俺、忘れる。
リビングに響く小さな足音。
テーブルの下の小さな紙の周りを白い子犬はテクテクと歩き回る。
春輝は焦っていた。
階段から降りてくる音が聞こえた。
「ハルちゃん!おはよ〜」
足音の主は陽菜だった。
「あれ?ハルちゃんカギ開けれたの?」
不思議そうに首を傾げる。
『陽菜!俺を逃がしてくれ!』
『このままじゃ俺……俺は、俺じゃなくなっちまう!』
春輝はすごく動揺していた。
陽菜は春輝の様子をみて、閃いた。
「わかった〜!」
パァッと明るい顔でキッチンに駆けていく。
『たぶん分かってねえけど、期待してるぞ陽菜!』
春輝は禍々しいメモの横で座って待つ。
ふんわりとした尻尾がふりふりと動く。
「ハルちゃん、どうぞ!」
陽菜の手には丸いビスケット。
「ママには内緒だよ!」
人差し指を口元に置き、ニヤリと笑って見せた。
『これ美味いやつ!』
春輝は舌なめずりしながらおすわりをした。
『早く!早くくれ!』
春輝は手を交互に上げながらアピールを繰り返した。
「ハルちゃんやっぱりお腹空いちゃってたんだね」
陽菜は嬉しそうに小さく胸を張った。
「よしっ!」
『うぉぉ!うめぇぇええ!』
春輝は去勢のことを一時的に忘れていた。
陽菜は目を細めて元気になった春輝を見つめた。
「陽菜ちゃん、ハルちゃんおはよう」
優しいママの声。
陽菜の肩が少しだけビクッと動いた。
「……ママおはよう」
陽菜の元気があからさまに無くなっていく。
『まだママに内緒は難しいよな』
『陽菜!食っちまったのは俺だ……俺が謝るからな』
春輝はママの足元に行くと、くるりと腹を見せた。
足の間ではふんわりとした尻尾が動く。
「あら?ハルちゃんどうしたの?」
ママが上から覗き込む。
『ママ!叱るなら俺を叱れ!』
春輝は覚悟を決めた顔をしていた。
「ハルちゃんってば朝から甘えん坊さんね」
ママは、くすりと笑うと春輝のお腹を優しく撫でた。
『全然伝わってねえ!けど、結果オーライだな』
春輝は気持ち良さそうに目を細めた。
陽菜が手をぎゅっと握りしめる。
「あのね、ママ、陽菜ね、内緒でハルちゃんにクッキーあげちゃった」
「あら、そうだったの?」
陽菜は俯き、こくんと頷いた。
「陽菜ちゃん、次からは教えてね」
「うん!」
『陽菜!ちゃんと言えて偉いぞ!』
腹を出したまま春輝は陽菜を褒める。
ママの手が止まったのを確認してくるりと起き上がった。
春輝は二人を見上げ、ペロッと舌なめずりをした。
『なあママ!もうすぐ朝ごはんだよな?』
『ちょっと多めにしてくんない?』
何か重要なことを忘れていた。




