第2話
「姫様! 一体何事です?!」
皆が寝静まった静寂を切り裂くように突如寝室の扉がバキバキィ!!と大きな破壊音を立てて吹き飛んできたので、隣の部屋で休んでいた初老の女性が飛び込んできた。
「この様な夜更けに何を……って、ひぃぃ――!!」
「落ち着いて黄花! これには訳があるのだ!!」
絶叫が外に漏れればややこしくなるので、琥珀は慌てて黄花の口を塞いだ。
闇討ちされて相手を返り討ちにするのは日常茶飯時だが、嫁入り前の帝姫の寝衣が乱れているのだ。
そんなの叫びたくなるに決まってる。
だが魂は飛ばさず即座に頭を回すのが白虎の御魂を宿す帝姫の女官。
心臓をおさえつつ状況把握に努める。
「し、白音、今すぐその男を括って取調べなさい!」
「は、はい只今!!」
黄花の後からやってきた十代後半の若い宦官の白音は、一応琥珀の護衛の役を担う。
だが主があまりに強いため見張り中に眠ってしまう事も多く、今回も扉が壊された音で気づいたらしい。
そんな白音はまだ現状を飲み込めていない顔だが、青い顔をした黄花の命令には即座に反応した。
そしてきっちりと縄で拘束した上で律儀に『失礼します』と声をかけてから男の服をまさぐり始める。
そして『ひっ』と小さく呻いた。
「……白音、どうしたのです」
白音の苦々しい顔と同時に見事なまでに鍛えられた胸板が顕になり、服の中からはバラバラと暗器が出てくる出てくる。
魂は飛ばずも黄花の寿命は三年縮まった。
「……輿入れ前の姫をこのような危険に晒してしまい、ご両親に申し訳立ちません! 白乃!」
「は、はいっ!」
「剣を持ってきてちょうだい! かくなる上は腹を切ってお詫びを!」
「か、畏まりました!」
白音の双子の姉白乃は、小柄で愛らしい見た目に反してたいそう働き者だ。
日頃からよく気が利く手腕の侍女で、今こうしている間にも、琥珀の乱れた寝衣をきっちり整え背子まで着せていた。
だが気は動転しているらしく、黄花の指示に疑問も持たぬまま箪笥に向かおうとしたのでまた琥珀が止めた。
「待ってくれ! 私は無事だったんだからもう腹を切る必要はないだろう!」
さめざめと膝をつく黄花の肩に手を置き窘める琥珀に、黄花はくわっと牙を向いた。
「姫様こそ何故平然としておられるのです! 白音ですら気づかない暗殺者を何故放置しておいでですか!」
「放置しているのではない」
「え? では何故……」
「彼には囮になってもらおうと思ってな」
「囮……? まさか、『排斥派』の?!」
「あぁ。 彼程腕が立つ者を雇うとなれば結構な地位の者だろう。 思わぬ大物が釣れそうだろう?」
「だからといってわざわざ暗殺者を選ぶ必要はないでございましょう! 逆に命を取られたらどうするのです!」
「その点は心配いらない。 一度倒したからな」
「倒した……? ではまだ貞操は……」
「あ、当たり前だろう!」
「さっすが姫様! 相変わらずお強い!」
そう言って黄花の隣で目を輝かせる白音に琥珀はやや自慢げに胸を張る。
だがそれを黄花と白乃は白い目で見る。
「……理由はわかりましたが、どうやって囮にするのです? 宦官にでもして泳がすおつもりですか?」
白乃の問いかけにそれはだな、と言いかけて、琥珀は先程のやりとりを思い出し尻すぼみしていく。
そんな琥珀に代わって男がやれやれと言った調子で口を開いた。
「俺を婚約者にしておびき出す予定だ」
聞いた全員が目を剥いた。
ただ琥珀だけは真っ赤な顔をしている。
「さ、先に言うな! その、心の準備が……」
「この程度で怖気づいてどうする。 死ぬ気で排斥派を探すんだろうが」
「そ、それはそうだが……」
会話の内容は物騒なのに、まるで身内に付き合ってるのがばれてしまったかの様なやりとり。
両手で顔を覆う帝姫が微笑ましい……、と双子の姉弟はほっこりしているが、黄花だけは眉を寄せていた。
琥珀が帝姫になる前から仕えていたのだから、そこにどれ程の覚悟が孕んでいるのかが想像できたのだろう。
「……姫様、本当によろしいのですね?」
琥珀は苦渋の表情を浮かべる黄花をじっと見つめた。
そして一呼吸おいて、口を開く。
「あぁ。 これでいい」
その意味を汲み取った黄花は諦めに近い溜息を吐いた。
そもそも帝姫の決めた事に口を出してはならない。
帝姫に仕える女官としてやるべき事は一つだ。
「ではそのように手続きをしてまいりましょう。 お主、名は何という?」
「銀心」
「姓は?」
「覚えてない」
意外な返答に琥珀達は目を丸くした。
「記憶喪失か?」
「どうだろうな。 気づいたら今の主の所にいた。 それからはずっと武術やらをたたきこまれてる」
冷めた目で語る銀心を見てるとその通りなのだろう。
そして懐かない猫の様に近寄りがたい雰囲気を醸し出している。
これ以上詮索するのは無理だろう。
「……分かりました。 では姫様付きの宦官という立場でいきましょう。 但し、姫様に一度敗北したというのなら、こちらが定めた決まりにはきっちりと従ってもらいますよ」
「承知した」
何とか話がついたと、琥珀は胸をなでおろす。
だがまだ安心できる状況ではない。
囮とはいえ自分の命を脅かす暗殺者を婚約者にしたのだから、その先が決して明るいものとは言えない。
この采配は吉とでるか凶とでるか。
後日、優秀な側近は男性が住まう宮内の東側にある居室、そして『朔』という姓と宦官の位を銀心に与えた。
朔家は白音達燕家の遠縁にあたる信奉派の一族で、詮索の目も届きにくい。
こうした手引きが出来るのも、帝姫直属の家臣である秦黄花だから成せる技。
帝姫の意向を汲んで隠密に行われた。
だからといって銀心も相当手練な男。
首輪をつけられたとて大人しくする訳でもなく、まるで悪戯を仕掛けるように琥珀を命を狙い続ける。
勿論容易くやられる琥珀ではないが、その《《たちの悪いやり方》》に今後幾度と振り回される事になる。




