023 この人生のうちに
4月に入り、新年度が始まった。これはSmall Gateがまた新たなフェーズへ進むことを意味する。
章はこれまで魂狼以外のアーティストを抱えることはなかった。これは今後も変わらない。しかし社が掲げる「才能を死なせない」という理念に対し、章は力の限り尽くしたいという思いは常々あった。この度それを具現化したものがこの月から始動する。しかし決して大それた何かをするわけではない。
"あなたの、誰かの才能を一歩前に"
簡単に言えばただそれだけだった。ただそれだけのことなのだが、そのプロジェクトに章始め誠、蓮を筆頭に、勇と稑もそこへ加わり、そのサポートを要が務める。要はこの4月から、これの他に魂狼としての5人のマネジメントも行うことになっている。
新プロジェクトの具体的な内容は、歌とダンスの更なる向上を目指す人たちのために、章はSmall Gateのスタッフ陣営を惜しみなく提供し、彼らのレクチャーを直に受ける場を提供する。それはスタジオで対面の場合もあれば、オンラインでの受講も受け付ける。そしてこれまでそんなスタッフやトレーナーたちの才能と英知に磨かれここまで更なる成長を成し遂げてきた勇と稑も、ダンスと歌の講師としてその運営に加わる。本来はここにモデルコースも予定していたが、その講師に抜擢されていた美琴は現在妊娠中のため、このコースは一旦保留となっている。蓮は章と同じく、25才でパパになる。その蓮は講師としては関わらず、どちらかというと経営に携わることになるのだが、これもまた、彼が魂狼と二刀流で大学に通い経済経営学を学んできた蓮のもう一つの才能を死なせないという章の思いが込められている。これまで蓮がメンバーでありながら幹部としてもSmall Gateに携わってきたのはこのためでもあった。章は常にありとあらゆる才能に目を光らせていた。
それは詩帆に対しても同じだった。4月から正式にメインのマネージャー職から離れた詩帆は、これからは優と新の魂狼以外の対外的な活動を中心にサポートしつつ、これまで以上に音楽療法士としての才能と使命を全うすることになった。
5月、この日詩帆は出張演奏のため、また昭和中央病院に来ていた。いつものように午前の演奏会を終えると詩帆はエントランスまで足を運べない患者のために病室を周り、身近な楽器で音楽を共にしたり一緒に歌を歌ったりした。そして入院して音楽教室に通えなくなってしまった人のレッスンを、病院のアップライトを借りてサポートしたりもした。その後は午後の演奏会に備え篠山と一緒に従業員用のランチルームで昼食を取った。
「あなたの職場もこの度の破天荒な新プロジェクトで一時はどうなることかと思っていたけど、だいぶ落ち着いてきたわね。とは言えあなた大丈夫?疲れてない??」
「あぁ、私はそのプロジェクトには直接関わってないので全然大丈夫です。むしろこっちがメインになりつつあるので。」
そう言いながら詩帆は10本の指で軽くエア演奏をして見せた。
「そう。まぁあのグランドピアノはもはやあなた専用だから、こちらとしては毎週来てもらってもいいくらいなのよ?」
「ありがとうございます。恐縮です。」
詩帆は照れながらも少し申し訳なさそうにペコッと頭を下げた。
「それにしても現役の、しかもあれだけの売れっ子アーティストが直にレクチャーって、もう発想が飛び抜けてるわよね…。」
「章はこれまであの5人に人生を捧げてきたけど、でも根本に振り返ったらまだまだ全然救いきれてないっていう、どこかにそういう後ろめたさがあったんだと思います。稜太にした約束を果たせなかった分、生涯を掛けて、差し伸べられる手を諦めたくないんじゃないかなって…。」
「そう…。」
「それに野球界ではlCHIROさんとか、バスケ界では八村累選手も毎年遥々海を超えて子どもたちのために尽力されてますしね。それに比べたらうちなんかはまだまだです。」
「そんなスケールで言われたら、確かにそれはそうなんだけど、でもねぇ…。」
「まぁでも勇も稑も、逆に刺激になるんじゃないかって思います。結成当時は勇はダンス、稑は歌に元々素質は持っていたけど、一方はまだまだなところもあって、でもしっかり自分と向き合って、不得手なものにも血の滲む努力があったんです。その苦労が分かるから、今何かに躓いて前に進めないでいる人にも真摯に寄り添えるんじゃないかって。」
「反響すごいでしょ?」
「はい。」
当初はミーハーな反応も想定していた。しかしありがたいことに章の志を理解すると、周りもそれに賛同する動きがすぐに浸透した。
"歌手としてデビューしたい"
"将来は渡米してダンサーで食っていきたい"
そういった本格的なものから、
"高3最後の文化祭で思い切り自分を出し切れるダンスパフォーマンスをしたい"
"彼女にプロポーズをする時に歌う曲をもっと上手に歌えるようになりたい"
"自身が抱えるダンススクールの生徒たちの個々の才能を引き出すコツを知りたい"
などなど、レクチャーを志願する人たちは皆様々な思いを抱えていた。
「でもやっぱり単純に彼らに会いたいとかで来ちゃう人もいるんじゃない?」
「はい。でも実はすべてLIVEで公開レッスンなんですよね。だから変なことできないです。公開対象はフリーか会員限定かは本人が選べますけど。それがプライバシーを気にして足枷になる人もいるかもしれないけど、“あ、この子いいかも"って多方面で発掘の場にもなるし、見るだけでもそこから学べることもあったり。みんなにとってウィンウィンになるのかなって。」
「太っ腹ねぇ。」
「まぁでも会員制ですから、安全面も考慮して。その辺は蓮がしっかりしてて。」
「え、蓮君が?」
「はい。彼は現役のメンバーであり、今や経営側の人間でもあります。」
「へぇ…。」
「章は自社の社員一人ひとりのことは切実に考慮するけど、それ以上の利益とかは全然気にしないから…。だからその辺も含めてこの先は蓮がどうにかしていくんだと思います。ちなみに息子もその章のどんぶり勘定に将来を案ずるところがあるのか今からめちゃくちゃ勉強頑張ってて…。」
「え、息子さんいくつ?」
「まだ9才です。」
「へ〜〜〜。」
「はっきりとは口にしないけど、でも多分継ぐ気なんじゃないかな。」
「自立早ッ。でも案外子どもって、絶対に親が完璧な方がいいってわけじゃなくて、駄目なところもある方が返って成長を促すのかもね。」
「ハハハ、どうなんですかね。」
「なんかすごいわね。ここまであなたたちを変えるって…。」
2人は言わずとも稜太に思いを馳せた。
「まぁ章は本当にすごいですけど、でも私は…。」
「え?あ、そうそう、変わると言えば、院長もね、年内にはここを退いて、長崎に行かれるのよ。」
「へ?!長崎に?!?ここを辞めてッ?!」
「ちょっとッ!これはまだオフレコなんだから!!」
篠山は慌てて左手の人先指を口の前に立てながら言った。
「あッ、ごめんなさい…。」
「…。奥様がね、ずっと声を掛けてくれてたみたいで…。」
「へぇ…、洋子さんが。確かに洋子さん、今もまだ杉本のままですもんね、実はずっと気になってはいたんですけど…。え、じゃあ篠山さんは?篠山さんはどうするんですか?」
「は?何その流れ。この人は院長に付いていくのか?みたいな。」
「あ、すみません。」
「いや、謝るより否定しなさいよ。」
「テヘ。」
詩帆は少しおちゃらけて見せた。2人はもうそんな仲だった。
「私は後任の者を引き続きサポートします。ここまで来たら、最後まで見届けます。」
これがこの人の使命…。詩帆は篠山の言葉から、その覚悟が伺えた。
「そう言えばこの前の演奏会にメンバーの稑君来てたでしょ。」
「へッ?!だいぶ話飛ぶなッ。」
「いや、2人って付き合ってるのかなって。」
"ゲボッッゲホッゲホッ"
詩帆は思わずむせった。
「篠山さんまで何言ってんですか?!もう…ッ。」
「え、何、付き合ってないの?え、嘘でしょ?」
「あれはただこの春高校の卒業を迎えたから、稑にあの歌を届けたくて私が誘っただけです。」
「え、じゃあ今はまだあなたの片思いなの?」
「はッ?!え?はぁ?!」
「だってあれ、もう好きがダダ漏れじゃない。あんな笑顔振り撒いて、見てるこっちが恥ずかしくなるからやめなさいって今日忠告しようと思ってたのに、何、あなた無自覚なの?あれ本人にバレてるわよ。本人どころか…、あぁもうヤダヤダ。」
「ちょっと、勝手な憶測で話進めるのやめてくださいよッ。」
「憶測?あなた私が何年秘書をやってると思ってるの?表情や仕草や視線で相手の気持ちを汲みその行動の先を読む。」
「それはそれは、誠に恐れ入ります…。でも私そう言うのはもういいんでッ。」
「もう?もしかしてあなた、稜太さんのこと気にされてるの…?」
「べつに、そういうわけじゃ…。」
すると篠山はあからさまにため息をつき、少し細めた目で詩帆を見つめると言った。
「あなた、一人は寂しいわよ?」
「大丈夫です。私この先もしばらくは章のところにお世話になるし、幸い仕事もだいぶ順調なので寂しくなる暇がないです。」
「一人は、寂しいわよ?」
「……。」
リアリティ全開の篠山の言葉には並々ならぬ圧があった。詩帆はもう黙る他なかった。
「おぉ、だいぶ盛り上がっているね。」
「あ、院長、お疲れ様です。」
「こんにちは、ご無沙汰してます。っていうか、全然盛り上がってませんけどッ。」
「ハハハッ。いやぁ篠山が私用の時間でこれほど人と話し込む姿なんて貴重だからな。」
「そうなんですか?それより、今日も付けてますか?」
「もちろん。今日も付けてますよ?」
そう言うと実海は片方の掌を胸に当て優しくポンポンと叩いた。これは毎度お馴染みの2人のお決まりの挨拶になっていた。
「でもまさかネックレスのまま使い続けるとは思いませんでしたけどね。」
「いや、これが一番安心するんだ。傍にいるのを、感じることができるから…。」
「確かに。それはおっしゃる通りです。あ、そう言えば長崎に行くって本当なんですか?!ここはもう辞められて…。」
「ん?ここにはどうやら特定の人には守秘義務が崩壊している秘書がいるようだな。」
そう言いながら隣りに座る篠山の方を向いた。篠山は肩身が狭そうに俯いた。実海はクスッと笑った。
「私はこれまでやるべきことをやって来た。しかしその中には、誤ったことも少なくなかった。私はこの人生のうちに、それらを一つでも正していきたい、そう思ったんだ。」
実海はとても穏やかに言った。詩帆と再会したことでリスタートを切った実海からは、それまで身にまとっていた分厚い鎧のようなものは綺麗に消え去っていた。
「この人生のうちに…、ですか…。」
「あぁ。」
実海は穏やかな顔で頷くと、目の前の食事を取り始めた。詩帆にはなぜかその言葉がくっきりと頭に残った。
「なんか、いいですね、その言葉。"死ぬまでに"とか、“生きてる間に"とかはよく耳にするけど、でもそれってなんか一般的なニュアンスで、でも院長のその言葉は、ちゃんと自分事として捉えてるっていうか、なんか本気を感じます。」
「あぁ。私は本気だよ?」
実海はそんなふうに理解してくれた詩帆に対しふんわり優しく微笑みながら、温かい眼差しでそう答えた。
歓談も盛り上がる中、午後の演奏会の時間もあっという間にやって来た。
「じゃ、私そろそろ行きますねッ。」
「ええ。よろしくお願いします。」
「よろしく頼みます。」
「はいッ。」
詩帆は一旦控え室に向かった。篠山もスマホを取り出し抱えた案件のいくつかをその場でささっと片付けると、そのままエントランスに向かった。本人に面と向かっては言わないが、篠山ももうすっかり詩帆のファンになっていた。とは言えこの場には当然秘書として立ち会うのだが、その篠山が会場に到着すると、すぐにある人物に目が止まり思わず目を見張った。
「あれ?今日も来てるじゃない。」
それは変装で己が隠し切れていない稑だった。




