第18話
「銀雲……? 誰のことだ?」
不調を悟られぬよう顔を顰める銀心に、男は愕然とした様だ。
「……いや、あんなもの忘れてしまった方がいいに決まってる」
男は頭を振り、頰を緩め立ち上がると銀心達に深々と頭を下げた。
「旅の者とは知らず無礼を働き申し訳ありません。 一体どのような経緯でここへ?」
「……たまたまだ。 ここは何故こんなにも瘴気が溜まっている?」
「そうですね……。 その話は長くなりますので、良ければ家へ案内しますよ。 家の中なら瘴気の影響も少ないので」
そう言って男は剣を拾い、銀心達を自宅へと招いた。
◇
男は人払いを済ますと、風でギシギシと軋む家屋へと案内した。
日が出ていたにも関わらず、中は薄暗く湿った木と古い畳の匂いがする。
だが男の言う通り瘴気は溜まっておらず、理由を聞くと『表に貼ってある札の効果ですよ』と教えてくれた。
それが各家々に貼ってある為、皆何とか生活をしていけるようだった。
「これをどうぞ。 飲めば体内に入った瘴気も緩和されるので、隣にいる猫にもあげてください」
「……ありがとう」
小さな油灯に照らされ道術使いの男、梁真瑛は、煮出してあった青みの強い薬湯を小さな碗に入れて銀心に差し出した。
銀心は一瞬顔を顰めるが、不思議と嫌悪感は湧いてこない。
寧ろどこか懐かしいような香りに誘われ銀心はゆっくりと口をつけた。
すると肺に溜まっていた毒のようなものがすっと軽くなり、瘴気どころか、呪紋による発熱などの不調も溶け出た様に楽になった。
「……多分大丈夫だ。 ほら、あんたも飲んどけ」
「ガゥ」
そして琥珀にも小さな匙を使い飲ませる。
香りも青苦く、胃にもたれそうな重い渋さにギュッと顔を顰める琥珀を見て銀心は眉を下げた。
向かいに座る真瑛は、そんな二人をみて穏やかに笑った。
「それは冬家に伝わる薬湯なんです。 銀雲様も昔、同じような顔をして飲んでいましたよ」
その言葉に銀心は僅かに眉を寄せた。
「あんたは……、冬家の臣下だったのか?」
「はい。 冬家に仕える道士で銀雲様の側仕えでした。 ……やはり覚えておりませんか」
「……すまない。 だから今は『銀心』と呼んでくれ」
「……承知致しました」
真瑛は淋しげな笑みを浮かべ、深々と頭を下げた。
そんな真瑛を見て琥珀はそっと近づき、真瑛の膝に手を置いて『ガゥ』と小さく鳴いた。
満月の様に丸い瑠璃色の双眸に見つめられ、真瑛は驚きながらも琥珀の頭を優しく撫でた。
「それにしても美しい猫ですね。 大きさといい、待ち望んでいた白虎様に会えた心地ですよ」
「待ち望んでいたって、ここには白虎演舞の恩恵が届いていないのか?」
「正確には届かなくなったのです。 あの忌まわしい事件から我々はここへ追いやられ、景禍の手によって外界から封鎖されているのです。 しかもこの村は国境寄りなので、瘴気も蔓延しやすくこれまでも多くの者が亡くなりました」
真瑛の話に琥珀の毛がピリッと逆立った。
「……忌まわしい事件だと?」
「己の不注意で悪鬼を封印していた祠を壊した端木景禍が、その罪を冬家になすりつけて逃げたのです」
「何だと……?!」
銀心は絶句し、その沈黙に怒りを滲ませた。
「本当にひどい話です。 それでも当主は何とか悪鬼達を食い止めようと戦ったのですが、力が及ばず帝姫が到着した頃にはもう瀕死の状態でした」
途端に琥珀の瞳の奥が殺気に満ち、場の空気を一瞬で凍らせた。
それに気づき銀心は琥珀を抱き上げ膝に乗せると、ゆっくりと背を撫でた。
そして尋常ではない気配に真瑛も額に汗を滲ませる。
「い、今のは……?」
「……話を聞いて怒ってくれてるんだろう。 きっと彼女は味方だ」
眦を下げて琥珀の背を撫でる銀心を見て、真瑛は不思議に思いながらも胸を撫で下ろした。
「しかし俺が聞いていたのとは全く逆の話だ。 冬家は領地の者達を見捨てたから『裏切りの一族』と呼ばれるようになったと……」
「悪鬼達を鎮圧した頃に戻ってきた景禍が残っていた者達を権力で脅し、そう証言させたのです。 そしてそれを事実にする為に我々は領地を追われ、ここへ辿り着いた。 銀雲様はその道中で何者かに攫われ行方がわからなくなってしまったのです」
「何だそれ……」
銀心は手で顔を覆い、深く深く息を吐いた。
瘴気に覆われた村。
苦しみや貧しさが一目瞭然の生活環境。
これが嘘だとは到底思えない。
すると銀心の服を掴み必死に怒りを抑え込んでいた琥珀が銀心の膝から飛び降り、真瑛の服の袖に噛みついた。
「え? どうしたのです?」
「ガゥ! ガゥゥ!」
「おい、やめろって!」
「ガゥゥ! ガゥゥ!」
琥珀は銀心が止めるのも聞かずに、真瑛に目を向けたまま銀心の背に回る。
そして鳴きながら銀心の背中を前足で叩いた。
「何するんだ! 痛いだろ!」
「こっちに来いと、言ってるのですか?」
「ガゥゥ!!」
琥珀の必死の呼びかけに良からぬ気を感じ取ったのか、真瑛は顔を顰め銀心の服を捲し上げた。
そして驚愕する。
首下の小さな呪印から背骨に沿ってのびた一本の太い線。
そこから左右へ枝分かれし、その中心には封核と思われる角印が彫られ、雲のような細線がその周りを漂うように巡っていた。
「これは……、御魄紋か?!」
「ガゥ?」
「魂魄を従わせる紋です。 本来は戦で瘴気に冒され悪鬼と化した人間の魂を治めるもの。 それを生身の人間に直接彫るなど……!」
真瑛は拳をきつく握り、目を血走らせた。
「銀心殿、一体これは誰にやられたのです?」
「……」
「……明かせない、ということですね……」
「ガウゥ……」
黙り込む銀心に寄り添う琥珀を見て、真瑛は優しい笑みを浮かべた。
「大丈夫ですよ。 これなら私でもある程度術を解く事ができます。 やってみましょうか」
「本当か?!」
「えぇ。 完全に解くのは施した術者にしかできませんが、順を追って傷を入れていけば効果は薄れます。 ただここには麻酔がないので相当痛むと思いますが……」
「……それに耐えれば楽になるのか」
「多少の呪詛返しにも耐えなければなりませんが、効果は保証致しましょう」
「構わない。 やってくれ」
短く発せられた言葉に、真瑛は深く頷いた。




