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第二話 女海賊レッドクロス

 帝国軍が港に残していった物資と軍艦のおかげで、壊滅しかけていた王国艦隊はむしろ増強される結果になったが、逃げ際の破壊工作によって無傷の船は一隻として無く、取り急ぎ損傷の少ない船に資材と人員を集中して艦隊の数を揃え、海を渡って敵の港へ速攻を仕掛ける作戦が立てられた。一方、竜人ルミラ率いる実験砲兵部隊麾下魔鉱兵部隊には特命が下された。修理が完了してから出航する主力艦隊に先んじて海を迂回し、敵が主力艦隊の攻撃に気を取られている隙に上陸して脇腹を突くのだ。


ていのいい囮だな」

「手厳しいですね、エリシュさん」

 ルミラとエリシュが見上げる前で搬入口を壊さないように慎重に貨物室に乗り込むプロトナイトと、その後ろに立つ新たな魔鉱兵プロトメイジを搭載する大型艦は、正規軍の船ではない。艦隊の戦力に余裕がないからという建前で、ルミラの部隊には王国から私掠船の免状を与えられている海賊の船があてがわれたのだった。こんな調子では、この先どんな貧乏くじを引かされるやら……。

「戦場に子供を放り込むような奴は気にくわん」

「僕の部隊がこうまで単独行動をさせられるのは、古参の重臣達が僕の失敗を望んでいるからです。僕だって馬鹿にされっぱなしというわけにはいかない。その代わり、レオナルドくんやスズさん、そしてあなたも、決して捨て駒のようには扱わないつもりです」

 口約束だけなら何とでも言えるさ、とエリシュは思った。

「ルミラ殿、私はレオナルドの父君に握手までされて、息子を頼むと言われて来た。あの子にもしものことがあれば、我が領主に合わせる顔はもとより、あの子のご両親に詫びる言葉もない。軍師殿には軍師殿の事情もあろうが、私にも私の責務がある。お互い、任された仕事は全うしたいものだな」

 エリシュは二体の魔鉱兵の積み込みが終わるのを待って、白い鱗で覆われた手を振って見送る竜人と別れた。


 限られた空間に砲艦と貨物船としての機能を効率よく詰め込む必要から、海賊船の通路には三人が並んで歩けるだけの広さはない。迷宮のように入り組んだ通路のどこかにある船長室を探すエリシュの後ろで、スズは自分のプロトメイジについてレオに説明する……というよりは、一方的にまくし立ててきた。帝国軍が港に残していった軍艦の貨物室で発見したメイジタイプのパーツのうち、無事なものだけを組み合わせて自分用にチューンした魔鉱兵の仕上がりがよほど気に入っているのだろう、話し相手は誰でもいいようだ。

「プロトナイトの試験操縦をずっとやっていたと言ったって、実戦なんだぜ?」

「平気よ。レオがしっかり守ってくれればね。あなた、攻撃魔法って見たことないでしょ?メイジはナイトよりも乗り手を選ぶけど、そのぶん攻撃力も高いのよ。一人で剣を振り回すだけよりは幅広い戦い方ができると思うわ」

 スズはプロトナイトよりもプロトメイジのほうが実戦向きだと言いたいのだろうが、剣にも剣の座学だけでは済まない技術がある。レオが反論しようとしたとき、T字路に差し掛かった三人の前を横切った一人の船員が、エリシュの頭からつま先までをちらと眺めて口笛を吹いた。


「貴様っ」

 ……が、エリシュが剣の柄に手を掛ける寸前、船員の身体はその場の壁に釘付けにされていた。疾風のように現れた真紅のロングコートの右腕が船員の喉に食い込み、耳元の壁には逆手で握った短剣が突き立っている。両肩と顎が固定されているので、船員は額も触れんばかりに睨みつける大柄な女の瞳から目をそらすことができない。

「うちには仕事中にお客様を冷やかすような野郎を置いとく余裕はないんだ。もう一度、同じことをやってみな。サメの餌になってもらうよ」

「はっ、はいキャプテンっ」

「分かったら持ち場に戻りな」

 赤い大女は逃げるように甲板へ向かう船員の尻を蹴飛ばすと、壁から引き抜いた短剣をコートの下に納めて三人に向き直り、大きな羽根飾りのある三角帽を取って一礼した。燃えるような眼光の残り火を宿す瞳と瞳の上には×字の古い裂傷が走り、その一部がまぶたに達している。

 あっけにとられていたレオはエリシュの手のひらでぐいと頭を押し下げられ、その隣でスズも頭を下げた。

「ったく、航海中に溜まったもんはおかで発散しとけって言い聞かせてあるんだけどねぇ……。船長のレッドクロスだ。あたしの船にようこそ」

「騎士エリシュだ。ありがとうキャプテン。おかげで剣を抜かずに済んだ」


 女船長レッドクロスはレオ達ひとりひとりに割り当てた客室と、食堂、便所といった生活に必要な設備、そして船員の仕事を邪魔せずにそれらの設備を使うための通行ルートと時間帯などの案内を終えると、三人とともに狭い階段から甲板へ上がって演台代わりの適当な木箱を引っ張り出し、備え付けの伝声管を使って船員達を呼び集めた。甲板の左右に点在する昇降口からはがっしりした体格の半裸の男達がとめどなく溢れ出して甲板上を埋め尽くし、各作業班の班長が中心となって部下をすみやかに整列させた。船長が木箱の上に立つのは仕事の前と終わりがふつうだが、毎日のことなので手慣れたものだ。

「野郎どもよく聞きな!こちらのお客様と積み荷は、国王陛下からの特別な預かり物だ!船、食料、弾薬、それに金!我が海賊団がここいらの海を仕切っていられるのは、ぜんぶ国王陛下のおかげだ!もしもぞんざいに扱ってかすり傷でもつけたら、おまんま食い上げだよ!分かったね!!」

「はいキャプテン!!」

「よぉーし、出航だ!錨を上げな!」


          *      *      *


 魔鉱兵の調整をしなければならないスズやレオと違って特に仕事のない騎士エリシュの関心事は、船が現在どこにいるのか、戦場にはいつ着くのかであり、一日の大半を船長室で海図とにらめっこしているレッドクロスの元を頻繁に訪れることになるのは当然の成り行きだった。そうでなくとも、同年代で同性の話し相手がいるというのはうれしいものだ。レッドクロスもそう思っているらしく、よほど忙しくなければ雑談に付き合ってくれた。そんなあるとき、見覚えのある船員が申し訳なさそうに入室すると、エリシュの前で汗まみれのバンダナを取って一礼した。

「なんだ、剣の錆になりに来たのか?」

「このあいだは失礼なことしちまって、すいやせんでした。あんた美人だからつい見とれちまった。本当に面目ねぇ」

 エリシュは船員の差し出した手を無視した。

「ん……海の上ではあなた達が頼りだ。世話になる」

「騎士さん、あたしの前だからって遠慮してないかい?腹の虫が収まらないんなら、こいつの奥歯の一本や二本はくれてやるよ?」

「自分から謝ってきた者に追い打ちをかけたくはない。それに、本気で殴ったら殺してしまう」

「ハハハ勘弁して下さい」

「で、用件はそれだけかい?」


 現在、海賊船は帝国軍の目を盗むべく、小島の多い海域を島影に隠れて縫うように航行しているのだが、船員の報告によれば、見張りが島のひとつに未知の拠点のようなものを見つけたというのだ。私掠船であるレッドクロスの海賊団にはウェルスランド王国の海上拠点の座標ならば知らされているので、未知の拠点となると商売敵の海賊のアジトか、他国の……帝国海軍の物資集積所かもしれない。レッドクロス達が甲板に出ると、左舷前方の小島の海岸に土嚢で保護された即席の拠点のようなものが確かに見える。砲台は確認できないが、もし設置されているなら艦載砲などより射程が長いのだから、とっくに撃ってきていることだろう。

「周囲に敵影なーし!」

「海賊旗上げ!左舷撃ち方、全砲門発射用意!」

 海賊船は、拠点のある島が左舷の大砲の射程圏内に入るタイミングを待って微速前進した。発砲しながら島の前を通り過ぎたら、今度はUターンして右舷の大砲から砲弾を叩き込み、その間に左舷の大砲に次弾を装填するのだ。メインマストの上に、レッドクロスの顔の古傷を模した真紅の×印を刻んだ黒旗が掲げられる。海賊船の上げる黒旗は“抵抗しなければ命までは取らない”という意思表示であり、海賊船に襲われた船や港は白旗で応じることによって降伏もできるのだが、謎の拠点からの返答はなかった。降伏はしない。しかし抵抗もしない。ということは単純に無人なのか?

「罠……かな。どう思う?騎士さん」

「この距離ではどのみち発見されている。見過ごせば連絡されて追っ手がくる。潰しておいたほうがいい」

「ま、ここらでひと稼ぎしておくのも悪くないか」

 レッドクロスの合図で土嚢を崩す第一波の砲撃が加えられた。が、なにかがおかしい。土嚢の奥には何名かの死体が見えるものの、その他には粗末なテントがあるばかりで物資らしいものは見当たらない。……そのときだった。


「右舷に敵!」

 見張り台の船員を振り落としながらマストが大きく揺さぶられ、船が右に傾いた。甲板上の固定されていないあらゆる物と人が右舷から海へ転がり落ちてゆく。何者かが海中から船腹に鎖のついた銛を撃ち込み、すさまじい力で船を右へ引っ張っているのだ。エリシュは手近なロープにしがみつき、レッドクロスは転がり落ちていった操舵手の代わりに舵輪を取って左に全体重を乗せる。

「海の化け物なら、釣りの要領で……!」

 甲板がやや水平に戻りかけたとき、左の昇降口からレオが這い出てきた。

「俺がプロトナイトで出ます!」

「無茶を言うなレオナルド!今、搬入口を開けたら船が沈んでしまうぞ!」

「いや、この船の貨物室は細かく区切られてて、搬入口から多少水が入ったぐらいじゃあ浮力を失わないようにできてんだ!」

 船腹に二本目の銛が撃ち込まれ、よろけたレオは甲板が垂直に近くなる前にレッドクロスの胸のクッションに救われる格好になった。やわらかい……。

「行きな坊や!あんまり長くはもたないけどね!」

 レオが舵輪からさらに転がり落ちた先は幸運にも甲板の右の昇降口であり、階段から通路へ投げ出されたレオはその勢いのまま、今や床も同然となった右舷側の壁を走ってプロトナイトが格納されている貨物室を目指した。


 搬入口を開けるまでもなく、貨物室の壁はすでに装甲を継ぎ目から剥ぎ取られて大穴が開いていた。壁に沿って取り付けられていた階段には途中から先が無く、床に鎖で固定されているプロトナイトまでどうして辿り着いたものかとレオが躊躇していると、パペット達と一緒にプロトナイトにしがみついていたスズが力尽きて落下してきた。

「レオ!」

 あわてて抱き止めたレオだったが、顔面に激突したスズの胸元が存外に固かったために一瞬目が眩み、自らも穴の外へ放り出されそうになってしまった。船腹の穴の縁に引っかけた片手の握力だけでは、スズと自分の体重をとても支えられそうにない。さらに、そうしている間にも足元で渦を巻く海中から伸びる銛によって船が激しく揺さぶられ続けている。目を凝らすと、海中へと続く鎖の先になにか巨大な白いものが見えるような気がする。海の魔物、クラーケン。伝説によれば、無数の触腕で船を襲い海底に引きずり込むという……。

「なあスズ、魔鉱兵って遠隔操作もできるんだよな?」

「なに考えてるの!あなたの魔力がよほど強いか、専用の魔法装置がないと無理よ!」

 レオは白銀の魔鉱兵が遠隔操作で自分の乗るプロトナイトを圧倒したのを覚えていた。プロトナイトの片腕だけでも、こちらへ動かすことができれば。

「なら、スズが装置になればいいだろ!」

「そんな都合のいい展開あるわけないじゃない!」

「できなきゃ死ぬだけだ。俺は、死にたくなんかない!」


 スズを抱き締める腕に力がこもり、同時に、その腕からスズの身体にあたたかい何かが流れ込んでくる。それは魔力だけではなく精神力、身近な人を死なせたくないという、はっきりとした形はないが強い意志だ。不器用な奴……!スズは歯を食いしばるレオの横顔を見てから、自分もまた上を向いてプロトナイトに意識を集中した。するとプロトナイトの指先に幾条もの稲妻が走り、肩から胴体を経由して頭部の巨大な両眼が点灯した。こちらを向いたプロトナイトは腕に絡みつく固定用の鎖を引きちぎりながら片腕を伸ばし、いともたやすく二人を掴み上げて、整備のために開放されていた胸部装甲の前まで運んだ。


「すご……できちゃった……」

「感心してる場合じゃないぞ。船底が軽くなったら、船はもっと不安定になる。スズはプロトメイジで船のバランスを取ってくれ。俺はあいつと……」

「海に潜って戦うつもり!?無茶よ!プロトナイトは泳げないし、操縦室に防水処理もしてないのよ!?」

「なぁに、息を止めてりゃ平気だって」

 レオは巨大な甲冑の四肢に魔力がみなぎるのを待って、垂れ落ちる鼻血を拭った。深く息を吸って吐けば、操縦席のレオと外界とを隔てる装甲の壁は意識の外へ溶けて消え去ってゆく。全身を固定していた鎖を身じろぎして完全に引きちぎり、スズをプロトメイジの操縦室へ送り届けたプロトナイトは、海中から射出された銛をとっさに避けて掴んだ。銛の穂先から上下左右に四つの鈎爪が飛び出し、空を掻いて穂先に収納された。


 激しい水音とともに海賊船が大きく揺さぶられる。

「坊やが出たのかい!?」

 レッドクロスはマストの付近にしがみついている生き残りの船員に声を振り絞って指示を出し、船が引き込まれかけている方向、すなわち右舷からの風を受けるように帆の角度をどうにか調節させた。続いて舵輪に備え付けの伝声管を取り、左舷船底の注水弁を開かせる。細かく区切られた船底の片側だけを意図的に浸水させれば、いちかばちか、喫水が深くなる代わりに水平を取り戻すことができるはずだ。舵輪には今や何名もの船員が取り付いて、さらにその船員達も別の船員達に全力で左へ引っ張られている。

「この筋肉バカども、いいかげんにしないか!舵が折れちまうよ!!」


 船が揺れるたび、白銀の甲冑が甲板に激しく叩きつけられる。手にしたロープをたぐって少しずつマストの根元に近づいていた騎士エリシュだったが、あとひと踏ん張りというところでロープがエリシュと甲冑の重さに耐えきれずちぎれてしまった。水しぶきでぬめる甲板を滑り落ちる身体に勢いがついてしまえば、両手と両つま先の摩擦力などなんの役にも立たない。エリシュは甲板に弾かれてバウンドし、自由落下するだけになったその足元に白く泡立つ巨大な渦潮が迫ってくる。レオナルドが、あの子が戦っているのに、私は護衛を任されながら、自分の身ひとつ守れず無様に死ぬというのか……。

「騎士さん、しっかり!」

 エリシュの手首を聞き覚えのある声の船員の手ががっしりと掴んだ。あの薄汚れたバンダナの無礼者だ。船員は渾身の力でエリシュをマストまで放り上げると、代償にその反動で遙か下の海面へと吸い込まれていった。それから程なくして、船の揺れが収まった。


 船腹の一部に深刻なダメージを受けた海賊船は、周囲に新手の気配がないことを確認したのち、先ほど砲撃を加えた拠点のある小島のそばに身を隠すように錨を降ろした。奇襲作戦に間に合わせるため、船体の修理も急がなければならないが、敵の拠点からただちに離れて別の島を目指さなかったのは、プロトナイトが倒した謎の魔鉱兵の残骸をスズがどうしても引き揚げると言って譲らなかったからだった。石膏像のようにごつごつした白い機体は、オウムガイを思わせる巨大な構造物に接続されてはいるものの、本体はごく普通の人型の魔鉱兵である。背中の構造物にはフレキシブルに稼動する六枚のヒレがあり、本体左右の脇腹に達する殻口からは、幾条ものちぎれた鎖と、それ以上の数の射出されなかった銛の穂先とがわずかに見えている。その足元でパペット達を指揮するスズに、ふらりと現れたレッドクロスが声を掛けた。

「ようお嬢さん」

「船長さん。修理は済みそうですか?」

「おう。あんたはとっくに見てるだろうけど、この船は外観だけ商船に化けられるように金属製の外装をさらに木材で覆った装甲艦だ。本格的な修理には時間がかかるから、今度あんな化け物に襲われたらひとたまりもないが、ハリボテの外板の張り替えだけならすぐだし、嵐にでもならなけりゃ航行に支障はないよ」

 レッドクロスは魔鉱兵を見上げた。

「しかし、大物を釣り上げちまったねぇ」

「無理を言ってしまってごめんなさい」

「いいさ。こっちの都合もあるからね。ただ、こいつを国王陛下のとこへ持っていけば、そりゃあ、あたしらが遅刻したぶんの仕事をした証拠にはなりそうだけど、船のペイロードにも限りはあるよ?」

「最低限必要なパーツだけをリストアップさせていますから、その点はご心配なく」

 スズがレッドクロスに手渡した羊皮紙には、船に積み込みたい各パーツの寸法と重量の概算がメモしてある。一瞬、荒くれ者の女船長は文盲ではないかという失礼な考えがスズの脳裏をよぎったが、海図も読めば交易品も運ぶ大海賊の首魁である。レッドクロスは手早くメモに目を通してから何度か頷いてスズに返却した。

「うん。うん。いいよ、まあこんなもんだろう。ところで、調査も分解もあの魔法の木偶人形がやってくれるのかい?そいつはすごいな」

「パペットはそんなに大したものじゃないですよ。私が指示しているのはせいぜい“ゴー”と“ストップ”ぐらいですし、そうね……誰だって練習を積めば、両手の十本の指を協調させて楽器を演奏できるようになるでしょう?」

「へぇ。それじゃあもしも、パペットを何百何千とこしらえて大艦隊を操船させる同業者が現れたら、うちで飼ってるようなアホどもの行き場はなくなっちまうし、あたしら商売あがったりだな」

 平均的な素質の魔術師が一人で使役できるパペットの数の限界や、複数の魔術師が無数のパペットに異なる命令を与える場合の魔力の混信などの問題が解決するなら、そういう可能性も将来的にはないではない。スズの想像力の翼は仕事中にもかかわらず羽ばたき始めそうになったが、頭上からレッドクロスを呼ぶ船員の声で現実に引き戻された。


 歪んだ胴体から取り外しやすいように中央で切断された胸部装甲が、四方を船員とパペットに支えられて慎重に引き上げられる。解体中の魔鉱兵の前には向かい合うように足場代わりのプロトナイトが立っており、その腕に巻き付く鎖が装甲板を引き上げているのだ。胴体の奥の闇が陽光のもとに晒されたとき、プロトナイトを操るレオは胃袋からこみあげるものを感じてうつむいた。半壊した操縦席に肉片とも臓物ともつかないどす黒い塊がこびりつき、操縦者の下半身だけがハーネスの残骸で固定されていた。


「誰か、坊やに付き添ってやりな!それからそこのくっせぇ糞袋を海に捨ててこい!」

 口元を押さえてえづくレオを船員に引き渡したレッドクロスは、プロトナイトの足首に寄りかかって黙ったまま腕組みするエリシュを見た。

「よかったのかい?」

「いざというときになって悩まれても困るからな」


          *      *      *


「なぁに、息を止めてりゃ平気だって」

 プロトナイトは破壊された船腹の大穴の端を蹴って海中に飛び込んだ。波しぶきがおさまってからも、起動状態の魔法鉱石を包む微弱なマジックフィールドのために細かい気泡が視界一面に発生し、鎖をたぐると、泡が一斉に後方へ剥離する。そうか、装甲が水を弾くから浸水してこないのか……。剣を抜き、鎖を自切されないうちにぐんぐん加速すると、青白くぼんやりした巨大な塊が六枚のヒレをせわしなく交互に掻いて、暗い海底へ後ずさりしようとしているのが見えた。距離を詰めてみれば、それは海の魔物などではなく単なる魔鉱兵であることが判る。海上の船と銛で引き合っているために身動きが取れず、手持ちの武器もない敵ならば仕留めることはたやすい。プロトナイトの突きが一直線に敵の胴体を刺し貫く……と、その裂け目から大量の気泡とともにどす黒い血がとめどなく溢れ出し、切っ先から鍔元へ刃を伝ってレオに襲いかかった。

《故郷で、もうすぐ子供が産まれるんです。帰れるといいなって》

《あと少しなんだ!俺は、生きて故郷に帰るんだああああっ!!》


 レオは寝床から飛び起きた。早鐘のように拍動する胸元は冷や汗でぐっしょりと湿っている。海賊船は夜の海を進み、階下からは一日の仕事を終えて酔っ払った船員達の馬鹿騒ぎが聞こえてくる。自室に運び込まれた記憶がないが、あのあと海岸でひとしきり吐いたのだろう。胸焼けがする。人恋しくなったレオはぼろ布で雑に汗をぬぐってから着替え、軋む廊下を渡ってエリシュの部屋の扉をノックした。

 レオが部屋に入ると、肌も露わな寝間着姿のエリシュと二人、寝床に腰掛けてなにやら話し込んでいたスズが立ち上がり、レオと目も合わせずにすれ違ってそそくさと退出した。

「俺、嫌われてます?」

「気のせいじゃないか?きっと忙しいんだろう」

「そのわりにはずっとお喋りしてたみたいですけど。何を話してたんですか?」

「そこは女同士の秘密というやつだ」


 あの子はおまえの話しかしないがな、という一言を、エリシュは口に出さずに飲み込んだ。


 エリシュに促されるまま寝床に腰掛けたレオは、神妙な顔で本題を切り出した。

「ウェルスランドの港にいた仮面の男って、エリシュさんのお兄さんなんですか?」

「なんだ、そんなことか」

 仮面の騎士は帝国軍人である。これから先、ウェルスランド王国軍が敵地へ深く攻め込めば、いずれまた対峙することになる。レオはそのときエリシュの目の前で、エリシュの肉親と知りながらあの騎士と殺し合いをする覚悟が持てないのだ。

「あの男……ノイシュ・フォン・スタインは、自分の出世しか頭にない狂人だ。家族親戚、友人知人、奴にとって自分以外の人間は踏み台でしかない。今のノイシュは明らかに皇帝の座を狙っているが、放っておいたら何をしでかすか……」

「それで家出を?」

「ああ。私はノイシュを止められなかった。そればかりか皇族に加わるため皇太子に嫁げと言われたよ。あんな奴、とうに兄でも妹でもない。見かけ次第殺して構わん」


 そこまでひと息に吐き出してから、エリシュはふと軍港奪還作戦でのレオとノイシュの一騎討ちを思い出した。人殺しをする覚悟がどうとかいう以前に、あんなに実力差が開いていては再戦の結末など知れている。こうして相談しに来たのも、おそらくレオナルド自身そのことに気づいているからだろう。

「……奴に勝ちたいか?」

「はい!」

 エリシュは甲板を稽古のために使わせてくれるようレッドクロスに交渉してみることにした。


「ダメだね。あたしの船は遊び場じゃないんだ。余ってる場所も時間もない。最初に説明したけど、あちこちうろつかれると迷惑なんだよ、お客様にはさ。部屋で筋トレでもしてな」

「レオナルドのためなんだ。敵の港に着いたら、そこはもう次の戦場だ。あの子は決して弱くはないが詰めが甘い。今のうちに誰かがきちんと腕を磨いてやらないと、やみくもに戦うだけでは、技量で上回る敵に遠からず殺されてしまう」

「うーん、坊やがいなけりゃあたしら今ごろ海の底だしねぇ……。分かった。条件付きで許可するよ」

 二人が稽古に使うぶんの時間は二人で働いて手に入れる。それがレッドクロスの提示した条件だった。エリシュとレオは甲板掃除をはじめとして、便所掃除、洗濯、芋の皮剥き、食器洗い、その他新入りの船員に割り振られるような、専門知識の必要ない雑用はなんでもやらされた。暇な時間はひとときもなくなったが、そうしてようやく船員二人ぶんの仕事をこなし、朝夕のわずかな時間に甲板の一部を使うことが認められた。


「オラオラ、見世物じゃないよ!とっとと持ち場に戻りな!」

 船員達をどやしつけるレッドクロスだったが、レオとエリシュが互いに一礼し、それぞれ護手に剣帯を巻き付けて鞘から刃が飛び出さないように固定した即席の練習剣を構えると、自らも船員達と一緒にしばし仕事を忘れて、騎士の礼法に則った洗練された立ち合いに見入ってしまうのだった。それはまさに剣と剣とで交わされる言葉なき対話だった。

 エリシュはレオの剣捌きを試すように踏み込み、レオが反撃してくれば退いて距離を取る。レオの剣はエリシュの剣を防ぐのに手一杯で、エリシュの身体には一向に有効打が届きそうにない。

「このままごとはなんだ。これでは実力をはかるどころではないぞ。魔鉱兵に乗っていたときの威勢はどうした?私をノイシュだと思って、もっと積極的に喰らいついてこい。おまえごときの攻撃でそうそう怪我はせん」

 ムキになったレオは剣を握る手に力を込め、エリシュ本体への攻撃をあきらめてエリシュの剣を執拗に叩き落とそうとした。しかし、力任せに戦うなと言うように受け流すエリシュの視線は、冷静に、半ば呆れたようにレオの剣の切っ先だけを追っている。レオがどこからどんな打撃を繰り出そうと、この一点にさえ注意を払っておけばいいからだ。そうか、そういうことか!レオは剣を振り抜くと見せかけて柄から手を離し、顔面めがけて投射した剣が打ち払われる一瞬の隙に甲板を蹴ってエリシュに体当たりを喰らわせようとした。だがエリシュは半身をひねってレオの突撃を躱し、すれ違いざまに手首を掴み上げると足払いをかけてレオの身体を甲板上に押し倒した。見守る船員達から唸るような野太い歓声が上がったが、レッドクロスがそれを遮った。

「そこまで!面白すぎてつい時間を忘れちまう。続きはまたあとにしな」


 エリシュはレオに手は貸さず、自分から立ち上がって一礼するのを待って返礼し、レオの剣を拾って手渡した。

「なるほど、おまえがお父君から学んだことはおおよそ分かった。敵の動きを読むのはいいが、今のおまえはただ、剣をここに打ち込んで下さいと身構えて待っているだけだ。相手の先を読んだのなら先手を打て」

「はい」

「それと、おまえの技量がすでにノイシュに知られているということを忘れるな。自分の強さにあぐらをかく者は、次の戦いで必ず弱点を突かれて死ぬ。奴を仕留めるまでは、常に以前のおまえ自身を超え続けろ」

「ありがとうございました!」


 レオは息を切らしながら、これまでに会話したときよりもずっと腹を割ってエリシュと語り合ったような気がした。


 一方、エリシュには心配事もあった。ノイシュはエリシュの剣の師匠でもあり、エリシュはまるで歯が立たなかった。したがってエリシュに師事している限り、レオがノイシュの腕前を上回ることはない。この子に必要なのは場数と強敵だ。手頃な強さの誰かが稽古をつけてくれれば手っ取り早いのだが……。

 天を割って雷鳴が轟く。見上げると、海賊船の行く手に分厚い灰色の雲が迫り、甲板にはぽつぽつと雨滴が黒い染みを作り始めていた。船がにわかに騒がしくなった。


          *      *      *


 見渡す限りの砂浜は、波浪と潮風で浸食された砂岩が剥き出しになっている。地平線の彼方には砂丘が連なるばかりで、港も人家も見当たらない。昨日の嵐でひと晩じゅう荒波に揉みくちゃにされた海賊船は方角を見失い、太陽が昇る頃にはこの見知らぬ海岸に漂着していた。海底が遠浅のやわらかい砂地だったおかげで船体がバラバラに砕け散るようなことはなかったが、帆は裂け、マストの何本かは支柱がへし折れ、応急修理したばかりの船腹には再び穴が開いていた。

 女船長レッドクロスは船を沖へ押し出すためにプロトナイトとプロトメイジを使って浅瀬の上でひとまず回頭させたが、予定ルートを大きく外れた海賊船には、もはや航海を続けるための物資が足りなかった。もっとも、水や食料が完全に尽きてしまったわけではないが、この先また嵐に巻き込まれない保証はないし、まして目的地は戦場である。急いだところで疲れ飢えていてはろくに戦えない。さらに、問題はそれだけではなかった。海図によれば現在地はフェリア王国の領内なのだ。


「フェリア王国って?」

「レオ、聞いたことない?“忘れられし砂漠の都”。遠い昔のおとぎ話かと思ってたわ」

「オアシス都市からの上納金あがりで成り立ってる大砂漠の支配者だよ。……と言っても、栄華を誇ったのは陸路での交易が盛んだった頃までの話で、今じゃウェルスランドに負けず劣らずド田舎だけどね」

「しかし厄介なことになったな。フェリアは帝国の盟邦のひとつだ。捕らえられれば間違いなく帝国に引き渡されるだろう」

「そうなる前にキャラバンと話つけて逃げりゃあいいさ」

「そんなに上手く行くかな」

「砂漠の真ん中でオアシスを探し回るより、海岸沿いに進んで港を目指したらどうです?」

「いや、港だとあたしの顔は知れ渡ってるだろうからねぇ……。それに、これを見な」

 地図が古くて申し訳ないねと断りを入れてから、レッドクロスは海図の上にもう一枚の黴臭い羊皮紙を広げた。通常の航海では港と主要都市の位置さえ把握していればいいので、内陸についての情報は更新が滞りがちなのだ。

「正しい方角は夜空を見なきゃ分からないが、現在地がおそらくこのへんのどこかだから、こっちの都との間の、だいたいこの辺りまで進めばオアシス群にぶち当たるはずだ。そんで現在地から一番近い港はたぶんここ」

「これは……ちょっと現実的な距離じゃないですね」

「だろう?ま、オアシス探しがダメだったときのために、港へ向かうことも一応は考えとこう」


 視界を遮るものがなにもない砂漠で目立つのは承知の上、生身で彷徨うよりはずっと効率がいいという理由で、レッドクロスはプロトナイトに、エリシュはプロトメイジにそれぞれ分乗してオアシス都市を探すことになった。二体の魔鉱兵には水と食料をありったけ詰め込み、オアシスを視認したら機体を砂に埋めて隠す。補給を優先すれば王国軍の奇襲作戦に間に合わないことは覚悟していたが、この旅がそれ以上の災いと新たな出会いに繋がることを一行は知る由もなかった。

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