第3話
はるか昔、西の大地を裂き空を燃やした鬼がいた。
そして東の大地に幾度と洪水を引き起こす鬼がいた。
当時大陸を治めていた帝は東西に何度も軍を送るが、太刀打ちできず混沌の世と化していた。
それを天から見ていた月季帝と名乗る女神が、眷属の虎と龍を己の娘二人に与え、彼女らを戦女神として人の世に送り出した。
西と東とに分かれた二人の戦女神は、帝とそれぞれの地で剣を造り、神獣の力を使って悪しき鬼共を打ち破る。
その後、戦女神は再び鬼が攻め入らないよう神獣と共に人の世で安泰を守ったのだった。
その西の地に建国されたのが『秋安国』。
神獣白虎の加護をもった戦女神は国の中心地に菊水宮を建て悪鬼を迎え撃ったと言われている。
そして今世、その力を継いでいるのが琥珀である。
齢十五のうら若き帝姫で、庇護欲を掻き立てられるその容姿から、彼女の夫候補に名乗り出る男は後を絶たなかった。
「私が貴女様の剣となろう!」
戦女神が帝と剣を造り戦った逸話が、帝姫を口説く常套句となった。
しかし琥珀には『婚約者を決めたくない』事情があった。
それを貫き通す為に表では敢えて黙っていたのだが、いつからかそれを『自分に相応しい美丈夫を望んでいる』と噂されるようになってしまったのだ。
人の気も知らないで、頭の痛い話である。
そうこう悩んでいる内に、婚姻期限とされる十六歳の誕生日が三ヶ月後に迫っていた。
◇
今日は菊水宮の御殿にて、半年に一度月季帝へ捧げる舞の奉納が行われる。
それは人間の世を憂い助け舟を出した月季帝に国の安泰を報告すると同時に、西へと追いやった悪鬼達から国を守る為の儀式でもある。
内容は帝姫の演舞のみではあるが、菊水宮を出るとその仕様がガラリと変わる。
戦女神の化身である帝姫は舞で神獣白虎を顕現させ、悪鬼の瘴気から国を守る大きな結界を張るのだ。
其の為白虎が国中の空を駆け回る。
その様子から『白虎演舞』と民からは慕われていた。
今回銀心は白音と共に城下都市まで出て、それが無事完遂されたかの確認を行うという任務を請け負った。
ただこの時、二人の事情を知らない人間もくるので琥珀の方が緊張していた。
「銀心、いよいよ今日から私の婚約者として表に出るぞ。 覚悟はいいか?」
「覚悟って大げさだな。 俺より自分の事を心配したらどうだ? 顔が強張ってるぞ」
「き、気のせいだろう……」
「へぇ……」
帝姫付きの宦官に任命された銀心は本来青の宦官服を着るのだが、今回は市井の偵察なので地味な色合いの胡服で圏椅に腰掛ける琥珀の隣で待機していた。
表向きは『帝姫の寵愛を受けた宦官』なので、相変わらず気安く琥珀に話しかける。
敬語を使われる方がかえって怪しさが増すので自然体でいてもらうことにしたのだが、そこにはいつも不穏な空気が漂っている。
銀心は目をうろつかせる琥珀を見て薄すら笑みを浮かべて肘置きに手をついた。
何かを察した琥珀は圏椅から立ち上がろうとしたが間に合わない。
逃げ場がなく息を呑んだ琥珀に、銀心は紫の瞳を細める。
「そんなに怯えていたら不自然だろ。 今ここで練習しておくか」
「け、結構だ! ……きゃっ!」
突然ぐいと腕を引かれ、琥珀はあっさりと銀心に抱きしめられた。
これがこの男の自然体らしい。
暗殺者といっても無駄なく鍛えられた身体と整った顔を持つのだから色仕掛け担当だったに違いない。
こうした女性の扱いからもそれが伺える。
もっと慎重になるべきだったと琥珀は後悔していた。
支度も終わっていたので白乃は部屋を出ているし、白音は相変わらず外で待機。
更には黄花はこれから行われる儀式の調整が入ってしまい部屋には二人だけ。
銀心の穏やかな息遣いとは裏腹に、琥珀の心臓は今にも爆発寸前だ。
「は、離してくれ」
「嫌だ」
琥珀は必死に身を捩るが、頭一つ分程の体格差には太刀打ちできない。
ならばと両手で銀心の胸を叩くも、頭上でクツクツと笑う声が聞こえるだけで現状は覆らない。
「もう、離せ離せ! 決まりを忘れたのか?!」
「婚約者なんだからこれぐらい普通だろ。 そんなんじゃ奴等に嘘だって勘付かれるぞ」
「う……っ」
気丈な姫が暗殺者にされるがままなんてどれ程屈辱的だろうか。
言葉を詰まらせた琥珀に追い打ちを掛けるように銀心は腕の中で縮こまる琥珀の顎をクイと持ち上げた。
だが次の瞬間、銀心は僅かに瞳を大きくした。
「み、見るな……」
『もう耐えられない』と必死に顔を背けようとする琥珀の目尻は薄っすらと濡れ、頬を朱に染めていた。
恋など知らない筈なのに、嗜虐を煽るその表情に思わず息を呑む。
そしてそっと手を離し、改めて琥珀の身体に手を回す。
「ちゃんと想い合ってる所を見せつけなきゃだろ?」
「……」
宥めるように耳元で囁かれゾクリと琥珀の背中が震える。
駄目だ、これ以上冷静ではいられない。
だが次の瞬間、ハッと我に返った琥珀は銀心を鬼の形相で睨めつけた。
『冗談は大概にしろ』
そして唸りながら銀心が握っていた懐刀を取り上げた。
「ハハ、さすがだ」
湯けむりのように立ち上る白虎の気配を察して銀心は両手を上げ後ろに下がった。
そして琥珀は殺気を滾らせ懐刀を握り、バキン!と二つに折った。
白虎の力を使えばこんなの朝飯前だ。
「そこまでする必要はないだろ」
『そなたに言われたくない!』
琥珀は真っ赤な顔でフン、と鼻を鳴らし銀心の横をすり抜け部屋から出ていった。
その後ろ姿に銀心は眉を寄せ、ゆっくりと後を追った。
今回銀心を婚約者として側におく事について幾つか決まり事を設けた。
一つ、契約期間は排斥派の頭首を見つけるまで。
可能なら銀心から聞き出したかったが、裏切り行為が発覚すれば命に関わる呪紋が銀心の背中に彫られていたのだ。
命を預かる側としてそれは無視出来ない。
なのでこれまで通り銀心は排斥派に属するが、信奉派の動向にも関与させない事にした。
二つ、暗殺行為の対象は琥珀のみとする。
排斥派の目的は自分達が政の実権を握ること。
なので不要なのは帝姫のみ、他の者に手だしは一切許さないとした。
一見不利に見えるが、その点に関しては琥珀は良しとしている。
なぜなら琥珀は神獣『白虎』の加護を持つ戦女神の化身。
その為、例外はあれど自分の身に起きる事は大抵一人で何とかできるのだ。
だから護衛が眠りこけるなんて事態がおきてしまうのだが。
三つ、身体的接触は最低限に留めること。
目的は排斥派をあぶり出す事であり本物の婚約者ではない。
立場を弁え節度ある距離を保たなければならない。
なので勿論寝所も別だ。
加えて夜間の暗殺行為も禁止である。
だというのに如何なものか。
聞けば銀心の方が年上で、箱入り娘の琥珀は駆け引きするような恋愛経験など皆無。
となるとそこを突かれてしまう可能性が高いのだ。
琥珀はこれ以上絆されまいと心に決めた。
「そうだ、これを渡しておく」
先を歩いていた琥珀は振り返って、袂から玉飾りを取り出した。
「これは……」
「玉佩だ。 私の婚約者となればそれ相応の身分証明が必要だろう」
そう言って琥珀は腰の前寄りに下げている自分の玉佩を軽く揺らした。
玉と玉とが擦れて小さな鈴の音のような音が鳴る。
琥珀が持つのは氷のように淡い光を孕んだ白翡翠の玉だが、銀心が渡された玉佩は闇夜でも輝くような黒翡翠の玉で、それに噛み付くように深い青鉄色の金具で留められている。
そして房飾りは琥珀がごく薄い紅色、銀心は深紅の房飾りで根元には揃いの赤い石が付いていた。
受け取った玉佩を見つめたまま動かない銀心を見て琥珀はそわそわし始める。
「わ、私のと似ているが深い意味はないからな」
「あぁ」
「売り捌こうとか考えるなよ? 契約が終われば返してもらうぞ」
「わかってる」
「それから……」
「あんたは俺を信用してるのか?」
突如投げかけられた問いに琥珀は目を瞬かせる。
「け、契約したのだから当たり前だろう。 確かにさっきのは腹立たしいが、そなたの御魂はまだ汚れていないからな」
「……そんな事までわかるのか」
「ぼんやりとだがな。 言語化できる程ではない」
当たり前のように話す琥珀に銀心は顔を顰めた。
「偽装結婚していても俺はあんたを殺そうとしてるんだぞ? そんな曖昧な理由でここまでしてもいいのか?」
「そういう所だ。 本気で首を取るならもっと上手く近づくだろうにそなたはそれをしない。 まぁ本気できても全て受け止めてやるけどな」
「……」
「だから安心して討ってこい」
さっきの仕返しだと言わんばかりに琥珀は不敵な笑みを浮かべ踵を返すと、再び歩を進めた。
銀心はその小さな背中を横目で見る。
暗殺者に背を向けるなど命を差し出しているようなもの。
だが琥珀には神獣がついている為、背後から襲おうものなら返り討ちに遭うだろう。
隙のない琥珀に銀心は小さく溜息をつくと、玉佩を腰帯に吊るし再び琥珀の元に向かう。
背後からリン、リンと細い鈴のような音が近づいてくる。
それが鳴りを潜めたと思ったら、銀心が並ぶようにすぐ隣を歩いていた。
腰から膝下までさがった玉佩は歩く度に玉と玉とが触れ合い音を立てるのだが、銀心からはそれが僅かにしか聞こえない。
琥珀と同じく品のある足運び。
素性は知らないが、元は貴族だったのかも知れない。
(まぁ私には関係ない。 本人が話す気になるまで聞かないでおこう)
そうして二人はそれ以上言葉を交わす事なく御殿へと続く長廊を辿っていった。
ここまで読んで頂きありがとうございました。
少しでも「良かった!」と思ったら下のブックマーク、評価で「いいね」してもらえたら嬉しいです!




