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第七話 宗教都市スクウェア

Ⅶ

 宗教都市スクウェアの庶民向けの教会で、空席だらけの聖堂に虚しく反響する説教を聞くでもなく、みすぼらしいローブの老人が長椅子の最後列に腰掛けている。その顔はフードに隠れ、表情を見ることはできない。しばらくすると一人の帝国兵が現れて、老人の耳元に何事かを囁いた。

「フォルザードがやられたか。帝国の面汚しめ……。自らは手を下さぬのが我らの戦、それを忘れむざむざ討ち死にするなど、しょせん四将軍の中でも一番の小者よ」

 長椅子に立て掛けていた杖を取り、帝国兵に伴われて聖堂を出る前に、老人は振り向いて壇上の司祭の背後にそびえるステンドグラスを見上げた。

「よりによって、このわたしがスクウェアに遣わされようとはのう。おぬし、この街をどう思う?」

「人の愚かしさの象徴ですね。“神など存在しない”という証明が不可能なのをいいことに、無知蒙昧の民から金を巻き上げているペテン師どもの作り上げた街です」

「身も蓋もないのう!」

 祈る人々が籠に銀貨を入れながら、長椅子の端から端へと受け渡してゆく。

「神などいない、あの籠だけが真実、か。ふむ……確かに連中の言うことに根拠はないが、それでも人々が神にすがってしまう理屈はあるぞ。信仰の根源にあるもの、それは“恐怖”じゃよ。死んだらどうなるのか、あの世に行って見てきた者はおらん。誰でも死ぬときは独りじゃから、気休めの言葉が欲しいんじゃ」

 宗教都市スクウェアは、大陸諸国や辺境のウェルスランド王国をも席巻している歴史ある一神教の総本山である。しかし現在は鉱石魔術の隆盛と帝国からの有形無形の圧力によって信徒の数が伸び悩み、ちょうど先代教皇が亡くなった直後ということもあって、教会の力は弱りきっていた。街頭では、石の化け物を生み出す鉱石魔術こそ悪魔の業、魔鉱兵が聖地にまで配備されるようではこの世の終わりも近い、とわめき立てる辻説教師が通行人から冷ややかな視線を浴び、街の中心に建設された礼拝堂を訪れる巡礼者もほとんどいない。杖をつく老人はスクウェア礼拝堂の門を守る二体の魔鉱兵パラディンの足元を通り抜け、かかとを揃えて敬礼した衛兵に軽く片手を挙げて応じながら護衛の帝国兵とともに建物の中へ入った。


 聖座の空位期間中に限り最高権力を持つ首席枢機卿のヴェルテクス卿は、すみやかな次期教皇選定のため枢機卿団のまとめ役として奔走していたが、ここへきてさらに帝国とウェルスランドの板挟みになってしまった。帝国首都へ向かうウェルスランド軍にとって、スクウェアは無視できない位置にある。その使者から、スクウェアを占拠する帝国軍を退去させよとの書状が届いたのである。

「コキュートス殿、一体どういうおつもりか!あなたの部隊が続々と街に入ってくるせいで、我々はウェルスランドに脅されているのだぞ!」

「わたしどもはスクウェアを守るために参上したのです」

「援軍などいらぬ!」

「左様ですか」

「折しも教皇選定に際して、枢機卿団の面々が当地に滞在中である。ウェルスランド側の代表者を召喚し、取り急ぎ帝国との協議の場を設けさせて頂くが、よろしいな!」

「わたしは皇帝陛下より軍事顧問として遣わされた身、求められるまでいっさい手出しは致しません。どうぞ猊下のご自由に」

 首席枢機卿といえど枢機卿団といちいち協議しなければ、このうさんくさい魔術師ひとり追い払うこともままならない。皇帝はスクウェアがいかなる勢力の味方もしない中立都市なのをいいことに、教皇不在の混乱につけ込んで聖地を盾にしようとしているのだ。ただでさえ忙しいときに、揉め事を持ち込みおって……。ヴェルテクス卿は舌打ちをして、部下に口述筆記と使者の用意を命じた。


          *      *      *


 ヴェルテクス卿からの返答は、ルミラの私見を書き添えて一旦ヘクス本陣のウェルスランド王の元へ届けられ、国王が家臣や諸侯の意見をとりまとめたうえで、全権をルミラに委任するとだけ記された投げやりな命令書となって戻ってきた。戦の真っ最中だというのに、厄介事に首を突っ込みたい者などあろうはずもない。使節団さえ寄越さず丸投げとは、まさにトカゲの尻尾切りか……。この間数日、ルミラが考えていたのは自分抜きでも帝国軍に勝つ方法だった。枢機卿は話し合いなどと言っているが、帝国に抱き込まれているのは火を見るよりも明らか、まず無事では帰れまい。

 ルミラは礼拝堂の門前で、ウェルスランド本隊を率いる将軍が付けてくれた護衛の兵士を待たせようとした。

「ここまでで結構。不穏な動きがあったら僕を探さず逃げて下さい」

「我々は軍師殿を守って死ねと言いつかっております。“砲術師”殿に万一のことがあれば、我々は元より我が主の命がない。家名にかけてお供します」


 礼拝堂の長机に居並ぶ枢機卿達もまた、帝国の支配のもとそれぞれの城を持つ領主達である。次期教皇の選出という一大事を他人任せにする者はいなかったが、心の内では自領がいつ戦渦に巻き込まれるか気が気ではないはず、ヴェルテクス卿は臓腑がきりきりと痛むのを感じた。

「ご一同、予定外の招集に応じて下さり誠に感謝申し上げる。ご存じの通り、聖地スクウェアはいま戦場にならんとしている。中立都市としての我らの総意を確認する前に、帝国とウェルスランド王国、双方の言い分を聞いておきたい」

「竜人どの?」

「お先にどうぞ」

「では、お言葉に甘えて」


 コキュートスが杖をついて立ち上がったとき、ルミラは思った。議論では相手に喋らせてからその矛盾を突くのが定石、あえて先手を取るとは、この老人何を考えているのか……?


「さて……わたしどもが馳せ参じましたのは、枢機卿団より連名での告発状を受け取ってのことです。ウェルスランドと共謀し、その軍勢をスクウェアへ招き入れんとする裏切り者がいる、と。猊下、それはあなたのことに相違ありませんな」

「何を言っている!?」コキュートスの示した書簡にヴェルテクス卿は目を剥いた。しかし枢機卿達は黙して語らない。

 魔術師の嘘や出任せではなく、全てはウェルスランド軍の侵攻を利用してスクウェアを掌握すべく帝国と枢機卿団との合意の上で仕組まれた茶番だったのだ。

「まさか、私を生贄に……!?馬鹿な!皆のため、私がどれだけ粉骨砕身してきたと……!」

「この者どもを捕らえよ」


「いささか先走りすぎましたのう。皆のためと思っていたのは猊下お一人だけ、出る杭は打たれるものです」

 礼拝堂を守る聖堂騎士の断末魔の叫びが聞こえ、敵の聖堂騎士と帝国兵がなだれ込んでくる。ルミラの左右でも剣の柄に手を掛けたウェルスランド兵があっけなく突き殺され、四方から槍を突きつけられたヴェルテクス卿は両手を頭の高さに挙げて降参した。

「……只今より、聖堂騎士団は帝国軍魔術師部隊総司令官のコキュートスが預かる。抵抗する者は枢機卿団の名に於いて破門である」


          *      *      *


 街門から走り出たパラディン部隊が一斉に槍を林立させてウェルスランド軍の魔鉱兵部隊に対峙し、後方に展開するメイジ部隊の中から灰色のローブを纏う一体のメイジタイプが進み出た。

《ウェルスランドの者どもに告ぐ。ただちに武器を捨てよ。密かにヴェルテクス卿と示し合わせ聖地を汚さんとするおぬしらの企みは、すでに露見しておる》

《総員構えーっ!》

 パラディン部隊は腰を落とし、機体がカイトシールドの裏に隠れるように槍を構えた。攻防一体の突進の構えだ。まともに喰らえば魔鉱兵でもひとたまりもない。

「聖地だって?あたし達には関係ないね」

 スナイパーは構わず弓をつがえたが、ブレードダンサーがその矢を手で遮った。

《やめておけ。森に攻め込まれたいのか?私もお前もここでは少数派だ。余計な真似はするな》

「ちぇっ」

 アシュワは耳の石に手をやった。

「ハスティ、どういうこと?」

《うかつに手を出せば国際問題になるという話ですわ》

「そんな!私達、戦っていいの?」

《ルミラさん……!》ラタは操縦席で冷や汗まみれの手を握り締めた。


「そっ、総員迎撃態勢!」

《動くな!刃向かう者は破門!破門である!》

 交渉は決裂したのか……?企みとは何のことだ……?ウェルスランド軍がどよめいた。

「貴様らにそのような権限があるものか!皆の者、うろたえるな!」

 突撃を開始したパラディン部隊はすでに長距離砲の内側の射程限界に達している。将軍の命令がもう少し早ければ牽制射撃で地面をえぐって勢いを削ぐこともできたのだが、事ここに至ってはこちらも魔鉱兵部隊を直接ぶつけるしかない。しかし、第一波だけでも十体以上のパラディンに対して自軍の総戦力はたった七体だ。


「ふっふっふっ、これぞ帝国の戦よ」灰色のメイジタイプの操縦席でコキュートスはほくそ笑んだ。「“砲術師”の知略を欠いたウェルスランド軍など首のない屍も同然。得意の砲術を封じられ、長距離砲の性能を活かせぬまま聖堂騎士団とじわじわ潰し合うがいい」

 

《ハスティ、やるよ!》

《ええ、よくってよ!》

 ウェルスナイトが動いた。ハスティとアシュワは左右に分かれて走りつつ、それぞれの左腕のチェインシューターから銛を同時に発射して、横列の中央付近に位置するパラディンの足首を狙う。そして鎖が最大伸展したら前へ方向転換してパラディン部隊を一気に転倒させ、その勢いで自らも転倒してしまわないうちに鎖を自切した。チェインシューターの鎖は一条だけでは横列の端から端までの長さに届かないが、半分ずつ分担することで敵全体をカバーできるのだ。二体のマジックブースターが起動するまでのあいだ、起き上がりつつあるパラディンを狙撃するのはラタである。

《ラタ!今ですわ!》

《了解……!ウェルスキャノン……行きます!》

《ウェルスキャノン?》

《ウェルスナイトの、キャノンタイプだから……》

 ラタのウェルスナイトはルミラの計らいで試験的に旧式の大砲を流用した両手持ちのハンドキャノンを装備し、火力支援仕様に換装されている。このハンドキャノンは砲尾に取り外し可能な五連発の回転弾倉を持ち、不発を気にせず連続砲撃できるが、砲弾と火薬をフル装填した弾倉は非常に重く、背部ウェポンラックの予備と合わせても十発ぶんの携行が限界である。そのうえウェポンラックに場所を取られて片側しかないマジックブースターの出力も装備品の超重量を支えるために費やされるので、接近戦仕様のウェルスナイトほど機敏な動きはできない。十発の砲弾をあっという間に撃ち尽くしたウェルスキャノンは弾倉を交換するべく砲兵陣地へと後退し、そのあとをスズとリムが引き継いだ。

《……お願いします!》

《スナイパーにお任せあれ!》

《大砲だけじゃ魔鉱兵は倒せない!私達がとどめを刺さないと!》

《敵の第二波にウェルスナイトが囲まれる。レオ、行くぞ》

 尻込みするレオを追い越して、クレアのブレードダンサーがパラディンの群れの中へ飛び込んでゆく。

「うへぇ、あんなところに突っ込むのかよ……」

《《しっかりしなさい!!》》

 プロトメイジとスナイパーに尻を蹴飛ばされたプロトナイトは、前のめりになりながら重い一歩を踏み出した。


 パラディンの残骸を盾にして第二波の突撃をやりすごしたウェルスナイトは、カイトシールドの陰から踏み込んでは槍を引き、剣の間合いになかなか入ってくれないパラディン部隊に徐々に包囲されながら背中と背中を合わせた。ハスティの剣術は切っ先をまっすぐ突き出して機体を半身に反らす突剣の構えだが、武術の素養のないアシュワは自己流で戦うしかない。

「私達、これで破門だね!なくすものなんて私にはなんにもないけどさ、ハスティはいいの?」

《スクウェアは何百年も前から宗教戦争の舞台になってきた街、破門宣告など挨拶みたいなものですわ。赦免の言い訳はこの場を切り抜けてからお偉い方々にいくらでも考えて頂きましょう》

《あまり突出するな。砲兵部隊がお前達に当てないように苦労しているぞ》

 ウェルスナイトを囲むパラディンの一角が崩れ、同時に倒れた二体の背中からツインケペシュを引き抜いて獣頭人身のブレードダンサーが現れた。

「クレアさん!」

《レオ様は?》

《あいつなら心配ない。放っておけ》


 その頃、後方のウェルスランド本隊は魔鉱兵部隊の戦闘の行方を見守り、馬上でひげを撫でる将軍の命令を待っていた。

「なにもかもあの竜人の想定通りに進んでいるのがくやしいが、この戦……勝てる」

「間もなく敵魔鉱兵部隊が片付きます。閣下、ご命令を」

「うむ」将軍は声を張り上げた。「皆の者、この戦は攻城戦ではない!敵軍を街壁に追い詰め、包囲して投降させるのだ!繰り返す、ウェルスランドはスクウェアを攻めぬ!逃げる敵は追うな!向かってくる敵だけを潰せ!」

「騎兵部隊は両翼に展開!歩兵部隊、全軍進め!」

「おおおおおおおおおおおおおっ!!」

「砲兵部隊第一班、陣地転換開始!二班は引き続き魔鉱兵部隊を援護せよ!」


 プロトナイトの巨大な足底を地面にめり込ませ、奥歯を食いしばって全力疾走するレオの頭上を、長距離砲からの援護射撃が風を切って飛び越える。単騎駆けのエリシュが足元に馬を寄せてくるのが見えた。情けないことに今のプロトナイトは馬でも追いつけるほど遅いらしい。

「いいんですか?騎兵部隊から抜け出したりして!」

《私は実験砲兵部隊の一員だ。誰にも文句は言わせん。ひとっ走りルミラ殿を探してくる》

「一人で!?」

《見くびるな。あとで会おう》

 あの男には味方がいない。だから誰にも助けてくれと言えなかったのだ。まったく、責任を感じたのならやることが違うだろうに。馬の腹を蹴ったエリシュは増速し、聖堂騎士団の弓兵部隊が放った矢を剣で左右に打ち払って敵陣へ手投げ弾を放り込んだ。弓兵は防衛線を強行突破して走り去るエリシュの背を狙おうとしたが、弓兵隊長に怒鳴られて向き直り、エリシュ一騎の何百倍もの戦力で押し寄せる騎兵部隊の迎撃に戻った。


「来い来い来い……来たっ!」

 マジックブースターの装甲に無音の稲妻が走る。その軌跡に沿って複雑に展開したフィンが後光を放ち、浮き上がったプロトナイトは進軍するウェルスランド本隊とスズ、リム、ラタの三体の魔鉱兵を先導するように滑走し始めた。体当たりでパラディンの残骸を吹き飛ばしつつ、剣を抜き放って最前線へ切り込む。彼我の魔鉱兵の数にはだいぶ差があるようだが、ついこのあいだ実戦投入されたばかりのウェルスナイトが少数で暴れ回っていられるのは、やはり量産型のパーシャルアーマーとマジックブースターのおかげだろうか。


《パラディン第一部隊、全滅!第二部隊、敵魔鉱兵と乱戦中!敵本隊が動きます!》

《第三部隊、総員構えーっ!》

 メイジ部隊の足元で聖堂騎士を率いる枢機卿のひとりからコキュートスの耳の石に通信が入った。

《我が聖堂騎士団が、たった四体の魔鉱兵に……!コキュートス殿、第三部隊は本隊の直掩だ。もうパラディンはいない!戦力の展開が遅いのではないか!?》

「いや、あれでよろしい。わたしも少し手伝うとしようかのう」


 パラディン部隊の防衛線を崩しつつあったレオ達は、メイジ部隊が乱射する魔力の矢で押し返されてしまった。魔力の矢はメイジタイプの最も基本的な攻撃魔法であり、魔鉱兵にとっては殴打された程度の衝撃しかないが、マジックフィールドの抵抗力を頼りに無視し続けていい攻撃でもない。スクウェアの空に暗雲が迫る……コキュートスのメイジタイプが掲げた杖の先端からゆるやかに湾曲した刃が直角に展開し、杖は大鎌となった。大鎌から大地へ黒紫の稲妻が駆け抜け、そこを中心に全方向へ波動が伝播してゆく。

 はるか後方でプロトメイジが片膝をついた。

《スズさん!》

「かはっ……!気をつけて、私達、攻撃されてる」

《攻撃ってなにさ!?》

「分からない……だけど、なにかの、広範囲に影響する、攻撃魔法……!」


 稼動中の全魔鉱兵の魔法回路が一瞬、脈打つように機能不全に陥り、ウェルスランド軍のみならず、聖堂騎士団とパラディン部隊、帝国軍の兵士達までもが辺りを見回した。戦場は瘴気に満ち、空は不自然に暗く、闇が、一帯を覆い尽くしている。

《帝国四将軍が一人、冥将コキュートスの真の力をとくと見るがいい》

「あいつ、なにを……」

 思わず後ずさったプロトナイトの足首を、破壊されたはずのパラディンの手が掴んだ。


          *      *      *


 聖職者のための控え室のひとつに閉じ込められたルミラは、後ろ手に縛られたままヴェルテクス卿と並んで黴臭いベッドに腰掛けていた。コキュートスがこの部屋を選んだのは、スクウェアが栄えていた頃の無計画な増築のせいで窓がないからだ。荘厳な礼拝堂とはうって変わって、舞台裏に相当する控え室は小さな祭壇つきの机と埃っぽい書棚があるばかり、これなら地下牢のほうがましかもしれない。

「清掃が行き届かず面目ない。枢機卿団も今は俗人だらけで、用事が済めば自分の城へさっさと帰ってしまうのだ。この大事なときに、王侯にも比肩する権力を持つはずの私がこのざまとは……」

「猊下、僕は人間の宗教に明るくないのですが、どうしてそれほどまでに新教皇の選出を急がれるのですか?」

「我々教会勢力が帝国に対抗するには教皇の強権が必要だからだ。帝国の弾圧によって大陸各地の教会は閉鎖に追い込まれ、届かぬ祈りの声が街や村々にあふれている。破門されるべきは皇帝なのだ。だが教会の役目とは、神を信じぬ者を排斥することではなく、死にゆく人々の心に明かりを灯すことだと私は思っている。誰も死からは逃れられないが、信仰のない世は闇だよ」

「なるほど」

「ルミラ殿は、なぜ代役も立てず自ら罠に飛び込むような真似を?使者が殺されたら、それを口実にスクウェアへ攻め込む手もあろうに」

「最近、部下と話す機会がありまして、いつも安全な場所から彼らに死んでこいと命令してばかりの僕自身に嫌気が差したんです。僕一人の力で事を収められるなら……なんて、今思えば甘い考えでした」

「心境の変化!それだけか!?涼しい顔をしているから、策あってのことかと……ああ、言い方が悪かったな」

「……」

「ルミラ殿、死に急いでもいいことはないぞ?人の上に立つ者なら、非情な決断を強いられることもある。そのせいで割を食うこともある。つくづく損な役回りなのだよ、組織の長などというものは」

「自暴自棄になったわけではありません。我が軍は必ず勝ちます。ただ、この先のことを考えると、僕はどうしたらいいのか……」

「神を信じろ」

「竜人に神はいません」

「では、仲間を信じろ」

 卓上の祭壇を照らす灯火が揺らめいた。扉の外から見張りの兵士の断末魔の叫びが聞こえ、その死体を室内へ引きずって二人の帝国兵が現れた。兜を脱ぐと、正体はヴェルテクス卿の部下の聖堂騎士だった。

「外に馬車を手配しております。お急ぎ下さい」

「お前達……!ルミラ殿、参ろう」

「その竜人も連れて行くのですか!?」

「無論だ」

「しかし、そやつは今まさにここを攻めんとしている敵将、野放しにすればスクウェアは落ちます!」

 ヴェルテクス卿は低い声で部下の耳元に何事かを囁いたが、聞き耳を立てずともルミラには察しがついていた。ウェルスランドの要求をただ突っぱねて追い払うのと、帝国軍に捕らえられた人質を救い出してやるのとでは、国王の心証が違う。ルミラを利用して恩を売っておこうというわけだ。聖堂騎士達は燭台の火を吹き消してから控え室に施錠し、二人を先導して周囲を警戒しつつ薄暗い廊下へ出た。


 ルミラとヴェルテクス卿は縛られたまま、部下達は帝国兵に変装しているので、巡回中の兵士に出くわしても焦ることはない。一行は後方の都市へのすみやかな移送命令が下されたという体(てい)でその場をやり過ごそうとしたが、控え室の扉の前の床に残るわずかな血痕から異変に気づいた別の帝国兵が、捕らえろ、そいつらは脱走する気だ、と叫びながら槍を構えて追ってきた。たちまち前後左右どこからともつかない多数の甲冑の靴音が石の廊下に反響する。

「猊下、ここは我々が!」

 聖堂騎士のひとりが目の前の帝国兵を不意討ちで突き殺し、その間にもうひとりが背後のフォローに回ってルミラ達の縄を切った。ヴェルテクス卿は死んだ帝国兵の腰から剣を抜き取ると、ルミラとともに走った。正門、裏口、庭園へ通じる出入り口、すべて守りが手厚い。前方から現れた新手の帝国兵の槍を走り抜けざまにへし折って手首のスナップで剣を返し、首を斬り飛ばす。

「ルミラ殿、武器を取れ」

「僕は剣なんて……」

「私だってそうだ!」

 ふとルミラの視界の端に白い影が映った。曲がり角、ドレスを着た女の子だ。

「今の、見ましたか?あっちに子供が」

「子供だとぉ?」

 ヴェルテクス卿が頭のない兵士の剣を奪おうとしたとき、その死体が首の切断面からどくどくと血を噴きこぼしながら起き上がり、緩慢な動作の斬り上げが紙一重で鼻先をかすめた。反射的に足裏で胸甲を押し出すように蹴ると、死体は受け身も取らず仰向けに倒れた。

「なんと……!?ええい、向こうだな?」

 曲がり角の先にその透き通った少女はいた。廊下の左右を見渡しているが、二人の存在には気づいた様子もなく、地下へ続く階段の暗がりに消えた。階段の先は書庫だ。灯火の明かりもない通路に少女だけがぼんやりと白く浮かび上がり、あとを追って書架の裏を覗くと石壁に突き当たった。行き止まりか……。

「でも、確かにここへ!」

「ルミラ殿、子供などいるわけがない。ここならしばらくは敵をやりすごせようが、逃げられないのでは振り出しに逆戻りだな」

「そんな……」

 溜息をついて寄りかかった壁は隠し扉であり、ルミラは背中の支えを失って思い切り後ろへ転んでしまった。


          *      *      *


 コキュートスのメイジタイプ、ネクロマンサーの魔法が発動したとき、ウェルスランド軍は敵の懐深く入り込みすぎていた。退避命令は間に合わず、戦場の至る所で復活したパラディンの残骸……パラディンゾンビに蹂躙されてゆく。パラディンゾンビは必ずしも武器を使わない。手当たり次第に獲物を踏み潰し、掴み上げては握り潰す。のみならず生き残りのパラディンにも襲いかかり、倒されたパラディンはパラディンゾンビと化した。そして、その足元では古代の戦士が蘇り、骸の軍隊となってウェルスランド兵を追い詰めていった。ここは古戦場、死霊魔術にはうってつけの土地なのだ。

 アシュワはウェルスナイトの機体を這い登る骸骨を身じろぎして振るい落とした。

「これって、私達も倒されたらゾンビの仲間になっちゃうってこと!?やだぁ!」

《密集陣形を組め!絶対に一人では戦うな!》

《了解ですわ!》

 二体のウェルスナイトは互いに背中を預けてブレードダンサーの左右についた。


 足を掴まれて転倒しそうになったプロトナイトはパラディンゾンビの肘関節を剣でえぐって残った腕を臑からもぎ取ったが、投げ捨てた前腕は本体に吸い寄せられて再び肘関節にくっついた。と言っても断面が修復されたわけではなく、破片は破片のまま集合して、パラディンゾンビ達は次第に魔鉱兵というより魔法鉱石の怪物めいた形容しがたい物体に変わっていった。上半身同士あるいは下半身同士が接合したものや、もっと細切れにされた残骸の塊が、無秩序に生えた手足を振り回してうごめいている。操縦席がなくても動けるようだ。

《氷の散弾が使えれば……!味方の兵隊さん、火の粉が当たったらごめんなさーい!》

《倒しても倒しても立ち上がってくる。きりがないが、このまま倒し続けるしかないのか……?レオ、どうする》

「どうするったってさ……」

 なんで俺なんだよ。だいいち、参謀のルミラさんが勝手にいなくなるからこんなことになったんだろ。毒づきながらレオは城塞都市ヘクスでのルミラの言葉を思い出した。“レオナルドくん、プロトナイトが役目を終えるまで、新兵さん達の騎士になってあげて下さい。彼女達は誰より君を信頼しています……”そうだ、こんな場合に備えてルミラさんは俺に前線指揮を任せようとしたんだ。こんなときルミラさんならどうする?

「親玉を直接やっちゃえばいいんだろ?俺があいつを……!」

《レオくん、誰か忘れてない?》

「リム!」

《灰色の魔鉱兵でしょ?やってみる。ラタちゃん、合わせて!》

《はい!私が崩して……っ!》

《あたしがとどめぇー!》

《弾着……いま!!》

「やったか!?」


 ウェルスキャノンとスナイパーの時間差攻撃はネクロマンサーに命中したかに見えた。ところがスナイパーの矢が突き立っていたのは、すんでのところで召喚主をかばった魔法鉱石の小片にすぎず、着弾点に黒紫の瘴気が集中したかと思うと、無数のパラディンゾンビの残骸がネクロマンサーの鎧となって巨大な構造物を形成し始めた。スクウェアの街にそびえ立つ礼拝堂の鐘楼よりも高く魔法鉱石の両脚と骨盤が組み上がり、背骨から左右に枝を伸ばして肋骨を形成する。そして心臓の位置で胸骨に守られたネクロマンサーが両腕を広げると、その姿に倣って巨大な両腕と王冠を頂く頭骸骨が完成した。それは骸の王だった。ラタとリムは構わず狙撃を続けたが、生き物のように自在に変形する骨片が薄く剥がれ落ちるばかりで心臓にまでは届かない。

「愚かしくもこのネクロマンサーを狙い撃つか……。我は恐怖の化身、不死の軍団を統べる冥府の王ぞ」

 ネクロマンサーを守る巨大な骸骨の右手に切っ先のない処刑用の大剣が出現した。振り下ろされた骨の大剣は逃げ惑う聖堂騎士団の本隊からウェルスランド本隊後方の長距離砲陣地までを真っ二つに割りながら崩壊したが、破片のひとつひとつが再合体してパラディンゾンビになり、大地の裂け目からは新たな骸骨兵士が召喚された。魔鉱兵部隊の七人は辛くも大剣の直撃を免れたものの、馬上で指揮を執っていた将軍は即死、ウェルスランド軍は大混乱に陥った。


          *      *      *

 

 暗く狭い石の通路は、上りも下りもせず、分岐もせずにまっすぐ続いている。突き出した剣で行く手を警戒しながら手探りで進まざるをえないので、前後どちらからであろうと敵に遭遇すれば終わりだ。

「教皇専用の脱出路でしょうか」

「それならば入り口は執務室にある。もっと古い時代のもののようだ」

「古い時代……といいますと」

「スクウェアの街は聖地を守る砦から発展したのだが、戦が市街地に及んだとき、市民を城内で保護していたこともあったらしい」

「その砦の上に、今の礼拝堂が建てられた?」

「うむ。ルミラ殿が見たという子供、あるいはそういうことかもしれんな」

 切っ先が何かに触れて音を立てた。通路は途切れ、その代わりこれを梯子にしろと言わんばかりに規則的な石壁の窪みが、内側から見上げた煙突のような細い空間へと続いている。冷たい梯子を登りきった先はまたも行き止まりだったが、その天井は人の力でたやすく持ち上げることができた。脱出路は地下墓所に繋がっていた。

 石棺に見せかけた脱出口からヴェルテクス卿がルミラを引っ張り上げると、周囲の石棺の蓋が一斉に動き出した。土色に干からびた手が棺を覆う蜘蛛の巣を引き裂いてゆく。墓所の出口は真正面だ。

「ルミラ殿、走れ!」

「は、はいっ!」

 ルミラ達を冥府へ引きずり込もうと押し寄せる無数の手をかいくぐり、地下墓所から階段を駆け上ると、屋外では気だるげな亡者の宴が始まっていた。声がルミラに語りかける。

「お城に火を放たれて私達が逃げてきたとき、ここは敵の兵隊でいっぱいだったの」

 振り返ると白い少女は墓所の闇に溶けた。

 薄暗く広大な墓地に立ちこめる死臭、枯れ木の上で様子を窺う鴉の群れ。そこかしこから墓土を突き破って死体が這い上がり、スクウェアの街が成立して以来、古代から現代に至るまでさまざまな死装束の、あらゆる身分の人々がさまよい歩いている。死体はスクウェアの住民ばかりではない。遠方の生まれであっても聖地に眠ることを望む信徒は多く、異国風の身なりの者もいる。鼻孔を押さえながら、骸骨とミイラばかりで腐乱死体が少ないのがせめてもの救いか、と思っていると、亡者達は目のない眼窩でルミラを見るや、地下墓所と同じように一斉に向きを変えて襲いかかってきた。二人は再び走り出した。


「こんな数の遺体を丸ごと埋めておくなんて!」

「天に召されるとき、魂の拠り所がなくては困るからだ!死者は待っているのだよ……この世の終わりの日を」

「まさか、ありえない」

「そうだ、ありえん!少なくともこのような形ではな。棺は地中深く納めて、そのうえ蓋に釘を打つのだぞ?肉が削げ、骨も朽ちた死体の腕力で、自分の上に覆い被さる大量の土を掻き分けられるはずがない。死霊魔術を使った者がいる!」

「死霊魔術?」

「レイズ・アンデッド、死者を使役する禁呪だ!あの魔術師がやったに違いない。最初から怪しいと思っていたのだ、聖地を冒涜しおって!」

 ヴェルテクス卿はルミラを守りながら、群がる死体の手足を斬り落とし胴を薙ぎ首を刎ねて進んだが、ようやく墓地の門へ差しかかったとき、死者の中に一人だけ生者が混じっていることにルミラの声で気づいた。とはいえヴェルテクス卿の技量では二、三人ぶんの人体をまとめて切断するため渾身の力で振り抜きかけた剣の勢いを今さら止めることはできない。

「エリシュさん!」

「ルミラ殿!」

「味方か!すまない、一撃だけ受けてくれ!」

 左右と後ろを死体に囲まれてはどこへも避けようがなく、エリシュはヴェルテクス卿の剣を剣の上で滑らせて軌道を変え、互いに回転して周囲の死体を薙ぎ払った。

「レディに剣を振るってしまった……!」

「女性の遺体なら何十人も斬り倒して来たじゃないですか」

「そういう問題ではないのだよ!」

「そんなことより、ひとまずここを離れよう」


 エリシュは警備の手薄な入り口を探して礼拝堂の敷地を一周する途上で、遠目にも白い長身がよく目立つルミラを見つけたのだった。スクウェアの街は動く死体だらけで、その中には市街地を占拠していたと思われる帝国兵や聖堂騎士の死体も混じっていた。ヴェルテクス卿を助けに来た聖堂騎士の言っていた通り、天蓋付きの馬車が礼拝堂の裏口に停めてあったが、肝心の馬はなかった。周辺には大勢の亡者がうろついており、これ以上は進めそうにない。エリシュの腰には最後の手投げ弾が残っているが、これはもう一度敵陣を突破するときのために取っておきたかった。

「私の馬もあいつらにやられてしまった。亡者どもはなぜ襲ってくるんだ……生ある者が憎いのか?」

「どうなんでしょう」

「ま、誰でも寝ているところをむりやり起こされては、いい気分はせんだろうさ。ルミラ殿、これで分かったろう?スクウェアは数多の魂が眠る祈りの地なのだ。戦をするなとは言わん、戦はよそでやれ」

 説教はさておき、馬車が使えないとなると礼拝堂のあるスクウェア中心部から徒歩で街外れを目指すしかない。一行がその場を去ろうとしたとき、市街地側から武器を持った市民が駆け寄ってきた。

「人だ!騎士様だ!」

「悪魔だ!」

「僕ですか!?」

「待て待て、違う!その方は悪魔ではない!」

 農具や工具、拾った剣などで武装した彼らは、たまたま外出していて亡者に追われ帰宅できなくなった人々だった。死霊の宴が始まったとき、ほとんどのスクウェア市民が自宅や職場に立てこもったが、腕に覚えのある者や行方不明の家族がいる者など、一部の者達は思い思いの装備を手に屋外へ打って出て、帰宅困難者とともに生き残りを探し回っていた。三人は生存者達がバリケードを作っているという見通しの良い中央公園へ案内された。公園には大きな噴水があるので飲料水に困らない。要らぬ騒ぎを避けるため、ルミラは薄汚れた白いローブのフードを目深に被ってエリシュとともに遠巻きにヴェルテクス卿を見守ることにした。

「エリシュさん、ありがとうございます」

「その言葉は街を出るまで取っておけ。そこから戦場が見えるか?あちらでも何やら尋常ならぬ事態が起こっている」

 礼拝堂の向こうに巨大な剣が立ち上がり、ややあって地響きが中央公園を揺らした。ルミラは息を呑んだ。

「おお、この世の終わりじゃあ!」

「司祭様!お救い下さい!」

「司祭様!」

「皆の者静かに!皆の……ゴホン。皆さん、落ち着いて下さい。一連の現象はまぎれもない事実ですが、終末とは何の関係もありません。スクウェアは今、戦の渦中にあります。重要なのは冷静に現実を見つめ、これから何をするかということ、皆さんの勇気ある行動を神は祝福して下さるでしょう。息を大きく吸って……吐いて……。さあ、しばし祈りましょう」


 スクウェアの上空を覆う雲が途切れた。青空から地上へ幾条もの光の梯子がかかり、その下で瘴気を纏う巨大な骨格からもちらほらと光が漏れ始める。ネクロマンサーの操縦室の魔法回路に異状はなかったが、機体を包むパラディンゾンビの外骨格はぴくりとも動かない。

「何が起きた……死霊どもが浄化されたとでもいうのか?動けネクロマンサー、なぜ動かぬ!?」


「残存部隊、陣地転換完了!ここからならいけます!」

「今だ!仰角修正、残弾あるだけぶちこめー!!」

 ウェルスランド軍長距離砲部隊からの集中攻撃が脆くなった胸骨に大穴を開けた。つかの間、息を吹き返した巨体は生き残りの長距離砲を潰そうと膝をついて片腕を伸ばしたが、その手が砲兵陣地へ届く前に、無防備になったネクロマンサーの胸部装甲にスナイパーの追撃が突き刺さった。心臓を撃ち抜かれた骸の王は力を失って足元のメイジ部隊と聖堂騎士団を押し潰しながら崩落し、その衝撃で生じた砂嵐のごとき暴風が崩れゆくパラディンゾンビ達を粉々に吹き飛ばした。涙混じりに仲間の死体と剣を交えていた傷だらけのウェルスランド兵は、目の前の亡き戦友が剣を捨て、空を見上げて塵になるのを目撃した。戦場で、礼拝堂で、墓地で、市街地で、さまよい歩いていた死者達が立ち止まり、戦はもう懲り懲りだと言うように日差しの中へ霧散してゆく。中央公園では、フードを取ったルミラの視線の先で白く透き通るドレスの少女が天に昇っていった。

 その日、太陽に光の暈がかかった。その神秘的な現象は大気中に漂う微細な氷の結晶のいたずらに過ぎなかったが、人々の心に希望をもたらすには充分だった。恐る恐る屋外へ出たスクウェアの住人達は穴だらけの市街地を黙々と片付け始め、それからしばらくの間、教会を訪れる信徒が増えた。ヴェルテクス卿を裏切った枢機卿団のうち戦場に出ていなかった者達は、連名の告発状などそもそも存在しないと口を揃えて言い張り、帝国からの反論もないまま、ウェルスランド軍への破門宣告はうやむやになった。


          *      *      *


 大砲の弱点は雨である。多少の雨なら問題ないものの、火薬が湿気るほどになれば使用不能となってしまう。中立都市のスクウェアを補給に利用できないウェルスランド軍は、スクウェア近郊での戦いのあと連日続いた荒天のせいもあって次なる都市への速攻をあきらめ、ヘクス本陣まで後退して態勢を立て直すことにした。実験砲兵部隊の七体の魔鉱兵も点検修理のため大型兵器格納庫で整備台に並んでいる。

 夜更け、一日の作業を終えた魔術師団が解散したあとで遅めの夕食を済ませたスズが格納庫へ戻ると、常夜灯の揺らめく炎に照らされるプロトナイトの整備台の前に騎士エリシュが立っていた。プロトナイトの顔を見上げる背筋はぴんと伸び、スズの目から見てもかっこいい。毎日何を食べていればあんなに脚が長くなるのだろうか?今の自分の身長からでは十年経っても追いつける気がしない。

「あら、珍しい」

「やはり来たか。毎晩居残っていると聞いて、おまえを待っていたんだ」

「……決闘?」

「ははっ、そう警戒してくれるな」

「冗談です。で、どんなご用?」

「スズ、頼みがある。ウェルスナイトの起動実験を再開してほしい」

「もちろんいいですとも。でも今すぐには無理。森の民の都からウェルスナイトを取り寄せて、それからになりますね」

「そうか、ありがとう」

 格納庫をスズが一歩進むごとに、暗がりで膝を抱えていたパペット達が手前から順に立ち上がった。プロトナイトの整備台を寝かせる間に革手袋と工具ベルトを身に着け、短いタラップを登って機体に取り付く。

「しかし寝耳に水だわ。そりゃあ私としては嬉しいですけど……」

「今度の戦いで思うところがあってな。……邪魔でなければ作業を少し見ていてもいいか?」

「構いませんよ」

 エリシュの位置からスズの手元は死角のはずなので、今の台詞は二人きりで少し話そうという意味である。だがスズもまた話し相手に飢えていた。なにしろ戦いが激しくなるにつれ、牛馬のように任務をこなしては誰も彼も疲れきって寝てしまい、雑談をする余裕もなくなってきている。これは危ういことだ。


「魔鉱兵に乗りたいと思った理由は二つある。ひとつはレオナルドのことだ。私の使命はあの子の護衛だが、馬で足元を駆けずり回るだけでは敵の強力な魔鉱兵からあの子を守れない。もうひとつはルミラ殿だ。あいつはあいつなりに身体を張った。だから次は私の番だ」

「エリシュさん、もしかしてルミラに惚れちゃいました?」

 整備台の向こうからスズがひょっこり顔を出した。

「どうしてそうなる!?私はただ……私の言葉があの男を追い詰めすぎたのではと反省しただけだ」

「そんなこと言って、よそ見してると私がレオを取っちゃいますよ?」

「そうだな。私にもしものことがあったらレオナルドを頼む。おまえは唯一あの子と同郷の人間だ。……護衛を始めて間もない頃、『もしも戦いが嫌なら、イライザ様を説得して家へ帰らせてやってもいいぞ』と言ったら、レオナルドにこう返されたことがある。『その代償に命を捨てる覚悟があるのか?』とな。そのときはつい動揺してしまったが、今ならあの子のために命を懸けられる気がするよ」

「そういう言い方、嫌いだな……。魔鉱兵は棺桶じゃないんですから。ウェルスナイトが操縦者の命を守れなかったら、それは私の責任。鉱石魔術師のプライドにかけてエリシュさんを死なせはしません」

 スズは作業をパペット達に任せ、プロトナイトの胸部装甲に座った。

「だけど、お兄さんとの決着はエリシュさんご本人がつけるべきだと思います。私はあなたに協力する。だから、レオを巻き込まないで」

「なるほど。レオナルドを戦に縛りつけているのは、ルミラ殿も私も同じということか……」

「その点はルミラの下で働いてる私も同じね」

「レオナルドを守りたいという気持ちもな」

「私達、これからも良き恋のライバルでいましょう」

「……ああ!」

 ばらばらと雨音が響く肌寒い格納庫の屋根の下、スズは革手袋でエリシュの金属の篭手と固く握手した。

 実験用のウェルスナイトの到着はウェルスランド軍のヘクス滞在中に間に合ったが、エリシュの望みが叶うには帝国との最終決戦を待たねばならなかった。

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