第27話
「何?! 殿下がたった一人で桂邑に着いただと?!」
「はい! 庶民の様な格好をしていますが、あの銀髪と瑠璃色の瞳は間違いありません!」
悠晴が真瑛と接触する少し前の事。
朱色の絹で覆われた背もたれの高い金縁の宝座に腰掛けていた景禍は、伝達を聞いて飛び上がるように立ち上がった。
「『白虎に守護される健気で可憐な姫』がどうやって一人で来れる?! 冗談も大概にしろ!!」
「ですが本当にお一人で馬に乗って……」
「黙れ黙れ黙れ!!」
景禍は伝達係の男に怒号を浴びせ、分厚い手に握られていた重厚な大扇をバッと開いた。
その大扇は骨組みも太く、面には大きく禍々しい呪紋が描かれていた。
「私の可愛い蛇達よ! 行ってこい!」
景禍の声に反応して、扇子に描かれた呪紋から突如赤黒い業炎が揺らめいた。
そしてその炎は蛇の様に分裂し、伝達に来た男の手足に勢いよく絡みつき全身をきつく締め上げた。
「熱っ……!! お、お許しを……!!」
「不愉快だ。 燃えてしまえ」
「あっ……!! あぁぁぁぁっ!!!!」
幾ら身をよじろうとも、纏わりつく炎は男を逃さず益々火力を強めていく。
そして数分も立たぬ内に男は影だけになり、男を燃やした炎は再び蛇の姿に戻って景禍の扇子へと這うように戻っていった。
景禍はフンと鼻を鳴らし、凍てつくような目つきでピシャリと扇子を閉じる。
「私の気分を害するものは一切許さん。 勿論、あの小娘もな」
だが疑念は拭えない。
小娘といっても神獣の加護を受けている姫君。
暗殺者として送り込んだ銀心の隙をついて逃げだせる可能性は幾らでもある。
「……まぁ一人で来た所で何も出来んだろう。 寧ろ好都合だ」
この国の帝姫は見目麗しい姿をしている。
そんな娘と似ているなら、本物でなくても捕らえて可愛がればいい。
そう考えると景禍の口の端が自然と上がる。
「よしよし、私が直々にお出迎えしようじゃないか。 そして丁重に、囲って差し上げよう……。 フフ、隆玄、参るぞ」
「ははっ!」
景禍は気味の悪い笑みを浮かべながら、隆玄と狐面の武官達を従え本城前の前庭へと向かった。
◇
そして景禍は隆玄と共に本城に上がる石階段の一番上に立ち、緩む口元を指で押し戻しながら琥珀の到着を待った。
暫くしてようやく人の姿が確認できると、景禍はその分厚い胸を踊らせた。
少女は前合わせの上衣と足首を絞った脚衣といった軽装で、どちらかというと奉公に来た少年の姿に近い。
しかし華奢な身体、一つに束ねられた月の様に美しい銀髪、そして憂いを帯びた瑠璃色の瞳が庇護欲を駆り立てる。
だが決して彼女に触れてはならない。
彼女から滲み出る気品と腰から下げた玉佩がそう警告する。
其の為この場に居合わせた者達は、凛として歩く姿にだた固唾を飲み見守るしか出来なかった。
そんな値踏みされるような視線にも臆することなく琥珀は石階段側まで進むと、ピタリと足を止め階段上から自分を見下ろす景禍に目をやった。
「そなたが端木景禍、だな」
すると、美しい姿から想像もつかないような底冷えするような声色に景禍はゾクリと背中を震わせた。
(な、何だ、この威圧感は……。 この小娘が本当にあの噂の帝姫なのか?!)
ここにいた皆が同じ事を思った。
菊水宮より顔をのぞかせるのは、穏やかな笑みを湛え相槌を打つ愛らしい少女の顔。
だが今立っている少女は、思わず頭を垂れたくなる様な威容を放つ女傑。
どう考えてもこの二人が同一人物だとは到底思えない。
皆が混乱する中、ギリッと奥歯を噛み締めた景禍は階段上から降りることなく、琥珀を見下ろし必死に笑みを作った。
「い、如何にも私が端木景禍だが、お嬢さんは本当に……、あの、帝姫なのか?」
景禍が脂汗を滲ませながら尋ねると、琥珀ははぁ、と大きく溜息をついた。
思わず景禍の肩がはね上がる。
「間違いなく私が秋安国の治める帝姫、琥珀だ」
その静かな声に戦慄が走る。
名を呼ばれれば即座に平伏してしまいそうな気迫。
深淵を思わせる瑠璃色の瞳には憤りがゆらりと浮かび、その視線から逃れることは恐らく不可能だろう。
再び一歩、一歩と琥珀が歩みを進めると、景禍や隆玄、彼らを取り巻く狐面の武官達は慄き足を引いた。
「どうした? そなたらのお望み通り出向いてやったのに何故逃げる。 歓迎してはくれぬのか?」
「……だ、騙されんぞ! 貴様こそ、さっさと本物の帝姫を連れてこい!!」
「今後に及んでまだ言うか。 ならば仕方ない」
小さく息をついた琥珀は懐に収めていた黒翡翠の玉で造られた玉佩を取り出した。
そして両手で玉佩を包み、玉に宿る気配に呼びかける。
『誓いを宿す一振りの 刃となって顕れよ 名は【心月】』
すると玉佩の芯から一筋の銀光が音もなく立ち上がる。
その細い輝きはただ静かに、揺らぐ事なく刀身へと形を成す。
反りを持たない端正な姿は、かえって人を寄せ付けない冷たさと気高さを帯びていた。
琥珀は柄を包むように握り、刀身をそっと自分の身体に寄せる。
「やはりそなたは真っ直ぐで美しいな」
そして愛おしい者に向けるように甘く呼び掛ける。
威を誇る気配はないのに見た者全てが無言で息を呑んだ。




