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今ここであなたと出会えたことは 本当の家族編  作者: 安田 木の葉


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014 哲夫と2人で

 時は少し遡り、これはまだ稑が教習所に通う前のお話。



「こんにちはぁ。」


 よく通る明るい声が聞こえ、美代子は振り向いた。


「はぁーい。」


 見ると工場の入り口に1人の女性が佇んでいた。美代子は手を止めて彼女のところまで足を運んだ。


「突然の来訪で申し訳ありません。あのぉ、社長の川名さんは今お見えでしょうか…。」

「あ、はい。少々お待ちくださいね。」

(初めて見る方だわ。営業…?かしら…。)


 スーツ姿ではあるものの彼女の第一印象に少し場違いな違和感を覚えながらも、美代子はとりあえず哲夫を呼んだ。


「社長ぉーーー!!お客さん!今どちらですかぁ?!」


 美代子に呼ばれ、奥の方から哲夫が顔を覗かせた。


「んぉ?」

「お客さんです。飛び込みの営業?みたいな??」

「ほぉ。」


 哲夫もキリのいいところで一旦手を止め、立ち上がり入り口の方に目をやると、そこには記憶のどこかに見覚えのある人物がただでさえ小さな身体をさらに縮こませ少し申し訳なさそうにこちらを覗いていた。


「…詩帆さん?」


 歩み寄り、その姿から哲夫は無意識にその名を口にしていた。


「あ、はい!初めまして。私、川名稑さんのマネージャーをしております、橋本詩帆と申します。本来ですと今日、稑さんとここに来るはずだったのですが、今朝突発的な事情で…。」

「おぉ、そんなそんな!わざわざどぉも!」


 リクルートスーツにほぼすっぴん、さすがに新入社員には見えないにしても、目の前にいる詩帆は確かに20代後半にしか見えなかった。昼間の新の情報から心の中ではすでに初対面を終えていた哲夫は、深々と頭を下げる詩帆に語りかけた。


「詩帆さんが悪いわけではなかろうに気にすることはないです。どうぞ頭を上げてください。突然にも関わらず、ご苦労だったねぇ。それなのにお疲れのところよぉわざわざ、こちらこそ、ありがとうございます。」


 そう言うと哲夫も詩帆にゆっくりと深く頭を下げた。哲夫は今朝とは違い、もうすっかり落ち着いていた。


「よかったら、中でお茶でもどうですか。」

「いえ、社長もお忙しいと思いますし、今日のところはご挨拶だけで…。」

「いや、私は構わんよ?そうだ、じゃあもし詩帆さんさえよかったら、いつも稑と歩く散歩コースがあるんだが、一緒にどうだろうか。」


 "散歩コース"、そのワードを耳にすると詩帆は安堵の中にほんの少しの好奇心も入り混じった表情を見せその提案を快諾した。哲夫もそんな詩帆の様子に胸がほっこりし、次の瞬間には優しく笑いかけていた。



 時刻はまだ午後の2時を過ぎた頃で、空には雲一つなくすっきりとした青空が広がり絶好のお散歩日和だった。そしてその散歩は室内で面着に話すよりもずっと早くお互いの距離を近づけた。初対面でも話しやすい詩帆の性格も相まって、2人は不思議なほどすぐに打ち解け、世間話から他愛もない話までざっくばらんに話しながらのんびりと隅田川を目指して歩いた。詩帆の音楽療法士のこと、そして章の家で過ごす稑、学生としての稑、それから魂狼としての稑など、哲夫は先ほど2人からは聞けなかった詩帆から見た稑の話もたくさん聞くことが出来た。


「そうかぁ。稑のヤツ、ほんとによぉ頑張ってるんだなぁ。詩帆さん始め、皆さんには大変お世話になってます。」

「いえいえ、それはこちらの方こそです。」


 川沿いまで辿り着くと詩帆は言った。


「それにしてもここは本当にスカイツリーが近いんですね。こんなに間近で見るのは初めてです。」


 隅田川に向かうまでの間には、右手にちょうど延長線上にスカイツリーがふもとからてっぺんまできれいに眺められる通りもあり、時々観光客らしき人たちが足を止めて写真に収めている様子も見かけた。


「あぁ、ここから歩いても行けますよ。うちからだと30分も掛からなかったなぁ。」

「上まで行かれたんですか?」

「あぁ。開業してもうだいぶ経った頃に一度。詩帆さんは?まだなのかい?」

「はい…。私は…、まだ。」

「そうかぇ。東京に住んどると、案外そんなもんなのかもしれんなぁ。しかしまぁ一度は行った方がいいぞ。これも同じ人間が作り上げたもんなんかと、俺も職人として思わず血が騒いだわ、ハッハッハッ。」


 それに合わせて笑う詩帆の顔は、それまでと違い明らかにどこかぎこちなかった。すると哲夫は思い出したように言った。


「そういえば、詩帆さんたちが住んでるところの近くからも、ちょうどスカイツリーが綺麗に眺められるところがあると稑から聞いたよ。」

「あ、はい、まぁ。正確には私の実家の近くなんですけど。でもそこから見えるスカイツリーは、もう爪楊枝…とまではいかないですけど、ここから見るのとでは比べ物にならないです。」

「そぉかぇ。しかしそこからあなた、うちの両親に手を合わせてくださったって。その節は、本当にありがとうございます。」


 そう言うと哲夫は詩帆に会釈よりも少し深く頭を下げた。


「いえいえ、そんなッ。稑はもう、私にとっても家族みたいなもんだし、思い付いたら、勝手に手を合わせてたっていうか、なんていうか…。」

「稑が…、それはそれは喜んどった。"僕の大切な人が、僕の大切な人を思って祈ってくれた"って…。だから自分も、そこからあなたの大切な人に、手を合わせたって…。」

「え…?」

「すまんな…。悪気はないんだが、稑からはいろいろ聞いてしまっていて…。」


 哲夫は少し申し訳なさそうに詩帆を見た。


「あ、いえ、それは全然、大丈夫です。」


 そうは言っても詩帆は少し動揺していた。そしてあの時の稑の姿を思い出していた。


(え…、あれは稑もおじいちゃんとおばあちゃんに手を合わせてたんじゃなかったの?ん?伯父さんは私のこと、どこまで知ってるんだ??)


 その間も尚も心配そうに自身を見つめる哲夫に気付き、詩帆はすぐに頭を切り替え続けた。


「私も、伯父さんとのことは、稑からちょくちょく聞いてるので。あッ、私も"伯父さん"って呼んじゃった!稑がいつもそう呼んでるから、ついッ。」

「いやぁ全然構わんよ!そういや俺も初っ端から"詩帆さん"て…、はッはッはッ。」


 それには詩帆も苦笑気味に一緒に笑った。2人の距離は、またさらに縮んだようだった。


「"思いがあれば、この世だろうがあの世だろうが、一方通行なわけがねぇ"。伯父さんのその言葉は、私にとってはよりどころみたいになってて、それに稑も稑で、"思いは消えない。消えるわけがない。"って、私の背中を押してくれて…。稑って本当に不思議なんです。ずっと一緒にいる章やあゆみちゃんも立ち入れずにいた私の内側に、すぅって入って来て、いつもほしい時にほしい言葉を掛けてくれて…。なので私、稑にはだいぶ支えてもらっています。」

「そうかぇ…。」


 哲夫は同じく大切な人がすでに向こう側にいる詩帆を、それはそれは優しい眼差しで見つめた。



 もう暦の上では冬となった今、日が傾き始めるのもすっかり早くなっていた。そしてその頃には、2人の会話は哲夫の親心からなる稑への身内としての心配事へと及んでいた。


「ご存じの通り、稑の生い立ちにはいろいろあって、稑は自分の父親のことを何も知らない。それに関して律子は、私にも頑なに何も話そうとはしねぇんだ。」


 稑はやはりその後も父親のことを哲夫には話していないのだと詩帆は察した。詩帆は今知っている父親に関することを、自分から哲夫に話しても良いものなのかと一旦は躊躇するも、稑を案ずる哲夫の気持ちを汲み取り恐る恐る口にした。


「あのぉ…、そのことでしたら、律子さんはもう稑に、父親のことを伝えています。」

「へ…ッ?」

「あ、正確には、知る術を手紙という形で伝えています。でも、それを稑は読むことはなく、この先もずっと、このまま知らないでいることを決めてるみたいです。」

「へぇ…。そうかぇ…。」


 哲夫はただただ驚いた顔をしていた。それは当然のことだった。


「でも…、なんでそれを詩帆さんが…?」

「え…、あ、えっとぉ、きっかけはもうだいぶ前で、稑の居候が始まって一年が過ぎた頃に、不躾ながら私が律子さんに尋ねたんです。そしたらその時律子さんが、稑には成人した時に伝えるつもりでいることを教えてくれて、それで先日それを稑に尋ねたら、稑がそう教えてくれて…。」

「へ、へぇ…。」


 哲夫は今日2度目の豆鉄砲でも喰らったかのような顔をしていた。


(あれだけ俺が問いただしても一切を話そうとしなかった律子が…、それに、稑まで…。)


「…すみません、家庭の事情に首を突っ込んでしまって…。」

「いやぁ構わんよッ。本人たちだって、話したくなきゃあ話さねんだから。」


 しかし哲夫は浮かべた笑みにほんの少しの物悲しさとも切なさとも何とも言いがたい感情が入り混じった複雑な眼差しで詩帆を見つめていた。


(なぜ詩帆さん…、いや、詩帆さんだからなんだろう。)


"何か例え用のない絆で結ばれてる、そんな気がするんです。稑には詩帆さんがいて、詩帆さんには稑がいれば、もう何でも大丈夫!みたいな。"


(ハハ、おまえさんだって、すぅっと稑の、律子の内側に入ってるじゃねぇか。)


 哲夫は参ったっと言わんばかりの顔で、隅田川の、もっとずっと先を、優しい眼差しで見つめていた。


(この人には、確かに何か見えない絆があるんだな…。それは新君だけでなく、身内の私でさえも入る隙のない…。)


「…?伯父さん?」

「あ、いやぁ、まぁ、そんなわけで、その分人の痛みも分かる子です。どうかこれからも稑のことを、よろしくお願いします。」

「はい。」


 哲夫は結果的に今日詩帆と2人きりで会えてよかったと、そう思えた。しかし詩帆はと言うと、哲夫の機微な表情にやはり余計なことを言ってしまったと後悔していた。すると哲夫が言った。


「いつもなら、稑とはこのまま両親の墓前まで足を運ぶんだが…、詩帆さんも、一緒に行くかい…?」


 それを聞いた詩帆は、思わず手に取るように伝わる嬉しそうな笑顔で答えた。


「はいッ。」



 その後哲夫と2人で墓前に手を合わせた詩帆は、稑の祖父母を思い祈った。


(どうか、どうか……。)


 そしてあの時と変わらない胸のうちの思いを2人に伝えた。






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