇ。」
それを聞くと稑は椅子に崩れ落ちた。
(何だ?!何だその仕打ちはッ!!もう!さっきからいったい、稑が何をしたって言うんだ!!)
新も光のその発言には動揺を隠し切れなかった。
「ひ、光君…。じゃ、じゃああの抱き枕はまた貸してあげるから…、だからお願い…、それだけは…、」
しかしそんな稑の蚊の鳴くような声は明によってかき消された。
「じゃあ私も今日は新と寝たいッ!!!」
「えッ、えぇ〜〜〜ッ?!」
今度は新がとばっちりのブーメラン攻撃を食らうことになった。が、その衝撃を受けたのは新だけではなかった。その左隣りに座る章もそんな明の発言に面食らっていた。章は若干動揺しながら言った。
「明は…、駄目だ。」
「はッ?!何で??何で光は良くて私はダメなの?」
「明は女の子だからだ。」
「だって詩帆ちゃんだって女の子じゃん!」
「詩帆はもう大人だ。」
「ずるいッ。そんなの納得できないッ!!」
「じゃあパパが一緒に寝てやるから、」
そんな章の言葉に明は被るように言い返した。
「パ パ は イ ヤッ。」
それはまるでその日のすべての授業を終え4階の外階段から発声練習を始めた演劇部さながらの滑舌の良さだった。
"カランッカランッカラカラカラ…"
「あ、章さん、箸落ちましたよ?…?章さん??」
新はその日2人目の石化した人間を目の当たりにした。
「章さんッ?!」
「あぁもうほっといて大丈夫だからッ。1〜2分もすれば勝手に戻ってくるからッ。」
あゆみが淡々とそう言うと、流れるような身のこなしで床に落ちた箸を拾いパタパタパタと再びキッチンへ新しい箸を取りに行った。あゆみはまだ全然ご飯にありつけていなかったが、まるでこれが日常だと言わんばかりに飄々とやるべきことをこなしていた。そして新しい箸が手元に納まる頃には、章は本当に息を吹き返した。しかし目に見えて肩を落とし、眉毛は完全にハの字になりながら、これまでに見たこともない落ち込みようで食事を再開していた。
(え、何この見事なまでにぐちゃぐちゃなのに、平然とまかり通ってるこの感じ。)
新はこの6人とここで食事をするのは初めてではなかった。しかしてるてるの存在も成長と共にパワーアップし、この賑やかな食卓がまるで五大陸を結ぶ大海原に思えた。そして普段目にしない詩帆の幼さや章の脆い一面だったり誰しもが素の自分を無防備に晒しているこの景色がとても愛おしく思えた。
食事を終えると光は勉強の続きをしにそそくさと部屋に戻っていったが、残りのメンバーは皆リビングに残り日中の明のエキシビジョンの鑑賞会をしたりしていた。そして気付くと時刻はあっという間に21時を過ぎていた。
新と稑が帰る頃には、てるてるは例の突拍子もない提案などすっかり忘れていると章は思っていた。しかしそんな願望混じりの思惑通りあの明が忘れるはずもなかった。明は帰り支度をする新を玄関まで追いかけ、いよいよ家を出ようとする頃にはその場で園児のように声を上げて泣き出した。さすがに見るに見かねた章は新に許可を取り、結局寝かしつけまでをお願いすることにした。
「でも、ベッドには入るなよ?」
「ももももちろんです!」
「わぁーーーい!!新!行こ行こ!!」
明はそれを聞くとコロッと掌を返し、初めて自分の部屋に新を招くことにかなり興奮気味な面持ちで、すぐさま新の腕を掴むと瞬間移動の如く2階へと消えていった。
「あれはすぐに寝そうにないわね…。稑はどうするの?」
あゆみが稑に尋ねた。
「じゃあ、僕はピアノ室で新を待ちます。そうしてても…、いいですか…?」
「もちろんよ!ここは今も稑の家同然なんだからッ。ね!」
あゆみは章に振った。
「あぁ、あゆみの言う通りだ。」
「ありがとうございますッ。」
3人のそんなやり取りをすぐ隣りで傍観していた詩帆は、そのまま何も言わずにくるりと踵を返すとキッチンへ向かい、シンクに溜まった洗い物に取り掛かった。
"あ、詩帆さん、それ僕も手伝うよ。"
いつもの稑だったら間違いなくそう言っていた。しかしこの日の稑はそんな詩帆には見向きもせず、そそくさと階段を上がっていってしまった。あゆみはそんな2人を交互に目で追うと小さなため息を吐いた。大黒柱の妻は、尚も気を休めることができないでいた。




