019 20年ぶりの再会
その日稑と詩帆は、章の自宅に併設されている喫茶店『la jet』のボックス席に並んで腰掛けある人を待っていた。そこはファンの中では暗黙の聖域となっている店で、稑にとってプライベートでもゆっくりと落ち着いて過ごせる数少ない場所だった。稑は高校の卒業式も終え、いよいよ一人暮らし開始までカウントダウンが始まっていた。
「詩帆さんて、今も恋愛とか全く興味ないの…?」
「は?何突然。」
詩帆はあまりにも唐突な稑の質問にドン引き極まりない眼差しで稑を睨んだが、その稑は全く怯まないどころかさらに極まりなく切実な眼差しで見つめ返してくるので、詩帆はまるで自分が悪者のように思えた。
「全くない。以上。」
ピシャリと言い切った詩帆のその言葉は稑にとって傷付く以外の何ものでもないはずなのに、その時は心のどこかで少しほっとしている稑がいた。
「それにしても稑の免許取得を祝う私たちの共通の知り合いって結局誰なのよ。」
「もうすぐ分かるよ…。」
そう言う稑の、この話を持ちかけて来た時からどこか元気のない様子が詩帆はずっと気になっていた。
"カランカラン"
「いらっしゃぁい。」
総一郎が相変わらずの心地よい声で迎えると、男は入って来るなり辺りをキョロキョロと見回していた。
「前田さんッ。」
「おぉ!川名君!!」
店の奥で通路側に座っていた稑が立ち上がり名前を呼ぶと、前田はあからさまに浮き足だった様子で2人に近づいて来た。
「川名君!橋本も、久しぶりッ。」
「え…、えーっと…。」
「は?お前もしかして俺のこと覚えてない?」
「……。」
稑の隣りで同じく立ち上がってよそよそしく前田を迎えた詩帆は、少し申し訳なさそうに萎縮していた。
「ま、そうだよな。俺たち、20年ぶりの再会だしな。」
「に、20年ぶり…?!」
(そんな人がなぜ稑と共通の知り合いなんだ??)
すると見るに見かねた稑がフォローに入った。
「前田淳史さん、僕が教習所でとてもお世話になった指導員さんだよ。そして前田さんは、詩帆さんの小学校の同級生なんだって。」
「え…、私の、小学校の同級生…?前田淳史…、前田、前田…、ぁあーーーーッ!!!お前かぁーーーッ!!」
「お前とか言うな。やっぱ中身は何も変わってねぇな。いや、見た目もか。」
すると前田は稑の向かいの席にどっかりと腰掛けた。
「え、でも何で前田と私の繋がりが分かったの?」
「それはこれです。」
そう言うと前田は得意げに自身のスマホを印籠のように突きつけ1枚の写真を見せた。
「へ?!これあの時の?!」
「僕が前田さんに送ったんです。」
稑はただひと言合格を報告すれば良かったところをつい詩帆とのツーショットが嬉しくて、自分でも無自覚にいわゆるマウント行為をしてしまったのだ。稑は軽率に取った自身の行動を後悔していた。
「ちょっと稑、送ったって…。そういうの良くない。」
「うん…、ごめんなさい…。」
「大丈夫だよ。こっから拡散とか、俺はしないよ。そもそも俺とLINE交換しようとか安易に言うなって俺も叱ったから。」
「そっか。ありがと。」
詩帆はそんな前田にペコッと頭を下げた。
「にしてもさぁ、何でお前が魂狼のマネージャーなんかやってんの?」
「え、それは章が…。」
「え、ちょ、待って。え、章って、あの章?」
「うん、たぶんその章。滝本章だよ。章は稑が所属する会社の社長なの。それで5年前に声掛けられて。」
「は?うっわぁ〜…。まぁあの家のあの息子なら、もう何やってても特に驚かないけど。何たって大富豪の息子だしな。でもアイツも絡んでたのかぁ。そんでもってお前らやっぱりまだ連んで…。」
すると前田の顔が段々と険しくなっていった。
「なぁんかアイツの名前聞いたら過去の俺の黒歴史が一気に蘇って来たわ。」
「黒歴史って何よ。」
「え、聞いちゃう?言わせちゃう?なら語らせてもらいますよ俺のアイツに対する恨み辛みをなぁ!」
「え、今日って僕の…。」
稑は自身がまだ生まれてもいない頃から繋がっている2人の会話に完全に置いてけぼりを喰らっていた。
「あれは20年前の、まさにちょうど今頃だよ。俺は橋本がアイツと一緒に中学は私立に行くって知って砕けかけたけど、最後に勇気を振り絞って春休みに橋本を映画に誘ったんだ。」
「あぁー、あったねぇそんなこと。」
「それってつまり、前田さんは詩帆さんのことが好きだったってことですか?」
「おぅ、そゆこと。」
「え?そうだったの?!」
(やっぱり…。)
稑はこの日を迎えるまでの前田とのやり取りで何となく察していた前田の思いが的中し、元々低かったテンションはさらにどん底まで下降した。
(もしかしたら、ここから2人の新たな関係が始まってしまうかもしれない。前田さんと出会えたことを確かに喜んでいたはずなのに、まさかこんなことになるなんて…。)
稑は自分の取ったたった一つの愚かなアクションを心底後悔した。しかしそんな稑などお構いなしに、2人の会話は続いた。
「ほらねぇもぉコイツがこんなだからさぁ、何を思ったのかアイツにも声掛けちゃってさぁ。」
「え、私は別に誘ったわけじゃないよ。行くんだーって話したら、付いて来た。」
「そーなんだよッ。アイツはそういうヤツなんだよッ。いっつもまるで番犬みたいにベッタリでさぁ!」
「番犬…。」(稑)
「しかもさ、チケット3枚買うじゃん。俺はしっかり自分の隣りの席のチケットを橋本に渡したんだよ。なのにいざ座ってみたらアイツが真ん中になっててさ!!」
「…。」(稑)
「んでもって上映中もアイツの発する威圧感が半端ないからもう全ッ然映画に集中出来ないし、トドメはさ、映画観終わったらそこで待ってるはずの滝本の母ちゃんがいつまで経っても現れなくて。もう絶賛迷子中。そしたら普通自分の母親なんだからアイツが捜しに行くじゃん?でもコイツが、『章が動くと捜索対象が増えるからここで見張ってて!』って自分が捜しに行っちゃって、俺は滝本の番人させられて…。"俺は今日何しに来たんだろ…。これでもし俺らが迷子って呼び出されたらもう末代までの恥じゃん…。"って思ってたら早速館内放送で、『滝本章様、滝本章様、お母様が迷子になっておられます。お近くの係員までお声がけください。』って…。何なのこの親子、もうこっちの珍騒動の方が全ッ然面白くってさぁ、その日見た映画の内容完全にぶっ飛んだわ。」
「あったねーーー、ギャハハハッ。もうあの親子は本当に絶望的な方向音痴だから…。」
「っとに。今はもう大丈夫なのかよ、アイツ1人で生活できてるのか?っつーかもしかしておまえ滝本と結婚したとか?!」
『してません!!』
なぜかその問いに稑の声も力強くハモった。
「お…、おぉ。そっか。」
「まぁ今も一人で出歩かせるのは危険だけど、でも一度だけ、その方向感覚が完璧に機能した時があったんだよねぇ…。でも、多分そこでもう、一生分を使い果たしちゃったのかな…。」
「へぇ…。」
それがいつどんな時だったかを前田は知る由もなかった。しかしそう言った詩帆を見る限り、同じように面白おかしく触れてはいけないと前田は悟った。稑はそんな詩帆を心配し、目線を落とす詩帆をそっと覗き込んだ。すると詩帆は"うん、大丈夫だよ"っと言葉こそ発しはしないものの、稑の気遣いにやんわりと優しく笑って答えた。
あれだけ盛り上がっていた空気がパタリと落ち着いてしまったちょうどその時、前田の背後から総一郎の声が聞こえてきた。
「前田君、久しぶり。」
「あぁ!マスター!!やっぱり!!『la jet』って名前、そんなに聞かないからもしかしてって思ってたんです。移転されたんですね!」
「あぁ。前のところは、まだゲリラ豪雨が珍しかった頃、地下のスタジオが一気に冠水してダメになっちゃってね…。幸い事故にはならなかったけど、地形的に難しかったし他にもいろいろあって、一度店ごと閉めちゃったんだ。でも、いろいろとご縁があってね。」
「そうだったんですかぁ…。」
「え、前田ってマスターとも面識あるの?」
「あ、いやぁ…、その、」
「前田君も中学生の頃、ちょくちょく俺の店に来てくれててね。部活でフルート始めて、それからはたまにセッションもするようになってよく遊んでたんだよ。まぁでも本来の目的は、詩帆ちゃんに会うためだったんだよね?」
「うわ〜やっぱりバレてたかぁ〜。」
「え…。」(詩帆、稑)
「でもニアミス続きでそのうち部活の方も本格的になってきて、それっきりになっちゃってたけど。」
「はい…。でも、覚えててもらえて嬉しいです。」
「うん、俺もまた会えて嬉しいよ。えっとぉ、注文しないまま盛り上がってたから適当に作って来ちゃったけど、これで良かったかな?」
そう言ってテーブルに並べられたサンドウィッチは、この店のパスタに続く人気の定番メニューだった。
「うわぁー美味そうッ!」
「今日は稑君の免許取得と2人の再会を祝して俺からのおごりだよ。」
「うわぁ〜〜ッ、ありがとうございますッ。」
3人のテンションはまた浮上し、とり分け前田はその久々の総一郎の手料理に目をキラキラさせていた。しかしその直後のことだった。
「前田さんはどれにしますか?」
「え、じゃあ俺はこれとこれ。」
「はい。じゃあ詩帆さんはいつものこれね。」
「お、サンキュー。」
「これちゃんと使ってね。」
「はぁーい。」
「…。」
細やかな気配りが際立つ稑だったが、前田はいよいよ先ほどから感じていた違和感が気のせいではなくなっていた。
「あのさぁ…、」
そしてその疑問を2人にぶつけた。
「お前らって夫婦なの?」
「はぁあッ?!」
「いやさすがにそれは冗談だとしてもさ、さっきから2人のかもし出す距離感…、なんかおかしくね?それってただのマネージャー対管理対象その1とのやり取りなのかなって。」
「か、管理対象…、その1。」
すると稑の頭の中には恐らく蓮たちのことであろう管理対象"その2"から"その5"のメンバーたちの顔がポコポコと浮かんだ。
「いやだってさぁ、そもそもここに2人並んで座ってる時点で違和感あったもん。どこぞのバカップルかよって。」
すると稑の目は途端にキランとし、口角がキュッと上がった。
「えーだってそれは、」
そんな稑には全く気付いていない詩帆がそこまで言い掛けると稑が被さるように答えた。
「一緒に住んでるからじゃないですかね。」
「はぁあッ?!ちょっと稑ッ!?」
「…!!!」
先ほどよりもさらに驚き嘆く詩帆に対し、稑の久々のストレートな物言いに瞬殺された前田は言葉を失っていた。




