第5話
その日の晩。
富陽から戻った白音は夕食にも姿を見せず部屋に塞ぎ込んでいた。
奉納の舞は成功だったと聞いたのに何故だろう。
理由を聞こうと何度部屋の扉を叩いても返事がない。
そういえば銀心も戻ってからずっと御書室に籠もっていると白乃から聞いた。
それならば、と琥珀は先に銀心を探しに行くことにした。
普段琥珀や側近達が文書処理などに使うのは居室から近い位置にある御書室だが、実は中庭沿いの回廊を奥に進んだ先にも御書室がある。
そこは隠れ家的な空間で特に夜は滅多に人が来ない。
なので琥珀は眠れない時等によく利用している場所だ。
期待と緊張が交じる中回廊を歩いて行くと、白壁造りの棟が見えてくる。
その静かな端の一室の格子窓から僅かに明かりが漏れているのが見えた。
「誰かおるか……?」
御書室の扉をそっと開けると、香木や墨、そして明かりに使われる灯油の匂いがふわりと漂う。
そして机の上に置かれた油灯の側で、山の様に積み上げた内の一冊を広げている銀心と目があった。
無事に会えたと安堵する琥珀とは対照的に銀心は僅かに眉を寄せた。
「こんな時間に何をしてる」
「べ、別に私が何をしようと勝手だろ」
「白音は?」
「自室に籠もったままだ」
「護衛も無しでここまで来たのか? 危ないだろ」
『暗殺者に言われたくない』と思いながらも、琥珀は中に入って銀心の隣の椅子に腰掛けた。
「なぁ、その白音なんだがそなたと帰ってきてから様子がおかしいんだ。 何か知らないか?」
「そういう事は直接本人に聞けばいいだろ」
「聞きたくても部屋から出てこないんだ」
「ならそっとしといてやれ。 白音にも詮索されたくないことだってあるだろう」
今日一日で二人に何があったのかはわからないが、知った風に話す銀心を見て琥珀は目を丸くする。
「なんだ」
「いや、何でもない。 仲良きことは良いことだ」
「何の話だ」
「こっちの話だ。 で、そなたは大丈夫なのか?」
「え?」
琥珀の問いに今度は銀心が瞳を大きくした。
薄明かりの中、瑠璃色の瞳は真っ直ぐに銀心だけを映す。
「そなたも帰ってきてから様子がおかしいぞ」
何もかも見透かすような美しい双眸から逃れるように銀心は本に視線を戻した。
「悠晴とかいう男が突っかかってきたから面倒だっただけだ」
「あやつか。 婚約の話はとっくに断ってるのにまだ諦めていないのか」
琥珀は机に肘をつき、うんざりした顔で溜息をついた。
「何故断ったんだ? あいつなら申し分ないだろう」
「時折人を見下すような事を言うのでな。 ああいう男は信用できん」
そんな男に甘い言葉を囁かれても不信感が募るだけなのに、彼はそれでも執拗に琥珀を求め続けるのだ。
「どうだ、そなたを見て悠晴は諦めたみたいだったか?」
「いや全く。 ただあんたを毎晩可愛がってると言った時の顔は見物だったな」
「なっ、何馬鹿な事を言っておる!!」
「嘘じゃないだろ。 今だってこうして二人きりだ」
銀心はそういって、机の上に置かれた琥珀の手に自分の手をそっと重ねた。
あっさりと自分の手を包んでしまえる、ごつごつと節だった大きな手。
琥珀の小さな手をなぞるように触れる手つきは優しいのに、逃がしてもらえないのではと錯覚してしまいそうな獰猛さが伝わってくる。
途端に琥珀は顔を火照らせた。
だがここで動揺しては相手の思うつぼ。
すぐに頭を左右に振って平常心、平常心と心の中で何度も唱えた。
「そなたは私の首を取るのが目的だろう。 いつか終わる仲なのだから下手な事を言ってまわるな」
「……それもそうだな」
そう言って銀心はあっさりと手を離し、再び目の前の本に目を向けた。
意外な幕引きに何故か気まずい雰囲気になる。
会話を繋ぐ話題も思い浮かばない。
このまま帰るべきか迷っていると、銀心が本をパタンと閉じた。
「なぁ」
「な、なんだ」
「あんたの白虎演舞は、言葉にならないぐらいに美しかった」
突然の褒め言葉に琥珀の胸はぎゅっと押し潰されそうになった。
ただ視線はこちらを向いてないので真意はわからない。
それでも。
「……ありがとう。 そう言ってもらえて、すごく嬉しい」
目の端で見えたのは琥珀のはにかんだ顔。
銀心も僅かに頬を緩めた。
「あんなすごい事ができる舞ってどんなものなんだ?」
「奉納の舞か? あれは門外不出の演目だから教える訳にはいかんのだ」
「……そうか」
今朝の飄々とした顔ではなく、まるで耳の垂れた犬みたいだ、と想像した琥珀はフフ、と小さく笑い美しい紫水晶の瞳の覗き込む。
「舞を見たら元気になるのか?」
「え?」
琥珀の問いに今度は銀心が瞳を大きくした。
「『返花の舞』という母上に教えてもらった特別な演目がある。 見ればきっと元気になるぞ」
別に不調という訳ではないが、虎姫の貴重な舞が間近で見れるとあれば断る理由はない。
「じゃあよろしく頼む」
興味本位だろうと、銀心の表情が解れるならそれでいい。
琥珀は『では行こうか』と銀心を外へと連れ出した。




