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第八話 魔法都市スフィア

Ⅷ

 進軍を再開したウェルスランド本隊の行く手を次に阻むのは、スクウェア礼拝堂と並び大陸でも屈指の巨大な塔がそびえる魔法都市スフィア……のはずだったが、一行が目にしたのは銀色のドームだった。ドームは物理攻撃も魔法攻撃もいっさい受け付けず、調査に出たプロトメイジは周囲の風景を映す傷も曇りもない表面に触れた途端、魔法回路に異状をきたして倒れてしまった。

 スフィアは魔術師の街である。ルミラと魔術師団による検討の結果、これは街に設置された魔法鉱石製の巨大装置かドーム状装甲による、都市を丸ごと包み込むほどの非常に強力なマジックフィールドだろうという結論に達した。通常、魔鉱兵の周囲に自然発生するマジックフィールドはほぼ透明だが、出力が増すほど光の進路をねじ曲げる性質がある。スフィアのドームは力場があまりにも強すぎるために、光を全反射して鏡のように輝いて見えるのだ。


 突然若い女の声が聞こえ、ウェルスランド軍はざわついた。ドームが振動して声を発している。

「ウェルスランド王国の諸君、魔法都市スフィアへようこそ。こちらには交渉の用意がある。ただし、交渉役には騎士レオナルドを指名する。レオナルドの魔鉱兵は一体で来い」

 ルミラは頭を抱えた。


          *      *      *


「レオナルド殿をお連れしました」

「ご苦労様」

「早馬の支度が整っております。国王陛下へのご報告はいつ頃になりますでしょうか?」

「もう少しだけ待ってもらって下さい。事実をありのまま伝えれば、陛下は一兵卒の命ひとつで済むなら安いものと、レオナルドくんを差し出すでしょう。ですからその前に、彼に説明しておきたいんです」

 ウェルスランド兵が一礼して前線指揮所のテントを出てゆき、ルミラはレオに向き直った。

「ルミラさん。俺、行きますよ」

「そう焦らないで。結論から言えば僕も君に行ってもらうつもりです。ただ、敵の狙いがまったく読めない。プロトナイト一体を欠いたところで我が軍の勢いを止めることはできませんし、そもそもあんなに強力なマジックフィールドを発生させられるのなら、同じものを内向きに展開して本隊を包み込み、瞬く間に押し潰すことも可能なはず。なぜ回りくどい手を使うのか……」

「はぁ」

「そこで、あえて敵の誘いに乗ってみようと思います。大丈夫、決して君を置き去りにはしません」

 ウェルスランド本隊とともに大都市圏を直進する諸侯の軍隊は今や長蛇の列の大軍勢と化しており、一旦進軍命令を出せば、スフィアで異変があったとしても全軍を停止させるまでには何日もかかる。そういう事情もあったのだが、ルミラはレオを安心させるためにあえてそこまでは説明しなかった。ルミラはまた、魔法都市スフィアに関して現時点で分かっている限りの情報を……要するに観光案内のようなものを冊子にまとめてレオに手渡した。

 レオの任務はマジックフィールドの発生源の破壊および、それが不可能だった場合にルミラ達が外側から無効化する方法を見つけるまでの時間稼ぎだ。

「無理に相手を説き伏せようとしなくていいですから、なるべく話を引き延ばして下さい。……そうだ、君が内側へ入ったら直ちに通信魔法回路のテストを行います。呼びかけが聞こえたら応答して下さい。魔法攻撃を通さなかったドームですが、一応ね」


 数日後、ヘクス本陣のウェルスランド王からルミラの予想通りの返事が届き、それをもってスフィア攻略作戦が始動した。プロトナイトがドームにそっと触れると、その手はなんの抵抗もなく鏡の表面を貫通し、続いて腕、肩、胴体と頭がドームにめり込んだ。皆が固唾を呑んで見守る前で、レオは完全にマジックフィールドの中へと呑み込まれた。


 スフィアの街は荒天時の夕暮れのようなすみれ色の靄が立ちこめ、頂上付近が霞んで何層あるのかも分からない巨大な塔がドームにすっぽり収まっていた。ルミラがくれた観光案内によれば、この塔は大規模な総合研究施設を兼ねた大図書館で、ここを攻めることは膨大な知識の喪失を意味するため帝国さえも戦を避け、スフィア側に有利な条件で早期に同盟を結んだらしい。堀に渡された頑丈な橋を通り、開きっぱなしの街門をくぐると、プロトナイトが剣を抜くのを待っていたように六体のメイジが大通りを並んで前進してきた。前衛のナイトがいない?メイジだけ?レオは足元の建物を気にしながらパーシャルアーマーに防御を任せ、魔力の矢を乱射してくるメイジ部隊をマジックブースターの助けも借りぬまま強引に斬り伏せた。

 この程度なら朝飯前だが、妙だ。小手調べって感じがする。急制動をかけたとき、操縦席の裏で物の倒れる音がした。

「きゃあっ!」

「スズ!テントで寝てたんじゃないのか!?」

「あたた……こんな未知の塊、この私が放っておくわけないじゃない」

「帰るぞ」

 プロトナイトは街門へ取って返し、ドームの内壁に触れた。

「レオ、駄目!」

「があああああああああああああああっ!!」

 耳の石からの大音量のノイズで頭の片側に激痛が走る。全身の魔法回路にマジックフィールドからの過剰な魔力が流れ込み、プロトナイトは両眼から火花を散らして仰向けに倒れる……というより、弾き飛ばされてしまった。


 スズは操縦室が傾く寸前に背もたれにしがみついて転倒の衝撃に耐えたが、レオが目を覚ますまで苦しい姿勢でいるほかなかった。


「言わんこっちゃない。大丈夫?起きなさいったら」

「う、内側からは出られないのか……。どうしてスズは平気なんだ」

「それは私がプロトナイトの魔法回路に接続していないからよ」

「そうなんだ。って、きみは自分のしたことが分かってるのか?こっちから約束を破ったりして、みんなの命がかかってるんだぞ」

「敵はプロトナイト一体で来いと言っただけで、レオ一人で来いとは言っていないわ。もし詰め寄られたら、私が何とでも言い返してあげます」

「駄目だ。ここで待ってろ」

「いやよ!いーやーでーすー!」

 駄々をこねるスズには構わず胸部装甲を開放する。しかし、操縦室の外は足元も見えない完全な闇だった。ハッチを閉じるとスフィア市街の風景が復活し、ふたたび開けば目の前は一面インクをこぼしたように真っ黒。考えてみればドームは光を通さないのだから当然である。ではなぜ、魔鉱兵の目からだけ周囲が見えるのか?レオは溜息をついた。

「しょうがない。とにかく今降ろすのは危険そうだ」

「でしょでしょ?俄然興味が沸いてきたわ」


 プロトナイトは抜き身の剣を握ったまま大通りを進み、市街地を探索した。人の姿はまったく見当たらず、しかも遠近感がおかしい。スフィアの中心部にそびえる塔は近づくほどに巨大化して、遠景では劇場や教会と同じに見えた玄関の大きさは、なんとプロトナイトが通れるほどもあった。

 両開きの扉がゆっくりと動く。

「入るの?」

「魔鉱兵に乗ったまま調べられそうな建物は他にない。なんだか誘い込まれてるような気がするけど、それがルミラさんの作戦だ」

 ここが図書館なら、一階には受付や玄関ロビーがあるはずだ。ところがプロトナイトが踏み込んだのは、上下左右を巨大な正方形の石壁で塞がれた通路だった。背後で扉が閉じ、レオ達は塔の中に閉じ込められた。屋外からの明かりが失われると、今度は魔鉱兵の目を介しても周りが暗闇に包まれた。闇の中、石壁の四辺だけが次第にまばゆい白色光を放って際立ち、光の格子が奥へと奔って数ブロック先で左右に分かれた。おいおい……ルミラさんが用意してくれた冊子、もう役に立たなくなったぞ!?


          *      *      *


 前線指揮所では相変わらずルミラが頭を抱えていた。工兵部隊にトンネルを掘らせた結果、ドームは地面を貫通して地下深くまでも続いていることが判明したからだ。おそらくマジックフィールドはルミラの想像を超えたサイズの球体、これ以上掘り続けるのは時間と労力の無駄だ。収穫といえば、素手でなら意外とドームに触っても平気ということぐらいだった。

「ルミラ殿、入るぞ」

「エリシュさん!」

「殴られるとでも思ったか?何を今さら……」

「でも、僕はまた彼を捨て駒同然に!」

「例の声なら聞いた。仕方がなかったのだろう?一人で悩むな。私にできることを教えてくれ」

「……そうですね。では魔鉱兵部隊の皆を集めて下さい」


 奇襲を警戒して各々の操縦室で待機中のクレア、リム、ハスティ、アシュワ、ラタに声を掛けたエリシュだったが、野戦病院へ向かう途中、だいぶ取り乱した様子のスズの祖父の老魔術師に出会った。休息しているはずのスズを見舞いに来たところ、姿が見当たらないというのだ。皆の待つ前線指揮所へ大急ぎで戻った二人は、スズの身代わりにベッドに寝かされていたパペットが持っていた書き置きをルミラに手渡した。紙片には“レオは私が守る”とだけ書かれていたが、興味本位でドームの中へついていったことぐらいすぐに想像がつく。

 スズに対して後れを取った四人の少女とエリシュは“その手があったか!”と顔を見合わせ……ルミラはみたび頭を抱えた。


「通信が不可能なので中の様子は分かりませんが、僕達がまだ生きているということは、交渉が失敗していないということです。スズさんの存在が敵に露見する前に、マジックフィールドを無効化する方法を考えましょう。そうすれば、あとはこれまでと同様、長距離砲で敵の本丸に狙いをつけて降伏させるだけです」

「あの」

 ラタがおずおずと手を挙げた。

「スフィアの塔はお城じゃなくて、貴重な資料がいっぱいある研究所……ですよね?そこを砲撃したりして、魔術師の人達の、反感を買わないでしょうか……。ルミラさんがお決めになったことなら、従いますけど……私は……」

 ウェルスランド軍に志願するまで彼女はとある魔術師の邸宅に居候していたので、その辺りの事情に詳しいのだ。もっとも魔法都市スフィアはエリートの街であり、見習いごときが立ち入ってよい場所ではなかったが。

「塔への砲撃はあくまでも威嚇ですし、僕達は帝国の手に落ちたスフィアを解放しに来たわけですから、反感を買ういわれはありません。他には?」

「う~ん、ウェルスナイトはプロトナイトの量産型なんだから、さっきのプロトナイトみたいに壁を通り抜けられないかなぁ」

「ドームの中へ入る前提ですのアシュワ!?即座に交渉決裂してしまいますわよ!」

「プロトナイトとウェルスナイトはマジックブースター等のオプションの共用こそ可能じゃが、生産効率を高めるため、量産型の魔法回路は試作機と完全に同じではない。しかしながら……ルミラ殿、それに関連してわしから提案がある。よろしいかな?」

「どうぞ」

「調査初日にプロトメイジを吹き飛ばしたのは、すでに稼動しておる魔法回路へ外部からの魔力が干渉したことによる、機体と操縦者へのフィードバック現象じゃ。しかし魔法回路が空の状態の魔鉱兵であれば、マジックフィールドの魔力を吸い取ることで無効化……とまでは行かずとも、多少弱体化できるやもしれん。ただし、あれほどの効果範囲を持ちながら、あらゆる攻撃を遮断する強大なマジックフィールドじゃ。もって数秒、ドームに触れた機体は粉微塵になるじゃろう」

「戦力の喪失は避けたいですね……」

「それがの、あるんじゃよ。残余のウェルスナイトが」

 老魔術師はエリシュを見た。

「エリシュ殿のためにスズが発注した機体じゃ。事情は聞いとるが、使わせてくれんか」

「お孫さんの命には替えられません」

「かたじけない!」


 魔術師団の実験は予備パーツを加工した即席の小さな計測用魔法構造物をドームに接触させることから始まった。これを少しずつ大型のものへ取り替えてゆけば、魔法回路が破裂するまでの経過時間から、一体のウェルスナイトが何秒間耐えられるか、マジックフィールドを完全に消失させるにはウェルスナイトが何体必要かを予測できる。ところがスフィアを守る鏡のドームが放つ魔力は生半可なものではなく、計測不能のまま手元のパーツを使い果たしたところで中断を余儀なくされた。こうなったら次の補給を待つか、ぶっつけ本番でウェルスナイトを使ってみるしかない。

「厄介な頭脳労働をじじいにぶん投げおって……スズはあとできつく叱ってやらねばのう」


          *      *      *


「くしゅんっ!」

 背もたれの後ろから可愛いくしゃみとともに冷たい液体がレオの頭へ飛散した。

「鼻水!よしてくれよ、こんなときに風邪なんてさ」

「今のプロトナイトにはブレードダンサーを参考にした空調があるのよ?インクの蒸気を吸い込んだだけよ。そんなことより左、ひたすら左ね」

 光の格子で構成された色の無い迷宮はレオの視覚と方向感覚を麻痺させる。スズがメモ帳にマッピングしてくれていなかったら、交渉相手に会うこともままならずとっくに迷子になっていたかもしれない。スズの指示でプロトナイトが現在行っているのは“左手法”といって、時間はかかるものの、この種の迷路を確実に突破できる基本的な攻略法である。通路の左側の壁に手をついて、行き止まりだろうと十字路だろうと壁に沿って進む。そうすれば迷宮を一周して入り口へ戻るまでのどこかに必ず出口が見つかるというわけだ。これは右壁に手をついて進む“右手法”でも構わないのだが、今のプロトナイトは敵を警戒して右手に抜き身の剣を持っている。

「出口が柱の奥だったらどうするんだよ」

「そのときは右手法に切り替えるだけよ。通路と壁の位置は記録しているから、通ったことのない場所があればそのつど教えるわ。まずはダンジョンのアウトラインを把握しましょう」

「へいへい。気の長い話だな……」

「ぼやかないの!」

 外周をひと巡りしても出口は見つからず、プロトナイトは迷宮の中央付近にぽっかりと空いた未踏破区域の攻略に取りかかった。ここはただでさえ単調な十字路が繰り返しているエリアなのだが、不思議なことに地図と実景とで通路の構造が矛盾する場合があった。格子の正方形を数えてみると、まっすぐ進んでいるはずなのに迷宮のあちらの端からこちらの端までの直線距離を超えてしまう。これはおかしい。魔力で形を変える迷宮……そういう可能性もないではないが、それではマッピングが無意味になり、お手上げだ。

 スズは外壁に面した十字路で実験をしてみた。まず、十字路のブロックから目の前の通路の形を確認する。正面はT字路である。そのまま一歩後ずさって十字路を抜け、再び十字路に立ち入る。正面は隣の十字路へ続く直線である。つまり、十字路を通るたび何かが起こっている。

「レオ、十字路から踏み出さないように、隣のブロックの床へ剣を置いてみて」

「なんでそんなことを……敵が来たらどうするんだ」

「いいからやる!」

 レオは渋々剣を置いた。

「じゃ、さっきと同じように十字路から下がって、そしたらもう一度十字路に戻って」

 すると、先程まで正面にあった剣がプロトナイトの左手側のブロックの床へ瞬間移動した。いや、そうではない。正面の実景も変化しているからだ。

「やっぱり!私達の立っている十字路の中央の床が、右に九〇度回転したのよ」

「でも機体が右へ振られる感覚、なかったよな?」

「そうよね……。ともかく地図が無駄にならずに済んだわ。あとは試行あるのみ」

「まだやるのかよ!」

 剣を使った実験を重ねるうち、回転床は九〇度ずつしか回らないこと、回る方向は十字路ごとに一定であることが分かった。そうして回転床の特性を書き込んだ地図の一点に、無計画に歩いていてはたどりつけない通路が浮かび上がってきた。果たして、そのブロックに第二の扉はあった。


 扉の先は出口ではなかった。地図上では一辺がせいぜい数ブロックの小部屋のはずなのに、実際には広さも高さも何十ブロックという大部屋で、しかもここだけ光の格子ではなく、天井と床と四方の壁とが見覚えのあるごつごつした砂混じりの石で構成されている。これは、ウェルスランド王国の軍港の船着場だ。三体のナイトが部屋の向こうから剣を抜き放って突進してくる。ということは、この敵も……?

「レオ、扉が開いてる!馬鹿正直に戦ってないで逃げなさい!」

「うるさい、掴まってろ!」

 レオの予想は当たった。先走った一体の剣捌きは甘く、ここかなと思ったところに剣を構えておけば、相手の剣が予想通りそこへ吸い込まれる。残る二体のうち一体は玄人、たぶん隊長機だ。マジックブースターが起動し、輝くプロトナイトは初陣とは比べものにならない手際で弱い者から順に敵を片付けていった。機体が軽い。レオもプロトナイトも、あのときとは違う。

「俺が呼ばれた意味、なんとなく分かった……。もう一度敵を倒せってことだ。これは誰かさんから俺への試練なんだよ」

「誰かさんって、誰よ」

「さあ?」

「試練ねえ……誰だか知らないけれど、嫌がらせの間違いでしょ」

 三体のナイトを倒したプロトナイトの足元に宝箱が現れた。剣を鞘に収め、そっとつまみ上げて左手の上で蓋を開くと、柄に水晶が嵌め込まれた金の鍵が、絹のクッションの上に収まっている。大部屋では胸部装甲を開放しても周囲が真っ暗闇になることはなく、頼んでもいないのにスズが手のひらに跳び移って鍵を回収した。宝箱は鍵を取り出すと幻のように薄らいで消え、プロトナイトの立つ床が音を立てて上昇するとともに、その真上の天井がぴったり同じ正方形に口を開けてプロトナイトごと床を呑み込んでいった。天井裏にはまたも色の無い光の格子の迷宮があり、大部屋の床はそのスタート地点の床となって停止した。


          *      *      *


 ルミラが派遣した捜索隊とは別に、騎士エリシュは念のため辺り一帯を偵察したが、スズはもちろん帝国軍やノイシュの気配もなかった。本隊後方のウェルスランド兵の中には、足止めの原因が何なのか、最前線で何が行われているのか知らない者も多く、見張りに立ったままうつらうつらと船を漕ぐ兵士さえいた。無理もない、こいつらにとってレオナルドなど赤の他人なのだから。かつてはエリシュにとってもそうだったが、気づけば、かなりの月日をレオナルドと共に過ごしてしまっている。まさか自分の命と天秤に掛けるほどの存在になろうとは……。

 エリシュはドームへの砲撃実験の瞬間を見逃すまいと前線指揮所に戻った。


 スフィアの街を覆うマジックフィールドから魔力を逃がすにあたって、ウェルスナイトに操縦者が搭乗したままではプロトメイジの二の舞である。そこで銀のドームのぎりぎり直前までの操縦を“万一の事故が起きたとき失われるものの少ない”アシュワが引き受け、両手を前へ突き出した姿勢に固定したのち、ところどころに結び目のあるロープを使って機体から降りた(アシュワは開放した操縦室から下を見たとき少しだけ躊躇した。というのも、自分の身長の何倍もの高さを、風に揺れるロープ一本にすがって降りねばならなかったからである)。この状態で、後ろに整列した砲兵部隊の一斉射撃により背中を押し出すのだ。無人のウェルスナイトの装甲強度は単なる石造建築物と同じなので、砲弾が命中する箇所のみ、必要以上の衝撃から機体を守る使い捨ての防弾板が取り付けられている。

 ちなみに作戦会議では無人の魔鉱兵を別の魔鉱兵が突き飛ばす案も挙がったが、二体の間に予想外の魔法回路が形成されてしまう危険性を考えてルミラが廃案にした。


「照準よし、風向風速よし、発射準備完了」

「総員防御態勢!」

「撃てー!」

 ウェルスナイトの両手がマジックフィールドに接触した。たちまち全身の魔法回路に魔力の稲妻がみなぎってゆくが、鏡のドームは波のない水面のごとく澄み切って何の変化もない。その間に砲兵部隊は照準をドームの頂点付近に切り替え、ルミラの指示を待つ。マジックフィールドが弱体化したら、まずスフィアを占拠する帝国軍への警告として一発お見舞いするのだ。もちろん塔には命中させない。


「軍師殿、いつでもご命令を」

 パーシャルアーマーとマジックブースターが一瞬でフル稼動し、機体が浮上する。やはりドームに変化はない。


「軍師殿、魔鉱兵の様子が……!」

 ウェルスナイトの両眼が火花を散らし、膨大な余剰魔力が白い稲妻となって全身から放出される。これは平均的な操縦者の魔力ならば起こりえないことだ。しかしドームに変化はない。


「軍師殿、もうもちません!!」

 全身の装甲が白熱化する。無数の稲妻が機体を包むマジックフィールドの内側を這い、ウェルスナイトは今や白く輝く球体である。それでもドームに変化はない。


「仕方ないですね……全砲座、警告射撃開始」

「了解!構わん撃てーっ!」

 実際の街が見えないので、地図情報から推測されるスフィアの塔の頂上付近へ長距離砲からの砲弾の雨が降り注いだが、すべての砲弾がマジックフィールドに接触する寸前に勢いを失って力なくドームの曲面を転がり落ちていった。これではスフィア近郊への到着直後、対策無しにドームへ砲撃を加えたときと同じ、つまりウェルスナイトの存在など焼け石に水だったということだ。そして魔法回路がついに限界に達した哀れなウェルスナイトは、ルミラと魔術師団と渋い顔の将軍以下指揮官の面々が見守る前で超高温の火球と化して大爆発し、燃えながらバラバラに砕け散った。すかさず待機していた工兵部隊が消火のため出動する。


「“砲術師”殿、我々はもう待てない」将軍が言った。「長きに及ぶ立ち往生で兵の士気は駄々下がりだ。おぬしの仮説によれば、敵がマジックフィールドを応用して攻撃に転じる際、一瞬だけあのドームが消えるのだろう?その隙を砲兵部隊が狙えばよいではないか」

「おっしゃる通りです閣下。その場合、優先的に攻撃されるのはスフィアを通り抜けようとする本隊ですが、閣下自ら囮になって頂けるのですね?」

「そうは言っていない!」

「敵の狙いは我が軍の足並みを乱すことかもしれません。ここは国王陛下に現状を報告し、指示を仰ぎましょう」

「二言目には陛下陛下と……。ふん、おぬしの失態は逐一報告させてもらうぞ!」

 ルミラは国王への補給要請のついでに、城塞都市ヘクスから“ある人物”を呼び寄せることにした。


          *      *      *


 色の無い迷宮の各階層には、入り組んだ通路との相乗効果でレオ達を撹乱する魔法の仕掛けが用意されていた。謎を解いて扉へたどり着き、大部屋に配置された魔鉱兵を倒して宝箱から用途不明の鍵を手に入れ上階へ進む、それがダンジョンマスターの意図らしい。仕掛けはどれも意地悪だが必ず解法があり、吊り天井や槍襖や落とし穴といった殺意のある罠に通路で遭遇することはなかった。

 第二階層は出口のない数ブロック四方の小部屋から始まった。レオは手当たり次第に壁を叩いて隠し扉を探したが、仕掛けはそこにはなく、あるブロックへプロトナイトが到達した瞬間、部屋の形がまったく別のものに変わった。だが回転床ではない。さらに一ブロック進むとまたも部屋の形が変わり、一歩下がるとまたまた別の形に変わる。

「動き回って扉のある部屋を見つけろってことか」

「……」


 ときどき急に目の前に現れる行き止まりに頭をぶつけつつプロトナイトが無作為に探索するうち、部屋の形にパターンを見出したスズは、同じ形の部屋はひとつずつしかないと仮定して黙々とメモを取り、プロトナイトに全ての部屋の全ての床を踏ませたが、どの壁にも扉が出現することはなかった。

「レオ、剣を置いてみて」

「……あのさ、命令するだけじゃなくて理由を教えてくれよ。俺は馬じゃないんだぜ」

「じゃあ私が操縦するから、私の代わりにマッピングしてくれる?」

「そんな言い方ないだろ!俺は馬鹿かもしれないけど、スズと一緒に考えようって……はぁ、こんなんじゃ駄目だ。俺達疲れてる。急がなきゃいけないけど、休憩しよう」

 溜息をついた拍子にレオの腹が鳴った。


 プロトナイトの操縦席には多目的ポーチがあり、長時間の作戦行動に備えて保存食が格納されている。何の味もしない焼き菓子だが、よほど空腹だったらしくもりもり食が進む。レオはこれを等分し、葡萄酒の水筒には口をつけずに栓だけ開けてスズに手渡した。

「ありがとう。私も言い過ぎたわ。あのね、ここの仕掛けは部屋の形が変わる罠ではなくて、瞬間移動の罠だと思うのよ」

「瞬間移動?」

 スズはレオに手描きの地図を見せた。

「このフロアには連絡通路のない小部屋が点在していて、私達は魔法のかかった床を踏むたび部屋と部屋を行ったり来たりしているんじゃないかと考えたわけ。今いる部屋のこのブロックと、こっちの部屋のこのブロックは繋がっているはずだから、行って戻ったとき剣を取り戻せたら証明できるでしょ?」

「剣を取り戻せなかったら?」

「仮の話よ」

「じゃあ仮に証明できたとして、それが何になるんだ?」

「有限の時間で出口が見つかるってこと」


 プロトナイトは再起動した。スズの推測は当たっていたが、この階層にはもうひとつ謎が隠されていた。ワープポイントを踏む順序である。部屋によってはワープポイントとワープポイントが隣接していて一歩のミスで最初からやり直しになる配置もあり、レオは大部屋に至る十数手ものあいだ移動に気を遣わなくてはならなかった。最後の床を踏むと、プロトナイトは海水の中に放り出された。


 石膏像のような白い装甲を持つ水陸両用魔鉱兵クラーケンは、海賊船を襲ったときと同じ装備に加え、両手で三叉槍を構えている。背中の巨大構造物の六枚のヒレがせわしなく水を掻いて機動を制御し、近くを通過しただけで激しい水流が渦を巻く。マジックブースターが停止してしまったプロトナイトは敵の見た目にそぐわぬ圧倒的なスピードと運動性に翻弄された。

「あいつだ……!」

「なにやってるのレオ、楽勝でしょ!」

「今さら怯えやしないけど、機体がいうこと聞かなきゃさ……っ!」

 オウムガイの殻口から射出された幾条もの銛がプロトナイトの脇をかすめる。そのうちの一条が片脚を絡め取り、レオは敵の懐中へとみるみる引き寄せられていった。三叉槍の穂先が胸部装甲を捉えたとき、パーシャルアーマーが作動して操縦席が大きく前後に揺さぶられた。だがマジックブースターは起動しない。水圧でマジックフィールドの抵抗力が相殺され、魔力のリソースを奪っているのだ。

「わざわざ俺の間合いで戦ってくれてぇ!」

 頭の後ろから背もたれにしがみつくスズの悲鳴が聞こえる。三叉槍を剣でいなすと隙はすぐに見つかったが、敵の胴体の奥にぼんやりと光る人影を感じてレオは躊躇した。分かってるよ、殺せるもんならもう一度殺してみろっていうんだろ?

「俺は、スズを守る!」

 プロトナイトが胸部装甲に剣を突き刺すとクラーケンは静かに水の中へ溶け、大部屋から海水が引いた。宝箱に収められた金の鍵の柄の、サファイアの青を残して……。


          *      *      *


 ウェルスランド王からの指示は、諸侯の騎士団による帝都包囲網の形成が遅れているので本隊はもうしばらくスフィアで粘れ、というものだった。スズの一件について言及はなく、補給部隊の荷馬車に先んじてルミラの要請どおりの物資を約束する明細書と、ヘクス城で保護していた女楽士メルとが前線指揮所へ急ぎ送り届けられた。盲目のメルはクレアに手を引かれてテントをくぐった。

「クレアさん……いえ、女王陛下。メルさんの反響定位の力をお借りしたいのです」

 反響定位とは、自分が発した音の反響を手がかりにして周囲の物体の形や大きさを感じ取る能力のことだ。夜行性の獣や虫、水中に棲む生き物などが持つこの能力は訓練次第では人間も習得可能であり、生まれつき目の不自由なメルもまた日常的に使いこなしている。ドームに遮られて見えないスクウェア市街の様子を探ることができれば……。

「あのドームにメルを近づけようというのか、貴様は!マジックフィールドに触れたウェルスナイトはどうなった!」

「畏れながら、人の手で触れるなら安全という報告が工兵部隊より入っています。僕も何度か触ってみましたが、ご覧の通り平気です」

「ルミラ様、残念ですがメルではお力になれないと思います」

 一同の視線がメルに集まった。

「メルの耳はごく限られた範囲の状況を知るのが精一杯で、例えば、この天幕の外で竪琴を掻き鳴らしたとしましても、その音の響きからヘクスのお城の形が分かるわけではございません。よく人に魔術かなにかと誤解されるのですが、メルは普通の方々が視力を使って見ておられるものを、別の方法で感じることができるだけなのです」

「面目ない。わざわざ本陣からお呼び立てして、僕の勘違いだったとは……」

「メルのことなら事前に私に訊けばよかったものを」

「そうするべきでしたね」


「ところで、お話ではドームから女性の声が聞こえたのですよね?それは、どのように?」

「ドームが振動していましたね……?あ、なるほど!」

「いやいやお二人とも、大砲の集中攻撃を浴びてさえ衝撃を相殺してしまうマジックフィールドじゃぞ?こちら側から振動させるとなれば大規模な……」

 言いながら、老魔術師は懐から取り出した古い手帳をめくって記憶の糸をたぐり始めた。

「振動を相殺……無効化……これじゃ!ルミラ殿、対抗呪文を試してみんか」

「“反響定位”の次は“対抗呪文”?難しい言葉がほいほい出てきてついていけない。あたし、この場にいていいのかな」

「大丈夫、私もめまいがしてきそうだから。私達が具体的に何をすればいいかだけ、ちゃんと聞いとこ」

「リムさん、アシュワ、対抗呪文……っていうのは、呪文を打ち消すための呪文のこと……。詠唱は簡単、相手の呪文を逆さに唱えるだけ……」

「うむ。それを魔法回路で再現する」

「予備パーツの到着は数日後ですよ?」

「そんなものでは済まん。魔法鉱石で構築しようとすればの。じゃが、そもそも魔法鉱石とは“魔法回路を刻んだ鉱石”というだけであって、ある程度の耐久性を持ち、なおかつ加工に適した鉱物ならわりとなんでもよい。さらにいえば鉱石でなくともよい。パペットがそうであるようにの」

 老魔術師の計画はこうだ。魔法都市スフィア周辺の地面にぐるりと魔法回路を刻むことで、マジックフィールドへの対抗呪文、アンチマジックフィールドを発動させる。魔力の源はマジックフィールドそのものである。ただし、魔法回路が完成した瞬間にドームからの途方もない魔力が流れ込むことになるので、どこか一箇所に過負荷がかからないように掘削作業を分担して、完成のタイミングを厳密に合わせなくてはならない。人手では気の遠くなるような重労働だが、幸運にもウェルスランド軍には適任者がいる。……そう、五体の魔鉱兵だ。


          *      *      *


 正面の通路の奥に扉がある。スタート地点からいきなりゴールが見えるのなら、数ブロック先で左右へ分かれる道は何なのだろう?怪しい。明らかに怪しいが一本道は進むしかない。プロトナイトが十字路のブロックに入った瞬間、機体が右に流れた。すさまじい速さで光の格子の縦線が何本も何本も左へ遠ざかってゆき、同じ勢いで右から壁が迫る。レオは壁に激突する前に伸ばした両手でどうにか踏ん張ろうとしたが、それより早くマジックブースターが始動した。

「も、ど、れぇーっ!!」

 壁に背を向けて全速力で滑走する。燦然と魔力の後光を放つマジックブースターの出力はこれまでになく最大だが、それでも魔法の仕掛けにはかなわず、結局プロトナイトはレオの心が折れるまで一ブロックたりとも来た道を戻ることができずに静止した。

「はあ、はあ、今度は何なんだ」

「進める方向が決まっている床ってところかな……。いま通った道と直角に伸びるあっちの通路の先をいろいろ迂回して、さっきの十字路の反対側の通路までたどり着けたら、出口へ通じる道に入れるのよ。他に脇道は見えないから……うん。間違いないわ」


 探索を進める前に、スズは通り過ぎた格子を数えて地図にそのぶんの直線を描き込んだ。それから二人は一方通行の床に乗るたび一緒にブロックの縦線を目で数え、通路の一部が曲がり角の向こうに隠れて距離を再確認できない場合に、機体が止まってから答え合わせをしたが、レオの答えがたいてい地図上の距離と矛盾していてもスズは咎めなかった。第三階層の攻略は慣れてしまえば今までよりもスムーズに進んだ。一方通行の床が次の分岐点までプロトナイトを運んでくれるからだ。ただし、魔法の床の抵抗力は定められた進行方向以外のすべての向きへの運動に対して働くらしく、強制移動中に分かれ道が見えても飛び出すことはできなかった。

 さて、このフロアの攻略の鍵を握るのが、“ダンスホール”とでも呼ぶべき広い空間である。このホールの床は全面が複雑に絡み合った一方通行で、ひとたび足を踏み入れればプロトナイトはなすすべもなく前後左右に何ブロックも移動させられ、気がつくとホールの外にいる。中央付近で突然静止することもあったが、その場合も四方の床のどこへ踏み出すか選択を誤ればたちまちホールの外へ追放され、再挑戦するには通路を大きく迂回して来なくてはならなかった。地図に矢印を書き込みながら試行錯誤するうち、一度も入ったことのない通路へ至る正しいルートが見えてくる。無事ホールを切り抜けた後は、お疲れ様と言うように単純な一方通行の床が機体を最初の十字路へと運んでくれた。

「あの広間の仕掛けを考えた人、天才だけど正気じゃないわね」

「スズも細かい回路と格闘してるんだろ?」

「どういう意味よ。同類だって言いたいの?」

「魔法回路とさっきの部屋、似てるなってこと」

「そうね。ひょっとすると塔そのものがマジックフィールドを発生させる巨大な魔法構造物なのかも……」

「そういうものは破壊しろってルミラさんに言われてるけど……。まあ、出られない以上は考えたって仕方ないな」

 十字路の魔力は消失していて、プロトナイトは最初から見えていた扉にようやく到達できた。今度の大部屋は、フェリア風の神殿の柱を模した装飾が等間隔に並ぶ砂色の空間だ。


 ジャイアントケペシュの三日月型の刃を伸展させ、カニス将軍のソードマスターはプロトナイトと同時に足元の砂を巻き上げて浮上した。

「なによこれ、今までに倒した強敵といちいち全部戦わなくちゃならないわけ!?」

「すぐ済むから黙ってろ!舌を噛むぞ!」

 大上段から振り下ろしたジャイアントケペシュが砂を割り、砂塵の壁がプロトナイトの視界を塞ぐ。構わず突進して間合いを詰めたつもりのレオだったが、ソードマスターの姿はそこにはなく、死角からの強烈な横薙ぎが背面装甲を直撃した。パーシャルアーマーとマジックブースターの強力なマジックフィールドがなかったら機体は腰から真っ二つだっただろう。背もたれに叩きつけられたスズは胃袋の中身をレオの頭上へ全て吐いた。

「ああ、もう!急に強くなりすぎだろ!」

 違う!俺が油断したからだ。あのおじさんが生きてるはずないけど、こいつの強さは本物と同じ……!レオはプロトナイトに不規則な回避運動を取らせつつ、ここに座れと吐瀉物まみれの膝を指差したが、涙目のスズが動こうとしないので腕を掴んで操縦席へ引きずり込んだ。血を吐いた様子はなく、呼吸もちゃんとしている。骨折があるかどうかは分からない。

「大丈夫か!?」

 レオの肩をしっかりと抱いた腕が答えだった。

 ソードマスターの猛攻によって壁際まで追い詰められたレオは、敵の得物が長すぎるために部屋の角だと柄を短く持たなければならず、横方向の遠心力を最大限に活かせないらしいことに気がついた。おもむろに納剣し、プロトナイトを突き刺そうとする相手の勢いを利用して左手で柄を引っ張る。そして前へよろけたソードマスターの顔面に右拳を叩き込んで殴り飛ばしてから、間髪入れずジャイアントケペシュを両手に持ち替えて、縦に一八〇度振り抜いたとどめの一撃で胴体を両断した。


 砂の中から現れた宝箱には、柄に琥珀の嵌め込まれた金の鍵が入っていた。吐瀉物をぬぐい落としに行きがてら鍵を回収したレオは、スズを背もたれの後ろに立たせるわけにもいかず、一旦操縦室の冷たい床に座らせておいて、ハーネスを締めたあと再び横抱きにした。酸っぱい臭いに混じって別の臭いが鼻を突く。

「スズ、ちびったろ」

「……ごめん」


          *      *      *


 通常、マジックフィールドは稼動中の魔法回路の周りに自然発生するものだが、対抗呪文が分からなくとも理論上はパーシャルアーマーを無効化するような魔法回路を組めばよい。その寸法と回路図は魔法都市スフィア周辺の地形に応じて魔術師団が慎重に設計し、五体の魔鉱兵に合わせて五セットがドームを囲む花びらのように配置されることになった。地面の掘削にはウェルスナイト用の予備の剣を使う。剣は消耗品なので在庫に余裕があるのだ。

 ブレードダンサーとスナイパーと三体のウェルスナイトがそれぞれ五地点で設計図に従い大人の身長ほどの深さの溝を掘ったら、そのあとを工兵部隊が仕上げてゆく。都市は途方もなく大きく、ドームのあちら側とこちら側との距離ではさすがの通信用魔法鉱石も役に立たないので、リムのスナイパーに老魔術師が同乗して、手順通りに一定の図形を描くたびアルバレストから信号弾を上げ、全部隊の作業を同期させるしかない。応答側には砲兵部隊が一門ずつ随伴している。

「ねえおじいちゃん」

「なんじゃ」

「こんな面倒臭いことするぐらいならさ、みんなで一セットずつ完成直前まで仕上げてから、五手に分かれて最後のひと掘りをするほうがよくない?そしたら信号弾も一度で済むし」

「お嬢さん、これは囮作戦なんじゃよ。わしらがどこか一箇所に集中しとるところを狙われたら魔鉱兵部隊は一度で全滅じゃが、分散しておれば反撃の時を稼げる。わしらの目的はマジックフィールドを解除させること、敵が攻撃のために防御を解けば魔法回路が完成すまいと我が方の勝ちじゃ」

「あー……地味だけど敵の動きを封じながら攻撃してるってことか」

「完璧な作戦じゃろう」

 第一フェイズ完了を告げる四つの空砲が鳴り響いた。競争ではないので、四門の大砲は互いの爆音が重ならないように譲り合いながら発砲している。それを待ってリムが第二フェイズ開始の合図を垂直発射し、次の図形を描く作業が始まった。


 発煙弾が空に尾を引く様子は前線指揮所からも見えた。ルミラはテントの外でメルに状況を説明していたが、ちょうどエリシュが何度目かの見回りから帰ってきたので同じ説明を繰り返すはめになった。

「あの子達を囮に……ルミラ殿の考えそうな策だ。メル殿は何とも思わないのですか?」

「心配ではありますが、姫様のお心のままに従うだけです」

「そうですか……。で、ルミラ殿。いつまでかかる」

「休憩を含めて三日前後、三十フェイズで終わる予定です」

「急いだ方がいい。敵の面前でこれほど好き放題に動き回れるというのは、不穏だ」

「メルもなんだか胸がざわざわします」

「それはあなたの寒そうな服装のせいでは?」

「確かに空模様が怪しくなってきましたね……」


 掘削作業が第四フェイズまで進んだときのことだった。折からの小雨は老魔術師の願いもむなしく勢いを増し、ついに土砂降りとなった。各地点の魔鉱兵と工兵部隊はそれでも溝を掘り続けたが、大砲が使えなくては第五フェイズに進めない。のみならず泥水が未完成の魔法回路に溜まり始め、砲兵陣地の仮設テントへ皆が退避している間に完全に泥で埋まって半日の作業は無に帰してしまった。

「やむをえん、この地面のぬかるみようでは雨が止んだとてまともに掘れまい。作戦失敗、撤収じゃ」

「了解。雨だから発音弾に切り替えるね」

 スナイパーの左肩のアルバレストの給弾機構が鏃に空洞のあるボルトを選択した。このボルトが風を切って飛翔するとき口笛のような甲高い音を発し、聞き違いを防ぐため異なる二音ないし三音の組み合わせによってひとつの暗号を表すのだ。昼間の発煙信号、夜間の発光信号、雨天の発音信号、これら三種の信号弾と戦闘用の炸裂弾がアーチャータイプの基本装備である。

「わしはもう万策尽きた……老いぼれの頭ではここまでが限界じゃ。あとは術者のスタミナ切れに賭けるしかない」

「おじいちゃん、あたし達よくやったよ」


 上空の黒雲を映す鏡のドームは大量の雨水に洗われながらも、相変わらず本物の物体のように厳然と存在している。信じがたいことだが、あれは金属でも岩でもなく魔術に伴う現象、単なる力場にすぎないのだ。無限とも思える力を発揮し続ける魔術師が、たかが数日でスタミナ切れなど起こすだろうか?降り止まない雨の中、スナイパーは立ち尽くして仲間の帰りを待った。


          *      *      *


 プロトナイトを乗せた床のリフトが第四階層に到達した。スズはもうケロリとしていたが、膝の上のゲロ臭い特等席から降りようとはせず、マッピングと操縦をレオに任せて休むあいだルミラの観光案内に目を通していた。今度のフロアは短い通路と曲がり角が繰り返す一階に似た構造なので、しばらくは左手法で進めそうだ。

「魔法都市スフィア、教育機関や研究機関が集まる大陸随一の学問の中心地。領主はおらず、市政は市街中央にそびえる塔にて魔法学会の長たる塔主が執り行う。宗教都市スクウェアとは古代史解釈や禁呪指定などを巡って事あるごとに対立している……。こんな当たり前の情報、ルミラは交渉の何に役立つと思ったのかしら。教えておくなら街に入った帝国軍の兵力とか、交渉相手の指揮官についてでしょ」

「塔は何階建てだって?」

「二十階」

「うんざりするな……」

「そう?私は結構楽しんでるけど。こんなことにでもならなきゃスフィアに来る機会なんて一生なかったし」

「宮廷魔術師でも?」

「スフィアの図書館で本を読みたかったら、大陸の有力な魔術師にコネがないと駄目。『ウェルスランド王国のお抱え魔術師でござい』なんて言ってみなさい、田舎者と鼻で笑われて門前払いよ」

「ふうん、いろいろあるんだな」

 田舎者か……。レオは自分も同じだと思った。もし戦がなかったら海を渡るどころか王都へ出掛けることすらなく、王様の家臣のイライザ様のそのまた家臣の下っ端騎士として、狭い世界で生涯を終えていただろう。

「俺さ、きみと初めて会ったとき、女の子っていい匂いがするんだなと思ったんだ。情けないけど、エリシュさんやスズやクレアやリムの甘い香りに釣られてここまで来ちゃったんだな」

「きゅ、急に何を言い出すのよ」

 プロトナイトは頬を掻いた。

「何度も死にかけたり辛い目に遭ったけどさ、俺、それでもスズに会えてよかった」

「……はぁぁーっ!?」


 光の格子が唐突に途切れた。しかし行き止まりというわけではなく、闇の中へ慎重に左手を這わせてみると確かに壁が続いている。格子のないブロックではハッチを開けようと開けまいと自機を含めた外の様子は全く見えず、そこだけインクで満たしたような暗黒の空間をレオは手探りで進むしかなかった。これこそが第四階層の魔法の仕掛け、ダークゾーンである。移動する方向が制限されないという点では下階までの仕掛けよりも簡単だが、ダークゾーンを何ブロック進んだのか、光の格子の数に基づく距離が分からないため正確な地図を描くことができない。

「弱ったな。曲がり角のある地点は少なくとも外壁二ブロック、床一ブロックのはずだから、それだけ記録しておくしかないか。距離は一階と同じ要領で、ダンジョンの外形から矛盾を排除していけば割り出せる。だよな、スズ……スズ?」


 スズの頭の中では森の都の城を囲んで歌い踊った甘ったるい愛の詩が駆け巡っており、それ以外の思考はすっかり消し飛んでいた。彼女が正気を取り戻したのは、ダークゾーンの扉を不意に押し開けたプロトナイトがバランスを崩したせいで、危うくレオの膝の上から振り落とされそうになったときだった。


 大部屋の中は床から天井まで植物が鬱蒼と生い茂る夜の森である。光源のない魔法の月明かりが部屋の中央を照らし、その光のステージに白銀のアークナイトが現れ、次の瞬間視界から消えた。

「速い!?」

 レオはとっさに振り返って背後のアークナイトの剣を剣で受け、全速力で後退した。壁を背にしていれば後ろを取られることはないからだ。だがアークナイトの目にも留まらぬ剣捌きがプロトナイトを責め立てる。こいつには一度勝ったはずなのに、マジックブースターの性能のおかげだったっていうのか……?

 アークナイトの武器は剣だけではない。渾身の後ろ回し蹴りがついにプロトナイトの剣を撥ね飛ばし、レオは両腕を胴体の前でクロスさせて猛攻に耐えるだけになった。攻撃を受けるたび前腕のパーシャルアーマーに稲妻が走る。

「機体が重すぎる!もうもたない!」


 スズはレオの横顔を見つめていた。奥歯を食いしばり、必死でスズを守ろうと戦う姿は、海賊船から放り出されそうになったあのときと同じだ。


「レオ、くじけちゃ駄目!」

 肘掛けの先端の石の半球を握り締めるレオの左右の手の甲にスズが手を添え、機体後方にマジックブースターの後光が輝くとともに発生した衝撃波がアークナイトを吹き飛ばした。ゆっくりと浮上したプロトナイトが両腕を開くと、向かい側の壁に激突したアークナイトは強力なマジックフィールドの圧力でへこんだ壁面に押し付けられながら、全身の銀の装甲を潰されて完全に沈黙した。

「ふふん、私のプロトナイトをいじめるからよ」

「二人で起動するとこんなことになるのか……」

「そういう設計じゃないから、あまり使いたくはないわね。それよりレオ、宝箱」

「へいへいお嬢様」

「待って!当ててあげましょうか。次は緑の鍵でーす!」

 四つ目の鍵の柄の宝石はスズの予想通りエメラルドだった。剣を拾い上げたプロトナイトが月光を浴びると、正方形の床ブロックが森の下生えごと機体を天井裏へ持ち上げていった。


「こういうの、最高に燃えてくるわ……。受けて立とうじゃない」

 スズはレオからメモ帳をもぎ取った。第五階層には、回転床、ワープポイント、一方通行の床、ダークゾーンの四種の仕掛けが疲労と錯誤を誘うように念入りに混在し、壁に手をつけない暗黒の広間のど真ん中へ強制移動させられたあげく、その終点が回転床だったり、回転床の前後左右のブロックがワープポイントで囲まれていて、機体の向きが変わったことに気づかぬままうっかり踏み出した一歩でそれまでの攻略が台無しになることもあった。嫌がらせにもほどがある!

「迷路も厄介だけど、これ以上敵が強くなるのは勘弁してもらいたいな。十五階も残ってるんだろ?俺達をおちょくるような真似してさ、敵は本当に交渉する気があるのかな?」

「大丈夫、おそらくここが最後だと思う。レオの言う通り、これは試練。アホは来るなってことなのよ。この私が紛れ込んだのが運の尽きだったわね」

 それきりスズはレオの愚痴に耳を貸さず、最後の扉を発見するまで最低限の指示だけ出しては、メモ帳の地図に魔術師が使う省略文字でびっしりと注釈を書き込み続けた。推測に推測を重ねて最善の一歩を決定するための変数が三つ四つになれば、レオにはもうついていけない。スズがいるからとんとん拍子で進んでいるものの、元々一人で来るはずだったんだよなと考えると、出口の見つからない迷宮の奥で助けも呼べず、腹を空かせて途方に暮れる自分の姿が脳裏をよぎって少し背筋が凍った。


 非常に小さな金の鍵穴がある出口の扉は、長い一本道の通路の半ばにぽつんと存在した。そして、その反対側の壁面に、プロトナイトの目では見落としてしまいそうなほど小さい光の文字でたったひとこと、こう記されていた。


“答えはお前の心の中にある”


「青よ」

「即答!?こんなの一本ずつ試していけばそのうち鍵穴に合うだろ」

「正解以外の鍵で扉が爆発でもしたらどうするの」

「青が正解だっていう根拠があるのかよ」

「レオ、ひとまず私の意見を聞いて。そのうえでじっくり考えてからでも鍵を挿すのは遅くないわ」

 スズは手元の四本の金の鍵を手のひらの上で入手順に並べ、一本ずつ指差しながら説明した。

「私達が辿った道筋は、それ自体がヒントだと思うの。大部屋で戦った相手と、そのときのシチュエーションを思い返してみなさい。ウェルスランドの港と、海と、大砂漠と大森林で、それぞれあなたが倒した魔鉱兵だったでしょ?だからこの四つの鍵は水晶がエリシュさんで、サファイアが私で、琥珀がクレアで、エメラルドがリムに対応しているのよ。それで“答えはお前の心の中にある”っていうのは……意中の……」

「何だって?」

「……誰が好きかって意味よ!私の目の前で青以外を選ぶ度胸、ある?あるなら反論してみせなさい。以上終わり!!」

 独りよがりな連想とも思えるが、敵は明らかにレオしか知らないはずの情報を知っているようだし、理屈はともかく心を読まれている可能性はありえない話ではない。でも、何のため?それに気になる女性なら四人の他にもいたはずだ。あるいは女性でなく、今まで戦った敵のうち誰が手強かったかとか、誰を信頼してるかとかだったり……?レオはスズの手から鍵を取り、自分の手のひらの上で並べ替え始めた。

「どうしたの?」

「鍵を挿す順序が関係あるんじゃないかと思って。正解が一本だけとは限らないよな」

「そうね……あるいは四本ともフェイクで、あの壁の言葉にこそ真の答えが隠されているのかも」

「“答えはお前の心の中にある”か。そもそも、これは俺一人に向けた謎かけ……俺だけで解けるはずなんだ」

「青よ」

「う~ん……」

「ぜったい青よ」

「いや……答えはこれだ!」

 レオは四本の鍵を握り締め、機体を半回転させて扉の反対側の壁面の光る文字に回し蹴りを叩き込んだ。すると文字の刻まれていた壁に光の亀裂が走ってガラガラと崩れ落ち、砂埃の向こうに一体のメイジタイプが佇立しているのが見えた。そこは塔の屋上であり、スズが振り返ると背後の迷宮は跡形もなく消失していた。レオの手の中の鍵も消えていた。

「壁を壊して進めたら楽なのにって、ずっとじれったかったんだ。“答えはお前の心の中にある”……こういうことだろ」

「うそ、魔鉱兵の身長でとはいえ、まだ五階ぶんしか登っていないのに……!」

《ここはハイパースフィア。魔法都市スフィアを別次元の同座標に複製したものじゃ。距離も形も大きさも、すべてわしの思うがままなのじゃよ》

 マジックフィールドのドームを発生させる紫のメイジタイプ、魔鉱兵アークメイジの手前に置かれたテーブルセットから、紫のローブの少女が立ち上がった。見た目の年頃こそスズと変わりないが、体格は子供、体型は大人という、ちぐはぐだが、ある意味バランスの取れた容姿で、その顔は……。

「母さん!?」


「レオのお母様ってあんなに童顔なの!?」

「母さんがスズぐらいの歳だったら、ああいう感じかな」

 スズはレオと足元の少女の顔を何度も見比べた。操縦室からでは遠くてよく見えないが、目元から鼻筋にかけての印象と前髪の癖毛が確かに似ているような気がする。声質もそっくりだ。ドームから声が聞こえたときレオは気づかなかったのだろうか?

《わしは帝国軍四天王が一人、魔女マリー。お前のひいひいひい婆さんじゃ。レオナルドや、顔を見せておくれ》

 プロトナイトの胸部装甲が開いてゆく。

「なにやってるのレオ!」

「俺じゃない、勝手に動いてるんだ!」

 背もたれの裏へ隠れる隙もなく、レオの膝の上で脚をばたつかせてもがいているうちにスズは敵の面前に身を晒してしまった。


「早かったなレオナルド。なかなかよいものを……ふふ、見せてもらったぞ」

 マリーは耳たぶに触れてみせた。レオの耳の石を通して会話が丸聞こえだったのだ。マリーの強大な魔力をもってすれば、通信魔法回路など使うまでもなく魔鉱兵ごしに相手の耳の石に干渉できる。その気になればレオに話しかけることさえできただろう。

「笑いごとか!スズも俺もボロボロなんだぞ、安全な場所から人をいたぶっておいて何が交渉だよ!」

「そういうお前こそ、わしの提示した条件に違反しておるように見えるが?」

「いいえ、あなたはプロトナイト一体で来いと言ったけれど、レオ一人で来いとは言わなかった。私は交渉役のレオを助けに来ただけ。実力行使をするなら、プロトナイトがあなたを倒します」

「できるものか」

「やってみなければ分からないわ」


 スズは冷や汗まみれの震える手でレオの手を握った。必要以上に挑発してはいけないのにマリーを敵と認識してしまっているのは、この少女には天地がひっくり返ってもかなわないと心のどこかで悟っているからだ。圧倒的胸囲差のことではない。マリーの言うことが本当なら、スズの祖父の倍以上の歳月を生き続けていることになる。プロトナイトの足元で異常な気迫を放つマリーから、ふと少女らしい笑みがこぼれた。

「……よろしい、くだらぬ余興に付き合わせてすまなんだ。交渉を始めよう」

 マリーが中指を親指の腹で滑らせてパチンと鳴らすと、汚物まみれだった二人はたちまち清潔になり、操縦室からも汚れと悪臭が消えた。


 二体の魔鉱兵が対峙する薄暗い塔の屋上で、テーブルセットにスズの椅子が追加された。椅子を運んできたのは全身甲冑の騎士だが、これはどうやらパペットの一種で、中に人は入っていないようだった。

「マクシミリアン、お二人に茶をな」

 甲冑は一礼して下り階段へ向かった。

「失礼ですが、本題に入る前に教えて下さい。あなたは本当にレオの……ひいひいひいお婆様なんですか?」

「そうじゃ。と言っても信ずまいな」

「その身体でレオのひいひいお爺様か、ひいひいお婆様を産んだの?何百年も前に!?」

 スズは思わず身を乗り出し、自分の胸をまさぐった。

「ルミラさんが言ってたんだけど、俺の五代前の高名な魔術師って、この人のことなんじゃないかな」

「ウェルスランド出身のマリーさんなら、いくらでもいそうだけどね……。どうして帝国の将軍なんてやっているんです?」

「将軍ではない。わしの力を怖れた皇帝が、帝国の邪魔さえしなければ味方をしなくてもよいという条件で勝手に参謀に据えたまでのこと。スフィアへ出向く気になったのはレオナルドの噂を聞いたからじゃ」


 希代の魔術師として有名になりすぎ、悪者に利用されたり命を狙われるようになったマリーは、故郷を離れ権力者の目を避けて大陸で隠遁生活を送っていたが、その存在を嗅ぎつけた帝国は版図を広げるにつれ喉元のマリーを無視できなくなり、大河があれば堤防を築く必要が生じるように、彼女にその気がないと分かっていても、潜在的な脅威に対する姿勢を示しておかなければならなくなったのだ。事実上、マリーの行動は皇帝といえども制限できない。

「じゃあ、ウェルスランド軍を攻撃するつもりはないんですね?」

「それはお前達次第じゃ」

 動く甲冑がティーセットを乗せたトレイを持って階段を上ってきた。テーブルに甘く香る紅茶のカップと茶葉を練り込んだ山盛りの焼き菓子の巨大な盆が置かれたが、スズはそのどちらにも手を付けなかった。

「これ、うちのお茶だ……。食べないのスズ?」

「疲れたところにお菓子をどうぞなんて、見え透いた罠でしょ!」

「おやおや。では茶が冷めぬうちに話を済ませるとしようか。ウェルスランドと諸侯の連合軍はスフィアに手を出すな。そうすれば道中の安全を保証してやる。わしはこの街にしばらく逗留し、戦の結末を見届けるでな、もし約束を違えるなら王の命はない」

「それだけ?」

「ここまでは塔主からの伝言のようなものじゃ。もうひとつ個人的に忠告しておきたい」


 マリーはテーブルに頬杖をつき、レオの目を見た。

「マライヤも、メアリーも、マリアも、我が魔力を受け継ぐ娘らは皆、己の素質を活かすことなく、つまらぬ男に一生涯を捧げ、ある者は流行り病に倒れ、ある者は魔女として火刑に処され、ある者は戦禍の中で命を落としていった。じゃがレオナルド……お前は鉱石魔術全盛の時代にあって、若くして世に出る機会に恵まれた。お前の潜在能力はわしと同等、いかに使うかよく考えることじゃ。もし悪を成すのなら、このわしが敵にもなると心せよ」

 深紫に輝く少女の瞳は、つかの間レオに幻影を見せた。この人は俗世を離れても、自分の一族の行く末だけはずっと気にしていたんだ。母さんや俺のことも見ていた。だから全部知っていたのか……。

「脅してしもうたな。分かりやすく言うと、おおっぴらに味方はできんから自分の頭で考えろということじゃ」

「はい」


「賢い娘よ……スズと言ったかな?今後もレオナルドを頼むぞ。さあ話はここまで、その魔鉱兵とともに街の外まで送ってやろう」

「ちょっと待って!マリーさん、あの謎かけの正解を教えて下さい」

「あれはな、レオナルドの出した答えならなんでもよかったのじゃよ」

「……そんなので納得いくかあああぁぁーっ!!」

 マジックフィールドから吐き出されたプロトナイトが、ぬかるむ地面の泥の中に片膝をめり込ませた。振り返ると、巨大な鏡のドームが空に架かる虹を反射している。さっきの光景は夢だったのだろうか……?だが操縦席でレオの膝の上に横抱きにされたスズは、いつの間にかリボン付きの袋いっぱいの焼き菓子と茶葉のセットを抱えており、袋に添えられたウェルスランド王宛ての封書には魔女マリーの署名があった。

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