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第五話 森の民の都

「騎士ノイシュ、フェリアでの任務ご苦労であった」

「もったいないお言葉です」

 揺らめく灯火に照らされた薄暗い謁見の間で、銀の仮面を小脇に抱えた素顔のノイシュは皇帝の前にひざまづいた。

「しかし、ウェルスランドの魔鉱兵を取り逃しました」

「いや、じつによくやったぞ。彼の地でウェルスランド軍を撃退したという結果こそが重要なのだ。損傷した魔鉱兵も軍艦も皆フェリアの装備であり、我が軍にいっさい被害はない。そればかりか今後は回りくどい策を用いず、フェリア全軍をじかに余の手で動かすことができる。かの国では“ウェルスランドが女王を誘拐した”と触れ回らせておるゆえ、我こそは囚われの姫君を救う勇者にならんと入隊志願する者も多く、兵の士気は高まっておる」

 無理強いするより欲望を煽ってやる方が人は動かしやすい。帝国軍は、君こそ勇者だ!という絵入りのパンフレットを作ってフェリアの若者を勧誘していたのだが、そんな動機で入隊した連中が厳しい訓練を修了するまでに果たして何人残るものか、ノイシュは甚だ疑問だと思った。騎士団の同輩にも、故郷の恋人のためにとか、女にもてたいとかいった手合いが大勢いたが、そういう志の低い者達は訓練を耐え抜きはしても、戦に出ればたちまち足がすくんで目は泳ぎ、生きてか死んでか、いつのまにか消えているのが常だった。


 クレアとメルを乗せた海賊船が去った後、フェリアの都では逆賊カニス将軍の黒焦げの首級を槍の穂先に掲げて盛大な戦勝パレードが行われた。大通りには獣頭人身の魔鉱兵とともに、帝国から新たに配備された砂漠仕様のナイトとアーチャーが立ち並び、人々は帝国の旗を振って、神官団の御輿を頂く帝国軍の行列を出迎えた。今やフェリアは地上の楽園である。諍いを起こす者や不平不満を漏らす者は問答無用で処刑され、生き残りたければ誰もみな幸せでなければならないからだ。


「さて、次なる任務だが……大森林へ向かってもらう」

「畏れながら、ゾックの奪還ではないのですか?」

「主力から外されたと思ったか?そちらには別の手を考えておる」

「海上からの攻撃でしょうか」

「それもあり得るが、艦隊は満身創痍、水陸両用魔鉱兵の開発計画は振り出しに逆戻りと、海上戦力については復旧が立ち後れておる。加えて現状では艦砲の性能差が如何ともしがたい。そこで、今は守りを固めるときと考える」

「……と、申されますと」

「四将軍を集結させる」

「!!」

 フェリア王国のカニス将軍がそうであったように、帝国もまた各部隊の指揮官を統括する総司令官を置いている。しかし帝国軍はフェリア軍などとは比較にならないほど大規模なので、総司令官もおおまかな兵種ごとに複数の将軍が分担しているのだ。これらの将軍のうち、戦場の花形である歩兵部隊、騎兵部隊、魔術師部隊に特別枠の参謀を加えた四名は、“四将軍”または“帝国軍四天王”と呼ばれ、内外の軍人から怖れられていた。この者達が動くということは、ただそれだけで周辺諸都市を威圧する効果が期待できる。

「諸侯の中からゾック卿に同調する不届き者が出始めておってな。ウェルスランドの主力はそれら諸都市の助けを借り、ろくに足止めもされぬまま、ここ帝国首都へと直進しておるのだが、かねてから監視中の魔鉱兵の行方だけが掴めぬのだ」

「なるほど。フェリアでの前例を考えれば……」

「察しがよいな、ノイシュ。つまりそういうことだ。幸い、森の民の王はすでに余の配下。抵抗する諸部族との戦も掃討戦に移っておるゆえ、フェリアほど面倒な状況ではない。直属部隊として魔鉱兵スカウトを遣わす。現地の帝国軍と連係し、大森林に侵入したウェルスランドの者どもを探し出せ」

「はっ!」

 騎士ノイシュはひざまづいたまま右の握り拳を左胸に当て、灯火にきらめく白銀の甲冑が金属音を立てた。


          *      *      *


 ルミラ率いる実験砲兵部隊は大森林へ出発するにあたって、ゾックの城に用意された部屋を本国からやってくる後任者に引き渡すことになった。後任者とはスズの父親である。スズの父は宮廷魔術師だったが、ウェルスランド王がルミラを登用したことでその任を解かれ、現在は部下の魔術師とともに王国の内政を預かっている。つまり、ぽっと出の余所者に宮廷での地位を奪われたわけだが、この男、野心のないおとなしい人物で、宮廷魔術師の重責に押し潰されるよりはこまごまとした事務のほうが性に合っていると喜んで身を退いた。スズの性格はどちらかというと王都の大学で研究職に就いている母親譲りである。

「スズの親父さんかぁ」

「港への到着は何日も先だし、私達が会うことはないわね。ルミラ、この本と巻物、全部持っていくの?」

「そっちは僕が片付けますから、触らないで」

「こんなに散らかしてよく仕事ができるわね」

「参照するたびいちいち書棚に戻すのが面倒なもので、つい手元に置きっぱなしにしてしまうんですよ。でも、どこに何があるかはすっかり頭に入っていますから、勝手に移動されるとかえって困ります」

「理解に苦しむわ」

「我々は衣類の梱包でもしよう。忘れ物は不要品とみなされてバザーで市民向けに払い下げられてしまうぞ」

「えっ、そうなんですかエリシュさん!?」

「うむ。逆に不要品は書き置きをしてまとめておくのもいいな。道中の荷物が軽くなる」

「そういえばルミラさん、任務が終わったら俺達どこへ帰ればいいんです?」

「本隊の予定進軍ルートは覚えていますね?基本はその通りに。やむなく撤退する場合は無理に敵地をショートカットしようとせず、ゾックへ引き返して下さい」

「生きて帰れればな」

「相変わらず手厳しい」

「罠なら逃げるとして、レジスタンスが味方と確認できたら、そのあとはどうする?」

「ええと……、それはレオナルドくんに教えてあります。エリシュさんならおおよそ見当がついてしまうかもしれませんが、保安上の理由で僕も彼も今は言えません。どうか彼を問い詰めたりしないで下さいね」

「初耳だな。今回の指揮官は私だろう」

「念のため、です」

「念のため、か」


 一方、着の身着のままで手荷物の少ないクレアとメルは一足先に格納庫でレオ達を待っていた。格納庫ではリムも暇をもてあましており、クレアに声を掛けてみたもののぶっきらぼうな反応に戸惑ったが、メルのさりげない仲介もあって、互いの故郷の話や身の上話などでクレアとリムは次第に打ち解けていった。

 身の上話によれば、リムはレジスタンスで魔鉱兵を操縦していたとのことで、ちょうど組み立て済みのウェルスナイトが余ってもいたが、完成したばかりの秘密兵器を敵のスパイかもしれない者に預けることはルミラが許可せず、エリシュの馬にリムを同乗させることになった。

 港湾都市ゾックの街壁を出た三体と一騎は街道をしばらく進み、本隊とともに先行した砲兵部隊に急ぎ合流するルミラの馬車と森の入り口で別れた。


 森を進むにあたって、エリシュは魔鉱兵を進ませる前に馬で進路を偵察するという手順を繰り返した。鬱蒼と生い茂る巨木は魔鉱兵の姿を隠すには充分だが、それは敵にとっても同じこと。リムに急かされようが、スズに呆れられようが、エリシュは決して譲らなかった。

 日が暮れると魔鉱兵の操縦室が一行の寝床になり、リムがプロトメイジで眠るあいだ、レオはエリシュに叩き起こされて交代で焚き火に小枝をくべつつ周囲を見張った。

 夜の森は湿った獣の臭いがする。ここでは敵は帝国軍だけではない。狼、猪、熊などの猛獣達は近くにいないのではなく、ただ焚き火があるから近寄って来ないだけなのだ。レオは背後に気配を感じ、剣の柄に手を掛けた。

「おっと、その気はないから」

 気配の主はリムだった。スズの奴、逃げられたらどうするんだ。

「だったら寝てろよ。こんなところを見つかったらみんなに疑われるぜ?」

「声を掛けなかったのは謝るけど、あたしはひとことお礼が言いたかっただけ。ほら、あれから色々あって、ちゃんと話せなかったでしょ?助けてくれてありがとう」

「はいはい、どういたしまして」

 レオは頬を掻いた。

「レオくんって魔鉱兵に乗れるんだね。そりゃあ大人に期待もされるわ。プロトナイトだっけ?キミの専用機でしょ」

 言いながら、リムは焚き火の向こうに座り込んだ。しかしレオもそうするわけにはいかない。ひとことと言いつつ、これは長話になるな、と思いながら、レオは眠気覚ましにリムとの雑談に付き合うことにした。

「あたしの機体はスナイパーっていうんだ。あたしは弓が得意だから、魔鉱兵も狙撃専用機なの」

「それで変な戦闘スタイルだったのか。俺、弓矢だったら十回ぐらいは死んでたな。だいいち剣と剣との試合に飛び道具を持ち込むなんてどうかしてるよ」

「負け惜しみ?」

「俺は全力を尽くしただけだ」

「でも、あたしも最後の砂袋を使い切ったときは正直どうなるかと思ったよ。だって、負けちゃったらあたしの存在意義ないもん。ご主人様……もとい、あの鬼畜おやじときたら、自分の役に立つうちはちやほやするくせに、利用価値がなくなったと思ったら容赦ないんだから」

「リムに負けたあと、俺も思ったんだ。勝てば勝つほど次の戦いはどんどん厳しくなるし、もしもどこかで周りの期待に応えられなくなったら、そのときはどうなるんだろう?って。リムもクレアもスズも他人に負けない特技があって、自分のやりたいことや、するべきことを知ってるけど、俺は結局なにもかも半人前で、何者にもなれないってことが分かっただけだった。ウェルスナイトの量産が始まったら、俺、要らなくなるのかもな」

「レオくん。三人も彼女をはべらせておいて、その話、初めてしたでしょ」

 振り向くと、焚き火の明かりを反射するリムの目はまっすぐレオを見上げていた。

「だから、そういう関係じゃ……」

「あたしがそういう関係になってあげる。まったく、相談相手もなしでよく戦ってこれたよね。もしかして女の子に嫌われるのが怖かったりする?あたしはレオくんの一番格好悪いとこ間近で見てるし、愛想を尽かしたりしないから。これからはあたしに弱音を吐くこと」

「ついこのあいだ知り合ったばかりのきみに、どうしてそこまで言われなきゃならないんだ」

 リムは頭を抱えた。

「命の恩人だからだよ!」


 翌日。偵察のため馬を出したエリシュを同乗するリムが不意に制止した。リムは注意深く環境音に耳を澄まし、その中からあるパターンのかすかな音を聴き分けると、口笛で鳥の鳴き声を真似る。程なくして森の奥から同じパターンの鳴き声が繰り返され、幾度かのやりとりの後、狩人のような装備の男が現れた。男がつがえる弓矢の他にも、樹上から、木陰から、そして茂みの奥から複数の殺気が自分を狙っているのがエリシュには分かった。

「リム、生きていたのか。そいつらは何だ」

「味方だよ、馬鹿!物騒なもの仕舞いなさい!」

 男が合図をすると、エリシュを串刺しにする鋭い殺気がすべて消えた。

「この人達をイファルに会わせたいんだ。アジトへ連れて行ってもいいよね?」

「うーん、俺だけでは判断できないな……。それとリム、アジトはもうない」

「どういうこと?みんなは無事なの!?」

「“狩り”に出ている隙に、帝国の連中に見つかって占領された。でも大丈夫、レジスタンスのみんなも魔鉱兵も逃げて無事だよ。今は隣村のお世話になってる」

「よかった」

「俺はちょうど歩哨から戻るところだったから、とりあえず一緒に帰ろう。その女と魔鉱兵は……魔鉱兵だよな?ともかく、そいつらは村へは入れない。近くまでなら案内してもいいが、リムから詳しい事情を聞くまで村の外で待ってもらう。イファルが俺の立場ならたぶんそうするだろう」

 森の民の偵察部隊とリム一行は、川を越え、谷を越え、大森林をひたすら奥へと分け入った。エリシュは帰路のために道のりを記憶しておくつもりでいたが、木々の緑は完全に空を覆い隠すほど深く、もはやどの方角へどれほど進んだのかさっぱり分からない。とはいえ、森の民が周囲を警戒してくれるおかげでいちいち馬を先行させる必要がなくなり、踏破したと思われる距離の割に、それからわずか一回の野営で目的地へたどり着くことができた。レジスタンスの頭目イファルはレオ達をそう長くは待たせなかった。


 丸木組みの集会場では村長むらおさとイファル以下レジスタンスの主立った面々がござを敷いて連座していた。驚くべきことに、森の民には美男美女しかいない。最初に出会った斥候の男をはじめ、村長や村人でさえ老若男女一人残らず目鼻立ちが整っているのだが、レジスタンスの副官にして工兵隊長コルネルは口髭ともみあげまで繋がった顎髭が野性的なナイスミドル、彼の部下の工兵達は輝くような金髪の若者揃いで、魔鉱兵の整備を担当しているという双子の少女フィーラとセリアは可憐なリムとはまた違った神秘的なオーラを纏っている。村長の隣で毛皮をなめした上着を羽織り頬杖をついている、ひときわ目の覚めるような甘いマスクの青年がイファルだ。こんな土産話をしたところで親衛隊の誰にも信じてはもらえまいが、必ず生きて帰ろうとエリシュは決意した。呑まれるな、エリシュ。兄がそうであるように、外見は人格を保証しないのだから。

「レジスタンスは君達を歓迎する。リムは俺達にとって不可欠な戦力だからな。彼女と一緒に捕らえられた仲間達が散り散りになってしまったのは残念だが、いずれ何としても探し出すとしよう。君達の身分とだいたいの経緯はリムから聞いたけど、いくつか質問させてくれ。まず、ウェルスランドはどうして俺達なんかを助けてくれる気になったんだ?こんな田舎にちょっかいを出すなんて寄り道もいいとこだろ」

「帝国の首都を目指すなら確かにそうなのだが、大森林も帝国領には違いない。無視して通れば横合いから柔らかい脇腹を突かれることになりかねん。この地の帝国軍を倒せなくとも、レジスタンスの動きが活発化すれば帝国軍の注意を引きつけておくことができよう」

「なるほど。それじゃあ、森の都を帝国軍から取り戻したと仮定して、ウェルスランド軍はそのまま都を占領することだってできるよな?君達は帝国とどう違うんだ?俺達を利用して、森の民を里の勢力争いに巻き込もうとしているだけじゃないのか?」

「ウェルスランドは森の民を支配する力など持ち合わせていない。今までの勝利も大陸諸都市の支援あってのことだ。むしろ、帝国軍を退けた後は森の民の助力を請うことになるだろう」

「本当かな。コルネル、どう思う?」

「筋は通っていると思います。我ら諸部族が一丸となっても駄目だったのですから、たった一国の力だけで帝国に太刀打ちできようはずもない。ゆえにこそ諸侯もウェルスランドに同調したのでしょう」

「それを聞いて安心した。では本題に入ろう。ずばり、帝国軍をどうやって倒す?まさかウェルスランド王の寄越した援軍が君達だけなんてこと、ないよな?」

「それは……」


 エリシュからの視線で、レオはルミラの指令を思い出した。気まずい空気の中、プロトナイトに置き忘れた命令書を大急ぎで取ってくるとエリシュに手渡し、エリシュは皆の注目を浴びながら紋章のある封蝋を割った。命令書の内容はこうだ。次の満月の夜、森の民の都へ一斉砲撃を行う。レジスタンスはこれに連動して仕掛けよ。

「そんなことが可能なのか」

「できる、とだけ言っておこう」

 一斉砲撃という言葉にイファルの顔色が変わったのをレオは見逃さなかった。攻撃されてはまずい何かが都にあるのだろうか?

「分かった、協力する。しかし次の満月か……。あまり余裕がないが、この件は一旦討議させてくれ。俺達も考えていたことがある」

「お客人、今宵はささやかながら宴の用意がございます。それまで当村にてごゆるりと過ごして下され」

 村長は今晩の宿も勧めたが、エリシュがそれを丁重に断った。村外れに駐機してある魔鉱兵を放置したまま眠りこけるわけにはいかない。


 数日ぶりに旅糧以外の温かい昼食にありついたレオは便意を催して、適当な茂みにしゃがみ込もうと辺りを見回したが、その様子を見て察したイファルがあわてて声を掛けた。

「おいおい、野良犬か君は。いくら田舎といったって、どこでも用を足していいなんてことはないぞ」

「すみません」

「村の外に肥溜めがあるから、そこで出してこい。手桶に水を汲むのを忘れるなよ。ついて行ってやろうか?」

「いえ、大丈夫です」

 村人が常用している場所なので、肥溜めは村からそんなに離れてはおらず、強烈な悪臭のおかげで道に迷うこともなかった。肥溜めはとても臭かったが、畑仕事の一環として実家で堆肥の汲み取りもやらされていたレオは、少し辛抱すれば鼻が順応して臭いを感じなくなることを知っていた。用を足し終えてしまってから手桶に水を用意するのを忘れていたことに気づいたレオが川で手を洗っていると、川上から女の悲鳴が聞こえてきた。見れば、全裸で水浴びをする女達を黒い獣が……常識外れに大柄な狼の群れが取り囲んでいる。レオは走った。


 エリシュ、クレア、リムの三人は、それぞれスズとメルとフィーラとセリアをかばって背中を預け合い、互いの死角を補う陣形を取った。しかし武器がない。三人の魔術師達も生身で攻撃魔法が使えるわけではないので、ここではお荷物だ。

「なんなのよ、あれ!」

「狼だね」

「それは見れば分かるわよ!ウェルスランドでも剥製なら見たことあるけど、せいぜい犬よりひと回り大きい程度だったわ」

「このへんではあれが普通。熊とかはもっと大きいよ。でも、どうして昼間からこんなに村の近くまで……」

「君達、異国の魔鉱兵に乗ってきたでしょう。村への道中、獣の気配を感じなかった?森の民の生活圏よりも彼らの縄張りの方が何倍も広いの。ずっと君達を見ていたはずよ」

「あー、確かに森じゅう気配だらけだったね」

 エリシュがリムを睨んだ。

「こっちからむやみに刺激したってしょうがないじゃない!」

「あれを見て、群れのボスだ。森を荒らす余所者を見定めに来たのかもしれない」

 エリシュ達を包囲する群れから距離を置いて、まさに森の主といった風格のとてつもなく巨大な一頭が佇んでいる。おそらく群れはあの狼の合図を待っているのだろう。不意討ちで囲みを抜けることさえできれば、岩の上に干してある衣服のそばの武器が手に入るのだが……。

「エリシュ、たぶん私が一番速い。皆の武器を持って戻るまでメルを頼む」

「え?ええ」

「来るよっ!」

 ボスが短く吠えるとともに群れの狼達が円を描くように動き始め、その中の数頭が何の前触れもなく前衛の三人に跳びかかる。三人が体術でそれぞれの最初の相手をいなしたとき、川岸へ走り出したクレアと入れ違いに木陰から現れて抜剣したレオがメルの前に転がりながら躍り出て、守りの手薄な方向に回った一頭の鼻面を斬り上げた。クレアは川面の大岩を跳び移って全員ぶんの剣帯と木杖を持ち帰り、すでに武装しているレオが狼の注意を引きつける間に、一人ずつ武器を投げ渡してから自分も一対の短剣を逆手で抜き放った。


「やだ!レオ!?」

「すまん。服まで持って来てやる余裕はなかった」

「かえって動きやすいぐらいです。レオナルド!見たぶんは働いてもらうぞ!」

「言い訳はしませんよ!」

 レオの視界の外で大小さまざまなものが揺れたり揺れなかったりしている。暑い時期に半裸で働く農夫達や、浴室で見た母のたるんだ肉塊と違って、丸みを帯びた部分が、つんと尖った部分が、すべてが完璧にして繊細な曲線で構成された、それはまさに二挺のヴィオラと五挺のヴァイオリンだったが、銀髪の人は股間の毛も銀色なんだな、と考えることで、レオは目の前の敵に意識を集中しようとした。八人になったことでメルとスズの護衛をフィーラとセリアに任せ、残る四人は攻撃に専念することができた。護身用の短剣を一本しか持ち合わせていなかったリムは四人のうちでは最も装備が貧弱だが、川底に丸い小石がいくらでも転がっている。

「でかいだけあって、一発やそこら喰らわせただけじゃ倒れてくれないね」

「エリシュさん、どうします?」

「逃げて村へ呼び込むわけにはいかんし、森で戦うのはもっと危険だ。中州へ上がろう。このまま流れの中で立ち回って足を滑らせるよりはいい」

 中州では狼のボスが待ち構えている。スズに手を引かれるメルを基準に全員がじりじりと移動すると、様子を窺っていたボスが立ち上がった。手傷を負った狼達が一斉に退き、駆け足から加速をつけたボスはちょうど正面にいたレオに狙いを定めて砂利を踏み散らしながら突進してくる。

「決着をつける気か?」

「レオくん、逃げて!」

「なんで俺ばっかり……!」

「服を着ているからだ。ボスは一騎討ちを望んでいる。君と戦うのが一番フェアだと判断したんだよ」

 逃げ出そうにも間に合うわけがない。ボスが両後足を蹴ったタイミングでレオもボスの懐に飛び込んだ。充分にスピードが乗った状態でジャンプしている間はその勢いを殺すことができないので、こちらも前へ動いてしまえば攻撃を避けつつ相手の喉を狙える。が、ボスは空中で身体をひねり、レオの頭を食いちぎろうと急降下した。

「そんな理屈!」

 鋭い牙の並ぶ両顎が噛み合わされる直前、リムの投射した石つぶてがボスの眉間に命中してわずかに首の向きを逸らした。同時にレオの剣が一閃し、ボスは宙返りをして四本の脚で地上に降り立った。レオの攻撃などまるで効いていない。その気になれば、いつでも裸の女達を食い殺すことができる。

「くそっ、どうした!どうせ来るなら俺を狙って来い!!」

 恐怖に震える奥歯を食いしばり、剣を突きつけたレオだったが、ボスは姿勢を低くして切っ先に鼻を近づけると、その脇を走り去って仲間とともに森の奥へと川を渡った。一度だけ振り返ったボスの片まぶたを縦断する傷から、鮮血が頬の毛皮へ滴り落ちていた。

「……行ってしまった」

「満足してくれたってこと?」

「そのようね」

「いい運動になったな」

「死ぬかと思ったわ」

「あの、レオナルド様はご無事なのでしょうか」

 心配そうな表情の六人に先行して、短剣を納めたベルト以外一糸纏わぬ褐色のクレアがつかつかと歩いてくる。レオが返り血のこびりついた長剣を一振りして鞘に納めると、クレアは拳をレオのみぞおちに叩き込んだ。

「メルをよく守ってくれたな。悪く思うなよ」


 失神したレオをエリシュが担ぎ上げ、一行は川岸で服を着てから村へ帰った。それを見たイファルは森の獣に襲われでもしたのかとびっくりしたが、あの場にレオが居合わせることになった理由をイファルが喋ってくれたおかげで、意識を取り戻すまでにレオの疑いは晴れていた。


 一夜明けて、レオ達は再び集会場へ呼び集められた。フィーラとセリアが床いっぱいに周辺地域の地形や村々の記された地図を広げ、イファルは現在地と都との間の何もない一点に目印の小石を置いた。

「俺達のアジトだ。地形の都合もあって、都へはここを経由するのが最短ルートなんだが、知っての通りこのアジトは帝国軍の手に落ちている。かといって迂回していたら満月の日には間に合わないし、どうせ発見されるのならいっそ攻め込んでアジトを奪還してしまいたい。そして、この作戦の成功をもって君達をレジスタンスの仲間と認めようと思う。どうかな」

「それは我々を疑っているという意味か?」

「違う。いや、まあ……有り体に言えばそうだ。今度のことはすでに、各地に潜伏する諸部族の生き残りにも使者を送って参加を呼びかけていて、族長達を納得させるために、君達がレジスタンス活動に貢献したという具体的な成果が欲しいんだ」

「ふむ」

「森の都を解放してやるから協力しろとか言っておきながら、皆さんのお世話になりっぱなしで何ひとつ恩返しできていないものね。エリシュさん、私達の魔鉱兵が頼りになるとこ、見せてあげたらいいんじゃない?」

「そうだな。いいだろう。ただし、イファル殿。どちらかがどちらかに一方的に命令されて動くのではなく、あくまでも対等な立場で協力するということを約束してくれ。試練だからといって、我々だけが危険に曝されるような作戦ならば承諾できん。その場合もあなた方に危害を加えはしないが、即刻帰らせてもらう」

 イファルは頷いた。続いてコルネルが部下に様々な色付きの小石を用意させ、地図上に身を乗り出す。

「では、作戦内容を説明します。件のアジトは周辺監視に於いて非常に良い立地にあるのですが、入念な偵察によって敵の配置は把握しております。それがここと、ここと、ここと、そしてここ。アジトの四方ですな。そこで、闇夜に紛れてこれらの占領部隊の中核を成す魔鉱兵をおびき出し、こちらの魔鉱兵が各個にとどめを刺すことで、アジトを丸裸にするというのが本作戦の概要になります。部隊の組分けですが……」

 アジト奪還作戦はレオ達がやって来る以前から練られていたが、その時点ではコルネルの得意とするゲリラ戦法に頼るところが大きく、生身の工兵が囮となって罠だけで敵の魔鉱兵を倒そうとするぶん犠牲者が出るリスクも高いもので、リムが生還し、部隊に組み込める魔鉱兵が四体増えたことによって現実的な作戦となった。レジスタンスはリムが駆るスナイパーの他にイファルのウォーリアー、フィーラとセリアが乗る二体のドルイドを所有している。これらの機体は大森林に駐屯する帝国軍から鹵獲した現地仕様のアーチャー、ナイト、メイジをそれぞれ改造したワンオフのカスタム魔鉱兵で、部品や消耗品、整備用機材の補給もまたレジスタンスの“狩り”すなわちゲリラ戦法による鹵獲作戦に頼っていた。


 レジスタンスの魔鉱兵は地元の部族の間で“聖樹様”と崇められている変わった形の大木の周囲を守るように片膝をつき、整備や改造もそこで行われている。作戦の決行に際してレオ達は魔鉱兵とともにこの聖域へ案内された。

「この木の周りだけが不自然に開けてる。何か神聖な力が?」

「別に。このあたりで一番の古木に飾りつけをして聖樹様って呼んでるだけ。下生えがないのはこまめに手入れしてるから。よそへ行けば他にもその地域の聖樹様があるよ」

「そうなんだ……。それにしても妙な形だな」

「昔、この木に雷が落ちてまっぷたつに裂けたの。ところが裂けたまま枯れずに新しい芽が伸びて生き続けていて、その奇跡の生命力にあやかって、季節ごとのお供え物とかお祭りとか、いろいろ儀式が執り行われるようになったわけ」

「太陽の光の届かぬ場所にも神は宿る、か」

「静かな場所ですね」


 レオとリムとクレアとメルが聖樹に作戦の成功と仲間の無事を祈るあいだ、双子の精霊術師はスズと話しつつ魔鉱兵のセットアップ作業を進めていた。スズがプロトメイジに乗せてきたパペット達と一緒に、パペットに似ているものの枝葉が付いたままの木偶人形達がせっせと働いている。これはトレントといって、要するにパペットと同じものだ。

「フェリア王国製の魔鉱兵といい、こんな回路の組み方があるなんて、鉱石魔術は奥が深いわね。自分の知識がどれほど狭かったか思い知らされるわ」

「スズさん、隙あらば分解しようとするの、やめてもらえません?これから出動させなきゃいけないのに。姉さんも何か言ってやってよ」

「未知の技術に興味があるというのは大いに分かるわ。ただ、私達は操縦者の技量と操縦特性に依存したチューンナップをしているので、あまり参考にはならないと思うけれど」

「いえいえ、こうして実機を触らせてもらっているだけでも学ぶところはあります」


 コルネルの工兵部隊の下準備が完了したことを知らせる伝令がやってきた。

「……頃合いだな。お嬢さん、もうそのへんにしておいてくれ。あとで好きなだけ研究していいから。ドルイドは行けるか?」

「「はい」」

「リムはスナイパーを出せ。君達も発進準備、これよりアジト奪還作戦を開始する」

 ウォーリアーの両眼が点灯し、両刃のウォーアックスを背負った機体が立ち上がる。操縦室ではイファルが耳に小石を嵌め込んで全員の支度が整うのを待った。

《セリア、ドルイド出せます》

《同じくフィーラ機行けます》

《レオナルド、プロトナイト起動しました》

《こちらスズ、プロトメイジも発進できるわ》

《ネフェルクレア。ブレードダンサー、指示を待つ》

《リム、スナイパーいつでもいいよ》

《エリシュだ。私は馬だが……。ウェルスランド魔鉱兵部隊は出撃可能》

「よぉーし。みんな、これは前哨戦にすぎない。一人だけで先走らずチームプレーを心がけよう。それと、敵は逃がすな。アジトへの襲撃を都の帝国軍に知られるとまずいからな。コルネルがお待ちかねだ、それじゃあ行くとしようか」

 七体の魔鉱兵はエリシュを連れたウォーリアーを除く六体が二体ずつ一組になり、途中からは四手に分かれてアジトへ向かった。


 魔鉱兵の姿が消え、静まり返った聖域の闇の中で、一人残った盲目のメルが不思議な燐光を放つ聖樹にもたれ竪琴を爪弾いていると、背後から獣や人というよりは魔鉱兵に近い大きさの生き物の息遣いが聞こえ、聖樹の傍らに歩み寄って足を止めたのが感じられた。メルは気づかなかったことだが、それは片まぶたに生傷のある巨大な狼だった。身体を横たえた狼はメルが奏でる異郷の調べに聴き入るかのように両耳をぴんと立て、揃えた両前脚の間に鼻を突っ込んで目を閉じた。


          *      *      *


 本国から連れてきた六体のスカウトに加え、森の民の王から魔鉱兵の大部隊を動員してゲリラのアジトを押さえることに成功した仮面の騎士ノイシュは、自分の周りが罠だらけになっているとも知らず、アークナイトの操縦席で歯が折れそうなほど硬いうえ何の味もしない保存食の焼き菓子をかじった。これまでのゲリラどもの出現パターンから夜間が特に危険なことは分かっていたので、食事中といえども魔鉱兵に乗ったまま警戒しているのだ。そしてアークナイトの隣でスカウトに乗り、官給品の保存食よりはいくらかましな手製の干し飯を頬張る斥候部隊隊長は、周囲の気配がなんとなく怪しいことに薄々感づいていた。

《歩哨の帰りが遅い……。鼠が網にかかったのやもしれぬ。白騎士殿、それがしがひと周り様子を見て参りましょう》

「いや、それには及ばない。敵を発見したら信号弾を上げる手筈だ。過去、魔鉱兵が行方不明になったケースでは、少数か単機のところを襲われている。隊長がここを離れるときは我々が砦を手放すときで、それこそが敵の狙いだ」

《では、兵が死んでゆくのをただ見ておれと?》

「そうは言っていない。目的を忘れるな、隊長。夜は守りに徹し、昼間になったらウェルスランドの魔鉱兵の捜索を再開すればいい」

《広大な森をひたすら虱潰しに探すしかないとは、埒があきませぬな……》

「ゲリラなど潰しきれるものではないよ。生かさず殺さず泳がせておけば、この地に帝国が兵を置く理由にもなる。我々は速やかに任務を果たし、この緑の地獄から引き上げることを考えよう」

 結局、ノイシュは隊長に命じて追加の歩哨を出すことにした。口の中がぼそぼそする。水筒の栓を開け、喉につかえた焼き菓子を葡萄酒でむりやり流し込む。

《巷では、大軍を持ちながら領地を広げすぎたために全力を発揮できぬ帝国はそろそろ斜陽ではないか、という噂もござる。時に白騎士殿は、いつまで皇帝陛下に仕えるおつもりかな?》

「聞き捨てならないな。形勢が不利になったからといって主を捨てるなど、自らの信用を傷つける愚行だろう」

《はっはっは、近頃の若武者には教育が行き届いておりまするな。主君と家臣の関係は、しょせん契約によって成り立っておるにすぎませぬ。それがしは立ち回りの上手かったほうではござらぬが、敵同士の主君に同時に仕え、負ける側を見限って強いほうへ乗り換えてゆくなど昔はざらでしたぞ。白騎士殿ほどの若さと腕前であれば、いずこの領主からも引く手数多でありましょうに》

「では、隊長は場合によっては皇帝陛下を裏切ることもあるのか?」

《それがしにはそのような野心などありませぬよ。此度の任務を機に引退し、郷里へ帰ろうと思っておりまする》


 森の夜空に発光信号が上がった。方向と距離から見て、先程送り出した歩哨のものだ。

《やはり鼠か!》

 信号弾を合図に、ノイシュ達だけでなくアジト周辺に展開中の帝国軍と、帝国に服従した森の民の兵士が移動を開始する。隊長は待機中の部隊を出動させようとしたが、そのときアジトの周囲を炎の壁が取り囲んだ。空掘に油を染み込ませた枯葉がたっぷり撒かれていたのである。しかも、この仕掛けは彼らをアジトに閉じ込めるためだけのものではなかった。炎に照らされたアジトは、見張り台のひとつが建つ丘に陣取ったリムのスナイパーから全景が丸見えだ。丘のふもとでは、スナイパーに接近する敵をプロトナイトが片っ端から斬り伏せており、同様にアジトを囲む他の三地点でもレジスタンスが見張り台を制圧して、アジトは敵の全容が分からないまま孤立しつつあった。


 イファルが単独での戦いを選んだのは、彼の魔鉱兵が一体だけでも充分強いからであり、彼の戦闘スタイルのせいでもある。ウォーリアーがウォーアックスを横に一薙ぎするだけで、群がる魔鉱兵が二、三体まとめて吹き飛んでゆく。ナイトから改造された武骨なシルエットと荒っぽい戦い方はイファルの見た目とはまるで真逆だ。

 もしもウェルスナイトの起動に成功していたら、ウォーリアーと背中を預け合って戦うことになったのだろうが、乗り慣れない魔鉱兵ではかえって邪魔かもな、とエリシュは思った。彼女はこの戦場ではイファルが確保した丘を中心にしてアジトの周囲を駆け回る連絡係だった。

《こっちはもういいぞ。工兵部隊の状況が知りたい、ちょっとコルネルのところへ行って助太刀してやってくれ》

「了解」

 作戦の進行状況を逐一知ることのできるポジションにしてくれたという点では、イファルはエリシュの要求を呑んだといえる。しかし、闇の中から矢がかすめ飛ぶ夜の森では決して楽なお使いではない。エリシュの進行方向に突然アーチャーが現れ、両肩のアルバレストを連射してきた。手綱を引いて横へ逃げたエリシュが蔦に偽装したロープを走り抜けざまに剣で切断すると、仕掛けを保持していた丸太が崩れて、転がり落ちる大岩がアーチャーを挽き潰した。


 フィーラとセリアのドルイドはメイジからの改造機なので、メイジタイプが使用可能な攻撃魔法にはひととおり対応しているが、彼女達のお気に入りは直接攻撃よりも森の植生を利用した魔術である。ナイト二体、アーチャー一体、スカウト一体で構成される偵察部隊にとって前衛もいないメイジタイプなど格好の餌食だが、二体のドルイドが杖を掲げると周囲の木々が軋みながら動き出し、魔鉱兵の全高を上回る巨大なトレントとなった。そう、ドルイドの護衛役は森の中なら至る所に存在するのだ。フィーラとセリアが独自に編み出した呪文ゆえに正式な名前は無いが、整備用のトレントと区別するため、二人はこの召喚獣をドライアドと呼んでいた。枝葉がついたままのドライアドの丸太そのものの巨腕が、ナイトだろうとアーチャーだろうとお構いなしに叩き潰す。動きの速いスカウトも背後から別のドライアドに殴り飛ばされ、地面から引き抜いた根の脚で粉々になるまで踏みつけられた。こうしてかすり傷ひとつなく見張り台に到達した二体のドルイドは、高台からドライアド達を指揮して丘を守った。


 一方その頃、アジトでは逃げ惑う魔鉱兵が一体また一体と、巨大な矢に操縦室を刺し貫かれて倒れていった。建物の陰に隠れようがカイトシールドを傘にしようが無駄である。森の中へ逃げおおせる機体もないではなかったが、逃走を試みる者は優先的に狙撃されてアジトの出口に積み上がり、後続機の進路を塞いだ。

《おのれ……!彼我の戦力がいずこに展開しておるのか、戦況はどうなっておるのか、各部隊と連絡がつかなくてはどうにもならぬ》

 ノイシュは仮面に手をやってアーチャーに呼びかけたが、応答が無い。信号弾を打ち上げさせようにも付近に生き残りはいないようだ。ひょっとすると敵もそれを狙って……?

「してやられたな。アジトは放棄、隊長は残存部隊に撤退を呼びかけつつ都へ急げ」

《白騎士殿は?》

「私は敵を始末する」

《承知!》

 アジトに矢の雨を降らせる攻城兵器が設置されていると思われる丘を目指し、ノイシュはアークナイトを駆った。帝国軍に嫌がらせをするのが精一杯だったゲリラの戦力だけで、こんな攻勢に出られるわけがない。背後には必ずあの者どもがいる。“砲術師”ルミラ、レオナルド少年、そしてエリシュ……!


 クレアと組んで見張り台を制圧したスズは、都へ通じる獣道を影のように疾走する機体を発見した。ブレードダンサーを追撃に向かわせれば守りが手薄になるが、逃げる敵は最優先で叩かなければならない。

「クレア、黒いのが一匹逃げるわ。そこからだと、左」

《任せろ》


「ほほう、魔鉱兵で高台を。そういうからくりでござったか。だが今は都へ知らせを届けるが急務、若武者殿に譲るとしよう」

 丘のふもとから獣頭人身の魔鉱兵が駆けてくる様子は隊長にも見えていた。しかし距離がありすぎる。今さら見つかったとて、このスピードに特化した偵察用魔鉱兵スカウトには追いつけまい……。ところが、スカウトが走りながら前方に向き直ると、行く手には先程後ろに見えたはずの魔鉱兵がすでに立ちはだかっていた。隊長のスカウトが量産型の指揮官仕様なら、ブレードダンサーは一国の君主のための個人専用機、開発資金に糸目を付けず設計された最高級品なのだ。あわや激突という瞬間、ブレードダンサーの眼前で煙幕を放出したスカウトは煙の尾を引きながら森へ入った。あの性能差では、こんな子供騙しで振り切れるはずもない。ここは仕留めておくのが賢明か?スカウトは予想通り猛烈な馬力で追いすがって来たブレードダンサーのツインケペシュに両手の甲から展開したクローを合わせ、間合いを取って忍術の構えに移った。


《しつこい奴よ……。その機体、噂に聞く砂の国の姫君とお見受けするが、如何か?》

「だったらどうした。私を捕えるか?やってみろ」

《それがし名乗るほどの者ではござらぬが、謹んでお相手致す。スカウトの恐ろしさ御身をもってとくと味わうがよい。忍法……マジックディストーション》

 クレアの目の前で黒い魔鉱兵が闇に溶けた。

「!?」

 金のアクセサリーに刻まれた通信魔法回路から、クレアの頭の中を敵の歪んだ笑い声がぐるぐると駆け巡り、姿は見えないのにクローだけがブレードダンサーに襲いかかる。とはいえ殺気までは消せないらしく、攻撃のタイミングを読んでどうにか対応することはできた。

《やはり単純な反応速度ではそちらが上か。然らばこれはどうかな?》

 ブレードダンサーを十体以上のスカウトが取り囲み、印を結んで直立不動のまま右に左に重なり合いながら周回する。その姿と関係なく見えないクローの攻撃は続き、スカウト達はやがて獣頭人身の魔鉱兵シャーマンに変化した。こんなことが現実とはとても思えないが、それが分かっていても対抗のしようがない!シャーマンから響く不快な笑い声は今や神官長のものだ。

「くっ、何故勝てない?私のブレードダンサーのほうがずっと強いはずなのに……!」

《ふっふっふっ、たとえ優れた魔鉱兵に乗っていようと、しょせん姫様は未熟な小娘。力比べで勝てぬなら、まともにやりあおうとしなければよいだけのことなのです。私どもの忍術を破れぬ限り、姫様はじわじわと弱っていずれ攻撃を受けきれなくなります》

「卑怯者!」

《何とでもおっしゃい。さて、そろそろとどめを刺させて頂くとしますかな》

「負けるものか!貴様達なんか怖くはないぞ!」

《伏せて!》

 そのとき、プロトメイジが高く掲げた青白く輝く魔法鉱石のオーブから、無数の氷の針が……と言っても、大人の身長ほどもある鋭い氷柱が、とっさに屈み込んだブレードダンサーの周囲の全方向へ放たれた。この“氷の散弾”は、炸裂火球弾で森を焼いてしまわないようにゾックの城でスズが換装しておいたプロトメイジ専用の新たな試作装備で、一発ごとの威力こそ低いものの、触れた物をたちまち凍結させる力を持っている。幻影がかき消えるとともに正体を現したスカウトは、全身に氷片を浴びて背後の巨木の幹に釘付けにされた。

《しまった、関節が……!》

 螺旋を描くように立ち上がったブレードダンサーのツインケペシュが、機体各部の関節を凍らされて身動きの取れないスカウトを素早く斬り刻み、操縦者ごとバラバラにされたスカウトは細切れのスクラップと化して崩れ落ちた。

 ブレードダンサーは振り返って跳び退き、プロトメイジに向かってツインケペシュを構えたが、ややあって獣の頭を振ると構えを解いた。

《ちょっとお姫様、しっかりしてよ》

「すまん。また幻かと思った」

 スカウトのマジックディストーションは、魔鉱兵を制御する魔法回路のうち、外界に対して開かれている部分のある知覚系に干渉する特殊な攻撃魔法で、理論上は魔鉱兵の視覚や聴覚、平衡感覚などを機能不全に陥れるだけだが、魔法回路からの魔力の流れが操縦者へフィードバックされるため、恐怖や不安から幻覚が生じる場合もあった。ただし効果範囲が非常に狭いという欠点があり、使いどころが限られるので、一般機ではこの機能は封印されている。

「そういえば、見張り台はどうした」

《レジスタンスの人達と交替したわ。魔鉱兵はアジトの包囲に加われって。私達も行きましょう》


 森を駆けるアークナイトのノイシュは、闇の中でいかに味方が惨殺されていったかを目の当たりにしても歯噛みするしかなかった。落とし穴の底から突き立った太い杭が操縦室を貫通している機体。低く張った丈夫なロープで足を絡め取られ、目立った損傷は無いものの転倒した際の衝撃で操縦者の首の骨がへし折れたために沈黙している機体。樹上からの丸太に突き飛ばされて頭部を失い、仰向けに倒れたところで胸部装甲をこじ開けられて、操縦席が血まみれになっている機体。生身の帝国兵の死体、死体、死体……。ノイシュがわざわざ骸のあとを辿っているのは、魔鉱兵を標的とする罠がすでに発動した場所ならば、新たな罠にかかる危険性が低いと判断したからだ。だが丘の上の攻城兵器は明らかにアークナイトを狙っており、発見されている以上はある程度の危険を冒しても走り続けざるをえない。


《レオくん、まだ敵が来る。アジトにいた奴だ。あいつを狙うと矢が無駄になるから、つい後回しにしちゃったんだよね……》

「それってもしかして白いナイト?」

《分かるんだ?》

「ノイシュか……。リム、信号弾を上げてくれ。そいつは俺だけじゃ抑えきれないかもしれない」

《あー、宿命のライバルってやつね》

「腐れ縁だよっ!」

 プロトナイトは剣をひと振りして腰を落とし、光る両眼で正面の森を照らす。背後の高台から援軍を呼ぶ発光信号が上がり、直後に銀のアークナイトがカイトシールドを構えて森から突進してきた。至近弾を右へ左へと隙の無いステップで躱しつつ、プロトナイトの剣を防いだカイトシールドの裏から渾身の突きを繰り出し、脇腹をよじって回避したプロトナイトとアークナイトの機体と機体が激突した。プロトナイトはアークナイトを素通りさせるわけにはいかないので、体当たりをしてでもアークナイトを森へ押し返そうとする。それでも抜けられてしまいそうな穴はスナイパーがカバーしてくれた。

《はははははは!攻城兵器の正体が魔鉱兵とはな。蛮族どもは妙なことを思いつくものだ。魔鉱兵に狙撃をさせる意味がどこにある》

《スナイパーを馬鹿にすんな!あたしが乗ってるから意味があるんだ!》


 矢が残り少ないことに気づいたリムは、台車で牽いてきた最後の丸太を背中にセットした。狙撃型魔鉱兵スナイパーの最大の特徴がこの全自動矢弾補給システムである。なんと丸太を装填するだけで、削り出しから鏃、矢羽、矢筈の接着までやってくれるのだ。完成した矢は矢筒に送り込まれ、幹の太さにもよるが一本の丸太からだいたい六本の矢を製造することができる。丸太がなくなったら腰のハンドアックスで手頃な木を伐採すればいい。稼動部の複雑さゆえに故障率が最も高いのもこの補給システムだったが、壊れるまで酷使しなければならなくなるほど無駄撃ちをするリムではなかった。

 スナイパーの腕から巨大な弓へ、矢の威力を強化する幾条もの草色の稲妻が走り、曲射した矢がプロトナイトの頭上を越えてアークナイトのカイトシールドを貫通する。だがそれは囮で、カイトシールドをパージしたアークナイトは早くも剣を両手で構え直していた。続けざまに放った矢が剣で叩き落とされたところを見ると、残り数発で仕留められるとは思わないほうがよさそうだ。レオくんの言うとおり、手ごわい相手らしい。


 カイトシールドを捨てて身軽になったアークナイトのノイシュは、プロトナイトとのあくびが出そうな鍔迫り合いにうんざりしていた。というのも、あのときと違ってプロトナイトが守りに徹しているからだ。腕を上げたのは分かるが、セオリーを知ったぶんつまらない戦い方をするようになった。先程の信号弾は仲間を呼ぶ合図だったのに違いないし、せっかく大当たりを引いたのだから、せめてこいつだけでも討ち取って任務完了としよう。ゲリラの砦などどうでもいい。

「動きが悪いな、少年!うわべだけ真似てアークナイトに対抗したつもりか!」

《うわっ!!》

 アークナイトの袈裟斬りがプロトナイトの胸部装甲を捉えた。普通のナイトならこれで胴体を両断されるところだが、切っ先が触れた箇所を中心にして装甲表面にまばゆい稲妻が閃き、強力なマジックフィールドがアークナイトの剣を弾き返した。パーシャルアーマーには傷ひとつ無い。

「しかし、動きの鈍い機体では!!」

 続いてノイシュは肩を突いたものの、輝く装甲の前にやはり攻撃は通らず、バランスを崩してよろけたアークナイトの剣をすかさずスナイパーの矢がへし折った。あと少し狙いが下だったら手首ごともぎ取られていただろう。


「そっか、避けなくていいんだ!」

 レオは攻めに転じた。折れた剣で剣を防ぎつつ拳と蹴りを繰り出すアークナイトの必死の抵抗を無視し、生身なら命がいくつあっても足りないような、防御をいっさい考えない無謀な連続攻撃で追い詰める。ただし、パーシャルアーマーに守られているのはほぼ上半身だけなので、アークナイトの攻撃が足に当たらないように、下段からの斬り上げで相手の剣を浮かせなくてはいけない。文字通り手も足も出ないアークナイトは、手首を狙ったプロトナイトの執拗な攻撃でついに剣を取り落としてしまった。

「もらった!!」


「小賢しいっ!」

 大上段を白刃取りしたアークナイトは、両手の間に剣を挟んだまま脇へ逸らしつつ、押し込もうとするプロトナイトの力を利用して逆に地面へねじ伏せると、二、三歩跳び退いてスナイパーからの続けざまの最後の狙撃を避けた。振り向けば、夜明けも近い。ノイシュは森から敵の増援が現れないうちに撤退することにした。

「フッ、やるようになった。君達の狙いはアジトごときではあるまい。都で会おう」


 白銀のアークナイトが森へ姿を消す直前、入れ違いに森から出てきたのは騎士エリシュだった。疲れ切った馬で魔鉱兵には追いつけない。エリシュは手綱を引き、走り去るアークナイトを複雑な面持ちで見送った。


          *      *      *


 森の都の制圧作戦の決行日が迫る中、七体の魔鉱兵のおかげですみやかに後片付けが済んだアジトでは、各地から集結した諸部族の族長達の間でさっそく話し合いが持たれた。イファルも族長の一人だが、森の民は彼のような金髪だけではなく、銀髪の族長や浅黒い肌の族長もいる。黒っぽい肌を持つ諸部族は“暗き森の民”と呼ばれていて、邪悪なわけではないが陰気で人付き合いを好まず、大森林の深部からめったに出ることがない者達である。

「エリシュさん、見事に美形ばっかりですね」

「スズもそう思うか」

「そうなのですか?姫様」

「王宮の中庭の花々の香り、覚えているか。おおむねああいった感じだ」

「まあ……」

「エリシュさんの美貌なら、一人ぐらい引っ掛けられるんじゃないですか?あ、眼中にないか。可愛い弟子がいるもんね」

「あの子に惚れているおまえが言えたことか!」

「それにしても、周りじゅうあんなおにいさんだらけなんて、リム達がうらやましいわ」

「そうかな。確かに里へ連れて行かれるまでブサイクって見たことなかったけど」

「里のことはよく知らないけれど、どこの人でも中身はたいして違わないと思うよ」

「そういう話ではないのよセリア。ね?」

「ねー」フィーラとリムは悪戯っぽく微笑み合った。


 族長達の議題は大半が都を攻める際の各部族の持ち場についてで、全員参加はアジトの様子をひと目見た時点で満場一致の決定事項のようだった。レオ達も会合に呼ばれはしたが、ときおり好奇の目で眺められるだけの置物同然であり、ウェルスランドの立場などエリシュの言うべきことは全てイファルが代弁してくれたために、基本的に出る幕は無かった。

「イファル殿、今日は助かった。さすがレジスタンスのリーダーだけあって見事な手腕だ」

「なにもかも君達のおかげだよ。ふぅ……」

「イファル殿?」

「あ、いや、少し疲れただけだ。今後のこともあるし、早めに休ませてもらうとするよ」


 その夜、尿意で起き出したレオは、アジトの井戸から汲んだ水を手桶に注いで肥溜めへ向かう途中、遠くで揺らめく焚き火が木立に何者かの影を落としているのを見た。寝ぼけていたせいもあってその場はひとまず用を足したが、帰り道ではさすがに目が覚めて足早にアジトへ戻りエリシュを起こした。エリシュ達女性陣は全員同室だったので、結局みんなでぞろぞろと様子を見に行くことになってしまった。焚き火に近づいてみると、炎の明かりのそばで熱心にペンを走らせていたのはイファルだった。

 イファルが何事か書き込んでいる紙束は羊皮紙ではなく、植物の繊維を水で溶いて乾燥させた森の民に伝わる独自の製法のもので、花びらが漉き込まれているのを見たスズが触ろうとするとイファルはあわてて隠したが、反対側へ回り込んだリムに奪い取られてしまった。リムが文面を音読するあいだ、イファルは柄にもなく耳まで紅潮した顔をずっと両手で覆っていた。文章は日記のようなものだったが、日記ではなかった。それはある女性に捧げる愛のうただった。


          *      *      *


「……ならん。我が軍にはもう余分の魔鉱兵はない。このうえ戦力を貸し出せば、城の守りが手薄になる。どうしても行くというなら、ノイシュ殿おひとりで行くがよい」

「国王陛下、私は皇帝陛下の名代として参ったのです。侵入者は捕らえねばなりません」

「砦ひとつの攻防のために、あれほどの多大なる犠牲を払ってでも捕らえよというのが皇帝陛下の命令なのか?ならばなおのこと、おぬしが責任を取るべきであろう」

「陛下、なにとぞ……」

「その“陛下”というのはやめよ。儂はあくまでも諸部族の代表、帝国との外交役であって、君主などという大それたものではない。騎士ノイシュ殿、都に危機が迫っておるのは分かる。外国からの侵入者を捕らえるのもよかろう。だが、そのためにこれ以上森を荒らすなら、儂が直々に皇帝陛下へ使者を立て、おぬしの失態をすべて報告させてもらうぞ。下がれ」

 ノイシュは森の民の衛兵に槍を突きつけられて、謁見の間から締め出された。蛮族どもが、城も魔鉱兵も帝国のものだろうに、誰のおかげで生き永らえていられると思っているのだ?皇帝陛下に刃向かえば後悔することになるぞ……。


 都を見下ろす高台に築かれたいくつもの尖塔を持つ王城は、まるでおとぎ話の舞台にでもなりそうなロケーションだが、王女オーアルシアにとっては冷たい石の牢獄だった。森の民の安泰のため、顔も知らない皇太子と婚約させられて帝国へ嫁ぐ日を待つばかりの王女は、毎日窓の外を眺めては深く溜息をつき、大森林が帝国の支配下となって以来、森の民のどの娘よりも美しいと人々に讃えられる花のような笑顔はすっかり失われていた。部屋に閉じこもることはなかったが、公の場に出ても表情は曇りがちだった。彼女は心を閉ざしてしまったのだ。

 オーアルシアにはもともと将来を誓い合った相手がいた。湖畔で侍女達と歌っていたとき、飲み水を求めてやってきた狩人で、勇敢だが可愛いところもあるのがチャームポイントだった。求婚してくる他の男達と比べても飛び抜けて見目麗しいわけではなかったが、逢瀬を重ねれば重ねるほど、その青年だけが輝いて見えた。族長の息子という血筋も申し分なく、皆の祝福を受けて若い二人は結ばれるはずだった。

「オーアルシア、おまえはいつも森を眺めておるな。里へ嫁げば大森林も見納め、その目にしっかり焼き付けておくといい」

「お父様、違うの。こうしていれば、あの方が攫いに来てくれる気がして……」

「まだあの男のことを考えておるのか。あやつは家族を失ってゲリラに与し、今や帝国に仇なすお尋ね者だ。死んだと思って忘れなさい」

「死んでなどいないわ!」

「死んだようなものだ。帝国に目をつけられてはな。……おお、娘よ。森の民にとっておまえだけが唯一の希望だ。おまえがそんな調子では、嫁ぎ先の不興を買ってしまう。無理にでも笑えとは言わん。ただ、どうか儂の気持ちを分かっておくれ」

 オーアルシアは母の胸で泣いた。しかし王妃もまた言い方を変えて王と同じことをやんわりと繰り返すだけだった。もはや誰にもどうすることもできない。帝国が覇権を握る今の世にあっては、覇者に従うことのみが弱者の生き残る道なのだ。

「イファル、助けて……」


          *      *      *


「森の民の王女様って、そんなに美人なんですか?」

「ああ。それはもう……そこに書いてある通りだ。それ以上の喩えを俺は知らない。だけど何より大事なのは、彼女が誰より美しいってこと以上に、俺が誰より彼女を愛しているってことなんだ。オーアルシアは俺にとってかけがえのない女性ひとなんだよ」

「はぁ」

 レオは王女の顔を思い浮かべようとしたが、自分の周りがすでに美女と美少女だらけなうえ、想像し得るあらゆる種類の美人が溢れるこの地で、なけなしの美的感覚がとっくに麻痺していたために、とても想像が追い付かなかった。


 イファルの隣では、分厚い紙束のポエムの全文を読み通したリムが、拙い表現力で綴られた恥ずかしい言葉の洪水に呼吸困難を起こして転げ回っている。

「あは、あっははははははは!ごほごほっ、はぁ、はぁ。ねえイファル、これもしかして毎晩書いてたの?レジスタンスを立ち上げてからずっと?」

「悪いか。彼女への想いがあったからこそ、どんな苦境でも戦えたんだぞ」

「開き直ったわ」

「開き直ったね」

 双子が言った。

「なるほど、それで様子がおかしかったのか。城に意中の姫君がいるから、イファル殿は都が集中砲火を浴びると困るわけだ」

「もうさ、いっそこれで帝国軍を攻撃したら?こんなの聞かされたら、あいつらぜったい悶え死ぬよ」


 リムの言葉を聞いたメルが、ひらめいたというように拳でぽんと手のひらを打ち、クレアの耳元に顔を寄せると、うなずいたクレアはアジトへ走ってメルの竪琴を持ってきた。

「リム様、先程の詩もういちどお願いしてもよろしいですか?」

「ごめん無理。あれ以上はあたしも死にそう。スズちゃんが読んで」

「えっ?わ、私!?」

 一同は焚き火を囲んで座った。引き攣った半笑いのスズの朗読に合わせてメルが竪琴を爪弾き、ポエムは次第に歌詞へと変化を遂げてゆく。メロディのパターンが完成してしまえば、あとはその反復である。こんなことができたのもあらかじめイファルが韻を踏んでいたからだが、イファルはもう赤面してはおらず、揺らめく炎をただ悲しげに見つめていた。ノリノリのスズが数ページぶん歌い上げたところでメルは演奏を打ち切った。

「……ありがとうございました。うん、やっぱりいい感じ。イファル様、王女様への想いを歌に乗せて届けて差し上げてはいかがでしょう?」

 メルの作戦は、ウェルスランド軍による都への砲撃が始まる前に王女の仲介で森の民の王を説得し、戦いを終わらせてしまおうというものだった。ただし諸部族の序列の都合もあり、話し合いでの取り決めを無視して族長達を出し抜いてはならないので、ことは都の制圧作戦当日を待って実行する必要がある。

「何を言い出すのかと思ったら、要は降伏勧告をしろってことか。でも、俺は歌なんて……」

「メルにお任せ下さい」

 女楽士メルの特訓が始まった。


 イファルの歌声はひどいものだったが、それは生まれついての音痴ゆえではなく、歌うことに慣れていないためだった。素人の大半は自信がないから喉を開いて歌えないだけなのである。本番までの短期間にメルが鍛え上げることにしたのは、腹の底から声を出すことと、声を平らに伸ばさず適度に震わせる、すなわちビブラートをかけることだ。

 八つに割れた見事な腹筋を持つイファルにとって前者はたやすいことだったが、ビブラートの習得は困難を極めた。全ての声を震わせればいいわけではないし、震わせすぎもよくない。同時に声域の拡張も情け容赦なく行われ、発声と歌唱の技術をものにするまでイファルは水も喉を通らなかった。そして、そんなイファルをクレアがにやにやしながら見守っていた。

「メルは怖いだろう。私も幼い頃、メルに鍛えられたんだ。一流の宮廷楽士様だぞ、稽古をつけてもらえることをありがたく思え」

「音楽など女子供のやることだと思っていたが、喉にも筋肉がある。限界ぎりぎりまで酷使し続けなければ鍛えられないのは、手足の筋肉と同じだな。勉強になったよ」

「ひどいしゃがれ声ですな。あまり根を詰めすぎないようにお願いしますぞ、若様」

「心配するなコルネル。俺の歌声次第で、戦を止められるかもしれないんだ」

「……?左様ですか」

 コルネルは肩をすくめた。


 イファルの声がどんなによく通ったとしても、街壁の外から王城まで響かせるのは人間の喉では不可能に近い。そこでスズとフィーラとセリアは、先の戦闘で得られた豊富な魔鉱兵のパーツを使ってイファルのウォーリアーに応急改造を施した。ウォーリアーの追加装備の最初の試作品は、操縦室内の左右後方に据え付けられた箱と、両肩と両腋の装甲に取り付けられた四つの箱とで成り、増幅能力を強化した巨大な通信魔法回路が周囲へ音を撒き散らす仕組みだったが、操縦席に座るスズが試しに耳の小石を軽く叩いただけで、外にいた双子の周囲のパペット達とトレント達はあまりの音圧に吹き飛んでしまった。そこで操縦室の箱をひとつに、機外の箱を両腋のみに変更したところ適切な音量が得られたものの、いざイファルに披露する段階になると、別の問題点が浮かび上がった。

「しかし、せっかく夜襲だってのに、俺が歌ってるあいだウォーリアーの位置は敵から丸分かりだよなぁ」

「さっき取り外した装置を他の機体に取り付けて囮にしよう」

「どの機体に?そっちの操縦者も歌うってことでしょ?……なによ、その視線。私は嫌よ!?」

「いえ、歌わなくても大丈夫。そもそも通信魔法回路同士は通信できるのだから、通信可能範囲内なら、どちらかが歌えば両機から歌が聞こえるはずよ」

 フィーラのドルイドで試してみたところ、実際に彼女の言う通りだったが、ウォーリアーの装置で増幅されたスズの声をドルイドの装置がさらに増幅してウォーリアーへ送り返し、その声がウォーリアーの装置でまたもや増幅されてしまい、スズとフィーラは耳の小石を投げ捨てて操縦室の中で頭を抱えてのたうつはめになった。前途は多難だが、魔法回路の再設計からやり直している余裕はないので、スズ達は残り時間の許す限りこの装置の改良を続けることにした。


 アジトの宿舎でレオが練習用の鎧を身に着けていると、玄関に弓矢を背負ったリムがひょっこり顔を出した。

「レオくん、デートしよ」

「デート?」

「イファルの声がアレでしょ?喉にいい蜂蜜を採ってきてあげようと思ってさ」

「俺、稽古だから」

「そっか」

 宿舎の外ではエリシュが身支度を済ませ、木剣を手に仁王立ちで腕組みをしている。師を待たせてはいけない。レオは駆け足で練兵場へ向かおうとしたが、ふと立ち止まって寂しそうなリムを振り返り、それからエリシュを見た。

「行けばいいんじゃないか?おまえを束縛するつもりはないからな」

 無表情のエリシュの言葉に棘はなかった。が、レオが踵を返すと、エリシュは去り際に付け加えた。

「ただし、敵に討たれ、地に倒れ伏す瞬間、訓練を怠ってさえいなければと後悔しても遅いぞ。我々の存在を知った以上、ノイシュは必ず現れる。そのとき奴に勝てるのか?」

 二の足を踏むレオにふくれっ面のリムがつかつかと歩み寄り、篭手に腕を絡める。

「レオくんはあたしが守ります。……行こ?」


 蜂蜜と聞いて、レオは養蜂場の巣箱を連想したが、ここ大森林では天然の巣から採取するのが普通だ。イファルに許可は取ったから、と説明するリムは獣道もない森を奥へと分け入り、羽音が唸る木のうろに目星をつけると茂みに身を隠した。矢筒から引き抜いた矢の先端に、信号弾にも使われる発煙筒を手早く縛り付けていく。

「どうするんだ」

「蜂を煙で眠らせたあと、投げ縄を太い枝に引っ掛けて、さっさと登って採ってくるだけだよ。まあ見てて」

 リムはレオに担がせた巣板回収用の籠の蓋を開け、ところどころ結び目のある長いロープを示した。巨木のうろは三階の窓ほどの高さにあるのに、こんな縄一本で登るっていうのか……。発煙筒の導火線に火打ち石で点火し、リムは弦を引き絞った。だがその直後、森に地鳴りのごとき震動が響き渡り、樹上の鳥が一斉に飛び立った。

「魔鉱兵かっ!?」

「ラッキー!獲物が増えたよ」

 地響きの主は魔鉱兵以上もあろうかという、川辺で見た狼よりもさらに巨大な熊だった。リムは導火線のくすぶる火花を素手で握り消し、矢筒から別の矢を引き抜いた。槍の穂先のように太く鋭い鏃の根元に取り付けられているのは発煙筒どころではなく、大型の獣の分厚い頭蓋骨を一撃で粉砕してしまう炸薬である。群がる蜂を意にも介さず、木のうろに片手を突っ込んで巣板をえぐり取る熊のこめかみ辺りに、慎重に狙いを定める。

「あ……」

 リムは弓を下ろした。熊は身を屈め、自分の頭に蜂がたかっているうちに、蜂蜜たっぷりの巣板を足元に寄り添う二頭の子熊に与えている。優しいんだな、そうレオが思ったとき、二人の背後で何者かが小枝を踏み折り、その音に気づいた熊が立ち上がった。


「なんでエリシュさんがいるんですか!」

「ぐ、偶然通りすがっただけだ!」

「もうちょっとましな言い訳あるでしょ!」

「いいから、二人とも!」

 熊は子供達を背にまっすぐこちらへ向かってきているので、見かけ上、速くは感じられないが、進路の大木が易々と薙ぎ倒されてゆくところから推測すれば、すでにかなりのスピードで突進している。森の民ならともかく、山慣れない里の者の足ではとうてい振り切れまい。リムは走りながら、おもむろに炸薬付きの矢の鏃をへし折った。

「レオくん、エリシュさん、逃げて。今度はあたしが囮になる!」

「なに考えてるんだ!きみだけ死なせられるか!」

「あたしは誰も死なせたくないの!」

 レオとエリシュが全速力のまま二手に分かれ、残ったリムが熊の前に立ち塞がる。やれやれ、スリリングな初デートになっちゃったね……。導火線から炸薬へ火花が到達する寸前、リムは熊の眉間めがけて鏃のない矢を放った。凄まじい閃光と爆音から熊が立ち直ったとき、そこにはもうリムの姿は無かった。熊は鼻を鳴らしたが、焼け焦げた炸薬の臭いが三人のわずかな体臭を上書きした。


 こうして、それぞれが各々の仕事に没頭するあまり、もしも作戦が失敗したらどうやってオーアルシア姫を救い出すのか、ということに思い至る者が誰もいないまま、満月の夜がやってきた。


          *      *      *


 白銀の月が南中する前に、七体の魔鉱兵は闇夜に紛れて包囲網の各地点に均等に分散する持ち場を目指した。都の裏側へ回り込む各機と別れたプロトナイトがウォーリアーと二体きりになったとき、闇の中から現れたアークナイトが先行するプロトナイトを突き飛ばした。

《伏兵か!?》

《やはり現れたな。待っていたぞ、ウェルスランドの魔鉱騎士!》

「イファルさん、ここは俺に任せて先を急いで下さい」

《くっ……、すまない!》


 ノイシュは逃走するウォーリアーを意に介さなかった。彼の目的はあくまでもプロトナイトの捕獲だからだ。都を取り巻く森に多くの敵兵が潜んでいることも知っていたが、帝国に反抗的な王族など滅べばいい。白銀の装甲が月光にきらめき、アークナイトとプロトナイトは同時に剣を引き抜いた。


 森の外では、特別に砲身を延長された六門の試作新型長距離砲が地図情報と尖塔を目印に城を狙っていたが、ルミラが片手を水平に上げて発射用意を命じようとしたとき、黒い森の彼方から夜空へ発光信号が打ち上げられた。

「撃つな、だと!?森では何が起きているんだ」

「静かに……聞こえませんか?」

 竜人ルミラは口元に人差し指を当てて両耳を立てた。

「降伏勧告が行われているようです。各砲は待機。故あって敵味方に分かれたとはいえ、いたずらに同族の血を流したくないのでしょう。僕達は正義の軍隊です。彼らの努力を無駄にしてはいけません」

「了解。総員待機!」

 帝国との戦自体、人間同士の同族殺しみたいなものですけどね、とルミラは苦笑しつつ言外に付け加えた。


「諸部族の王とその兵よ、俺達はあなた達を包囲している。だが、あなた達を滅ぼしに来たわけじゃない。思い出してくれ、俺達の敵は初めから帝国だけだ。俺達にはあなた達の助けが必要なんだ。再び手を取り合って帝国に立ち向かおう!帝国の者どもは、武器を捨てて城を明け渡せ。そうすれば危害は加えない!」

 月の光を浴びて、ウォーリアーが街壁の前へ進み出る。その両腋の装置から竪琴の調べが流れ出し、前奏に続いてイファルの歌声が森の都に響き渡った。歌の内容が城にいるはずの王女を指し示していることは誰の耳にもすぐに分かった。


「イファルの声……!」

 王妃と部屋に隠れていたオーアルシア姫は、侍女達の制止を振り切って尖塔の暗い階段を駆け下り、父王と帝国軍の将兵が居並ぶバルコニーへ出た。ただちに警護の兵士が彼女を取り押さえたが、オーアルシアは甲冑に身を包んだ戦装束の父の目を見据えて、決して退こうとしなかった。

「お父様、行かせて!」

「ならん。魔鉱兵部隊および砲兵部隊は攻撃用意。おそらく陽動である。全軍、周囲の敵の動きを警戒せよ」

「はっ!」

 森林迷彩の魔鉱兵達が動き出した。城を守る部隊はナイト一体につきメイジ二体、城の四方にアーチャーが数体と、前衛のナイトの割合が少なく、しかもどこか一方に集まればたちまちその裏側がお留守になる手薄さだ。


「まずいな、私達も出よう。少し揺れるぞ」

「はい姫様」

 ブレードダンサーの獣の両目が点灯し、街壁をひと跳びで乗り越えた。駆けつけた二体のナイトが左右から斬りかかり、ツインケペシュがそれを受けたが、クレアは積極的には反撃せず、その代わり舞うように攻撃を避けつつイファルの歌に唱和した。それを合図に都の左右からフィーラとセリアのドルイドが立ち上がり、命を吹き込まれた木々が枝葉を揺らして動き出す。巨大なドライアド達は街壁を踏み壊して都へ突入すると、逃げ惑うメイジを突き飛ばしながら城の周囲に整列する帝国兵を取り囲み、双子の合唱に従って円陣を組んで踊り出した。


 森に潜む諸部族の族長達がざわつき始めた。我らも加勢したほうがいいのか……?しかし、木の化け物が邪魔で都に入れんぞ……。掘を跳び越え、体当たりで正面の街門を破壊したウォーリアーがドライアドに守られて、改良された増幅装置に集まった仲間の歌声とともに城へ突進してゆく。イファルは歌いながら機体を回転させて、群がるナイトをウォーアックスで左右へ弾き飛ばし、アーチャーのボルトとメイジの“魔力の矢”を素早いステップで躱して、王女が待つ城のバルコニーの前にウォーリアーを滑り込ませた。

 軍人に囲まれた王女と父王と、王女を心配してあとを追ってきた王妃とが立つバルコニーは、ウォーリアーが膝をついていても腕を伸ばせば触れそうな高さである。イファルはなおも歌い続け、オーアルシア姫も透き通るような歌声でそれに応じる。馬鹿げた光景に開いた口が塞がらないバルコニーの一同が呆然とする中、オーアルシアはウォーリアーの手にひらりと跳び移った。ウォーリアーの胸部装甲が展開し、操縦室から腕部を駆け上って出迎えたイファルがオーアルシアを抱き寄せれば、そこはもう二人だけの世界だ。

「イファル!」

「オーアルシア!」

 互いの腰を抱いて満月に手を伸ばす男女の完璧なハーモニーが夜空に響く。ところが城の砲台からドライアドに向けた砲撃の跳弾が流れ弾となってウォーリアーに襲いかかった。王はバルコニーの手すりから身を乗り出し、目を見張った。

「馬鹿者!なにをやっておる!」


 間一髪、砲弾はウォーリアーに直撃する寸前にスナイパーの放った矢によって弾道を逸らされ、地上へ転がり落ちた。

「ふぅ。世話が焼けるね」


 月夜の都は今やお祭り騒ぎである。地面を踏み鳴らして踊り回るドライアドに包囲された帝国兵の中にも、メロディが繰り返すうちに覚えた歌詞を口ずさむ者が現れ、帝国軍に徴用されていただけの森の民の兵士に至っては肩を組んでステップを踏んでいる。扉を閉ざしていた都の家々からもちらほらと森の民が顔を出して歌い始め、森に潜んでいた諸部族の戦士達も声を重ねた。

「ああっ、もうどうにでもなれ!私も行っちゃうぞー!」

 スズはフィーラとセリアに誘われて輪舞に加わり、二体のドルイドとプロトメイジが手に手を取って跳ね回る。街壁の外に陣取っていたはずのスナイパーもたまらずそこへ躍り込み、五体の魔鉱兵と数体の戦意を喪失した敵魔鉱兵、そしてごく少数ながら他部族のレジスタンスで運用されていた鹵獲魔鉱兵が、ドライアドの輪の内側で城を囲む小さな輪を形成した。リムはブレードダンサーと軽快に舞い戯れつつ、スナイパーの左肩のアルバレストから信号弾を垂直発射し、どうやら作戦が成功したらしいことはルミラの元にも伝わった。呆れ返る馬上のエリシュからの通信でクレアの膝の上のメルが竪琴の演奏を終えると、かつては敵同士だった者達から惜しみない拍手が、盛大な拍手が贈られ、その中心で片膝をつくウォーリアーの手のひらの上のオーアルシアは、バルコニーで抱き合う両親に見守られて、皆の祝福の中でイファルとキスをした。城の砲台はもはや砲弾を吐き出すことはなく、いつの間にやら用意されていた花火が森の夜空を彩った。


 夜空の月は、レオとノイシュの二体の魔鉱兵の一騎討ちを見下ろしていながら何も語りはしなかった。彼らの戦いに祝福などない。プロトナイトの厄介な新機能に対応すべく即興で戦闘スタイルを変えたノイシュは、剣を攻撃には使わずに相手の剣を捌くのみとして、その代わりカイトシールドでプロトナイトを執拗に殴打した。


「エリシュさんが言ってた。あなたは自分の出世しか頭にない狂人だって。他人は踏み台でしかないって……。あなたには人の心がないのか!」

《少年、君の将来の夢は何だ!》

「俺の……夢!?」

《腕を磨き、ライバルを蹴落とし、死力を尽くして出世の道をひた走る!私は騎士として当然のことをしているまでだ。人の心と言ったな?こんなことは社会に出れば誰でもやっている。できない者など負け犬だ。君も男なら上を目指せ!》

 輝くパーシャルアーマーは相変わらずプロトナイトを守ってくれていたが、アークナイトのカイトシールドは機体をかばうように前面に押し出され、レオの剣がつけ入る隙は上下左右どこにもない。しかも、視線や踏み込みを読ませてくれるほどアークナイトの連打は甘くはなく、レオはプロトナイトの足を踏ん張ってひたすら耐えるしかなかった。敵の攻撃を弾き返すということは、こちらの体重よりも敵の攻撃に乗った勢いのほうが勝っている場合、かえってこちらが撥ね飛ばされるということでもある。

《ただし!私の邪魔をするなら全力で潰させてもらう!》

 渾身のシールドバッシュがプロトナイトを張り倒した。操縦席の衝撃吸収効率が改良されているとはいえ、激しく頭を揺さぶられ続けたレオは目を回して起き上がることもままならない。

《分かるか、少年。君と君の魔鉱兵はすでに充分危険なのだよ。皇帝陛下にとっても、私にとってもな》

 逆光のアークナイトが両眼だけを点灯させて、仰向けに倒れたプロトナイトにとどめを刺そうと近づいてくる。そのとき、アークナイトの背景の夜空で満開の花火が上がり、遅れて届いた音にノイシュは振り返った。


 偵察から戻ったコルネルの報告を受けて、街壁の外の木陰で都の様子を窺っていたエリシュは耳の小石に手をやった。

「クレア姫、プロトナイトが見当たりません。馬鹿騒ぎはそろそろ終わりにして下さい」

《馬鹿騒ぎだと……?まあいい。メル、フィナーレだ》

《どうしたの?》

《プロトナイトがいないらしいよ》

《レオがいないって!?》

《レオくんが?おっかしいなぁ、そのへんにいないの?》

《なんでもないよ、オーアルシア。……ええと、大変なことを忘れていた。彼は俺を逃がすために、独りで敵と戦っているはずだ。今も生きていればな》

《敵ってもしかして白いナイト?》

《ん?リム、どうして分かるんだ?》

 五体の魔鉱兵は顔を見合わせた。

《……大丈夫だ。レオは強い》

《そうよね。レオならきっと大丈夫よ》

《ちょっと。レオなら、レオならって、何よそれ。あなた達はレオくんに自分の期待を押し付けるだけで、何もしてあげないわけ?みんなでレオくんを支えてあげなきゃいけないんじゃないの?》

《……》

《……》

「……」

《あたし、四番手になるつもりないから》

 スナイパーは城の近くに積み上げられていたバリケード用の丸太を背中の矢弾補給システムに装填して、さっさと森へ分け入ってしまった。

 そんなリムの言わんとするところは理解できたが、四人の中にまさか自分が含まれているとは思わず、クレアのブレードダンサーは何度も指折り数え直しながら小首をかしげた。


《花火だと……?》

「イファルさんの愛の詩が戦を止めたんだ。ノイシュ・フォン・スタイン、あなたの味方はどこにもいない」


 ノイシュは逡巡した。ウェルスランド軍がすでに大陸の奥深くまで侵入したらしいという噂は聞いている。森の民がウェルスランドに降伏した今、早々に逃げなければ退路がないかもしれない。


《……ははははははははは!!我が同胞を山ほど殺しておいて、綺麗事で済むものか!血は血でしかあがなえん。自分が死んだと気づくこともなく殺された者達や、恐怖と絶望の中で苦しみもがきながら死んでいった者達に、愛の詩とやらをあの世で歌って聞かせてみろ!》

 アークナイトはプロトナイトの胴体を乱暴に踏みつけ、胸部装甲に剣を突き立てようとしたが、正面から走り出た影がプロトナイトの上を跳んでアークナイトを体当たりで吹き飛ばし、仰向けに倒れる二体の魔鉱兵の間に立ちはだかった。月光に照らされたそのしなやかな後ろ姿は、魔鉱兵に匹敵するほどの体躯の、あのときの狼のものだった。

 片まぶたに傷のあるボスが高く月に吠えると、幾十、幾百とも知れない狼の遠吠えが呼応して、木立の闇の奥からいくつもの金銀の眼光がアークナイトを睨んだ。一斉に走り出した巨大な狼の群れに追い立てられたアークナイトは、捨て台詞を残す余裕もなくカイトシールドを投げ出して森の彼方へ消え、その様子を見守っていた群れのボスも、一度だけプロトナイトを振り返ると何の余韻もなく群れを追って悠然と立ち去った。


 リム達がプロトナイトを発見したのは、連日の夜更かしのせいで眠気が限界に達したレオが仰向けで操縦席に座ったままひと寝入りしている最中のことだった。変な姿勢で眠ったためにレオの両脚からはすっかり血の気が引いて痺れており、イファルに助け起こしてもらわなくてはならなかった。


          *      *      *


 全ての後始末が済み、レオ達は森を去る前に改めて城へ招かれた。謁見の間では諸部族の族長達と並んで、帝国を見限り森の民の王に仕えることにした将軍達や魔術師達もひざまづいていた。帝国から派遣されてきた将兵の中には、彼らのような裏切り者の他にも、森を追放されたものの帝国内部から密かに内通するようになる者や、自責の念に苛まれて居たたまれなくなり、かといって帝国へ逃げ帰る気にもなれなくなって行方をくらませた者もあったが、王に刃向かって処刑された者は一人として居なかった。彼らは皆、森の民とともに長く暮らしすぎた。そして、これまでは帝国という存在が彼らの心を抑え付けていただけだったのだ。また、森に仮葬されていたおびただしい戦死者は改めて丁重に葬られ、帝国兵の亡骸は帰国する者達の手にゆだねられた。

「勇者達よ、ありがとう。大森林は帝国の魔手から解放された。おぬしらの名は子々孫々の代まで語り継がれるであろう。儂にできる範囲で褒美を取らせる。何なりと申すがよい」

「義父上、帝国には今も多くの仲間が囚われています。帝国を倒し、仲間達を連れ帰るまで、俺達の戦いは終わりません」

「よくぞ申した。だがイファルよ、大事な時期に森を離れては困るぞ?儂には帝国に屈し森に災いを招いたという咎があるゆえ、早々に隠居し、おぬしに跡を継いでもらわねばならん。我が娘とともにな」

 オーアルシアが玉座に寄り添った。そのさりげない微笑みは、たったそれだけで王女の顔の周りに咲き乱れる花々の幻を見せるほどで、レオは軽くめまいを覚えた。

「イファル、帝国はあたしが倒すよ。一緒に捕まったみんなの顔はあたしも覚えてる。イファルは森を守って」

「頼もしい限りだ。戦士リムよ、おぬしはウェルスランド軍に志願したそうだな」

「はい」

「それは本心からか?ウェルスランドの者どもに強要されてのことではないのだな?」

「ウェルスランドの王様は、奴隷だったあたしをを悪者から救うために兵士として買い上げてくれたんです。あたしはあたしの意思でこの人達を森へ連れて来ただけで、強要されたことは一度もありません」

「ならばよい。おぬしはウェルスランド軍に同行せよ。不満があればいつでも帰ってきてよいぞ」


「畏れながら、国王陛下」レオ達を迎えに来ていたルミラが口を開いた。王は目を丸くして、珍しい獣でも見るかのように竜人の顔を覗き込んだが、ルミラはそんな視線には慣れっこだった。

「帝国と戦うにあたり、我がウェルスランド軍には戦力が足りません。とりわけ魔鉱兵とその操縦者が少なく、帝国に立ち後れております。どうか陛下の生産施設と人員をお貸し下さい」

「よかろう。ここで支援を惜しみ、帝国に巻き返されては何の意味も無い」

「感謝申し上げます」

「ただし、部品の製造、機体の組み立て、戦場への輸送、すべてこちらで賄わせてもらう。警備を言い訳にしてウェルスランドの兵を森に置くことは許さん。よいな」

 森の民の王は、準備が整い次第援軍を差し向けることまで約束してくれた。のちに、腹に一物を持つ諸侯の騎士団よりも森の民の軍勢のほうが、ウェルスランド軍にとって頼もしい味方となるのだった。


「……大砲で都を狙っていたことは謝らなくてよかったんですか?」

「レオナルド、世の中にはわざわざ言わんでいいこともある」

「武力を持ちながら、それを振るうことなく戦を未然に防ぐ。簡単なことではないが、見習いたいものだな」

「ええ。いずれフェリアにも平和を取り戻しましょう、姫様」

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