1話 賢者の書付
雨がしとしとと降っていた。
しかも、もしかしたら雪になるのではないか、と考えてしまうほどに寒い。
魔の森に雪が降ることなんて、まずないのだけれど。
気候がそんなものなので、屋外で行う予定だったクレアの修行を断念することは至って自然な流れだった。
そうして自由になった午後の時間に、僕は書斎で書き物をしようとしていた。
――――先に起こった、北の大陸での一連の事柄について。
なにせ生きてる時間が無駄に長いものだから、後になって振り返ると細やかな部分を思い出せなくなってしまうものなのだ。
それが、憶えておくべき大切な事柄だとしても。
どんなに努力をしようとも、人の脳みそなんてそれほど物事を正確に憶えていられないのだろう。
今から何年前に、どこで、どんな季節に、朝か昼か夜か、気候は、誰が、何を。
そんなことを片端から全部詰め込んでいたら、僕なら頭がおかしくなってしまうかもしれないしね。
だから僕は、なにかあれば必ず記録を残すようにしていた。
「……ふう」
部屋にいるのは、僕一人だけ。
いつもは肩に乗って小うるさいウェルティナも、おそらく今頃はクレアたちとおしゃべりかなにかに興じているはずだ。
だから僕は記憶をゆっくりと掘り起こして、事の起こりから詳細に書き出していった。
***
「こんなものか……」
トントンと二十枚ほどの紙を揃えながら、僕は疲れを自覚していた。
この紙束が今回の事件のあらましを記したものだ。
……文章の長さとしては、ここ近年では一番かもしれない。
つまり、それだけ色々なことがあった事件だったとも言える。
そんなことを考えながら、机の背後にある書棚に向かう。
そして、そこから最新の備忘録を取り出した。
その紐綴じの冊子を解くと、巻末側に今しがた書いた紙束を足して、また綴じる。
なにかしら不備はないかと、パラパラとそれをめくって確認していく。
そうしながら僕は、やはり今回の顛末は気味の悪いものが残っていると感じていた。
パズルのピースが一つ、埋まっていないような気がしてならない。
しかし、その原因はわかっていた。
囚われのフィアルテの部屋にあった、あの魔法陣だ。
あの技術だけが、一連のもののなかで浮いていた。
あんな汎用性のない代物を開発するのだから、何かしらの目的を持って魔に精通する者がいたのは間違いないだろう。
そして影も形もなく消えたそいつこそが、今回の事件の要だった可能性は高い。
しかもそいつは、おそらく僕が前日に行使した探知の魔法に気付いたために雲隠れしたのだろう……。
あの魔法は大陸中に広がったとはいえ、普通は魔術師にだって単なる魔力の乱れ程度にしか思われないはずなのだ。
もし魔法に気づいた上に、その意味にまで感づいていたのならば……頭のキレも魔法のセンスもかなりのものだろう。
――何者なのだろうか……。
まったく、不穏な影なんてちらつかせないでほしいものだ。
一度目に入ってしまえば、気にせずにはいられないのだから。
しかし、僕が今できることはない。
唯一の手掛かりになりそうなフィアルテの証言にしても……彼女は当時のことを、ずいぶん恐怖の記憶としているようなのだ。
辛い記憶を思い出させてまで、彼女に問いただすわけにはいかない。
――彼女はまだ、幼子なのだから。
その柔らかな心を踏み荒らすことなど、許されるものではないのだ。
それに、そんなことをする必要もない。
ここにいる年だけは重ねた人間が、力を尽くせばすむことだろうから。
それぐらいできなければ……僕がいままで無駄に積み重ねたものの意味がなくなってしまう。
さらに言うなら――子供を守るのは、大人の役割だ。
だから今はゆるりと、何事も起きないことを祈りながら日常を送ろう。
僕は静かに、冊子を書棚に戻した。
***
ちなみに、ここ最近の備忘録に書かれているのはクレアのことばかりであった。
後にそれを見たウェルティナは、「……もうこれ、弟子観察日記ね」と嘆息をもらしたとかなんとか。
そういうわけで、しばしゆったり日常編の幕開けです。
これからも拙作をよろしくお願いします。




