第三話 忘れられし砂漠の都
Ⅲ
金の刺繍で飾られた朱のマントをなびかせ、全身の装甲にも金の縁取りがある近衛師団仕様のアークナイト部隊に守られた荘厳な宮殿、その大広間の長机に、眉間にしわを寄せた将軍達が頬杖をついたり腕組みをしたりして連座している。帝国軍総司令部の御前会議に急ぎ呼び出された騎士ノイシュは銀の仮面を小脇に携え、長机の背後の暗い玉座から一同を見下ろす皇帝に一礼して着席した。今のノイシュにとって、ここは軍議というより吊し上げの場だ。
「ウェルスランド攻め、滞っておるようだな」
「申し訳ございません皇帝陛下」
「貴様には失望したぞノイシュ」皇帝の隣に立つ漆黒の甲冑の男がすかさず口を挟んだ。「聞けば、敵軍の魔鉱兵に返り討ちにされたそうではないか。父上、やはりここは私のマジックナイト部隊にお任せを」
「焦るでない。息子よ、若さは力だ。ウェルスランド王には世継ぎがおらぬ。王が没すれば宮廷は必ずや混乱のるつぼと化すであろう。そのときこそ、ベルク、お前が皇帝となり彼の地を平定するのだ。つまらぬ戦いに身を投じて命を落としてはならん」
「しかし、父上!こいつは大軍を預かりながら、おめおめと逃げ帰ってきたのですよ!」
皇帝は溜息をついた。が、ベルクに指差されたノイシュは落ち着き払って兵器開発部門の魔術師団代表にちらと視線を送り、不敵な笑みを浮かべた。
「皇太子殿下のおっしゃる通りですが、収穫もありました。まず、敵の魔鉱兵ですが、あれは現時点では出来損ないの囮にすぎません。不意討ちで陣を乱されはしましたが、そのような戦法が通用するのも一度限りです。僚機もなく、操縦者はろくに訓練されていない素人、おそらく量産段階に達していない試作品といったところでしょう。畏れながら私見では、もうひとつの新兵器……新型の長距離砲こそが、やはり敵の主力と考えます。実際、上陸部隊及び艦隊が被った損害のほとんどが超長距離からの狙撃によるものです」
「ほう」
「そして、沿岸に設置されていた長距離砲と砲弾のサンプルを持ち帰ることができました」
魔術師が皇帝に一礼すると、将軍達の視線が集中した。
「件の新型砲は、すでに魔術師団の総力を挙げ解析を進めております。ですが、結論から申し上げますと、我が軍での本格的な運用を実現するためには今しばらく時を頂かねばなりません」
超長距離狙撃の秘密は、砲身内部に刻まれた螺旋の溝にあった。流線型の砲弾が燃焼ガスの流れに沿って回転することで、その飛行姿勢が安定し、射程距離が飛躍的に延長され、しかも標的への命中率が向上するのだ。このような砲身と砲弾の形状は帝国が召し抱える鍛冶職人達の技術でも再現可能だが、試射を繰り返すうちに未知の特性が浮かび上がった。
「着弾点が予測とずれるのです。鋳造品の精度不足による誤差ではなく、砲を向けた方角に応じてずれ方が変わるため、実射データを蓄積し、いかなる状況に於いても照準を修正し得る計算式を導き出すまでは、たとえ実戦配備したとしても使い物になりません」
「鹵獲した砲に破壊工作の形跡はないのだな?」
「はい」
「では、解析は続行し、量産を進めよ。ひとまず数さえ揃えば命中率など多少低くともよい。データは実戦でも収集できよう」
「かしこまりました」
皇帝はノイシュに向き直った。
「敵の魔鉱兵については、余はもう少し注視したい。報告通りの性能なら、外国からの技術支援の産物とは考えにくいが、我が軍の戦線を支えておるのはまぎれもなく魔鉱兵部隊である。いかな新兵器といえど模倣され諸国に拡散してしまえば陳腐化する。放置すれば、いずれ戦の形勢を覆されることもありえよう。引き続き偵察し、可能ならば捕獲せよ」
皇帝がそこまで言ったとき、大広間の扉が音を立てて開かれ、伝令の兵士が入室した。兵士は即座にひざまづこうとしたが、長机の向こうに屈み込まれては声がよく聞こえないので、皇帝がそれを制して気をつけの姿勢のまま報告させた。要約すると内容はこうだ。ウェルスランド沖で試験中だった水陸両用試作魔鉱兵クラーケンが行方不明。仮設基地は壊滅、操縦者および現地に派遣した人員は全員死亡、何者かの奇襲を受けたらしいこと以外は分からない。しかし、帝国の盟邦であるフェリア王国領内にて、所属不明の魔鉱兵が目撃されたとの通報があり、フェリア王国軍は帝国の指示を欲している。
ウェルスランドはフェリア経由での反攻を画策しているのか……?いや、そう思わせての魔鉱兵を使った陽動かもしれぬ……。将軍達の間にどよめきが走り、ノイシュは皇帝の言葉を待たずに立ち上がった。
「騎士ノイシュは、フェリア王国に急行せよ」
「はっ!ウェルスランド上陸作戦失敗の汚名、必ずや返上してご覧に入れます!」
ま、せいぜい頑張るがいいさ、と言うように、漆黒の甲冑のベルクは黒く燃える瞳で白騎士ノイシュを見てニヤリと笑った。
帝国首都からフェリア王国へは、諸都市を出入りするたび面倒な手続きが必要になる陸路よりも、潮流の都合で海路のほうが早い。ノイシュが軍港へ戻ると、態勢を立て直しつつある帝国艦隊では、反攻に転じたウェルスランド軍が迫っているという噂がすでに広まっていた。この情報は裏が取れ次第すみやかに皇帝の耳に届けられねばならないが、それはそれとして、特命を帯びているノイシュはアークナイトとともに輸送船に乗り込み、単身フェリア王国へ急いだ。
古い歌や書物に“ひとたび迷い込めば生きて出られる者はない”と伝えられる大砂漠のイメージから、フェリア王国は“砂の国”とも形容されるが、その首都は灌漑によって豊かな水と緑に恵まれ、灼熱の太陽のもとに、国家宗教の象徴でもある白く輝く王宮がそびえ立っている。門前を守る獣頭人身の魔鉱兵は、帝国の技術支援を受けて国内で独自に開発されたものである。フェリア王国は現代に連なる魔術体系発祥の地ともいわれ、鉱石魔術に於いても技術力は帝国に引けを取らない。それゆえ皇帝はフェリア王国に攻め込まず、魔鉱兵に関する技術供与と引き替えの同盟という形で戦を避けたが、水面下では帝国の影響力が着々と宮廷を蝕んでいた。先の女王亡きあと、お飾りの新女王を頂く神官団は絶大な権力を握り、それに反発した王国軍とかねてから対立していた。帝国はその両陣営に裏から手を回し、対立を煽ることでフェリア王国を二つに引き裂こうとしていたのだ。
「幼くして女王に祭り上げられたという砂漠の姫君……、会ってみたいものだな。私の働きでことが首尾良く運べば、戦利品として娶る権利ぐらいはあろう」
砂漠戦用に設計されているフェリア王国の魔鉱兵と違って、アークナイトの操縦室には排熱機構などない。開放したままの胸部装甲に足を掛け、白亜の王宮を見やったノイシュは、仮面の下の汗を拭った。ここでは白銀の機体とノイシュの甲冑はひときわ燦然ときらめき、目に痛いほどだ。すぐに衛兵が駆けつけ、書状の封蝋に捺された紋章でノイシュの身元を確認したのち王宮の中へ案内した。
風通しのよい回廊を通り抜けると、謁見の間では筋肉隆々の浅黒い大男が仁王立ちで待ち構えていた。
「フェリア王国軍総司令官カニスである」
「騎士ノイシュ、勅命により馳せ参じました。女王陛下にお目通り願いたく存じます」
「姫様はお会いにならぬ。皇帝からの返答はこの場で述べよ」
部下に書状をもぎ取らせたカニス将軍が自らの目で読み通すのを待って、ノイシュは口を開いた。
「魔鉱兵部隊をお貸し頂ければ、すぐにでも敵を捕らえて参ります」
「いや、私が出る。これは国内の問題である」
「皇帝陛下に背くおつもりか?」
「背くだと?つけあがるなよ、小僧。フェリアはあくまでも対等な立場で同盟を結んでいるにすぎん。帝国に連絡を取ったのは、万が一の同士討ちを危惧してのこと。敵と分かれば打ち倒すだけだ」
カニスは部下に自分と直属部隊の魔鉱兵の出撃準備を命じた。
「帝国の魂胆など分かっている。使者殿はおとなしく待っているがいい、敵の首ぐらいは土産にくれてやろう。誰か、この者を牢に繋いでおけ!こそこそと嗅ぎ回らぬようにな!」
* * *
オアシスの宿を兼ねた酒場でレオとスズとエリシュがくつろぐ卓に、キャラバンとの交渉を終えたレッドクロスが帰ってきた。さまざまな補給物資の買い付けもあり、四人はオアシスで一泊したのだが、やっと船へ帰れるというのに、今日の彼女の様子はどこか不自然だ。
「船長さん、どうかしました?」
「ん、なんでもねぇ。用は済んだから、すぐに町を出るよ」
レッドクロスはキャラバンとの待ち合わせ場所まで歩きながら、レオ達を見ずに独り言のようにつぶやいた。
「さっき気づいたんだが、あちこちに兵隊が張ってやがる。それと、向こうを見てみな」
レオが見上げると、砂色の町並みの向こう、オアシスの外れに、昨日までは居なかった獣頭人身の魔鉱兵が何体か佇立している。
「あたしとしたことが、なんでもっと早く気がつかなかったのか……」
「昨日は皆疲れていたし、お互い様だな」
「俺達、狙われてるんですか?」
「あんまりジロジロ見るんじゃないよ。思うに、あいつらが探してるのはうちの魔鉱兵で、こっちの顔までは割れちゃあいない。ただの人捜しなら、あんなものを持ち出す意味がないからね。そこで考えがある」
作戦はこうだ。レッドクロスはキャラバンと先行し、荷物を満載したキャラバンが安全圏に逃れるまで、プロトナイトとプロトメイジが敵の注意を引きつける。魔鉱兵の隠し場所が見つかっていた場合に備えて、エリシュがレオとスズを護衛する。
やれやれ、また囮か。エリシュは頭を抱えた。
「おい、その作戦でそちらになんのリスクがある。我々を捨て駒にするつもりか」
「んなわけあるかい。キャラバンとトンズラこくつもりなら、宿まであんたらを迎えに行ったりしないよ」
「あの、海賊船は座礁しているんですよね?私とレオが押し出さないと、沖へは出られないんじゃないかな」
「それもそうだな」
なにくわぬ顔でぶらぶらと表通りをゆくレッドクロスと別れた三人は、町の中では焦らず進み、町外れに達してからは一直線に走った。砂丘の向こうに砂を被せて寝かせた二体の魔鉱兵は発見されてはいなかったが、オアシスの外周を巡回していた二騎の兵士が手綱で馬に鞭をくれ、一騎はオアシスの向こうの魔鉱兵部隊を呼びに行き、もう一騎は次第に速度を上げてこちらを追跡してきた。
「レオナルド、私が時を稼ぐ。魔鉱兵を起こせ」
「エリシュさん!」
剣を抜いたエリシュが二人に背を向けるのを見届け、レオはプロトナイトに、スズはプロトメイジにそれぞれ飛び込んだ。
埃っぽい操縦室の闇に音もなく幾条もの稲妻が駆け巡り、プロトナイトが起動した。レオには聞き取れなかったが、眼下では曲刀を抜き放って突撃してくる騎兵に、迎え撃つエリシュが何事か叫んでいる。
「我こそは、ウェルスランドの騎士エリシュ!いざ尋常に勝負!!」
「望むところぉー!!」
馬上から打ち下ろされた曲刀をエリシュの剣が弾き、すれ違いざまに馬の尻尾を薙いだ。尻尾の毛を切断されて驚いた馬は嘶いて倒れ、落馬した兵士が砂に足を取られながらよろよろと立ち上がろうとする隙にエリシュがとどめを刺す……かと思いきや、一目散にプロトナイトの足元へ逃げてきた。レオはあわててプロトナイトの手のひらを差し出し、胸部装甲を開いてエリシュを迎えた。
「エリシュさん、そこ邪魔ですから。背もたれの後ろに回って下さい」
「はぁ、はぁ。助けてやったのに、なんて言いぐさだ」
装甲を閉じ、砂と汗にまみれてくすんだエリシュの甲冑が視界の脇へ消えると、砂煙を上げてオアシスを迂回してくる五つの影が見えた。背後からプロトメイジに機体をノックされたレオは、例の小石のことを思い出して懐から取り出し、耳に嵌め込んだ。
《レオ、どうするの!?》
「どうするったって、やるしかないだろ……」
先ほどエリシュに倒された兵士が曲刀を振り上げて助けを呼ぶと、手押し車のような二輪の構造物を腰部に連結している獣頭人身の五体の魔鉱兵は意外にも停止し、兵士が馬を引き起こしてオアシスへ走り去るのを待った。中央の機体の胸部装甲が展開し、操縦室から身を乗り出して装甲の縁に足を掛けた浅黒い男が喉元に手をやる。どうやら黄金の首飾りに通信魔法回路が仕込まれているらしい。
《所属不明機に警告する。お前達はフェリア王国領を侵犯している。武器を捨てて縛につけ》
「レオナルド、石を貸せ」
相手が敗兵を見捨てない騎士であるのなら……!エリシュは耳に小石を嵌め、敵に呼びかけた。
「こちらはウェルスランド王国の騎士エリシュだ。投降はしない。が、フェリアの騎士殿。五対二とはいささか卑怯であろう。我々はそちらの兵士を殺さず帰した。騎士道精神に則り、一対一の決闘で勝負をつけようではないか」
「え?ええっ!?ちょっと、そんな勝手に!」
《……》
しばしの沈黙のあと、浅黒い男は腹の底に響くようなバリトンで笑い出した。
《帝国の侵略に抗う最後の島国、ウェルスランドの気風とはこういうものか!よかろう。カノポス隊は待機》
《閣下、よろしいのですか》
《フェリアの魔鉱兵の力を帝国に示す好機である》
《了解しました》
「決闘は騎士見習いレオナルドがする。以後、通信を替わる」
エリシュはレオに小石を返し、プロトナイトの胸部装甲を開けさせた。
「忘れるな、目的は時間稼ぎだ。キャラバンの様子はプロトメイジから伝える。頑張れよ」
プロトメイジの手のひらに乗ってエリシュがスズのいる操縦室へ消えると、それを待っていた敵の魔鉱兵から通信が入った。
《フェリア王国軍、総司令官カニス》
「騎士リカルドの息子、レオナルド!」
《見習いの小僧、子供だからといって手加減してもらえるなどとは思うなよ》
カニスが操る獣頭人身の魔鉱兵ソードマスターは、機体を牽引していた“チャリオット”と呼ばれる高速走行ユニットを切り離し、チャリオットのウェポンラックから巨大な刃物を取り外した。ソードマスターが柄を握ってひと振りすると、三日月型に湾曲した刃が前方へスライドして、剣というよりは槍か薙刀のような長柄武器に変形した。ジャイアント・ケペシュ。その全長は、展開状態ではソードマスターの頭頂高の倍ほどもある。
《ソードマスター、参る!》
「行くぞ、プロトナイト!」
プロトナイトの両眼がレオの声に呼応するように光った。
* * *
地下牢の扉が開かれ、幽閉されていた仮面の騎士ノイシュは兵士に案内されて上階へと向かった。ここまでは手筈通りだが、仕上げに神官達が出撃する口実を作ってやらねばならない。その目的にうってつけの人物は、砂漠の姫君、女王ネフェルクレアただ一人だ。
王宮のほとんど全ての部屋と同じように、クレアの寝室にも扉はない。天蓋のあるベッドに浅黒い身体を横たえ、羽毛枕を抱いていたクレアは、警護の兵士の声に絹のショールを引き寄せた。日中のクレアはたいてい部屋でごろごろしているだけだが、それはフェリアの昼の日差しが強すぎるからで、屋外での活動は夕暮れを待って、特別の公務がない限り風通しのいい屋内で過ごすのが普通なのだ。身繕いを済ませたクレアが寝室の出入り口に姿を現すと、見知らぬ男を伴った神官長とその部下達が揃ってひざまづいた。
「火急の用件につき、お休みのところ失礼いたします。姫様、カニス将軍が王国に対して謀反を起こし北のオアシスに逃亡しました。神殿へお出まし下さい」
謀反などありえぬことだ。将軍と神官長とが国政の主導権を争っているのは今に始まったことではないが、それも国の行く末を案ずるがゆえ。あのカニスが自ら政情を混乱させるような暴挙に及ぶだろうか?クレアは仮面の男に目をやった。
「そこの者は誰か」
「帝国よりの使者ノイシュ殿です。牢に捕らえられておりました。この者の通報で将軍の謀反が明らかとなったのです」
「お初にお目にかかります、女王陛下。騎士ノイシュと申します」
「帝国だと……?」
ノイシュはクレアを見上げ、仮面の下から品定めをした。あからさまな疑いの目をこちらに向ける気丈そうな瞳、小柄で引き締まったしなやかな身体は猫のように美しいが、どちらかというと後ろに控える長身長髪の女楽士のほうが好みだ。
「姫様、すでに支度は整っております。今こそお出まし頂き、ご威光をもって私どもに謀反人カニス将軍の討伐をお命じ下さい」
「そうはいかない。謀反を起こしたのなら、なぜ逃げる必要がある?真っ先に都を押さえ、私の身柄を確保するべきだろう」
「……」
「神殿で待て」
神官達が立ち去ったのを確認してから、クレアは部屋の隅で竪琴を抱く盲目の女楽士に耳打ちをした。
「逃げるぞ。メル、お前もおいで」
「メルもでございますか?」
「ここに居ては危ない。帝国はいよいよフェリアを乗っ取るつもりだ。みんな殺されてしまう。将軍を助けないと」
「メルの役目は姫様のお帰りになる場所を守ること、お部屋でお待ちしております」
「駄目だ!」
クレアは竪琴を持ったままのメルの手を引いて立たせ、澄まし顔で、しかし足早に長い回廊を抜け、泉のほとりに花々が咲き乱れる中庭の渡り廊下を通って、別棟の兵舎の裏から練兵場にある格納庫へ向かった。その間クレアを呼び止める者は誰もいなかったが、クレアは焦った。全てが神官達の計画の内で、あえて寝室で拘束せず泳がされているのかもしれないからだ。衛兵の目を避けて非常階段から地下格納庫へ忍び込むと、予想通り女王専用魔鉱兵ブレードダンサーにはひとりの整備兵の姿も、整備兵が使役するシャブティの姿もなかった。行くしかないか……。
盲目のメルは初めて足を踏み入れる広い空間にしばらく戸惑っていたが、自分の足音とクレアの声の反響から周囲の物体の距離と形を感じ取り、硬質の巨大な腕が彼女の正面に降りてくるのを知覚した。
「戦いになったら、かなり揺れると思う。我慢しておくれ。私にはどうしてもお前が必要なんだ」
操縦室の闇に幾条もの黄金の稲妻が走り、座席の前でぼんやり光る水晶球が、クレアとその膝の上で横抱きにされているメルの褐色のカンバスに機体後方の影像を描き出した。
「ブレードダンサー、出陣!」
開け放たれたままの格納庫のスロープから、ブレードダンサーと合体したチャリオットが両輪で砂を巻き上げながら地上へ急発進した。
オアシスの外れではレオとカニスの決闘が始まっていた。プロトナイトはソードマスターの懐に飛び込もうとしたが、ソードマスターはプロトナイトが距離を詰めれば薙ぎ、後退すれば突き、剣と槍の長所を併せ持つジャイアントケペシュを振り回して変幻自在の攻撃を仕掛けてくる。ジャイアントケペシュがある限り、プロトナイトはソードマスターに近づくことができないばかりか、どのような間合いに居ても安全ではない。だが今のプロトナイトは、ジャイアントケペシュの間合いを超える武器をひとつだけ装備していた。海賊船での戦いのあと、スズはプロトナイトの左腕に新たな武装を追加していたのだ。それは一見、小型の円盾のような形状だが、撃破した水中型魔鉱兵の部品を加工したもので、渦を巻く円盤は鎖を巻き取るリールであり、その終端の筒から銛を射出することができる。スズはこれをチェインシューターと名付けた。
《レオ!》
「やっぱり、あれを使うっきゃないか」
レオはわざとジャイアントケペシュの間合いに入り、敵の攻撃後の隙が最大になるように、ソードマスターがジャイアントケペシュを振り抜く寸前に砂丘を蹴って後退しつつ、ソードマスターの脚部を狙って銛を射出した。そして足首に巻き付いた鎖が叩き斬られる前にリールの巻き取り機構を作動させ、ソードマスターのバランスを崩して引き倒した。
《ぬぅ!》
鎖を自切したプロトナイトは仰向けに転がるソードマスターにのしかかり、二度、三度と振り下ろした剣がソードマスターの左肘の関節を破壊したが、ソードマスターは足裏でプロトナイトの腹を押し出すように蹴飛ばし、吹き飛んだプロトナイトが起き上がる前にジャイアントケペシュを拾って立ち上がった。左腕を失ったことで、ジャイアントケペシュの突きと薙ぎの威力はプロトナイトの剣でも捌けるまでに落ちている。だがプロトナイトにもチェインシューターの銛はもはやない。二つの切っ先が火花を散らし、両機は再び間合いを取って睨み合いの状態に陥った。
《ふははははっ、やるな小僧!くだらぬ政争に明け暮れるうち、このカニス腕がなまっていたようだ。どこもかしこも卑怯者ばかりで辟易していたが、やはり正々堂々、真っ向勝負が私の性に合っている。これぞ男の戦いよ!》
ソードマスターの全身に黄金の稲妻が走り、足元の砂が巻き上がって砂嵐となった。砂粒と砂粒が擦れ合いバチバチと音を立てる。見守る部下達がざわついた。
「エリシュさん、止めなくていいの?今止めないと、レオ死んじゃうよ」
「あ……?ああ」
密閉された操縦室の気温が上がっている。きっとプロトナイトも同じだろう。暑さで頭をやられたのか?どいつもこいつも……。スズは溜息をつき、耳の小石に手をやって、せめて自分だけは少しでも冷静で居ようと深く息を吸い込んだ。
「なにが男の戦いよ!馬鹿みたいに死ぬまでやることないでしょ!潔く負けを認めて、私達を見逃しなさい!」
《やれやれ、そちらの操縦者も子供か。馬鹿は承知の上だがな、小娘。将軍である私が出た以上、この勝負には国の威信が懸かっているのだ。水を差してくれるな》
「やめようカニスさん。俺、死にたくないけど、あなたを殺したくない」
《そういう台詞は……》
ソードマスターがジャイアントケペシュを構える。
レオは考えた。退けば突き、押せば薙ぐ。死角はどこにもない。どこから攻めようと、ソードマスターの周囲を刃の円盤がぐるりと取り囲み、その内側に入ることはできない。死角はどこにも……?
《……敵を叩き伏せてから言うものだ!!》
カニスの魔力の昂ぶりとともに機体を包むマジックフィールドが増大して足元の砂を押しのけ、砂丘の上を滑走するように異常なスピードでソードマスターが突進してくる。が、プロトナイトは退かず、砂を蹴って前へ跳んだ。
《上か!?》
「はああああああああああああっ!!」
応じようとしたソードマスターだが、切っ先の向きが変わる前にその刃をプロトナイトが踏み折った。ジャイアントケペシュを足場にしたプロトナイトはさらに跳び、大上段からの兜割りでソードマスターの頭部を叩き潰した。
《閣下!》
《カニス閣下!》
両膝を折って崩れ落ちるソードマスターに、後方で控えていた四台のチャリオットが接近してくる。……と、砂丘の向こうから新手の魔鉱兵が飛び出し、その勢いのままチャリオットを切り離した。魔力の供給を絶たれたチャリオットはプロトナイトの胴体に激突して胸部装甲を剥ぎ取りながらバウンドし、砂丘に突っ込んで停止した。
《うわああああああああああああああっ!!》
悲鳴のような雄叫びを上げて、クレアの駆る女王専用魔鉱兵、獣頭人身のブレードダンサーが太陽を背に宙返りをして直上からプロトナイトに襲いかかる。間一髪、顔面に砂を浴びるのも構わず砂丘の上を転がって避けたプロトナイトは胸部装甲の上半分を失って、操縦室のレオの腰から上が露出している。
《子供!?》
砂の中から立ち上がった魔鉱兵の胴体の奥に、自分と同じ年頃の血と汗と砂にまみれた顔を見てしまったクレアは、両手に逆手持ちで構えた一対の湾曲剣ツインケペシュをその操縦室に叩き込むのを一瞬ためらった。とっさに左腕で防いだプロトナイトだったが、ブレードダンサーの高速の二連撃はすさまじく、チェインシューターの接続部が耐えきれずに腕から吹き飛んだ。
《させない!!》
対峙するブレードダンサーとプロトナイトとの間に、プロトメイジが指す杖先からの高熱を発する火球が着弾して爆発し、二体を足元の砂ごと弾き飛ばした。スズの攻撃魔法“炸裂火球弾”は、動きの素早いブレードダンサーを確実に葬るためのものだったが、狙いが甘かったために砂丘を深くえぐっただけに留まった。
《レオ、大丈夫?》
「痛ったぁ……下手くそ!大丈夫なわけないだろ!」
《その調子なら平気そうね》
プロトナイトから少し離れて四台のチャリオットを従えたブレードダンサーが立ち上がり、獣の目でレオを睨んだ。
《貴様が将軍をやったのか。よくも……》
「あの人は俺と一騎討ちをして、納得ずくで戦って負けたんだ」
《うるさい!それがどうした!》
踏み込みかけて、クレアは膝の上で身体をこわばらせる盲目のメルに気づいた。怪我ひとつないが、これまで彼女が経験したことのないような恐ろしい目に遭わせてしまった。もう無理はさせられない。
《姫様、我らカノポス隊にお任せ下さい。カニス閣下を失った今、我ら四人は姫様の指揮下にあります》
「捕らえよ」
《御意!》
レオとスズが逃げるより早く、ぱっと散った四台のチャリオットが砂上になめらかな円を描いて回りながらプロトナイトとプロトメイジを包囲した。ソードマスター“ハピ”“イムセティ”“ドゥアムトエフ”“ケベフセヌエフ”の四体はそれぞれのチャリオットからジャイアントケペシュを取り外すと、刃を伸展させて柄の端を長めに持ち、じりじりと周回距離を絞ってゆく。ソードマスタータイプの標準装備ジャイアントケペシュは、本来はこのようにチャリオットと合体したままでの戦いに適した長柄武器なのだ。
「そういうことなら!」
プロトメイジが巨大な杖を構えると魔法回路に稲妻が走り、その経路が呪文詠唱となって杖先に光と熱の塊を形成した。火球弾はカノポス隊の囲みを多少乱しはしたが、何発撃とうとそのたび包囲円の大きさが自在に変わるだけですぐに立て直されてしまう。
《見たか!我らの連係は完璧なのだ!》
プロトナイトとプロトメイジは互いの背中を合わせた。スズはプロトメイジの杖先に意識を集中したが、火球が発生しない。
「ごめん、暑くて疲れてきた」
《無限に撃てるわけじゃないのか》
「私の気力次第ってところだけど、もう駄目かも」
「スズ、あまり消耗するな。キャラバンの姿が見えない。そろそろ退くことを考えよう」
「そんな隙がどこにあるっていうんですか!」
この瞬間を好機と見たカノポス隊がとどめの四方同時攻撃に移ろうとしたとき、オアシスの向こうから砂煙を上げて新手のチャリオット部隊が悠然と現れた。大部隊のソードマスターに守られた獣頭人身の魔鉱兵シャーマン部隊の中央の一体が掲げている白い旗竿を見て、クレアはカノポス隊を制止した。シャーマンタイプは神官用の機体だが、旗竿に描かれているのは神殿のシンボルマークでもフェリア王国の紋章でもなかった。
「我が軍が、帝国の紋章を掲げている……!?」
オアシスを背にして魔鉱兵の一団が停止した。レオとスズはブレードダンサーがあっけにとられている隙に逃走を試みたが、カノポス隊の四体のソードマスターがすぐさま四方向から彼らにジャイアントケペシュの切っ先を突きつけて牽制した。
《ここにおられましたか、姫様》
白い法衣のシャーマン部隊の中で、ひときわ目立つ黄金の杖を持つ機体から発せられる声は神官長のものだ。
《何をしている!お前達に出陣を許可した覚えはないぞ!》
《私どもは姫様をお迎えに上がったのですよ?フェリア王国はこれより皇帝陛下の庇護のもとに加わり、帝国の一部となります》
《なんだと?》
《ご安心下さい、姫様のお役目はこれまで通り、なにひとつ変わりません。私どもの用意した場にお出ましになり、私どもの用意したお言葉を発し、いずれ王家繁栄のためにお世継ぎをお産みになるまで、民の心のよりどころであらせられればよいのです》
神官長のシャーマンの隣で腕組みをしていた白銀の魔鉱兵が、プロトナイトに向けて片腕を伸ばす。忘れようもない、仮面の騎士のアークナイトだ。エリシュとレオは目を見張った。
《あれは……!》
「ノイシュ・フォン・スタイン!」
《感謝するぞ少年。君のおかげで我が帝国は戦をすることなくこの地を手に入れた。フェリアに関する案件はもともと私の担当ではなかったが、このタイミングで将軍が死んだことによって、私の手柄として皇帝陛下に報告を持ち帰ることができる。ははははは!!》
レオとカニス、どちらが死んでも帝国に損はない。このうえ手負いのプロトナイトをフェリア軍に捕獲させれば、ノイシュ自らは手を下すことなく、労せずして手柄が倍になるというものだ。
「お前達、それで良いのか!?」
アークナイトからの声を聞いたクレアは肘掛けの先端を握り締め、ブレードダンサーはシャーマン部隊へ視線を戻した。
《全ては民のためでございます。さ、姫様。王宮へ帰りましょう》
民のためだと?どうせ多額の報酬と帝国内での要職を約束されての裏切りだろう。今は帝国の連中の甘い言葉に乗せられている神官達も、遠からずはしごを外されるに決まっている。
「断る!臆面もなく帝国の旗を掲げている恥知らずどもの牛耳る国などが、フェリア王国であるものか!」
《どうやら姫様は、将軍に肩入れしすぎておられるようだ。それでは……悲劇の女王になって頂くほかありませんなぁ》
クレアの言葉を待っていたというように、神官長のシャーマンに続いてシャーマン部隊が揃って杖を掲げる。初めから将軍を犯人に仕立て上げ、女王を暗殺するつもりだったのだ。自分達の地位さえ安泰なら、お飾りの後釜など誰でも差し支えない。杖の先端に生じた光がまばゆいばかりに輝きを増したかと思うと、無数の光線がブレードダンサーめがけて殺到した。だが次の瞬間、頭と片腕のないソードマスターが横合いからブレードダンサーを突き飛ばした。カニスの半壊したソードマスターは武器ひとつ持たず、鎖が絡んだままの脚を引きずって、ブレードダンサーをかばうようにシャーマン部隊の前に立ちふさがった。
《姫様、お逃げ下さい……》
「カニス!?」
《私は、帝国に擦り寄ることで力を得たあの者どもの権勢を抑え込むため、罠と知りながら、自らも帝国と手を組み、亡き先代女王陛下……愛する女の祖国を、ついに守り抜くことができなかった……。ふふっ、内心、果ての見えぬ意地の張り合いに嫌気が差して、戦士としての死に場所を求めていたのやもしれませぬな……。この愚か者の末路をしかと記憶に焼き付け、どうか賢明なる道をお進み下さい。クレア、我が娘……》
「そんな、いやだっ!」
《死に損ないが!第二射、放てー!》
シャーマン部隊の攻撃魔法“光の槍”がソードマスターの歪んだ胴体に一点集中して装甲を白熱化させ、カニスの意思を反映するように機体前面を守ろうとするマジックフィールドと反応して大爆発した。続いてシャーマン部隊の前衛のソードマスター部隊がジャイアントケペシュを抜き放ち、横列を崩さぬようじわじわと速度を上げながら距離を詰めてくる。知らぬ間にクレアの頬を流れ落ちていた涙が、メルの衣の上の染みとなって消えてゆく。なぜ、どうして今になって……。
「姫様、お気を確かに。メルがここにおります」
そうだ、泣いている場合ではない。逃げなくては。しかし、どこへ?クレアが振り返ると、プロトメイジとプロトナイトが並び立って砂まみれのブレードダンサーを見ていた。
《あの、お姫様?あなたの事情はだいたい分かったわ。行く当てがないなら、私達と一緒に来ない?》
《ふざけるな。誰のせいでこうなったと思っている》
《はぁ?そこから!?あなた、さっきおじさんの言ったこと、ちゃんと聞いてた?》
「まあまあ二人とも。味方になってくれなくたっていいさ。要するに、俺達ならきみを逃がせるってだけだ。なんなら捕まったままでもいい。だけど俺達を捕まえたって、連行する先はないんだろ?」
《……》
二体の周囲でカノポス隊のソードマスター達が、互いの顔を見て決意したように頷き合った。
《時間がありません。姫様、この者達とお逃げ下さい。我らが囮になります》
《僭越ながら、この者達の申すことにも理があるように思えます》
《姫様が生き延びることはカニス閣下の遺志、我らはその命に従う義務があります》
《姫様、ご決断を》
敵から逃れるために別の敵を頼るのでは、神官達と同じではないか?クレアは迷ったが、ここで死んでしまってはくよくよと悩むこともできない。整理すべき気持ちが山ほどある。獣頭人身のブレードダンサーは顔を上げ、砂丘に埋もれかけた自分のチャリオットを見た。
《オアシスは全てフェリアのものだ。砂漠に逃げ場はないぞ。どこへ向かえばいい》
プロトナイトは砂丘の向こうに隠れて見えない海を指差した。目印のない砂漠で海賊船の正確な位置など覚えてはいないが、海岸が見渡せる距離に到達すれば一目瞭然だろう。
《承知した。カノポス隊は……あとを頼む》
《御意!》
姫様、誰に裏切られようとも、何を失おうとも、姫様を信じ、姫様のために命を賭して戦う者がいるということをお忘れにならないで下さい。フェリアの民は皆、姫様の民なのですから……!
走り去ったカノポス隊が二体ずつ二手に分かれ、チャリオットから煙幕を噴射する。その隙に引き起こした自分のチャリオットと再合体したブレードダンサーは、チャリオットの両輪を軽く空転させて故障や損壊がないことを確認してから、両肩にプロトナイトとプロトメイジを掴まらせ、腰の鞘にツインケペシュを納めて二体の両手をしっかりと握った。そして、五人を乗せた三体の魔鉱兵を力強く牽引するチャリオットが巡航速度に達すると、胸部装甲の上半分を破壊されたままのプロトナイトの操縦室に座るレオの顔面に、砂粒混じりの、しかし心地よい砂漠の風が吹きつけた。
キャラバンと別れ、修理が完了した海賊船への物資の積み込みを海岸で監督していた女船長レッドクロスは、砂漠に轟く雷鳴のごとき音に砂丘を振り返った。マストの見張り台からは、船員が大きく手を振ってレッドクロスを呼んでいる。
「キャプテン!お客さんのお帰りですぜ!」
「あいよっ!お前ら、荷物の搬入は続けな!もたもたするんじゃないよ!」
レッドクロスはロープで括った補給物資を満載した小舟に同乗し、貨物搬入口の蓋の裏のタラップから、船の内壁に沿って取り付けられた階段を駆け上がった。甲板の航海士から望遠鏡を奪い取ると、なるほど、砂丘の彼方に砂を巻き上げながら、手押し車に牽引された巨人の大部隊が横列を組んでまっすぐ突進してくるのが見える。その前方をゆく手押し車に巨人が三体くっついているように見えるのが気にかかるが、なにか事情があってのことだろう。
「うほっ、オアシスで見たときよりだいぶ敵が多いじゃねぇか。あいつらドジ踏んだね」
「どうします?」
「ふふん、愚問だね。搬入口は開けたままで、いつでも船を出せるようにしておきな」
「はいキャプテン」
レッドクロスは備え付けの伝声管から艦尾の砲列に一斉射撃を準備させた。
「目標、追っ手の魔鉱兵部隊!手前のほうは味方だ!当てるんじゃないよ!射程に入り次第、仰角修正しつつ連続発射!敵の鼻先を狙ってビビらせる!撃ち方用意……始め!!」
隊長機のソードマスターの肩を借りて滑走するアークナイトの騎士ノイシュが海岸に船影を見出した時点で、ソードマスターのチャリオット部隊はすでに散開を開始していたが、横隊の中央付近にいた不運な一台が敵艦からの直撃弾を受けてバラバラに吹き飛んだ。通常なら艦載砲ごときの攻撃でまともなダメージを受ける魔鉱兵ではないのだが、現在は相対速度によって砲弾の威力が増している。初撃から命中を許してしまっては、砲の角度、船までの距離、こちらの走行速度から、次弾以降も命中させるための発射タイミングを容易に算出されてしまう。ノイシュは考えた。ここで採りうる行動は二つ……。
《回避ー!!》
「なりません!敵射程圏に深く食い込みすぎました。ここで速度を緩めれば、かえって狙い撃ちにされ各個撃破されます」
《では、どうしろというのだ!》
ノイシュの指示で、隊長は両端の二台を除くチャリオット達を一旦減速させた。そして横列の前に出た二台が後方へ煙幕を噴射しながら互いに接近し、再び離れてジグザグ機動を開始したところで部隊全体を加速させた。煙幕が尽きれば先導役を交代させ、本隊への被害を最小限に留めつつ艦載砲の内側の死角へ潜り込む。火力支援が受けられなくなれば敵はたったの三体だ。チャリオットで轢き殺すも良し、身動きの取れない砲艦ごと拿捕するも良し、如何様にも料理できる。だがノイシュは、敵にもうひとつの火砲が存在することを知らなかった。
「ノイシュめ……。クレア姫、こちらの煙幕は使えますか」
《どうするつもりだ》
「追っ手の本隊が煙幕に隠されて、海賊船からの砲撃の命中率が落ちています。そこで、こちらからも直接反撃を試みます。スズ、頼めるか」
「うーん、やってみる……」
ブレードダンサーが駆るチャリオットの姿勢が崩れて走行速度が低下したが、プロトナイトがバランスを取って持ち直した。プロトメイジはブレードダンサーの肩に置いた片手だけで機体を支える格好になり、腰の杖をブレードダンサーと握手していた手に取って、のけぞりながら狙いを定めた。杖先から放たれた火球が追っ手の先導役に命中すると、バラバラになった機体の残骸がさらに後続の二台に激突した。先導役を失った本隊からはこちらの姿が丸見えだが、ブレードダンサーのチャリオットが噴射する煙幕がそこをカバーし、次の狙いを読まれるのを防ぐ。
「私がのけぞってるわけじゃないのに、なんだかすっごく無理してる感じ!」
「いいぞスズ。その調子で、前に出てきた奴を優先的に狙え」
《無茶苦茶だ、こんなの!機体が裂けてしまう!》
「頑張って!私だって汗だくなんだから。ああー!ハッチを開けられたら、もう百発は撃てるのにー!」
「ん?開けては駄目なのか?」
《涼しいですよ!風が強すぎて息苦しいし、砂粒が痛くて目も開けていられませんけど!》
「まあ、その前に操縦室に流れ込む風の圧力で装甲が内側から吹き飛ぶわね……」
炸裂火球弾と艦砲射撃の連係攻撃によって隊列を大きく乱されたチャリオット部隊は、隊長の命令もむなしく恐慌状態に陥って三々五々、勝手に退却を始めた。逃げ惑うチャリオットは海賊船の格好の餌食となり、スピードが乗らないうちに艦載砲からの集中砲火を浴びて各個撃破された。隊長のチャリオットもアークナイトとともに仕方なく反転し、追撃から逃れるようにオアシスを目指して速度を上げた。
《失態だな、騎士ノイシュ殿!》
「手は打ってあります。残兵をまとめ都に凱旋しましょう」
《どういうことだ?》
ノイシュは答えなかったが、操縦室では相変わらず落ち着き払って不敵な笑みを浮かべていた。
三体の魔鉱兵の力でフェリア沖へと脱出した海賊船は、すぐにノイシュが仕掛けた罠の手の内に落ちることとなった。帝国で伝令からの報告を聞いた時点で、敵がフェリア領へ上陸するのに輸送船を使ったはずだと推測したノイシュは、フェリアの港に着いたとき、あらかじめフェリア海軍の軍艦を出動させていたのだった。この軍艦はそもそも海軍力の弱いフェリア王国に帝国が譲渡したものであり、指揮官も裏工作によって神官派が占めていたので、フェリアの軍人が乗っていようと皇帝の名を出せば従わせることなど容易だった。ノイシュが帝国海軍を使わなかったのは、フェリアの領海で本来の目的から外れた余計な摩擦を生まないためである。もっともフェリアが属国となった今では、その心配は取り越し苦労に終わったが……。
「帝国の紋章じゃあないが、どう見ても帝国の船だ。海岸沿いにあたしらを探し回ってやがったんだ」
レッドクロスは歯噛みした。相手は二隻、まともに戦えば難破船に逆戻りだ。
昇降口から一人で甲板へ上がってきたエリシュは額に手をかざして目を凝らしたが、肉眼では帆に何が描かれているかなどろくに判別がつかない。
「帝国の旗でないということは、最新の情報が伝わっていないのかもしれん。クレア姫に説得してもらえないものかな」
「いやぁ、それ以前に領海侵犯だからね。相手の顔も見えないうちに砲弾が飛んでくるのが先だろ。どうせやりあうなら先手を打ちたい」
「商船を装うというのは?」
「平時ならともかく、こんな火薬臭い海域をうろついてる商船がいるかい。みんなとっくに出航を控えるか、よそへ逃げちまってるよ」
「ふぅむ」
「ま、見てなって」
数で勝る敵艦に対してどう動くかは、敵がどのような陣形を取ってくるかによる。現在、二隻の敵は横列を組んで海賊船を正面から左右に挟み込もうとしている。挟撃されることになるので、このまま突っ切るのはまずい。しかし、対応が遅れて敵に縦列を組まれるのはもっとまずい。左右どちらへ避けようと、挟み込まれた場合よりも長時間、片側に集中砲火を受け続けることになるからだ。そうなれば船はたやすく横転してしまう。ではどうするか?
レッドクロスは舵を大きく沖へ切らせた。帝国軍の艦載砲の性能は分かりきっているので、敵艦の射程圏に入らないよう迂回して、充分に距離を取って回頭してから帆を調節して増速直進する。この動きによって敵の横列の真横に並ぶ位置関係となり、片方の敵艦を盾にすることで、もう片方の敵艦からの攻撃は完全に封殺できる。当然、敵もUターンして追ってくるが、あとはスピード勝負であり、先に直進してスピードが乗っているぶん海賊船のほうが有利だ。そのうえ艦尾の大砲もある。
「そら。どうだい騎士さん」
「見事……というより、あっけないな」
「逃げに徹すりゃこんなもんよ。敵の操艦が素人で助かった。このまま振り切るよ!」
「キャプテン!」
「どうしたぁ!」
「正面に船影、二!」
レッドクロスが望遠鏡を覗くと、先程と同じように横列を組んだ軍艦がこちらを左右から挟み込もうと直進してくる。
「待ち伏せか」エリシュは腕を組んで前を見据えたまま溜息をついた。
「こりゃあ年貢の納め時かもね。騎士さん、ここでも船室でも、安全だと思うほうに居な。この船がボロボロになっても、あんたらだけは必ず送り届けてやる」
もちろんこのキャプテンレッドクロス、こんなところでくたばる気などさらさらない。ウェルスランドの近海を仕切っていた大海賊を相手に単艦で暴れ回り、この顔の傷と引き替えにぶっ潰したあのときのことだって、正直死ぬかと思ったけど、今じゃ武勇伝なんだ……。レッドクロスは伝声管を取った。
「速力最大で突っ切る!両舷、全砲門発射用意!」
「キャプテン!」
「今度はなんだい!」
「正面は味方!ウェルスランド海軍の船です!」
レッドクロスはただちに海賊旗を上げさせた。こちらと同様に戦闘準備をしていた二隻の軍艦が海賊船の両脇を通り抜け、背後の敵艦を左右外側から挟み込んで砲撃する。ウェルスランド王国正規軍の軍艦には少数ながら長距離砲が搭載されており、二隻の敵艦はろくに反撃もできぬまま損傷して包囲された。味方艦が敵艦の後ろで交差するあいだ、海賊船の艦尾から砲撃を加えて支援しつつ離脱し、最後に味方艦が敵と併走しながらとどめを刺したことで、敵は航行困難となり追跡をあきらめた。覚悟していたことだが、敵地であるはずの前方から味方が助けに来たということは、ウェルスランド軍の港湾襲撃作戦はすでに掃討戦に移っており、レッドクロス達は大幅に遅刻してしまったということだ。二隻の護衛を得た海賊船は、その後、敵艦に遭遇することなく進み、フェリア王国の領海から脱出した。
* * *
フェリアを出た海賊船に再び夜が訪れる。就寝前のストレッチをしていたエリシュの部屋に珍しくレッドクロスがふらりと現れ、軋む寝床に腰掛けた。いつもならエリシュが船長室に遊びに行く側なのだが、レッドクロスは目的地へ到着する前にどうしても確認しておきたいことがあるようだった。エリシュ達が魔鉱兵ごと船に連れ込んだ、異国の女王と侍女についてだ。
「それで、結局のところ砂の国のお姫様は味方なのかい?うちのメシを食わす以上、お客様なのか捕虜なのか、そこのところをはっきりさせておきたい」
「かいつまんでいえば、“敵の敵は味方”といったところだろうな。クレア姫は内乱で国を追われた。その陰では帝国が糸を引いている。だから今は帝国が我々の共通の敵だ」
レッドクロスは腑に落ちない様子で両手を組み、両膝の上で頬杖をついた。ウェルスランド王になんと説明して女王を引き渡せばいい?勝手な判断で誘拐したと受け取られないだろうか?事情はともかく運んでいるのは海賊船であり、責任は船長のレッドクロスにある。
「直接訊いてきたらどうだ?」
「それが一番かもね」
エリシュ達と同じように客室のひとつをあてがわれたクレアは、寝床の上に膝を抱えて塞ぎ込んだきり食事にも手をつけなかった。女楽士メルはクレアが黙っている間、相次ぐ戦闘でめちゃめちゃに狂った竪琴の弦を無言で調律していたが、クレアの食器の音を聞くと中断して自分の食器に手を伸ばした。毒見をするならクレアの皿の料理でなければ無意味だが、よほど疲れているのか、クレアにはその気がないようだ。
「お味はいかがですか?」
「食材はフェリア産のようだが、味付けも野菜の切り方も大雑把すぎる」
「肉体労働をなさる船員の方々に合わせたお料理ということなのでしょうね」
「うん。食材も船の積み荷のひとつだから、積載量がその船の重さと速さ、すなわち航海能力に影響する。余分な食料などないはずのところを、急に転がり込んだ私達にもこうして分けてもらえるだけましだな。宮殿では、ただ部屋でおとなしくしていれば食卓の用意が整っている毎日だったのに、明日の食事の保証もなくなるとは」
情けないことに、気分が滅入っていても腹の虫からの訴えには耐えきれない。まずい、まずい、と貶しつつ、あっという間に自分の皿を平らげたクレアは、ろくに口もつけずに差し出してくるメルの食器を、今後どうなるか分からないのだからしっかり食べておけと突き返した。
「メル、巻き込んでしまってすまない。お前だけでなく、大勢の侍従や家臣、それにフェリアの民への責任も、私は放り出して逃げてきてしまった。我が身可愛さに他国に身を売るなんて、神官どもと同じじゃないか。カニス将軍の……父の言う賢明なる道とは一体何なんだ」
「姫様……」
こういうとき言葉でずばり助言をくれるメルではなかった。王宮のカーペットの上であれば、メルはただ膝をぽんぽんと叩いて太腿に頭を預けさせてくれるのだが、船室の床は冷たく硬いので、一旦立ち上がってから遠慮がちにクレアの座る寝床の端へ腰掛けた。温かくやわらかな両脚の肉の感触に包まれると、物心つく前に死んでしまった顔も知らない母を思い出すようで、クレアの頭の中で混線した思考の糸が少しずつ解きほぐされてゆく。
「……そうだな。これからどうするべきか、それは私が決めることだ。しっかりしなくては。メル、お前は私の家だ。女王として民や亡き父への責任を果たすまで、もう少しわがままに付き合っておくれ」
部屋の扉をノックする音でクレアは飛び起きた。返事も待たず入室したレオに恥ずかしい姿は見られなかったかもしれない。しかし髪がひどく乱れているし、赤面もしていることだろう。無礼者!と怒鳴りつけたいところだったが、気が動転して声にならなかった。
「ええと……食器の回収に来たんだけど、そろそろ食べてくれましたか?」
「はい。おいしゅうございました。ね?姫様」
「それはよかった。俺も手伝ったから」
盲目のメルはクレアと顔を見合わせる代わりにそれとなく彼女の肩に触れた。
そんな二人の食器を、額に包帯を巻いたレオが淡々と集めて積み重ねてゆく。食堂を散らかし放題の荒くれ船員と違い、テーブルマナーの身に付いた人達だけあって食べ方がきれいだ。
「貴様、戦士のくせにそんな雑用までやらされているのか?」
「無理強いされてるわけじゃないよ。剣の稽古で甲板を借りるために、こっちから頼み込んで働かせてもらってるんだ。休んだって怒られないけど、そうしたらその日の稽古ができなくなるだけ」
「ふぅん」
「朝から稽古だから、夜は早めに食べてくれるとうれしいな。おやすみ」
「待て。この船はどこへ向かっている。私達の処遇はどうなる」
「俺に訊かれてもな」
「貴様の言うとおりにしたんだぞ」
「……それもそうか」
レオはクレアに向き直った。
「むしろ、こっちがきみのこと知りたいぐらいだ。ずっと部屋に閉じこもりきりで、どうするつもりなのか分からなくちゃ、この先のことだって決められやしない。船長もみんなもきみを待ってる」
「ああ。ぜひとも聞かせてほしいね」
部屋の外で腕組みをして壁にもたれていたレッドクロスが滑り込むように現れるなり、両手に食器を抱えて立つレオの肩をお疲れ様と言うように優しく叩いた。クレアを船に連れ込んだ責任の一端があるとはいえ、ここから先はレオにどうこうできる話ではない。レオは部屋を去った。
厨房では、白髪交じりの料理番が明日のスープのブイヨンになる野菜くずを湯気の立つ巨大な寸胴鍋で掻き回している。レオが洗い場に食器を置くと、カウンターの向こう側の食堂の床をモップで磨いていた屈強な船員達が話し掛けてきた。
「おっ?噂のお姫様は、ようやく食ってくれたかい」
「はい」
「遅くまでよく頑張るよなぁ。あの女騎士さんなんか、おっかなくておいそれと声も掛けられねぇが、おめぇは素直で助かるぜ」
「ま、手際はあんまりよくねぇけどな」
「できりゃあずっとうちで働いてほしいぐらいだぜ。俺達ゃ明日をも知れねぇ命でよ、腕っ節ばかりで物覚えの悪りぃ新入りを、ぶん殴ったり、なだめすかしたりして、いちから仕込むのもひと苦労なんだ」
「てめぇだって最初はそうだったろうがよ」
「おめぇもな」
「お前ら、無駄口叩いてねぇで手ぇ動かせ!」
年かさの料理番が一喝した。
「ひと山いくらのわしらろくでなしと違って、騎士の生まれってのは、誰でもなれるもんじゃねぇ。お前さんはお前さんにしかできねぇことをしな」
「俺にしかできないこと……」
「石の巨人を動かすのも、お姫様を悪者から救い出すのも、お前さんの立派な才能だよ。ここには何百人もの船乗りがいるが、その何百人が束になったってかなわねぇ敵から、お前さんは船を守ったんだ。感謝してるぜ」
食器を片付けたレオは、まだ眠るわけにはいかない。ほの暗い灯火で照らされた貨物室の階段を降りると、スズとパペット達が三体の魔鉱兵を整備している。水中型魔鉱兵といい、獣頭人身の魔鉱兵といい、予定外の連続のためにスズもまた寝不足だったが、プロトナイトの魔法回路の調整を待つあいだ、砂の国の魔鉱兵の調査を優先していたのだ。
「あの子の魔鉱兵も修理してるんだ?」
「まあね。今後のことを考えて恩を売っておきたいっていう打算もあるけれど、それ以上に全身が未知の塊なのよ。間近で調べられるのは今のうちだけかもしれないのに、こんなおいしい機体を放置したまま寝てなんかいられないわ」
魔鉱兵は基本的に機体への接触で起動する。その際、扱いに慣れていれば魔力の起点は操縦席だけでなく、どの部位でも構わない。プロトナイトの足首に触れたレオは、目の前まで降ろさせた手のひらによじ登り、開いた胸部装甲の前へ運ばせて操縦室に乗り込んだ。魔法回路の点検が進むあいだ、機体の外に見えるスズが何をしているのか、その作業にどんな意味があるのか、門外漢のレオにはまるで分からない。だが、静かな操縦席で意識を研ぎ澄ましているこのひとときは、魔法鉱石の身体に自分が充ち満ちていくようで、不思議と心地いいような気がした。
しばらくして、スズがプロトナイトの胴体を叩いた。あらゆる衝撃に抵抗力を持つ分厚い装甲の内側からではそんな小さな音は聞こえなかったが、視界の下にその動作を捉えていたので、レオは胸部装甲を開いた。
「はいお疲れ。上がっていいわ」
「スズはまだ寝ないの?」
「私も適当なところで切り上げるつもり。……って、もしかして心配してくれてる?あはっ、そんなのお互い様でしょ」
レオは頬を掻いた。
「レオはさ、何のために戦ってるの?」
「なんだよ。いきなり」
「ずっと気になってたのよ。だって、国王陛下の命令で拒否権もなくプロトナイトに乗せられた割に、嫌な顔ひとつせず協力してくれてるじゃない。死にたくないとか、変化のない日常がいやだとか、そんな消極的なぼんやりした理由だけ?」
「そりゃあ最初はそうだったけど、今は白いナイトを倒すために……」
「ノイシュ・フォン・スタインって、エリシュさんのお兄さんなんでしょ?成り行きで狙われてるだけなのに、ライバルみたいに仕立て上げられて、あなたがエリシュさんの代わりに倒してあげる必要あるわけ?」
「……」レオはエリシュの部屋にスズが居たことを思い出した。
返す言葉もないが、要するに何が言いたいんだろう?珍しく回りくどい話し方をするスズはレオの頭の黄ばんだ包帯をちらと見、装甲に手を掛けて操縦室の中に身を乗り出した。
「だったら、私のために戦いなさいよ」
「それって……」
「ほ、ほら。そのほうが私もやりがいあるし、つまり、お互い頑張りましょうってこと。明日も早いんでしょ?もう寝なさい!寝ろ!」
プロトナイトから叩き出されたレオは、わけが分からないまま貨物室を出て自分の部屋へ帰り、その晩のスズと同じく眠れぬ夜を過ごした。そして、翌朝の稽古にちっとも身が入らず、何やら様子がおかしいことに気づいたエリシュに喝を入れられたのは言うまでもない。




