第8話
「殿下。 お時間よろしいでしょうか」
謁見後、琥珀を引き止めたのは太旺だった。
本来なら帝姫より先に声をかける行為は不敬にあたるが、先程の提案に何かしら異論があるのだろう。
琥珀は黄花に目配せした後、小さく頷いた。
案内した一室は宮内の奥まった場所にあり、扉も厚く閉めれば外の世界から切り離されたように静かな空間になる。
太旺は帯刀を外し腰を落ち着けると、険しい表情で琥珀を見据える。
だが琥珀は気にも留めない素振りで先に話を切り出した。
「先程の件では巻き込んでしまってすまなかった。 だがそなたの腕を見込んでの提案だ。 この件が落ち着けば相当の報酬も用意しよう」
「いえ、そういう話ではありません」
太旺の厳かな声に二人きりの空間がピンと張り詰める。
「婚約者ができたのに刀剣顕現の儀を行わない理由を伺いたいのです。 あれだけでは到底納得いきませんよ」
太旺の双眸が真っ直ぐと琥珀に向けられるが、決して非難めいたものではない。
琥珀は声を絞り出すように答えた。
「……私は彼を刀として扱うつもりはない」
すると太旺は眉間に寄せていた皺を僅かに緩めた。
「それは彼を愛しているが故のご決断ですか?」
寡黙な男の口から聞き慣れない単語を耳にし、琥珀は思わずゴホッ!とむせ返った。
これは偽装結婚なのでそうした感情はないと言いたいが、それはごく一部の人間しか知らない為、琥珀の動揺があらぬ誤解を招く。
「やはりそうでしたか……悠晴の言ってた通りですな。 仲睦まじい事は良いことです」
「悠晴が? 何と言ってたのだ」
「『殿下の拠り所だ』とか『毎晩の様に殿下を可愛がってる』と銀心殿が仰ったと……」
ゴホッゴホッ!!と琥珀は更に激しくむせ返った。
『何馬鹿な言を……!』と叫びたいが、それすら宥めてくるようなむず痒さも感じてしまう。
咳き込みすぎて苦しいのか、恥ずかしくて苦しいのかはハッキリわからないが、顔が赤くなってるのは間違いなかった。
「いやいや、若いっていいですなぁ。 悠晴にはちゃんと諦めるよう言っておきましょう」
自分の息子が振られたというのに太旺は何故か上機嫌だった。
太旺は元武官だった父の古い友人だ。
両親が亡くなった時も側近達と共に側について身を案じてくれた、琥珀の理解者の一人でもある。
だから自分の息子を婚約者に、と言ってくれたのだろう。
琥珀が一人にならないでいいように。
だがこればかりは幾ら総大将でもどうにもならないと悟ったらしい。
「よ、よろしく、たのむ……」
不本意ではあるが、それが今出せる精一杯の返事だった。
そしてこれで話は終わりかと思っていたが、太旺は更に言葉を続けた。
「しかしそれ程に想っているのであれば尚の事、『神獣』になどならずに『刀剣顕現の儀』を行うべきだと私は思うのです」
太旺の言葉に琥珀は顔を上げた。
まっすぐと射抜くような瞳に息が詰まりそうになる。
「私は残された者が『何もできなかった』と憔悴していく姿をまた見届けなければならないのが大変心苦しいのです」
そう語る太旺の表情は憂いに満ちていた。
先代の帝姫は琥珀の母親、当時近衛軍にいた父とは恋愛結婚だった。
そして母も、刀剣顕現の儀は行わなかった。
その頃はまだ平穏で、跡継ぎとなる琥珀も生まれていた為必要ないと考えていたからだ。
しかし琥珀が五歳になった年に事態は急変する。
秋安国の最西にある領地『桂邑』で突如悪鬼が襲来したのだ。
とある一族の者が悪鬼を封じている祠の一つを破壊してしまい、母は父の反対を押し切り一人で桂邑へと向かったのだ。
そして献身に浄化や討伐にあたるが、刀剣を持たない身体への負担が想像以上に大きく、その土地で帰らぬ人となった。
「貴女様の父君は『愛する妻を一人で戦わせてしまった』とずっと悔やんでおりました。 貴女様が神獣にその身を捧げ国を守るとしても、残された銀心殿はきっと同じ様に後悔し続けるのではないでしょうか」
返す言葉が見つからず、琥珀は視線を下げた。
確かに愛する人を見つけ儀式を行えば、例え悪鬼が襲ってこようと国を守れるだろう。
だが琥珀には別の懸念があったのだ。
――――『おかーさま、なんで【ぎしき】をしないの?』
昔一度だけ、母に理由を尋ねたことがあった。
すると母は苦笑いを浮かべた。
『平和だからというのもあるけど、何より今儀式を行えば、あの人はきっと本物の刀剣になって人間に戻れなくなってしまうわ』――――
その時は意味がよくわからなかったが、神獣の御霊を宿した今ならそれがわかる。
代々受け継がれてきた神獣は平穏な世においてその力を発散できず、蓄え強靭なものになっていた。
戦女神の化身である帝姫だからこそ耐えられるが、普通の人間にその神力を分け与えてしまえば力に飲み込まれてしまう可能性を孕んでいた。
だから母は一人で桂邑へ向かったのだ。
父を愛していたから、父を剣にしてしまう状況にしたくなかったから。
「私に宿る白虎の力は強すぎる。 こんな私の刀剣となってしまえばきっと相手の身のほうが保たない。 刀剣顕現は……無理だ」
「それはやってみないとわからないでしょう?」
「相手の命を懸けるぐらいなら自分の命を懸ける」
「しかし……」
「今私が神獣になれば両親の二の舞にならずに済む。 次の依代が見つかるまで秋安国は私がちゃんと守るから」
「……」
「期待に答えてやれなくてすまない」
そういって琥珀は両手を床について、深々と太旺に頭を下げた。
神獣は、次の依代となった幼い琥珀の身体にも重く伸し掛かった。
琥珀の場合は早い内から母から舞を習っていたこともあり、体質上依代となる事ができたが、幼い身体は神獣の力と馴染めず一年もの間眠ってしまったのだ。
再び目覚めた頃には耳や尻尾が出せるほど白虎の御魂と融合できたのだが、既に父は西の戦地で悪鬼の瘴気にやられ、帰らぬ人となっていた。
『もっと早く目覚めていれば父まで失わずに済んだのに』
自分の不甲斐なさに何度も涙を流した。
しかし幼くても、深い悲しみに沈んでいても、己は泰平を象徴する帝姫でなければならない。
琥珀は目覚めて二ヶ月後、皆を不安にさせまいと笑顔で『白虎演舞』を行った。
そして見事に大役を果たし、悪鬼の襲来はとんと無くなった。
琥珀の努力と強靭な神獣の力とが実を結んだ結果だった。
それから、幼いながらに白虎を顕現させ国を守った帝姫は『白虎に守護される健気で可憐な姫』と謳われ、琥珀もまたそれを演じ続け今に至る。
しかし今太旺の目に映るのは強い意志を宿した戦女神の化身。
覆すことは不可能だと悟り大きく溜息をついた。
「それ程の覚悟ならばもう何も言いますまい。 とにかく今は貴女様がお戻りになるまで帝都の守備はお任せ下さい。 そして戻った暁には私も最期までお付き合い致しましょう」
「……ありがとう」
太旺は先代の帝姫と同じ美しい笑みを湛える姫を愛おしげに見つめた。




