第4話
秋安国の首都は菊水宮を囲むように三重の城壁に囲まれた入れ子構造になっている。
中心部が帝姫の居所である宮城、そして内城には主に貴族や官吏、兵士等が住み、外城では商人や一般庶民が暮らしている。
その城下都市富陽には大運河の一部が引かれていて、水運により国中の物資が集まり商店等が街路に面して立ち並ぶ。
城門に似た門楼付近に設置された城下の大広場に立てば遠く宮城の天守が望める。
ここは普段から人通りが多い場所だが、今日は幾つか露店なども出ていていつも以上に賑わっていた。
銀心は監視役でもある白音の隣でその様子を伺っていた。
「銀心はあんまり街に来たことないのか?」
「いや。 ただ白虎演舞の時期に来るのは初めてだ」
「暗殺者なのに珍しいな。 まさか白虎演舞を見たことないってことはないよな?」
「記憶にない」
「本当か?!」
「あぁ」
「じゃあいつもどこにいたんだよ」
「……」
会話途中でも一切白音を見ない銀心は琥珀といる時とは全くの別人だ。
整った顔立ちというのもあるが、胡服を纏っていてもどこか気品があり近づき難くもある。
別に仲良くしたいというわけでもないが、女性に囲まれて暮らす白音にとって同性の銀心は貴重な存在。
だが本人が無関心なのだからこちらから近づく義理もない。
なので白音は『迂闊なことを喋るなよ』とだけで会話を打ち切った。
白音は『先輩の宦官』という設定だが、相手が寵愛を受けた宦官となると立ち位置は変わる。
だが暗殺者に『様』をつけるのは憚れるので普段は『銀心』と呼び、人前に出るときだけ呼び名を変えることにした。
「あ、銀心様。 あちらの方でございます」
早速白音は頭を切り替え、露店前にできている小さな人だかりを指した。
その中心には女性達より頭一つ抜きん出た長身の男が一人。
今回の視察には警備隊とは別の武官が銀心達につくことになっていたのだが、その男は肩当てなどの甲冑もなく銀心と同じく胡服姿。
銀心達が目立たないように配慮したらしい。
それでも青年は長く伸びた黒髪を首の後ろで一つに束ね、顔立ちも体格も良いから群衆の中でもよく映える。
おまけに左目下の小さな黒子が彼の色香を引き出し、立っているだけで周囲からの注目を集めてしまうようだ。
するとこちらに気づいた男は女性達に会釈した後、銀心達の前に来て深々と拱手した。
「銀心様、この方が本日同行する武官の趙悠晴殿です」
「お初にお目にかかります。 この度はご婚約おめでとうございます」
「ありがとう。 朔銀心だ。 今日はよろしく頼む」
「御意」
趙一族も古くから帝姫に仕える信奉派であり、秦家に次ぐ権力をもつ皇族だ。
その次期当主となる悠晴は、琥珀よりやや年上の物腰柔らかい青年である。
武官の父が近衛軍の将を務めている為、内城では彼を知らない者はおらず、彼を見かけた女官や侍女達は遠目で熱い溜息を漏らす程の優男。
そんな彼は琥珀の婚約者第一候補でもあった。
悠晴は爽やかな笑顔を銀心に向ける。
「殿下のお加減は如何です? 遠縁の貴方様を頼る程伴侶選びに苦労していた様ですし、まだお疲れが残っているのでは?」
悠晴の言葉に白音は僅かに眉を寄せた。
銀心はというと、スッと目を細め薄ら笑みを浮かべる。
「あぁそうらしい。 いつも『拠り所だ』と言ってその身を預けてくれる。 私は本当に幸せ者だよ」
後ろで聞いていた白音はぎょっと目を見開いた。
『囮の暗殺者よ、頼りにしているぞ』というのが正しいのでは?と言いたい所だが、白音はそのまま黙って二人の見守りに徹することにする。
そして悠晴も銀心の言葉をサラリと流し笑顔を貼り付ける。
「左様ですか。 しかし銀心様も突然連れてこられて色々とお困りでしょう。 よろしければ一度外をご案内しましょうか。 夜でもいい店があるのでぜひ如何です?」
「いや、遠慮しておこう。 夜は特に、私の腕の中で花を咲かす殿下を愛でるのに忙しいのだ。 他所になど構っていられない」
そう言って銀心は目を伏せ首を左右に振った。
すると胸元から僅かにリン、と涼し気な音が聞こえた。
先ほど琥珀からもらった玉佩の音だ。
町にでるので胸元に隠していたらしい。
その音は悠晴にも、後ろにいた白音の耳にも届いた。
(……わざとか?)
我が主君は銀心が近づくと不審な目をして後退るので、まだ清い関係であることには間違いない。
だが事情の知らない悠晴は、玉佩も授かり毎夜大変仲睦まじい関係なのだと捉えたのだろう。
笑ったまま顔を引き攣らせる悠晴を見て、白音は緩む口元を手で隠した。
こんな話、本人が聞いたらどうなるだろうか。
今はまだ、黙っておこう。
「あ、あの! もうすぐ始まりますし、移動しましょうか」
にこやかな側近の促しに、二人はフン、と互いに顔を背け菊水宮が見える城下の大広場を後にした。
◇
「ねぇねぇ、まだ始まらないの?」
「きっともうすぐよ。 虎姫様にもお支度があるからね」
「今日こそ花びらつかまえるぞー!」
「無理だって言ってるでしょう。 あれは虎姫様の力で作った『奉納の花』なんだから」
門楼に向かう銀心達のすぐ側に、空を見上げ楽しそうに話す親子がいた。
辺りを見渡せば広場に集まった大衆がまだかまだかと白の城壁に囲まれた菊水宮の天守を見守る。
その様子に銀心は目を細めた。
「すごい人だな」
ポツリと漏らした銀心を横目に悠晴は得意げに話す。
「半年に一度ですからね。 銀心様はここでご覧になったことがないのですか?」
「……あぁ」
「民の歓声と共に降ってくる『奉納の花』はまさに安寧を象徴するように美しいんですよ」
「そうか」
まるで事務報告のような会話をしながら、三人は菊水宮がよく見える門楼に上がった。
暫くすると民衆から驚きと歓喜の声が上がった。
「あ!! 来た!!」
菊水宮から天に向かって真っすぐ金色の柱が上がる。
皆が固唾を飲む中で光は徐々に輪郭を成し秋安国の象徴が姿を見せた。
光を孕んで美しく揺れる琥珀の髪と同じ白銀の虎。
民衆の歓声に応えるかのように咆哮を上げた白虎は力強く跳躍し宙を駆けていく。
白虎が降り立つ点からは、薄い輪が波紋の様に幾重も広がり静かに消えていく。
そして星の様に瞬く光の欠片が民衆の元に降り注ぐ。
「来るよ! 虎さんがこっちに来るよ!!」
内城の上空を駆けていた白虎の碧蒼の瞳がこちらに向いた。
母親に抱えられた子どもが興奮気味に叫び、真っ直ぐ空に手を伸ばす。
はるか上空から民衆を見下ろすように駆け抜けていった白虎の足跡から舞い落ちるのは星ではなく淡い薄紅の花片。
『奉納の花』だ。
白虎を掴みそこねた子どもは今度こそはと浮遊する花弁に手を伸ばす。
そして『やった!』と目を輝かせて両手をそっと開くも、中は空っぽ。
途端に子どもは表情を曇らせた。
だが母親に諭されたのか、子どもはすぐに目を輝かせて空に向かって大きく手を振った。
抑えきれない程の歓声と拍手が鳴り止まない中、菊水宮を見つめている白音も感動を噛み締める。
だがその隣では悠晴が意味ありげな微笑を浮かべていた。
「この度も素晴らしい奉納でした。 でも、これで見納めかもしれませんね」
「……どういう事だ?」
静かに見守っていた銀心が悠晴の言葉に眉を寄せた。
悠晴は視線だけ銀心に向ける。
「おやおや、婚約者であろう方がご存知ないのですか? 殿下は十六歳を迎えるまでに『刀剣顕現の儀式』を行わなければ本物の白虎になってしまうんですよ」
「刀剣、顕現……?」
「えぇ。 そうして次の帝姫が見つかるまで白虎の姿で国を守るんです。 銀心様がいてもやらないところを見ると、殿下は余程神獣になりたいのですね」
「悠晴様! 憶測で姫様を侮辱しないで頂きたい!!」
滅多に怒ることのない白音が声を荒げ悠晴に牙を剥いた。
だが銀心はそれを無言で引き止めた。
研ぎ澄まされた刃のような冷酷無比な目を悠晴に向けて。
「あぁ、あくまで憶測ですね。 失礼致しました」
悠晴は悪びれた風もなく静々を拱手する。
『良いものが見れた』と言いたげに口を弓形に曲げて。
「……白音、戻るぞ。 殿下に『奉納は成功だった』と早く伝えたい」
銀心は、拳を固く握り俯く白音の肩に手を置いた。
白音はその手の重みにグッと奥歯を噛み締め『御意』と声を絞りだす。
頷いた銀心は悠晴に『失礼する』と短く挨拶を済ませ白音と共にその場を後にした。




