第9話
「で、そろそろ出てきたらどうだ? 銀心」
太旺と別れた後、暫く一人で長い回廊を歩いていた琥珀はふと立ち止まる。
そして底冷えするような声で名前を呼ぶと、回廊に沿って立ち並ぶ支柱の一つから銀心が姿を表した。
相変わらず飄々とした態度に思わず太旺の話を思い出してしまう。
会ったら文句の一つでも言ってやろうと思っていたのに、いざ顔を見ると口よりも身体の方が先に熱くなってしまった。
これ以上直視するのは危険と判断して、琥珀は銀心の前を素通りしていった。
するとその背を追いかけるように、銀心も足早に琥珀の側について歩き始める。
互いの玉佩からリン、リン、と小さな鈴のような音が鳴る。
「いつから気づいてたんだ?」
「隆玄達の言い争いが始まった頃だ。 そなたの事だからどうせ最初から話を聞いておったのだろう? 他の者に勘付かれたら終いだ。 謹んでくれ」
「太旺殿と二人きりの時はちゃんと遠慮したから許してくれ」
「……」
自分の思いを聞かれずに済んだと琥珀は内心ホッとした。
そしてそれを悟られぬ様歩を早める。
「で、あんたは本当に西に行くのか?」
それに合わせて銀心も琥珀の隣について歩く。
話は聞いていただろうに何を今更。
琥珀は少し呆れた様に『そうだ』と答えた。
「なら俺も行く」
銀心の言葉に一瞬だけリンッ、と琥珀の玉佩が大きく揺れた。
だがすぐに小さな音がせわしなく響く。
「駄目だ」
「何故?」
銀心の問いかけに琥珀はぴたりと足を留め、まっすぐ銀心を見据えた。
「そなたは『排斥派』だ。 関係ないだろう」
そう言い捨てて再び琥珀は歩き始めるが、銀心はそれを許さなかった。
「じゃあ『行かせない』と言ったら?」
琥珀は背後から引き寄せる様に銀心に抱き締められた。
小さな身体はすっぽりと銀心の腕の中に収まり、甘い香のような香りに包まれる。
側にいるようになって覚えた香りに目眩がしそうだ。
それに気づいてか、銀心は益々力を込めて琥珀を腕の中に閉じ込めた。
「は、離せ! こんな所人に見られたら……!」
『今はそれでいい。 黙って俺の話を聞いてくれ』
普段よりも小さくて低い声色から緊張感が伝わってくる。
琥珀は外に聞こえそうなほどに脈を打つ心臓を必死に宥めて、思考を巡らせる。
『な、仲がいい所を見せなきゃいけない場面だってことか……?』
『御名答。 今あんたの命を取ることは絶対にしない。 信じてくれるか?』
『わ、わかった! 信じるから耳元で喋らないでくれ!』
叫びたい衝動を堪えながら小声で話すなんて、新しい舞を習う以上に難しい。
だが何やら事情があるのだろう。
羞恥心に震えながら銀心の腕に自分の両手を添えると、フッと小さな笑い声が耳に入る。
そしてくるりと身体を半転させられ、今度は正面からぽすんと銀心の腕の中に収まる。
『――――っ?!』
『この方が口元を読まれない。 ほら、俺の背中に手を回せ』
『なっ……!』
『今の俺達は仲睦まじい婚約者だ。 早く』
宥めようとしているのか、後頭部を優しく撫でられてゾクリと身体の芯から震えた。
だめだ、腰が抜けてしまいそうだ。
だが『帝姫は婚約者に毎晩のように可愛がられてる』と話が広まってる以上、そんな間抜けな姿は見せられない。
琥珀はギュッと腹に力を入れ、すがりつくように両手を銀心の背中に回した。
普段は勇ましい虎姫が、まるで借りてきた子猫のように震えている。
そんな琥珀に銀心は目を細めた。
そしてそのまま琥珀の頭に頬を寄せ、秘め事を語るように話し始める。
『さっき話していた西の件で、排斥派が動き出してる』
『えっ』
『静かに。 今視界の端に排斥派がいる』
チリ、と銀心の背中が熱を帯びてくる。
誰の事だ。
銀心の腕の中からでは相手が見えず、胸がざわついてくる。
『さっき隆玄が話していた話は残念だが本当らしい。 原因に心あたりは?』
『ない……。 だが、もうすぐ私の身体は神獣のものになる。 もしかしたらその所為で制御がうまくいっていないのかもしれん』
『……そうか』
不意に銀心の腕に力が入り、琥珀は思わず息を呑む。
だがその強さに何故か心が安らいで、すり、と銀心の胸に額を寄せた。
『詳細は話せないが、排斥派はあんたを桂邑におびき寄せて手を打つつもりでいる。 安易に近づかない方が良い』
『だがあそこは幾度も悪鬼に襲来されてきた歴史がある。 加護が届かず危険に晒されてるなら見過ごすわけにはいかない』
『自分の命が掛かってるというのに?』
『民を守るのが私の存在意義だ』
『側近達に泣いて止められてもか?』
意地の悪い質問だ、と言いたげに琥珀は顔を上げ銀心を睨めつけた。
『私の側近達はとっくに腹を括ってる。 だからそんな真似はしない』
刀剣顕現の儀を行わないと決めた時点で彼らには話をしてある。
勿論太旺と同じく反対されたが、それでも琥珀は自分の意志を曲げるつもりはなかった。
なので側近達も条件を出した。
『婚約者探しを放棄しないこと』を。
自分がいなくなったあとの後継者を立てる必要があるのと、何より『心変わり』を願っていたのだ。
その結果がこれなのだから、もう諦めるしかないだろう。
ならば最後まで帝姫である自分の生き様を見届けようと今も側にいてくれるのだ。
そんな側近達の顔を思い浮かべ、琥珀は眦を下げた。
『それに、行ったからといって必ず命を落とす訳では無いだろう?』
『……』
『私は大丈夫だ。 ちゃんと解決して帰ってくる』
『……』
『そなたも苦しいのに、話してくれてありがとう』
感謝の言葉に紫水晶の瞳が僅かに揺らいだ。
銀心の背中に回した手に、ジリジリと日に焼ける様な熱が伝わってくる。
背中に彫られた呪紋の影響だろう。
精度の高い呪詛が今の会話を『裏切り行為』と判断したらしい。
ただ裏を返せば今の話が嘘ではない事の証明になる。
それを涼しい顔でやってのける銀心が痛々しく見えた。
琥珀は熱くなった銀心の背中を優しく撫で、そっと手を下ろした。
だが離さないと言わんばかりに銀心は更に強く琥珀を抱き寄せる。
『だったら尚更一緒に行かせてくれ』
『だからそれは……』
『あんたの命を取るのは俺だ。 他の誰にも奪わせない』
首筋に歯を立てられたような気配にぐっと胸が熱くなった。
自分達は本当の婚約者ではない。
帝姫とその命を狙う暗殺者。
それ以外の何者でもない。
だから刀剣顕現の儀を行っていい相手でもないから一緒にいても問題はない。
曖昧になりかけた関係が輪郭を取り戻し、安堵した琥珀は自ら銀心の背中に手を回した。
先程の熱も引いている。
だから今の言葉は排斥派への『裏切り』ではなく『忠義』だと悟る。
琥珀は銀心にだけ聞こえるような小さい声で『わかった』と呟き、銀心の背を労るように優しく抱き締め返した。
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