第17話
外へ抜け出した銀心は念の為外に用意しておいた荷袋から服を取り出し手早く着替えると、乗ってきた馬を走らせた。
子虎になった琥珀は落ちないよう別の荷袋に入れ、そのまま抱きかかえた。
先程から止まる気配がなく、既にどの辺りまで走ったのかは検討がつかない。
琥珀は荷袋の中で溜息をついた。
本当ならあの場で逃げ出さなければなかったのにできなかった。
あそこで離れてしまえば二度と銀心に会えない気がしたからだ。
それだけは避けたかった。
(あの時、傷つけてしまった事を謝まらねば……)
『神獣になるほど嫌だったんだな』
あの時の顔が今も離れない。
神獣じゃない自分を必要としてくれた事が本当はすごく嬉しかったのに、必ずやって来る別れへの恐怖が勝ってしまったのだ。
その結果がこれだ。
銀心はいつだって自分の身に危険が及ぶ限界まで助けてくれていたのに。
罪悪感を植え付け、皆を裏切り単独行動に出てしまったのは自分の所為だ。
「くっ……、ゴホッゴホッ!」
そして馬を走らせている合間、銀心が苦しげに咳き込むのも気になっていた。
只の体調不良なら良いが、きっとそうではない。
背中の呪紋が彼の身体を蝕んでいるのだろう。
隆玄、おそらく彼も排斥派だ。
隆玄が銀心の正体に気づけば、手柄を横取りされまいと慌てて桂邑に向かう筈。
銀心は聡い白音がそれに気づくよう、あの場でわざと隆玄の名を出して促したのだろう。
だとすればそれは間違いなく排斥派への裏切り行為。
しかもかなり重篤なのか、平然として居られないのだろう。
(そなただって、他人の事ばかりじゃないか……)
琥珀は銀心が咳き込む度、袋の中から小さな前足で銀心の胸をさすった。
◇
馬に揺られて幾程か経った頃、ようやく揺れが収まった。
「……おい、まだ生きてるか?」
突然袋の口が開き、琥珀は目を覚ました。
恐る恐る顔をだすと、悪鬼の瘴気が溜まっているかのような薄霧の中に居た。
上を見上げると僅かに日の光が差しているが、目の前にはこの霧の中でひっそりと古びた家並みが身を隠すように建っている。
(まさか、こんな処に村があるのか……?)
「これだけ廃れていれば隆玄達も寄ってこないだろう。 あんたには悪いが、ここで、少し休ませてもらう……」
そう言って銀心は肩で大きく息をしながら、村の入口と思われる腰高の木の杭に馬を繋ぐと倒れ込むように地面に腰を下ろした。
「ガウゥ!!」
琥珀が袋から飛び出し銀心に駆け寄ると、銀心は僅かに頬を緩め琥珀の頭を撫でた。
「こんな所で逃げようと思うなよ? これだけ瘴気が溜まってると、幾らあんたでも辛くなる。 ほんの少し休んだら、ちゃんと桂邑に連れて行ってやるから、俺の側にいてろ……」
いつになく弱々しい声。
銀心は深い溜息をついて、そのまますっと目を閉じた。
「ガウゥ、ガウゥ……」
揺すっても銀心は目を閉じたままで動かない。
余程苦しかったのか、眉間に皺を寄せたまま眠る姿に琥珀は胸を痛めた。
このまま眠らせて良いのだろうか。
村に行って人を呼んで来たほうがいいだろうか。
だが『側を離れるな』と言われてしまった。
そもそもこの村に人など住んでいるのだろうか。
灰色に覆われた村は打ち捨てられたような哀愁を纏い、息を潜めている。
思わずゴクリと唾を飲んだ。
(いや、ただここで待ってるだけなどできるか!)
琥珀は意を決して薄霧の中へ飛び込んでいった。
◇
村の中は更に霧が濃く、差し込む光も弱い為とてもひんやりしていた。
草木さえもまばら、家々は雨風に削られどれも建っているのがやっとだ。
琥珀は喉の引っかかりを取るように軽く咳をした。
(やはり悪鬼の瘴気が蔓延してるみたいだ。 ということはここに白虎が来ていない。 隆玄の言うことは本当だったのか?)
「グワーォ!!」
本物のような威厳はないが琥珀は声を張り上げ叫んだ。
「グワーォ! グワーォ!!」
もしかしたら悪鬼が出てくる可能性もあるが、一縷の希望に賭けて琥珀は町の中を鳴きながら走った。
(誰か、誰か出てきてくれ!!)
するとボゥッと僅かに灯りが見えた。
松明の灯りか、琥珀は恐る恐る近づいていく。
「今だ!!」
「ガゥ?!」
突然頭上から勢いよく網が振り下ろされた。
琥珀は間一髪の所で何とか避けるが、気づけば周囲を囲まれていた。
「おい、早く捕まえろ! 悪鬼かもしれんぞ!」
至る方向から次々と木の棒が振り下ろされ、琥珀は人々の合間を縫ってその場から逃げ出した。
(やはり人が住んでいたのか。 だが瘴気に晒されているからか皆生気が薄い)
銀心の下に帰ろうと村の入口に走っていた時だ。
「キャウ?!」
突如パシン!!と前から空を裂くような鋭い音がしたと同時に琥珀の身体が動かなくなった。
見ると青白い炎で燃える矢が、僅かに見えていた琥珀の影を縫い止める様に地面に突き刺さっていた。
(まさか道術か?! この薄暗い中で私の影を捉えたというのか!)
バッ!と顔を上げると入口付近には右目に大きな切り傷のある痩せ型の大男がこちらに向かって矢をつがえていた。
「悪鬼め、ここで終いだっ……ぐはっ!!」
「やめろ!!」
すると突然大男の身体が崩折れたと思ったら、その後ろに銀心の姿があった。
「早くこっちに来い!!」
「ガウゥ!!」
琥珀は泣きそうになりながら両手を広げる銀心の胸に飛び込んだ。
「馬鹿野郎、離れるなと言っただろう!!」
「ガウゥッ! ガウゥッ!!」
「そこまでだ!」
いつの間にか青白い炎を纏った大きな柳葉刀の先がこちらを向いていた。
銀心は琥珀を傷つけまいとしっかり抱き込み、剣の持ち主を下から睨めつける。
薄霧の中、炎がその顔を煌々と照らした。
「貴様ら、景禍の手先か? 村の者に手を出そうものなら……?」
すると、剣を向けていた道術使いの男が驚愕したと同時に剣をカラン、と地に落とした。
「まさかそのお姿は……、銀雲様……?!」
男は声を震わせ、ガクリと地に膝をつく。
そして大粒の涙を流しながら平伏した。




