第11話
そしていよいよ桂邑へ出発する日がやってくる。
旅に同行するのは護衛の白音と銀心、そして侍女の白乃。
旅の先導は隆玄が務めるが、今回は正式な慰問ではないので、仰々しくならないよう小さな馬車で向かう事にした。
その為琥珀も艷やかな宮装ではなく髪を一つに束ね、淡いくすみ色の上衣に足首を絞った袴風の脚衣を纏う。
そして深い頭掛け付きの外套を羽織り、顔と銀の髪が目立たぬようにした。
宮城を初めて出るので本来なら意気揚々としたいところだが、素直に喜べない事情があった。
「殿下、体調でも優れないですか?」
「いや、大丈夫だ。 そっとしておいてくれ」
「そういう訳には参りません。 私には殿下を無事に桂邑へとお送りする任務がありますから」
積み荷の確認が終わるのを待っている間、琥珀に笑顔で迫ってくる人物がいた。
太旺の息子、悠晴だった。
今回の旅において、銀心の呪紋の事は伏せたまま『道教に通じる者を紹介してほしい』と太旺に相談した所、『ぜひ息子を』と推薦されたのだ。
秋安国では道教は個人の信仰とされていて、悪鬼の襲来に備え剣や武術だけでなく呪術や符などの道術を主戦力にする『道術武官』も存在する。
彼らは正規の道士から直接伝授された術を軍事運用できる資格を持ち、悠晴もまたその一人だ。
叶うなら他の者を紹介してほしかったのだが、困ったことに推薦された本人も大変やる気なのだ。
確かに悠晴は剣の腕もさることながら道術を使った戦いにも精通していて、その腕前は太旺のお墨付きである。
婚約を断った身としてもこれ以上彼の顔に泥を塗ることは出来ない。
こうして悠晴も旅に同行する事になったのだ。
おかげで琥珀の心中はかなり複雑だった。
人選はともかくとして、白音から市井の下見の際のやりとりを聞いていたからだ。
間違いなくこの二人の相性は良くない。
旅の途中で揉め事が起きない事を願わずにいられなかった。
すると悠晴は琥珀が自分以外の事を考えている事に気づき、突然跪いてそっと琥珀の細い指先をなぞるように触れた。
その手はあっという間に離れたが、琥珀を驚かすには充分だった。
「私も道教の従事者として殿下のお力になれるよう尽くしますので、今だけでも私を見て頂けませんか?」
そして何事もなかったかのように、胸に手を当て頭を下げた。
無礼寄りの行為だが、悠晴はそれを笑顔でやってのけた。
正当な方法では琥珀の心は奪えないと考えたのだろう。
案の定動揺する琥珀を見て、悠晴は一層笑みを深くした。
「殿下」
そこへ無表情の銀心がやってくる。
そして悠晴から奪うように琥珀の身体に手を回して引き離した。
「婚約者である私を差し置いて他の男と二人でいるとは何事です」
「いや、これには訳が……」
「ご挨拶をしたまでです。 道教に関する知識が必要だと聞き、私も同行することになったので」
「そうか。 で、その挨拶は済んだのか?」
「えぇ、たった今」
「では失礼する」
そう言って銀心は琥珀の肩を抱いて足早に離れた。
先日銀心の正体に疑念が湧いたにも関わらず、それを打ち消す程の強引さに琥珀は翻弄され頬を染める。
それでも何とか顔を上げ、ぎゅっと眉を寄せた。
「銀心、今のは無礼だぞ! これから一緒に旅をするのに刺激するのは良くない!」
すると銀心はぴたりと足を止めた。
「先に無礼を働いたのはあっちだろう。 なのに悠晴を庇うのか?」
「……さっきの、見てたのか?」
「あぁ」
即答だが、その抑揚のない声に琥珀は肩を上げた。
あの僅かな瞬間を見逃さないとはさすが手練れの暗殺者、大変目がよろしい。
だがそんな些細な事で何故銀心が顔を顰めるのかが琥珀にはわからない。
琥珀は苛立った様子で銀心の手を振り払った。
「庇うも何も、悠晴はそなたみたいに私の命を取ろうなどと思っていない。 指に触れたくらいどうってことないだろう」
「そんなのわからないだろう」
「え?」
琥珀が聞き返すよりも先に銀心は先ほど悠晴が触れた琥珀の小さな右手を掬い取った。
そしてその手をジッと見つめたかと思うと、銀心はその細い指先に自分の唇を当てた。
それを間近で見ていた琥珀の頭からドッと蒸気が吹き出す。
ハクハクと言葉が出ない琥珀を横目に、銀心は何度も何度も指先に口づけを落とす。
そして手の甲へ口づけたのを最後に銀心はゆっくり顔を上げた。
「あんたは俺のものだと言っただろ。 他の男に触れられてあんな顔を……」
『そなたが言ってるのは私の命だろう! 男に触れられたとかどうかまで文句を言われる筋合いは……って、なんだその顔は』
「……」
『何をそんな間の抜けた顔をしておる。 何かあったのか……うぐっ!』
琥珀がコテンと小首を傾げた途端、銀心はぎょっとした表情で琥珀に覆いかぶさる様に抱きしめた。
『こら! さっきから何なのだ!!』
「……ちょっと黙ってろ。 耳生えてる」
『え?』
銀心に指摘され、琥珀は耳に神経を集中させる。
すると琥珀の頭についている白くて丸い耳がピクピクと小さく動いた。
その様子を目の前で見ていた銀心は大きく溜息をつき、琥珀の上掛けに付いた頭掛けを深く深く被らせた。
まだイマイチ状況がわかっていないのか、しかめっ面で自分を見上げる琥珀に銀心はもう一度大きく溜息をついて琥珀を優しく抱き締め直す。
「その顔は反則だ」
「反則ってどういう事だ? 別に耳が出るぐらい何でもないだろう」
「それは菊水宮での話だ。 これからあんたの身分を隠して外へ出る。 そんな耳を生やしてたら誰に狙われるかわからないぞ」
「……別に、返り討ちにすればいいだろ」
「それは相手がいればの話だ。 だが攻撃は物理的なものだけじゃない。 今のあんたの姿を見た奴が変な噂を流したらどうなる」
「……私を見る目が変わってしまうのかも知れんのか……」
「勿論あんたの側近達にもふりかかる可能性がある」
『それは駄目だ!』
「だったらもう少し気をつけろ。 特に悠晴と隆玄の前ではな」
「……わかった。 というか、こうなったのはそなたの所為だろ! そなたこそ気をつけろ!」
「俺? 何故だ」
「あ、あんな……、手に口づけるなど……」
何だそんなことか、言いたげに銀心は目を丸くするが、自分の服をギュッと握りながら胸元に顔を埋める琥珀を見てフッと小さく笑う。
そして頭掛けの上から琥珀の頭を撫でた。
「他の男に触れられた所を上書きするのは婚約者として当たり前だろ。 慣れてくれ」
すると今度は琥珀が目を丸くして銀心を見上げる。
「……そういうものなのか?」
ニヤニヤと笑いながら頷く銀心。
こうしたやりとりに関して先輩である銀心がそうだと言うのだ。
だから疑うことなく琥珀は至極真面目な顔で『わかった』と頷いた。
「ついでにあんたは一般人みたいに振る舞わなきゃならないんだから下手に暴れるのも良くない。 道中は婚約者の俺に守られてろ。 いいな?」
『……私の命を狙うそなたが私を守るのか? 暗殺者というかまるで護衛だな。 本当に大丈夫なのか?』
「あぁ。 桂邑に着くまではちゃんと守ってやる。 だから迂闊に離れるなよ」
「婚約者というのは中々便利なものなのだな。 わかった!」
黄花から婚約者との関わり方を一通り指導を受けてはいたが、それは宮内に限定される内容である。
旅の道中での所作については全く知識のない琥珀はまんまと鵜呑みにして頷いた。
だがその話を馬車の中で白乃に聞かせると『姫様、多分半分は遊ばれてますよ』と哀れみの目を向けられる。
琥珀は羞恥心と怒りに身体を震わせ『降りたら一発殴ってやる』と強く強く拳を握った。




