31話 賢者の辞別
ベーチェルが来てから、十日ほど経ったある日。
雲一つない快晴の下、僕たちはお茶を囲んでいた。
揺りいすに腰掛けていた僕は、得も言われぬ気分にうつらうつらとしていた。
そんな僕の目の前、テーブルの真ん中にベーチェルがやってくる。
「じゃあそろそろー、ぼくは旅にもどるよ」
そして来た時と同じく突然として、ベーチェルは別れを告げるのだった。
***
僕は眠気のために、クレアなどは驚きのために、その言葉を解するにはしばしの間が必要だった。
「――ああ、そうか。もうそんな時分か」
それこそ世界中を飛び回っているのではないかというベーチェルは、今回みたく唐突に家にやってくる。
そして、十数日程度滞在すると――歯に衣着せぬなら、我が家をひっかきまわすと――、また唐突に去っていく。
やってくる周期は大抵、一年か二年に一回といったところか。
それが長く長く続いている、僕たちの関係だ。
「寂しくなるわね」
そんなもんだから、ウェルティナも慣れた様子で言葉を返す。
こいつはいるだけで騒がしいからな。
まあ、いるだけで家が明るくなるという点に異存はまったくない。
僕の安眠を考えれば、どちらかといえばいない方がよろしいのだけれど……。
最近は騒がしいのも割合、嫌いではなくなってきた。
「そんな……! もうちょっとくらいいてもよいのではないか、ベーチェル……? せっかく仲良く慣れたというのに」
「……ベーチェル、行っちゃうの?」
そんな風に引き留めたのは、クレアとフィアルテ。
どちらも悲しげに眉を落としてベーチェルを見つめていた。
「ごめんねー。それにありがとうー。でもクレアとフィアルテー」
そこでベーチェルは言葉を区切ると、両手を胸に手を当てて言う。
「……ぼくはやっぱりー、一か所に居続けるのは性に合わないんだよ。今日見るものとー、明日見るものはー、いつだって違っていてほしい。だからぼくは、飛ぶんだよー」
そう言って、クレアたちに笑いかける。
「それに今回はー、いままでないくらい楽しかったよ。賢者の居場所がこんなに賑やかなのはー、ほんと久しぶり。だから次はねー、できるだけ近いうちにくるよ」
そしたらまた遊ぼうね――と言ったベーチェルに、クレアもフィアルテもうんうんと頷いている。
「……ああ、約束だぞ」
「……やくそく」
「そうだねー、約束するよ」
はたから見れば、きらめく金髪の少女と精霊たちが友誼を結ぶという美しい光景だ。
だが僕からしてみれば、近くまたぞろベーチェルが厄介ごとを吊り下げてやってくるのではないか、と考えてしまう光景だった……。
そんな次の再会を思い浮かべていると、ウェルティナに耳を引っ張られる。
これは少し言いたいことがあるときの引っ張り方だ。
「あんたねぇ、お別れのときに次の再会を厄介そうに思うのはダメでしょう……。失礼極まりないわ……」
いや、でもなぁ……。
ただでさえトラブルメーカーな精霊たちの中でも、さらにトラブル誘因体質のベーチェルなんだぞ。
楽しかったからまたくるよ、とそんな彼女が言っているんだ。
警戒してしまうのは仕方ないだろう……。
「はあ、なんであんたは……もっとでっかく構えてられないのかしらね」
「……ベーチェルじゃないが、そういう性分だからな」
「ほんともう、あんたって」
やれやれ、とウェルティナは首を振る。
さてウェルティナは放っておいて、先ほどから話に参加していないのが一名いるのが気になるな。
「アイラは、別れを惜しまないのか?」
僕の問いに、そのメイドは微笑みながら紅茶を飲んで、それから答えた。
「実は、昨日に厨房にいたときにベーチェル様がポロッと口から零しまして……本人は直前に明かしたかったらしく、口止めされておりました。そんなわけで、もう別れの言葉は済ましているのです。また来た時も一緒にお菓子をつくると約束もいたしましたから」
以外にも、奔放なベーチェルと勤勉なアイラは馬が合っていた。
僕はあまり相手になってやらないし、クレアもフィアルテがしばらく独占状態だったということもあると思う。
そんなわけで、二人で仲良く厨房にいることが多かったな。
ベーチェルは主につまみ食い目的だった気がしないでもないが……。
そういえば、ベーチェルが一度アイラを手伝うと言って、得意の風でボウルの中身を攪拌させようとして中身を全部周りにぶちまけてしまう事件があった。
卵やら油やらでアイラを全身べとべとにしてしまうという痛ましい事件だった……。
そんなこともあったが、二人はなかなかいい友人? になったようだ。
「そうか、ならいいんだ」
まだクレアのほうにいるだろうベーチェルの方に、僕は目を向け戻そうとする。
しかし、目の前にいつの間にかベーチェルが浮かんでいた。
……というか近い、近いよベーチェル。
「でさー、賢者。しばしとはいえ……ぼくとの別れになにかないのかい?」
うん?
「ないな」
「ええー、なんでー!? ほんとはー、さびしくてかなしくて仕方ないんだよね?」
いやいや、そんな驚きの様子で言われてもな。
「いちいち寂しがったり悲しんだりするもんじゃないだろう。もう何回繰り返したやりとりだと思ってるんだ……。それにベーチェルの言った通り、しばしの別れなんだから」
「……さびいしい人だなー、まったく賢者は」
はあ、とため息を吐かれる。
……そんなそぶりを見せれば調子にのるだろうに、こいつは。
「ならー、しょうがない。ぼくからのお別れのあいさつだよ」
そう言って、彼女は僕の顔に張り付くと。
――頬に唇をつけた。
精霊の彼女の唇はとても小さいけれど、たしかな柔らかさが感じられる。
「な、なああーー!!」
それを見たクレアが、お茶がこぼれるのも気にせずに勢いよく立ち上がりながら叫んだ。
口をわなわなと震わせて、目に涙をためている。
「べ、べ、ベーチェル、なにを……?」
クレアは遅れたように頬を赤くしながら、僕から離れたベーチェルに問いただす。
「ふふふー、お別れのキスだよ。賢者はそっけないからー、お返しはいつもしてくれないんだけど」
そう、これもなぜか毎回別れ際に行われる儀式なのだ。
殊更に嫌なわけでもないし、ウェルティナにもいつだか受けるだけはしてあげなさいとか言われているので放っておいているのだけれど……何か問題だっただろうか?
こういう挨拶をする地域も、なくはないしな。
「な、なんて、うらや、いや、その……」
ごにょごにょ、とクレアは指を絡めながら俯いてしまう。
「……クレア、ほっぺにキスされたいの?」
フィアルテのそんな質問にも、なぜか今のクレアはあたふたとしている。
「フィ、フィアルテっ。いや、その、されたくもあるが、ああ、ちがうちがうのだー!」
混乱しながら、トスンと椅子に腰を落として頭を振り乱す。
「一体、どうしたんだ……クレア……」
その様子に、思わずそう呟いてしまう。
そんな僕を、なぜかウェルティナとアイラはシラーっとした目で見ている気がした。
***
「じゃあねー、またくるよ」
そうして、ベーチェルは去っていった。
……毎度のことではあるものの、嵐そのもののようなやつだ。
騒がしくやってきて、あっという間に去っていく。
「……師匠は、本当に寂しくないんですか? あんなにベーチェルは師匠やウェルティナと仲良しなのに……」
クレアは目元を真っ赤にしながら、僕に視線を向けてくる。
まあ、思い返してみると。
「昔はそう思っていた頃もあったかもしれない……。ベーチェルがいなくなると、今の比じゃないくらいに家が静かになったからな」
でも――と、僕は続ける。
「彼女は、ああして自由に、風の赴くままに飛んでるのが似合っているんだ。それが彼女の自然であり、精霊である彼女の本質なんだろう。……だから今は、飛んでいく彼女を見ることがとても嬉しいんだ」
ベーチェルのあの在り方を、僕は曲げたくない。
そもそも、どこまでも飛んでいける彼女の翼――実際に生えてるわけではないが――を折ろうだなんて誰にもできないんだろう。
けれど、彼女が羽を休めに訪れるのなら、僕はいつだって迎え入れる。
ただ――。
「――来るときは、玄関からにしてほしいけれど」
そう言って、僕はクレアに苦笑いを見せた。
さよならベーチェル、また会おう。
これにて「囚われの精霊編」は終幕です。
区切りも良いですし、よければ評価をしていただけると嬉しいです。
どうぞ、これからも拙作をよろしくお願いします。




