第15話
心を射抜くような銀心の言葉に、琥珀は思わず息を呑んだ。
黄花に聞かれた時も、太旺に聞かれた時も、それが当然であるかのように答えていた筈なのに。
何故か今、返す言葉が出てこなかった。
「あんたは成人になったらその身を神獣に明け渡すつもりなんだろ? 本当にそれで納得してるのか?」
「……何故そんな事を聞く? 排斥派は刀剣顕現を阻止した方が良いはずだろう。 儀式をすれば間違いなく帝姫が治めることになるんだぞ?」
「……」
「そなたは……『排斥派』の人間だ。 私の思いなんて知らなくていい」
琥珀の答えに銀心は黙り込み、そっと自分の額を琥珀の肩口に置いた。
そしてしがみつくように琥珀の体に回した腕に力を込める。
「銀心……?」
「そうだな。 だからこれは、俺の独り言だ」
「……」
「聞いてくれるんだろ?」
「……そうだな」
「だからこの先も、聞き流してくれ」
琥珀が小さく頷くと、銀心は眦を下げた。
そして琥珀の色白の首筋に柔く歯を立てた。
「いたっ! な、何を……!」
「こんな俺を救ったって何の得にもならないのに、あんたは優しすぎる」
「……?」
穏やかな声色でそう呟いた。
甘噛みされた箇所は首なのに、何故か胸の奥がジリジリと痺れてくる。
「しかも民の為に神獣になるなんてお人好しにも程がある」
「し、仕方ないだろう。 私は……この国を守る帝姫なんだから」
「……『仕方ない』で片付けるなよ」
「え……?」
「この国を、人々を救ってるのは神獣じゃない。 あんただ」
銀心は琥珀の首につけた朱い印をそっと指で撫でると、熱の籠もった紫水晶の瞳で琥珀を捉えた。
「そのあんたが神獣に喰われたって聞いたら、民はどう思うだろうな」
「……そ、そんな言い方……」
「俺なら、許せない」
苛立ちの混ざる声に、琥珀は瞳を大きくした。
次の瞬間。
「―――――……」
唇に、柔らかいものが触れた。
一瞬何が起こったのか理解できず、琥珀は息を呑んだ。
時が止まっているかの様に感じた数秒後、重なっていた銀心の唇がそっと離れる。
そして、甘く言い聞かせるような声が降ってくる。
「あんたの命は俺のものだと言っただろう。 それが例え神獣であっても譲らない」
今度は大きな手で後頭部を掴まれ、噛みつかれるように口づけされる。
その力強さに、息苦しさに目眩がした。
『冗談だ』の言葉もないまま、何度も何度も繰り返される甘い束縛。
どんどん内に熱が籠もり身体の力が抜けそうになった時だ。
苦しげに目を細める銀心と目が合った。
そこでようやく銀心の身体が妙に熱くなっていることに気づく。
この口づけが排斥派への『裏切り』だという事に。
嬉しい筈なのに、胸が張り裂けそうな程に痛く苦しかった。
気持ちを知れば、決心が揺らいでしまうから。
「や、やめてくれ!」
琥珀は泣きそうな声を張り上げ、グッと銀心の身体を押し返した。
そして自分にも言い聞かせるように銀心に訴える。
「これ以上揺さぶってくれるな! 私は……、私は神獣にならなきゃいけないんだから!!」
その時だ。
「――――?!」
琥珀の輪郭が揺らぎ、すとんと身体が小さくなる。
袖から出ていた手はもう手ではなく、丸みを帯びた小さな前足。
月の光を孕んだ銀の髪は全身に広がって、ふわふわの美しい毛並みへと変わる。
「……グァーオ?」
そして銀心の腕の中で、人ではなく勇ましさのない幼い動物の鳴き声がした。
銀心の膝に座っているのは人間の赤子程の大きさの子どもの虎で、帝姫の姿はどこにもない。
銀心は急いで周囲を見回すが、回廊にいるのは自分と一匹の子虎だけ。
「まさか……神獣、に、なってしまったのか……?」
「ガウゥ、ガウガウ!!」
『わからない』と言いたげにブンブンと首を振る子虎を見て銀心は愕然とした。
背中には白銀の毛並みの中に黒の縞模様があり、それは細長い尻尾にまで続いている。
丸くなった手も、肉球が邪魔でしっかり握れない。
何より人の言葉が喋れない。
(あの時自分が『神獣にならなきゃいけない』と言ったからだ……)
最近制御できていない事に自覚はあったから、動揺した事で神獣の力が溢れ表面化したのだろう。
何より強く願ってしまったから神獣は応えたのだ。
ただそれは余りにも突然で、自分という輪郭を失い崩れてしまいそうだった。




