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98. 罠 (わな)

足音が、どんどん近づく。


その中の一人が振り返った。


「え……ど、どうやって出てきた!?」


一味は動揺して右往左往し、

ライネルを見る目には恐怖が混じっていた。


「おい、あの部屋に放った魔獣はどうした!?」


「間違いないです!

準備も完璧で、何度も確認したんですよ!」


そのうちの一人が背負っていた剣を抜き、身構えた。

鋭い目を光らせ、軽い身のこなしでライネルへ突進する。


――だが。


刃が届くより先に、

男の体が空中で一度ねじれ、頭から床へドンと叩きつけられた。


それが合図になった。


残りの連中が一斉に雄叫びを上げ、ライネルへ襲いかかる。


「うあああ!」


「殺せ!」


……結果は、同じだった。


バン! バン!


爆音じみた衝撃が立て続けに走り、

連中は一人、また一人と壁へ叩きつけられ、あるいは床へ押し潰されて動けなくなる。


その光景を見て、少年だけがその場で震えていた。


「……案内しろ」


ライネルは少年を見据え、低く言った。


爆発の余韻が引いたあとに残った、冷たい理性。

その視線が、少年の喉を締めつける。


「……ど、どこへ……」


少年は脚の力が抜け、その場にへたり込んだ。


「奴隷を解放できる装置がある場所。

そこへ」


少年は唇を噛み、頷いた。

震える脚でようやく立ち上がり、前へ出る。


ライネルは無表情のまま、ぴたりと後ろにつく。


しばらくして。


二人は、さっきとは構造がまるで違う、

ひときわ分厚い鉄扉の前に辿り着いた。


覗き窓すらなく、

鋼で補強された痕から「隠したいもの」があるのが透けて見える。


少年は震える目でライネルを見上げた。


「こ、ここで合ってます……でも……

ぼ、僕には鍵が……」


「頭領が別で管理してて……

ぼ、僕じゃ開けられません……」


ライネルは短く息を吐き、鉄扉へ歩み寄った。


少年の話では、

この場を仕切る頭領は外出中だ。


ライネルは両手を伸ばし、掌を鉄扉へ押し当てる。


「……う、嘘だろ……」


少年の顔に恐怖が滲んだ。


ドンッ!!


重い轟音とともに鉄扉がひしゃげ、内側へ押し込まれた。


ガタン。


鉄扉は完全に倒れ、

その向こうに暗い空間が口を開ける。


室内は陰気だった。

作業場と呼ぶには、どこか異様な気配が漂っている。


装置、工具、魔石、拘束具。

それ以外にも用途の分からない、気味の悪い道具が散らばっていた。


ライネルは少年へ目だけ向け、静かに言う。


「鍵を探せ」


少年はびくりと頷き、

手を震わせながら部屋中を必死に漁り始める。


ほどなくして。


少年が何かを握りしめ、ライネルへ叫んだ。


「こ、ここ……ありました!」


差し出されたのは、

小さな魔法刻印が刻まれた金属の鍵だった。


「これなら……

ここを通った奴隷なら、たいてい外せるはずです」


ライネルは無言で手を伸ばし、鍵を受け取った。


少年は振り返りもせず、部屋を飛び出していく。


その瞬間。


背後で短い警告音が鳴った。


ピッ。


だがライネルは振り向きもしない。

まるで最初から分かっていたかのように、淡々と歩を進めた。


鉄扉の前。


シュッ――


鋭い何かが闇を裂いて飛んできた。


しかし。


ゴン。


青い光が閃き、魔力の障壁が生まれる。

金属片は弾かれて床へ跳ねた。


短く鋭い金属音。

カン、カン。


ライネルはただ、扉の奥を見つめた。


闇の中。

空間の継ぎ目から、何者かの輪郭が揺らめく。


正体不明のシルエット。


……だが、動きから伝わってくるのは。

「狼狽」だった。


理解できないと言いたげに首を傾げ、再び腕を振る。


シュッ!

シュッ!!


二投、三投。


だが――


どれも届かない。


ライネルの障壁は微かな振動を残すだけで、

全ての攻撃を拒んだ。


ライネルは静かに手を上げる。


『念動:圧迫』


その瞬間、投擲の方向へ見えない力が伸びた。


……しかし。


スカッ。


何も掴めない。


「……逃がしたか?」


その時。


シュイィッ!


背後。

腰のすぐ後ろへ、鋭く食い込む風。


ライネルは反射で体を捻った。


――だが、遅い。


ザクリ。


薄く鋭い刃が肉をかすめた。

熱い痛みが走り、腰の脇がじわりと濡れていく。


シュイィッ!!


続けて。


左右。

鉄柵のような刃が、耳元を縦に落ちていった。


ヒュッ!

ドンッ!


床へ突き刺さった衝撃が、周囲の空気を揺らす。


ライネルは息を整え、腰へ手を当てた。


血は流れている。

だが目は、なお闇を睨み続けていた。


……見えない。


光も、形も、音さえない。

「影」だけが存在する空間。


「……くっ」


ライネルが膝をつきかけた、その瞬間。


闇の中から、ひとつの影が浮かび上がった。


境界線を越えた者。

男はライネルを見下ろし、笑った。


「今の……魔法か?」


ライネルは痛みを堪えて顔を上げた。


だが唇は固く閉ざされたままだ。


「答える気はない、ってことか」


影が刃先を軽く回し、呟く。


「じゃあ……少し痛いぞ」


――だが。


「……っ!?」


男の腕が、止まった。


指が言うことをきかない。


「……な、何だ……?」


瞬間。


男の全身へ、青い光が走った。


『念動:拘束鎖』


冷たい青の鎖が空中から噴き出すように現れ、男を絡め取る。


腕。脚。腰。喉。

息の隙間すら与えず、締め上げる魔力の鎖。


「……ぐ、くっ……!」


影は初めて、声にならない悲鳴を漏らした。


鎖は生き物のように食い込み、さらに強く締める。


……だが、パンッという音とともに、

男の体は煙のようにほどけて消えた。


ライネルは周囲を警戒し、視線を走らせる。


「……はぁ」


危うく死ぬところだった。


「おい。お前、結構やるな。名前は?」


低くかぶったフェドラ帽が印象的な男は、

自分をノクスだと名乗った。


しかし――


返ってきたのは、ライネルの名ではなく、重い圧だった。


ライネルが力を放つより早く、

ノクスは素早く後ろへ跳ぶ。


「お前さ」


闇の中から、嘲るような声。


「面白い力は使うけど……

熟練が足りないな」


「荒い。未熟だ。

そんな力じゃ俺を――」


言い終える前に、動いた。


シュッ。


ノクス。

影をなぞるようにジグザグの残像を引き、ライネルへ一気に詰める。


風を切る音。

縮まる距離。


……だがその瞬間、

床の石板が一枚、せり上がった。


ガンッ!


硬い石に顎をまともにぶつけ、

ノクスは意識が飛びかける。

それでも何とか体勢を立て直した。


「……くっ」


唇の端を拭い、

ノクスは素早く距離を取る。


息を整える間もなく、鋭い気合が炸裂する。


「うああああ!!」


ノクスは再び突進し、掌を突き出した。


「ドッペル(Doppel)!!」


叫びと同時に。


ノクスの体から、もう一人のノクスが分離して飛び出した。


分身。


二人に分かれたうちの一人が、

一定の間隔で手裏剣を投げ始める。


鋭い軌道。

視線を誘導するような、正確なタイミング。


そしてもう一人は、

ライネルの視界の縁へ潜り込み、

姿を隠したまま一気に迫る。


……だが。


横からの奇襲は、

ライネルの障壁に当たってコツン、と止まった。


残ったのは微かな振動だけ。

決定打にはならない。


視線を散らされたせいか、

ライネルは徐々に隅へ追い込まれていく。


(あいつの力が届く範囲は……おそらく視界まで)


ノクスは瞬時に判断する。


(視線さえ散らせば……必ず隙ができる)


呼吸を整え、攻めを継続する。


ライネルが一歩、後ろへ退いた瞬間。


カチ。


足元の石板を踏んだ。


直後、連続する爆発音が響いた。


ドドドドンッ!!


そして、さらに大きな一発。


ドォォォンッ!!


爆熱が一気に広がり、

視界が揺れ、石粉と埃が空を覆った。


ノクスが投げた手裏剣は、ただの投擲武器ではない。


起爆体を仕込んだ特殊手裏剣。

術者自身の魔力で遠隔起爆できる構造。


それだけじゃない。


ドッペルで作った分身もまた、

魔力を流し込めば爆弾へ転換できる一時装置だった。


さっきの爆発は、

その二つの起爆装置が同時に弾けたもの。


ノクスは静かに笑う。


(これなら……)


爆発の直後、

室内は濃い粉塵で満ちた。


視界は完全に遮られ、

煙と瓦礫が混じった空気が舞う。


後方へ退いていたノクス本体は、

万一に備え、素早く扉の外へ身を滑らせた。


そして。


粉塵が、少しずつ晴れていく。


徐々に見えてくる内部。


ノクスは、息を止めた。


「……あり得ない」


床に死体は一つもない。


引き裂かれた痕も、

血の一滴すら。


その場所に、

ライネルは無傷のまま立っていた。


そして――


正確に、ノクスを見ていた。


目が合った瞬間、

ノクスの背筋が凍る。


(……何だよ、あの怪物……)


頭の中で、

逃げろという本能の警鐘が鳴る。


ノクスは即座に身を翻し、

アジトの外へ脱出しようとした。


……だが体が動かない。


瞬時に形成された

ライネルの青い魔力の鎖が、

ノクスの体を絡め取っていた。


動きは一瞬で封じられる。


「ぐっ……ちくしょう……」


ノクスは悟った。


さっきの攻撃は、

ほとんど魔力を使い切る覚悟で用意した、最高の一手。


そして今、

その反動で魔力は枯渇寸前。


このままでは……本当に危ない。


魔力の鎖が、

さらに強く締まっていく。


圧迫が肉へ食い込み、

ノクスの体をじわじわ潰していく。


息が詰まる痛み。

終わりだと、理解していた。


「なぁ……俺が……負けた……」


噛み殺すような声が、かろうじて漏れた。


「……取引しないか?」


ライネルの視線が、

ゆっくりとノクスへ向いた。


「この迷路みたいなアジトから

出られる道具をやる」


「俺だけが知ってる……隠し通路だ」


「これも……頭領から預かった物でな」


苦痛で顔を歪めながらも、

ノクスは必死に言葉を繋ぐ。


ライネルは無言で目の前へ立ち、手を差し出した。


「……ほどいてくれなきゃ出せない……」


次の瞬間。


鎖が消えた。


自由になったノクスは荒い息を吐き、胸元を探る。


そして。


小さく古い機械装置を取り出した。


「出口に近づけば……

これが震える」


「分かるだろ?

……早くここから消えろ」


ライネルは差し出された物を受け取り、無表情で背を向けた。


数歩、静かに歩き出した、その時。


背後から、

低い、薄い笑い声。


「……ふっ」


ノクスは口元を歪め、笑った。


そして指を軽く鳴らす。


パチン。


――爆発。

するはずだった。


……だが、何も起きない。


「……何だ……?」


「……なんで不発なんだ?」


ライネルは静かに振り返った。


その瞬間、ノクスは、

ライネルの手にある見慣れた“それ”を見て、顔色を失った。


自分が渡した。

そして起爆装置を仕込んだ――あの道具。


今、青い魔力の袋の中に、

何事もなく存在していた。


「……な、何だよ……!?」


ライネルは無言で、

その袋をコロコロとノクスの方へ転がした。


ノクスは反射で後ろへ下がろうとしたが――


カチリ。


いつ消えたのかも分からない青い鎖が、

再び彼の体をぐるぐる巻きにしていた。


転がってきた魔力の袋は、

彼の足元、すぐ近くで止まる。


「わ、悪かった! 今度は本気だ!」


「二度と余計な真似はしない!

……頼む、これを解いてくれ!!」


ノクスは必死にライネルを探す。


……だが、もう遅い。


ライネルの姿は、

いつの間にか消えていた。


どくり。

恐怖が落ちる。


震える手で爆弾を掴んで投げようとしても、手が届かない。


鎖が腕を引きずり、逃がさない。


ノクスは身を捩り、叫び、

床へ頭を叩きつけながら、必死に生きようと足掻いた。


……だが。


何も起きない。


「な、何だ? ハハハ……

これ、壊れてんのか?」


安堵の息が漏れる。


「ちくしょう、とにかくあいつは消えた……

この鎖さえ何とかすれば……」


「そうだ。人が戻れば……

助けを呼べばいい……」


その時だった。


自分を縛っていた青い鎖が、

少しずつ薄れていく。


「……と、解けるのか?」


「ハハハ……そうだ!

俺はこの程度じゃ死なねえ!

この世界を手に入れる男なんだから!!」


一瞬の歓喜。


――同時に。


足元にあった魔力の袋、

つまり爆弾を包んでいた青い保護膜も、同じように消えた。


「……ま、まさか……まさか……!」


静まり返っていた室内。


その瞬間。


目が眩むほどの閃光と、

耳を裂くような轟音が爆ぜた。


ドォォォォンッ!!!


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