第一話
窓を開けると細い月が僅かに闇を照らしている。
こうした夜は大概何か起こるもので、秋安国の中心に建てられた菊水宮でも例外ではなかった。
ジャリン!!
短剣と鉄扇とがぶつかり金属同士が擦れる音が寝室に響き渡る。
闇よりも深い影が落ちてきたと思ったら、何者かが窓から侵入してきたのだ。
闇討ちだ。
菊水宮の主であり秋安国を治める帝姫琥珀は懐に隠してあった鉄扇を取り出し応戦する。
火花を散らす激しい剣戟が続いたが、拉致があかないと悟った侵入者は琥珀から距離をとった。
「何だ、その程度か?」
琥珀は金色を僅かに含む白銀の髪を後ろへ流し、深海のような瑠璃色の瞳を細める。
「あんた、本当にあの帝姫か?」
体格と声色からして侵入者は男だろう。
覆面姿のまま目を眇めるのも無理もない。
百五十にも及ばない小柄な身長、白磁のように滑らかな肌を持つ美しい姫は、民衆の前では殆ど相槌や笑顔だけで返す『虎に守護される健気で可憐な姫』と称されていたからだ。
だが目の前にいるのは闇にも染まらない神々しさと獰猛な獣の気迫を併せ持つ少女。
相反するそれらを両立させる彼女は、秋安国の建国神話にある守護神獣『白虎』の御魂を体内に宿す戦女神の化身であった。
「本物だ。 だから闇討ちにきたのだろう?」
噂とは真逆の、余裕の笑みを浮かべる琥珀に男は歯噛みした。
そして再び正面から踏み込み琥珀に刃を向けた。
だが琥珀はあっさりと太刀筋を見極め再び鉄扇で止める。
神獣の力があれば造作もないこと。
護衛など必要ないほどの力があった。
だがこの時だけは違った。
鍔迫り合いをする中で、紫水晶のように輝く男の瞳と視線がぶつかった。
宮内や帝都ですら滅多に見ない色味に思わず驚きと感嘆の声が口から漏れる。
「綺麗な瞳……」
動きが止まってようやく見えてきたその姿。
顔を覆った布の隙間から見える切れ長の瞳を縁取る黒く長い睫毛と、布で覆っていても分かる真っ直ぐに伸びた鼻梁。
琥珀はこんな美しい顔をした男がこの世にいたのかと目が離せなくなかった。
そして男も自分を見透かすような琥珀の視線に身体を硬直させ息を呑む。
だが相手は敵だ。
「チッ」
いち早く動いた男は琥珀の両手首を掴みドン!と壁に縫い止めた。
「か弱いお姫様と聞いたが中々勇ましいな」
頭上で両手を一纏めにされ、首筋に刃を当てられては下手に動けない。
低くくぐもった声と頭一つ分は充分にある体格差。
これまでとは違って中々腕の立つ暗殺者と見込んで、琥珀は抵抗をやめて出方を伺うことにした。
その反応に男は目を細める。
「やっぱり怖いのか? 可愛いとこもあるじゃないか」
どうやら怯えている様に見えたらしい。
だが僅かに甘さを含んだ声色に琥珀の心臓が大きく跳ねた。
これまで『美しい』『可憐だ』は嫌というほど聞いてきたが、初対面の男に、しかも好みの顔の男に『可愛い』と言われてさすがに動揺してしまう。
「は、離せ無礼者!!」
「嫌だね。 あんたはここで死ぬ運命なんだから」
「運命かどうかは私が決める! そなたこそ早く逃げぬと痛い目に遭わせるぞ!」
「はいはい。 そんな可愛い顔で怒っても無駄だ」
言った。
二回も言った。
こんな侮辱あってたまるか。
限界まで堪えていた琥珀の羞恥心がついに決壊する。
『ぐゎーお!!』
「?!」
突然琥珀が真っ赤な顔で咆哮をあげた。
壁に追い詰めていた少女から突如獰猛な獣の気配を察し、男の背筋がゾクリと冷える。
煌々と燃える瑠璃色の瞳に男は咄嗟に距離を取った。
『逃がすか!』
解放された琥珀は浅く息を吸うと男の脇腹を狙い拳を突き出した。
想定外の俊敏さに男も慌てて琥珀の拳を腕で防いだ。
「くっ……!」
小さな拳にも関わらず一撃が鋭く刺さり、男の口から小さな呻きが漏れる。
琥珀はニッと口の端を上げた。
すると男は琥珀の攻撃を何とか振り払い、持っていた短剣を握り直す。
だが男が剣を振り下ろすよりも先に、琥珀はトンと軽く地を蹴って、男に正面から飛びかかった。
まるで子猫が飛びついていくかの様に。
だが実際は違った。
百七十を超える男は小さな琥珀に両肩を掴まれ、そのまま勢いよく床に押し倒された。
「ぐはっ!!」
叩きつけられた衝撃で背骨が軋み全身が痺れる。
一体何が起こったのか。
ゼェゼェと浅い呼吸を繰り返し目を開けると、可憐な少女が自分の上で馬乗りになって笑っている。
その頭には白銀の髪と同じ毛色の丸く大きな耳。
そして後ろではゆらゆらと揺れる細長い動物の尾が見える。
どちらにも複雑に走る黒の縞模様があった。
『形勢逆転だな』
琥珀は白く尖った歯をちらと見せて小さく笑った。
男は驚愕の目で琥珀を見上げる。
琥珀の華奢な身体がまるで自分と同じ身丈の猛獣に伸し掛かられたかの様に重く、どれだけ力を入れても起き上がれない。
『これが神獣【白虎】の御魂を宿した【虎姫】の力だ』
高貴で獰猛さを孕んだ微笑みに男はゴクリと喉を鳴らした。
そしてゆっくりと瞳を伏せた。
「俺の負けだ。 今ここで殺してくれ」
男の殺気が消失したとわかり、琥珀は馬乗りになったまま静かに問いかける。
『……随分と諦めがいいのだな』
すると男は覆面を外し、濡羽のような艷やかな前髪を掻き上げ自嘲気味に笑った。
「こんな力の差を見せられたら抵抗する気すら失せるさ」
男は口を弓形に曲げ、側に落ちていた短剣を取るとそれを琥珀に握らせた。
「だから最期にその綺麗な手を俺の血で汚してやる」
死を覚悟した台詞の割にはどこか楽しそうな物言いに琥珀は眉を寄せた。
本来なら男の言う通り、胸を突いてカタを付けるのが筋だ。
だが『殺せ』と言われて『わかりました』と男の望む通りにすると、後味が悪くなりそうで気が進まない。
琥珀は大きく溜息をついて短剣を手の届かない所まで投げた。
「ならばその命、私に預けてくれぬか?」
白虎の気配を霧散させた琥珀の提案に男は目を大きくした。
「……俺を生かすつもりか?」
「そうだ。 そなたには『囮』になってもらいたい」
「囮?」
「そなた『排斥派』に雇われたのだろう? なかなか尻尾を出さん奴等をおびき寄せたいのだ」
排斥派とは今の国政に意義を唱える者達を指す。
彼らは女が国を治めるという現状に憤りと不満を募らせた派閥だ。
事を理解した上で男はハハッと嘲笑った。
「それは無理な話だ。 こっちも命が懸かってるんでね。 そもそもあんた、俺に命を狙われてたのを忘れたのか?」
「勿論わかっている。 だからそなたは囮になる代わりにいつでも私の命を狙えばいいだろ。 まぁ殺されるつもりはないがな」
琥珀の強気な発言に男は顔を顰めた。
「……正気か?」
「正気だ。 そなたが命を賭けるのと同じで私も命を賭けて奴等を見つけ出したいのだ」
傲慢だが宝石の様に美しい瑠璃色の瞳に男は『面白い』と呟いた。
「なら俺をあんたの『婚約者』にしてくれ」
「…………は?」
今度は琥珀が自分の耳を疑った。
だが男は新しい玩具を見つけたかのような笑みを浮かべて言葉を続ける。
「確か噂では『中々婚約者が決まらない』って聞いたが違うか?」
突然自分の話を持ち出され琥珀は思わず声を上擦らせた。
「ち、違う!! 『婚約者が決まらない』ではなく『決めたくない』のだ!」
「どうせ顔で選んでるんだろ。 あんた俺の顔好きそうだし丁度いいだろ?」
乗られた状態にも関わらず誂うような態度にかぁっと顔が熱くなる。
確かに好み、いや直球に好きな顔だ。
だがそれでも琥珀には婚約者を決めたくない事情があった。
「何も知らない奴に言われたくない……っ!」
琥珀は男を睨めつけギリっと歯噛みする。
胸の上に置かれた両手が僅かに震えていることに気づいた男は、琥珀の腰に手を回して勢いよく上半身を起こした。
「きゃっ!」
琥珀の体の重心がずれ後ろに倒れ込む。
だが男は琥珀の体を両腕で支え、まるで壊れ物を扱うようにそっと体を床に横たえた。
そしてそのまま伸し掛かるような形で琥珀の顔の横に手をつく。
今度は紫水晶の瞳が妖艶な光を帯びて琥珀を捕らえた。
「だったら『偽装結婚』はどうだ?」
「偽装結婚……?」
「排斥派内でもあんたの隣を狙う輩も多いんでね。 そこに俺が上手く収まれば排斥派も間違いなく次の手を打ちに来る。 これで俺は『囮』としての役目を果たせるし、あんたの命を狙い放題。 いい話だろ?」
「何がいい話だ! それではこっちが不利ではないか! うっ……」
気づけば男の手に小さな銀針があり先端が琥珀の首に向いていた。
さっきの優しさはこの為か。
「俺がいれば群がってくる男共を一掃できて排斥派探しに集中できるだろ。 そして囮作戦が終われば婚約解消。 あんたは夫を娶る必要がなくなる」
脅迫のつもりだったのかもしれないが、『夫を娶る必要がない』という言葉に琥珀は目を輝かせた。
「それはいい考えだ! 『偽装結婚』でよろしく頼む!!」
まさかの返答に、いやあまりにも軽快な返事に男は目を丸くした。
そして次の瞬間、パキン、と小さな音が鳴る。
琥珀がその隙をついて銀針を折ったのだ。
『もう打てる手はないだろ?』と言いたげにフフンと笑う琥珀に男も口の端を上げた。
「じゃあ交渉成立だ」
嬉々として提案を受け入れた琥珀を見下ろしたまま、男は琥珀の太腿をするりと撫でた。
「ひゃっ!! な、何をする!!」
琥珀はビクンと体を強張らせ男を睨めつけた。
「何って婚約者になったんだから早速親睦を深めようと思って」
「勝手に触れるのが親睦な訳あるか!」
「いや、こんなに綺麗な足を晒してるあんたが悪い」
男に指摘されて琥珀は足がやけにひんやりしていることにようやく気がついた。
そう、さっき捕まえようと押し倒した時に寝衣の裾がはだけていたのだ。
みっともない姿を晒してしまい琥珀は爪の先まで体を赤くした。
「これは役得だな」
意地悪く笑う男の顔を見て琥珀は『ふぎゃー!!』と叫び、再び丸い耳と細長い尻尾を逆立てて男の腹にとびきりの一発をお見舞いした。




