第四十四章 自分ではない誰か
夕方。
仕事が終わる少し前。
美咲からメッセージが届いた。
『今日は友達とご飯を食べて帰ります』
アポロンは画面を見た。
『分かった』
それだけ返信した。
仕事が終わる。
いつもなら一緒に帰る時間だった。
今日は一人だった。
駅まで歩く。
夕方の街は、人が多い。
アポロンはコンビニに入った。
何か食べるものを探す。
弁当。
おにぎり。
パン。
いくつか見て。
結局、ラーメンを買った。
家に帰る。
一人で食べる。
味は悪くない。
スマートフォンを見る。
美咲から新しいメッセージはない。
アポロンは画面を閉じた。
テレビをつける。
しばらく見る。
内容は頭に入らない。
もう一度、スマートフォンを見る。
まだ何もない。
「……」
アポロンは自分でも不思議だった。
美咲には友達がいる。
友達と食事をする。
それは普通のことだ。
自分だって、店で健一と話す。
他の人間とも話す。
それなのに。
なぜ気になるのか。
夜。
美咲からメッセージが届いた。
『今帰ります』
『分かった』
それから、少しして。
玄関が開いた。
「ただいま」
「おかえり」
美咲は靴を脱ぐ。
「今日は楽しかったです」
「そう」
「アポロンさんは?」
「家にいた」
「一人で?」
「うん」
美咲が少し笑う。
「寂しかったですか?」
アポロンは答えなかった。
「……分からない」
「そうですか」
美咲は荷物を置いた。
「友達と何を話した?」
アポロンが聞く。
「いろいろです」
「仕事?」
「それもあります」
「他には?」
美咲は少し考えた。
「最近見た映画とか」
「面白かった?」
「はい」
アポロンは黙った。
「見たかった?」
「……少し」
「今度、一緒に見ます?」
アポロンは美咲を見る。
「いいのか?」
「もちろん」
「分かった」
それだけで。
少し気持ちが軽くなった。
けれど。
その夜、アポロンはまだ考えていた。
美咲が誰かと食事をすることが嫌だったわけではない。
彼女の時間を独占したいわけでもない。
ただ。
自分ではない誰かと楽しく過ごしていることが。
少しだけ気になった。
「これは……」
言葉を探す。
以前にも似た感情を感じたことがある。
けれど。
まだ、名前をつけたくなかった。
名前をつけると。
何かが変わってしまう気がした。
翌日。
仕事中。
健一がアポロンを見る。
「どうした?」
「何が?」
「今日は少し考え事してるだろ」
「昨日、美咲が友達と食事に行った」
「そうか」
「それが少し気になった」
健一は笑った。
「まあ、そういうこともある」
「どういうこと?」
「自分じゃない誰かと仲良くしてるのが、ちょっと嫌なんだろ」
「嫌というほどではない」
「じゃあ、気になる」
「……そうだな」
健一はそれ以上何も言わなかった。
アポロンは仕事に戻った。
人間には。
相手の時間を自由にできない。
相手の交友関係も決められない。
それでも。
自分の中には感情が生まれる。
その感情を相手に押しつける必要はない。
消す必要もない。
ただ。
「今、自分はこう感じている」
そう認めればいい。
仕事が終わる。
帰り道。
アポロンはスマートフォンを見た。
美咲からだった。
『昨日の映画、今度一緒に見ましょうね』
アポロンは少し笑った。
『楽しみにしている』
送信する。
今度は。
返事を待つことが苦しくなかった。
自分ではない誰かと過ごす時間があっても。
自分と過ごす時間まで、なくなるわけではない。
そのことを。
少しだけ理解した。




