第16話
「……神獣になるぐらい、嫌だったんだな」
自嘲気味に笑う声と共に大きな手が琥珀の頭に触れた。
琥珀はゆっくりと押し戻すように顔を上げると、ひどく悲しげに笑う銀心と目が合った。
只その目に光はなく、ふわふわの毛に覆われた小さな胸がズキンと痛んだ。
銀心は子虎になった琥珀を抱いたままゆっくりと立ち上がる。
「やっぱり思い通りにならないな。 あんたには敵わないよ」
頭を撫でる手は優しいのに、底冷えするような声色。
嫌な予感が琥珀の胸を掠める。
「ガゥ……?」
「……まぁ、これで心置きなく連れていけるか」
銀心が腰帯に下げていた短刀を鞘から抜いた時だ。
「銀心殿、何があったのです?」
先程の琥珀の声を聞きつけたのか、悠晴や白音、白乃が中庭へと集まってきた。
だが銀心が抱えている白虎の子どもに短刀を向けている事に皆驚愕した。
「……何だ、早かったな」
ゆらりと冷酷な笑みを浮かべ銀心は短刀を琥珀の顔にそっと近づけた。
「おい銀心……、何やってんだ? その白い虎、どこから……」
「わかりきった事聞くなよ。 お前達の大事な大事なお姫様だよ」
「まさか……、姫様、神獣になっちゃったの? どうして?!」
「……ちょっと誂ったらこの様だ。 相変わらず初心で可愛いよな」
「貴様……!!」
悠晴は青筋を立て、袖中から符を取り出すと即座にそれを弓に変えた。
そして指先に燃え立つような青白い霊気を集めると、それを矢の様につがえ銀心に向ける。
だが銀心は臆する事無く紫水晶の瞳を細めるだけ。
「一体何者だ! 殿下の婚約者ではないのか?!」
「俺は帝姫の命を狙う暗殺者。 排斥派の人間だ」
「何だと?!」
悠晴は驚愕し矢先を揺らした。
その隙をついて銀心は琥珀を抱えたまま猫のように身を翻し、中庭と外を隔てる土壁へと上がった。
「くそっ!」
「おっと、動くなよ。 こっちにはお前らの大事なお姫様がいるんだからな。勿論白音もだ」
銀心は目を光らせ、悠晴の隣で持ち出した剣の柄に手をかける白音にも忠告する。
幾ら寝衣とはいえ、銀心は短剣を持ち腰には常に身につけている佩嚢を下げている。
それに以前服の中から沢山の暗器が出てきたことを思い出すとやはり手が出せず白音も歯噛みした。
「何で今なんだよ……。 信じてたのに!!」
「帝姫の護衛になる奴が簡単に敵を信用するんじゃない。 白乃、お前もだ」
「そんなの仕方ないじゃない! だって……、あんただって本当は……」
「帝姫に仕えるならしっかりしろ。 お前には良い手本が側にいるだろ」
白乃は発つ前、菊水宮を離れられない黄花から激励を受けていたのを思い出しギュッと唇を噛んだ。
それを見ていた琥珀はジタバタと銀心の腕の中でもがき始めた。
「ガウゥ!! ガウガウ!!」
「何だ、側近達を心配してるのか? 相変わらず優しいな。 おっと」
銀心が琥珀に目を向けた瞬間、悠晴が銀心に向けて鋭い霊気の矢を放つ。
だがそれも予測していたかのように、銀心は身体を横にずらしそれを躱した。
尚も余裕の笑みを崩さない銀心を見て悠晴は更に憤りを顕にする。
「会った頃から貴様が気に食わなかったんだ。 だがこれで貴様を排除する口実ができた!」
「それは奇遇だな。 俺もお前が気に入らなかったんだ。 人のものに手を出すなよ」
「殿下は貴様のものでもない!」
「グワ――ォ!!」
突如愛らしくも勇ましい子虎の咆哮が響き、緊迫した空気が霧散される。
琥珀はフン、と鼻を鳴らし銀心を睨むと、爪を隠した前足で叱咤するように銀心の頬を何度も叩く。
「お、おい何だよ」
「ガウゥ! ガウゥ!」
幾ら言っても琥珀の言葉は届かないが、言いたい事は伝わったらしく、銀心は大きな溜息をついた。
「確かにこれ以上居たら騒ぎになるな。 そろそろ行くか」
「貴様! 逃げるつもりか?!」
「悪いが先に桂邑に向かわせてもらう。 おい、白音」
「な、何だよ……」
「後でこの事を隆玄に話せ。 喜んで桂邑に連れて行ってくれる筈だ」
「ど、どういう意味だよ……?」
「さぁな。 まぁ信じる信じないは勝手にしてくれ」
そう告げて銀心は琥珀を抱えたまま旅館の外壁から飛び降り、夜の闇の中へと姿を消した。




