016 あの時がその時
それからの月日は、本当にあっという間だった。年末の魂狼は、昨年をさらに上回り激務のひと言だった。稑が成人して初めての年末を迎えるということもあり、まるで1日に3日分の予定が盛り込まれているかのような、しかしそれは決して無理矢理押し込んでやらされているわけではなく、全体でも個人的にも何度もミーティングを重ねて立てたスケジュールだった。メンバーたちは皆その意味を理解し、社員が一丸となって今やるべきことを日々主体的に取り組んでいた。
そしてそんな中でも稑の涙ぐましい努力が実り、年が明けた1月下旬、稑は何とか仮免許を無事取得することができた。そしてその後もこれまで停滞気味だった分を挽回するかのように時間があれば稑は教習所に通った。
「最初は前田さんのこと、教習中もよくしゃべるし結構うるさい人だなって思ったんですけど、」
「悪かったねうるさくて。」
「でも今は逆にその方が何だか落ち着きます。仮免試験の時は、もうほんッとに静か過ぎて、唾飲み込むのもついタイミングを見計らっちゃいました。」
「あぁ、やっぱそんな感じだったんだ。アイツのいいところでもありダメなところでもあるよね。」
稑の仮免許の試験官はさすがに前田は通らず、例の鬼教官が務めた。
"お疲れ様です。合格です。おめでとう。"
相変わらず無表情の鬼教官と教習の内容以外で交わした言葉はそれだけだった。そもそも試験なのだから仕方はないのだが、今後助手席に座った時は、全く無言でいるのもやめようと稑は思った。
「川名君て、この辺の道分かる?」
「いや…、全然分かんないですね…。」
「そうだよね。他にももっと通いやすいとことかあっただろうに、何でこの教習所選んだの?」
路上運転の技能教習が始まっても、前田の"訓練"と称した余談は続いた。
「ここは5年くらい前にもメンバーの1人が通ってたんです。僕と一番歳が近い新なんですけど。」
「あぁ、あのやんちゃそうな子ね。どっちかっていうと彼の方が年下に見えるよね。」
「え、そうですか?!」
「うん。」
(これ新に言ったらショック受けるかな…。)
稑の頭の中には俄然落ち込む新の姿しか想像できなかった。稑は話を続けた。
「その新が、ここはめちゃくちゃ丁寧ですっごく良かったって言ってたのを覚えてて。今も時々ここまで車で送り迎えしてくれてます。」
「へぇーそうなんだぁ。嬉しいなぁ。5年前なら俺はもちろんいたけど、全然気付かなかったなぁ。」
「まぁその頃はまだ、正式にデビューすらもしてなかったですし。」
「そうかぁ。しかしあの頃はコロナでいろいろ大変な時でもあったよなぁ…。俺マジで職失うかもって思ったもん。」
「はい…。でも、そのコロナが無ければ、今の僕たち5人は集まらなかったと思うんで、全部が全部悪くも思えないですね…。」
「あぁ、それは俺もほんとそう思う。それまで気付けなかったこと、たくさん気付けたし。」
2人は運転に集中しながらも、頭の片隅で一瞬当時に思いを馳せた。
「でもそれからたった5年でしょ?んでもって今はもうドームツアーで日本を縦断して、っていうか早くね?よっぽどいいメンツが揃ったんだな。」
「んー、"いい"メンツ、はちょっと違いますね、"最高"のメンツです。」
稑はしみじみと答えた。
「でも僕たちは、決してあの5人だけでここまでやって来れたわけじゃないです。社長の章さんをはじめ、表からは決して見えない社員の皆さん一人ひとりの思いが、そしてそれはもうその社員さんの家族もひっくるめて、まるで一つのでっかい家族みたいなチームになってみんなで一丸となってここまでやって来たから、そこにいる誰かが1人でも欠けたら、きっと今ここには辿り着けなかったんじゃないかって思います。」
「へぇ…。なんか、いいな。みんながリスペクトし合ってるのが伝わってくる。だって本当にいいもん、君たちの音楽。」
「はい。ありがとうございます。あ、ヤバ。左折なのに右折のウインカー出してた。」
稑は余談で少し散漫になっていた意識を改めウインカーを左に切り替えた。大通りから横道に逸れた片側一車線の道を進んでいた稑の教習車は、正面の信号が青になるのを尚も待っていた。
「おいおい気をつけろよ。後ろの車はその合図で右に行くって思うんだから、そういうのが事故の元だぞ。まぁここはT字路だから左にしか行けないけどな。」
そう言いながら前田が右方向に目をやると、そこには確かに道はないのだが、車がすぅっと入っていけるトンネルのような穴があり、その上部には目隠しのようなビニル製の黒いカーテンが風にあたりゆらゆらと重たそうに揺れていた。
(…え、…IN?え…、)
「えぇぇぇーーーーーッ!!!」
次の瞬間前田はシートベルトをしていなかったら完全にお尻が椅子から浮いていたと思えるくらい飛び上がる勢いで驚いた。
「どうしたんですか前田さん。」
「お、おまえッ、まさか分かっててやってんじゃないだろうなッ?!?」
「え、何がですか?」
前田は念のため視界をワイドにして改めてその建物全体を確認した。するとそこはそのいかがわしさを的中させる思った通りのラブホテルで、先ほどの黒いカーテンはまさにその入り口だった。
「あ、ラブホテルだ。へぇ、こんなところに普通にあるんですね。」
(う、うっかりかよッ!安定のうっかりかよッッ!!っとによぉッ!!)
前田は慌てた様子で後ろを振り向き後続車がいないことを確認した。そして前も、その他にも誰かに見られていそうなところを隈なく確認を怠らなかった。
「なんでそんなに慌ててるんですか?ただ間違えただけなのに。」
「ブァカかお前!その一瞬で、いくらでも捏造されちまうんだよ今の世の中はッ!!こんなん写真撮られたらどう扱われるか分かんないよ?!つーかあなた間違ってもこんなとこ来ちゃダメよ??」
「大丈夫です。僕春から一人暮らしなんで。」
(……!!!!!)
「そ、そーじゃないでしょ?!そういうことじゃないでしょ??もうやめて?!そういう生々しい話ッ。」
「え、言い出したのは前田さんからじゃないですか。っていうか何で前田さんがそんな焦ってるんですか?変なの。」
(え、分かってるの?分かってないの?えどっちなの?!いやもぉどっちだってえぇわッ。)
「……、なんか、俺…、今めちゃくちゃ無駄な汗かいた。ごめんちょっと外の空気吸いたい。窓開けてもいいかな…。」
「いいですよ?」
そう言うと、隣りでぐったりしている前田に代わり稑は運転席から助手席の窓を開けるボタンを操作し始めた。
「いや!いいから!!川名君はもう運転に集中してッ!!」
「えぇ?それを言うなら前田さんこそ指導に集中してくださいよ。さっきから全然落ち着きないですよ?」
「いやぁーだってそーでしょッ、はぁ…。ここはもう今後コースから外すわッ。前は確かビジネスホテルだったんだよ。」
「へぇ。」
「ほら!青になったよ!進んで!!」
「はい。」
前田は稑が少しでも目立たないようにと普段走らない道を選んだがそれが返って裏目に出てしまった。不用意な汗にワイシャツを少しつまみパタパタとさせながら、思わぬ出来事に散々振り回されているにも関わらず稑があまりにも淡々としていることがどうにも気に食わない前田は、また少しいじりたい衝動に駆られた。
「川名君は免許取ったら車は何を買うとかもう決めてるの?川名君は背もあるし、SUVとか」
「はないですね。」
(!?出たッ!たまに出る即答!!しかも食い気味!!)
「えーじゃあもう他に何か決めてるの?」
「いや、僕は自分が乗りたい車とかは特にないです。」
「…え?じゃあ免許取ったらどうすんの?彼女とドライブ行ったりとかしたくないの?」
「それはしたいですけど…。」
「え?彼女いるんだ??」
「いないです。前田さん、」
「ハイ。」
(やばッ、そろそろ怒られる…?!)
「僕が一番に免許を取る理由は、マネージャーさんのために少しでも役に立てたらなって思って。いつも本当にお世話になってるから。」
そう言う稑の顔は、怒るどころか少しホクホクしていた。
(ほぇ?マネージャー?あの女のこと?つーかこの子、どこまでお人好しなの…?)
「だってそれって、送迎とかってことだよね?」
「まぁ…、そうです。」
稑はその事務的な物言いが少し気に障り、途端に顔が少し曇った。
「それって彼らにとっては仕事の一部だよね?川名君がそんなふうに気にする必要はないんじゃないの?」
「そうなんですけど…。」
すると稑のテンションは明らかに下がり始め、まるで口先を尖らせ若干不貞腐れているように前田には見えた。ラブホテルの一件では淡々としていた稑が、この話には少しムキになっているのが手に取るように伝わってきた。稑は続けた。
「そのマネージャーさんは、最近僕たちの仕事以外のことでもがむしゃらに頑張ってて。それはもうたまに心配になるくらいで。」
「へぇ、何、副業ってヤツ?そんなん成り立つの?天下のボーイズグループのマネージャーが。」
「いいんです。それは詩、」
稑は思わず詩帆の名前を口にしかけたが、軽々しくその名が彼女を知らない男の耳に触れることに嫌悪感を感じ咄嗟に噤んだ。そしてハッキリと続けた。
「彼女の使命だから。」
そう言いまっすぐに前を見つめる稑の眼差しは力強かった。
「へぇ…。」
(彼女…、じゃあやっぱりあの時の女がマネージャーなんだ…。)
前田は昨年最後に稑の教習を終えた後に稑を迎えに来ていた女の姿を思い出していた。
「その人いくつ?」
「30…、前半です。」
「そぉかぁ。30代って、そういう年代だよな。俺もなんか分かるわぁ。今やらないでいつやるんだって。多少無茶してでも、頑張りたい時なんだよなぁ。」
「そうなんですか?そういうもんなんですか…?」
「あぁ。川名君もそのうち分かるよ。」
自分はまだその手前のさらに手前の10代で、何となく分かるような、しかしやはり本当のところは分かったつもりにしかなれなかった。言われてみれば確かに章も、企業して今ではもうすっかり認められているが、そこで立ち止まらずにまた新しいプロジェクトを立ち上げようと奮闘している。そしてあゆみも家族のみならず、社員の食に関する健康管理に日々奮闘している。
「みんな、すごいですよね。」
「いやぁ、俺からしたら川名君だって十分すごいよ?12、3で己の生きる道を決めたんだから。」
「いや、僕は章さんと出会ったタイミングがたまたまその時だっただけです。」
「ま、なんだかんだで、結果的にはそういうもんなのかもな。選んだわけじゃない、あの時がその時、こういうのはもう、言わば運命という名のタイミングなんだよな。」
その日も紆余曲折ありながら余談半分教習半分であっという間に1日の上限2コマが終わった。
「ありがとうございました。」
「ん、お疲れ様。」
すると前田は思い出したように呟いた。
「川名君のマネージャーってさぁ。」
「はい。」
「そのマネージャーの名前って…、もしかして…。」
「はい?」
「……。いや、やっぱ何でもない。」
「…?」
前田はその名を口にしてもし違った時の小っ恥ずかしさを想像したらとても耐えられないと咄嗟に踏みとどまった。
「じゃ、次は明後日な。」
「はい!引き続きよろしくお願いしますッ。」
前田は稑のことを知れば知るほど、いつものように礼儀正しくお辞儀をしてその場を去るその後ろ姿が、数ヶ月前の出会ったばかりの頃よりも遥かに大人びて見えた。
閑話
『稑を迎えに来た詩帆の車の中での話。その2』
「お疲れ様。」
「…うん。」
(あれ…?なんか、元気ない。)
「どした?稑。まさか今日合格できなかった?!」
「いや、できた。」
「そ。」
(ん?じゃ何があった?)
すると稑は言った。
「詩帆さんの、このお迎えは…、マネージャーだから?マネージャーとして来てくれてるの…?」
「え?どゆこと?」
「…。」
詩帆は稑の聞いている趣旨がまるで分からなかった。詩帆は考えた。そしてとりあえず思ったまま答えた。
「稑だからだよ。」
「?」
「だから、習い事のお迎えに行く?そういう感覚。え、そういうことじゃなくて?」
「習い事のお迎え。」
「うん。だってそもそもこれって仕事じゃないじゃん。」
「これ?」
「え、稑が免許を取ることだよ。明のダンススクールだって、光の塾だって、あゆみちゃんが迎えに行けなかったら私が行くし、そんな感じだけど、ん?答えになってる??」
「…じゃあ、仕事ってわけじゃない…?」
「あぁ、それでさっきマネージャーだからって聞いたの。うん、そうだねぇ…。」
詩帆は改まって考えた。そして続けた。
「別に業務って感覚はないかなぁ。何、それがどうかしたの?」
それを聞き思わず緩んでしまう口元を、稑はそっとマフラーで隠した。
「そっか。いや、何でもない。」
「はい?…。何を今さら。変な稑。」




