89. 秘密の競売 (ひみつのきょうばい)
「この競売場ですけどね。
辺境伯さまの次男が運営してるんですよ」
エリセルは視線も寄こさず、
静かに、しかし鋭い言葉を投げた。
「ここに集まってる人たちの大半は、
その家と直接・間接に関わりのある貴族です」
「なのに……」
「その人たち全員を敵に回すつもりですか?」
ライネルは冷や汗を拭い、
口をきゅっと閉じた。
(危なかった……)
その時だった。
背後から、
低く落ち着いた声がした。
「……品を見る目、なかなかですね?」
二人は同時に振り返った。
そこにいたのは、
整った服装と品のある話しぶりの青年だった。
ひと目で分かる。
地位の高い人物だ。
彼は、まるで何事もなかったかのように
穏やかに笑ってみせる。
「いえ、そういうわけじゃ……」
「さっきのは、私の短剣の話で……」
エリセルが慌てて弁解しようとすると、
青年は人差し指を唇へ当て、くすりと笑った。
「ふふ。分かりました」
「秘密にしておきます」
「ところで……お二人は、どんな品を見に?」
「赤い――」
ライネルがうっかり口にしかけた瞬間、
エリセルが彼の口を塞いだ。
「はは! 赤い布ですよ、赤い布!」
「家で物を覆うのに丁度いいものがなくて。
それに、持って帰れば何かと使えるかなって……」
エリセルは手慣れた作り笑いで
状況をさらりと丸め込む。
そして、口を結んだまま
冷たい視線でライネルを睨んだ。
“言うな”という警告は、
言葉にしなくても十分伝わる。
ライネルは身動きせず、
ただ、ゆっくり頷いた。
青年は相変わらず微笑を浮かべたまま、
二人を眺めていた。
「……いいですね」
「面白い話が聞けそうな気がします」
そう言うと、ゆるやかに身を返し、
舞台の方へ視線を移した。
足元には、金色の紋様が刻まれた
棍棒のような杖がちらりと見えた。
ただの飾りではない。
エリセルには一目で分かった。
「ははは、そうですか。まあ、ここに出る品は色々ですから」
青年は柔らかく笑い、頷いた。
「お目当ての品が見つかりますように」
そう言い残し、
彼は奥の回廊へとゆっくり歩いていき、
やがて二人の視界から消えた。
「……ライネルさん」
エリセルは眉をわずかに寄せ、
小さく息を吐いて口を開いた。
「本当に……いくらなんでも」
「こういう場所で、ああいう言い方はダメです」
「大金が動く場所ほど、
誤解が生まれたら取り返しがつかないんですよ」
「……す、すみません……」
ライネルが小さく謝った、その時。
彼の胸元から、
「くすっ」と笑い声が漏れた。
その音に、エリセルが改めてライネルを見る。
「……」
「え、あ……その……」
「ぼ、僕じゃ……いや、すみません。笑いません。ほんとに……」
ライネルは顔を赤くし、縮こまった。
胸元から聞こえる笑いは、
まだ止まらない。
カミがひょいと顔だけ出し、
鋭い牙が少し見えるくらいに、にやりと笑って囁く。
「この程度でそんなに慌てるなんて、
ライネル、意外と可愛いじゃん?」
ライネルは鋭い目でカミを睨みつけた。
そこへエリセルが、小さく付け足す。
「ここは……一度の失敗で人生が変わる場所です」
ライネルは深く俯いた。
その時、胸元からまたカミの囁き。
『でもさ、ほんとに笑えるんだって……ふふっ』
「カミ……お前……」
ライネルは口を引き結び、
カミは息を吸ってから、また静かに服の中へ潜り込んだ。
「……気をつけましょう。本当に」
エリセルは長くため息をつき、
場所を移ろうとする。
ライネルはそっと胸元を開き、
中に収まったカミを睨んだ。
その表情は、言葉の代わりに
“競売場じゃなかったら殴ってる”と語っていた。
だが、ここでまた騒ぎを起こせるはずもなく、
彼は目をぎゅっと閉じ、歯を食いしばった。
カミはまだ、くすくす笑いながら言う。
『だってさ……ほんとに面白かったんだもん』
「さあ、皆さま! 次の商品をご紹介いたします!」
舞台上で、競売人の力強い声が響いた。
「さて、この魔導書は!」
「引退した宮廷魔法師五名が、十年をかけて編み上げた研究の結晶!」
「各分野の精髄を凝縮した一冊!」
「上級魔法師への道を開く指針として、申し分ありません!」
「……魔導書、か……」
ライネルが独り言のように呟くと、
エリセルがすぐに振り向いた。
「そういえば、ライネルさんは魔法を使う冒険者って聞きましたけど?」
「……ええ、まあ……形式上は“魔法使い”で登録されてます」
「形式上?」
疑問いっぱいの目で、エリセルが聞き返す。
「どういう意味ですか?」
「……っ、い、いえ。なんでもないです。
ただ……魔法使いです。はは……」
ライネルは焦ったように語尾を濁した。
エリセルは怪訝に思ったが、
それ以上は追及しなかった。
なぜなら――
彼女の意識も、いつの間にか競売人の説明へ吸い寄せられていたからだ。
「この魔導書は、ただの本ではありません!」
「実戦と理論、調律と応用を一冊に集大成した実用書!」
「しかも初心者にも扱えるよう、
随所に直感的な演算魔法式まで収録!」
客席から感嘆が漏れる。
「これは……研究所も入札するだろ」
「前回も、このシリーズは十万ゴールド超えたぞ?」
だが、ライネルは説明を聞いている間、
どこか微妙な顔をしていた。
(魔導書……僕も、ああいう本を読めば役に立つのかな)
その表情には、
薄い葛藤と迷いが浮かんでいた。
そうして魔導書の競りも終わり、
競売人が頭を下げて挨拶する。
「さて、紳士淑女の皆さま! 本日の競売はここまで!」
「また次回、お会いいたしましょう!」
力強い声とともに、
舞台の照明がゆっくり落ちた。
ほどなく、客席を満たしていた拍手がぽつぽつと広がり、
ざわめきも次第に収まっていく。
華やかな熱気が空に散り、
その場に、現実の冷たい空気が染み込んできた。
「ちっ……遅れて来て前の品が見られなかったの、悔しいわ」
エリセルは悔しさを飲み込むように呟き、片眉を寄せた。
それでもなお、名残惜しそうに舞台を見つめている。
まるで、
もっと良い品があったはずだと本能が訴えるように。
ライネルはそんなエリセルを見てから、
無意識に舞台へもう一度視線を向けた。
だが舞台はすでに空で、
灯りが引いて、暗がりがじわじわと居座り始めていた。
「この競売場って……どうやって運営されてるんですか?」
ライネルが慎重に訊ねると、
エリセルは舞台から目を離して答えた。
「競売は週に二日。半日ずつです」
「だいたい正午から、日暮れ前まで」
そして小さく息を吐いて付け足す。
「今日は二日目。だから……」
「次は来週ですね」
ライネルは頷いた。
「じゃあ……エリセルさんは、戻ってくる時には見られないかも?」
「……そうですね」
エリセルは名残を隠しきれないまま、
競売場の出口を抜け、陽光の満ちた通りへ出た。
ライネルも静かに、その後ろを追う。
◇
だが、彼らが建物を去る頃――
競売場のどこか、さらに奥。
暗い空間に、ゆっくり灯りが入った。
薄明かりの下、
客席には二十人ほどが静かに座っている。
全員、白い仮面。
長いマントで全身を隠していた。
正体は分からない。
だが空気だけで、十分に脅威だった。
そして舞台上。
どこからともなく現れた、別の競売人。
彼は先ほどより遥かに沈んだ低い声で言った。
「……さあ」
「特別なお客さまのための競売を始めます」
「最初の品は――男奴隷!」
舞台へ、足枷をはめられた男が引き出される。
目に生気はない。
だが鍛えられた体は、長い労働にも耐えそうだった。
客席では、ぽつぽつと
値を書いた紙が掲げられる。
そうして四人の人間が流れた頃――
競売人は一段と浮ついた調子で次の商品を告げた。
「次は、皆さまお待ちかねだと信じております!」
競売人が舞台袖へ、急かすように手を振る。
現れたのは――
耳が半分ほど削がれた、女エルフが二人。
片方は涙を流し、
もう片方は長い髪が顔を覆い、表情が読めない。
「ご覧の通り、商品はエルフ」
「そして“特別な能力”を有しております」
「多様な強化魔法を扱える力です」
言い終える前に、
一人の男が焦ったように舞台へ上がった。
競売人はエルフ奴隷へ向け、素早く呪文を唱える。
「さあ、あの男に強化をかけろ!」
涙を流していたエルフが両手を広げ、男へ魔法を掛けた。
「敏捷強化!」
男の体に一瞬、緑の光がまとわりつき、
すぐに消える。
競売人は続けざまに、
髪の乱れたもう一人へ命じた。
「次は筋力強化!」
淡い赤い光が男を包み、
男は舞台前に置かれた硬そうな物へ走り、
素早くそれを叩き割ってみせた。
競売人の声が、再び響く。
「さあ、これらの魔法に限らず――」
「主さま方の努力次第で、新たな魔法も習得可能と判断されます」
客席に、荒いざわめきが広がった。
通常、奴隷の多くは戦に敗れた人間種だ。
だが最近は妙に、ドワーフやエルフの奴隷が
闇の市場へ流れている。
特にエルフは誇り高い種族ゆえ、
奴隷へ落とされれば自決を選ぶ例も多い。
だが――
魔法を扱えるエルフとなると話は違う。
彼らの体を流れる高密度の魔力は
魔導具と強く同期し、
自決を試みれば拘束具が自動で阻止する。
その結果、むしろ長い間
“使える”奴隷になってしまう。
今日出された二人のエルフ姉妹も同じだった。
二人とも基礎以上の魔法を巧みに扱い、
それだけ魔導的価値は計り知れない。
その存在は、
裏社会の大物たちの所有欲さえ刺激するほど
魅力的な“商品”だった。
競売が進むにつれ、
客席の人物たちは希望額を書いた紙を
次々と掲げていく。
その中の一人。
淡い青の縁取りがある仮面をつけた、若い青年。
彼が掲げた紙の数字を見た瞬間――
競売場に、一瞬の緊張が走った。
直前の最高額の、五倍。
あちこちから
小さな呻きと、諦めの息が漏れる。
「……勝負にならねえ……」
「三……!」
「二……!」
「一……!」
競売人の手が高々と上がり、
終了の合図が落ちた。
こうして、
二人のエルフ姉妹の“主”が決まった。
そして――
今日の目玉が終わった。
客席の者たちは、
一人また一人と静かに席を立ち、やがて。
舞台前に残ったのは、たった二人。
エルフ姉妹を買い取った青年と、
その青年に仕える執事だけだった。
沈黙を破ったのは、執事の低い声。
「すべての手続きは完了いたしました、坊ちゃま」
だが青年は余裕たっぷりに座ったまま、
頬杖をついて微笑んでいた。
「坊ちゃま。わざわざ……競売を通す必要がございましたか?」
カイル・テルビアンが、くっと笑う。
「面白いだろ。こういうの」
彼は立ち上がり、
懐へ手を突っ込む。
「お前も見たよな?」
「俺が値を上げた瞬間、慌てふためいてた連中」
「ははは……生意気な奴らだ」
「くだらない財で偉ぶる姿が、心底気に入らなくてな」
出入口では競売人が深々と頭を下げて見送った。
「良き取引に、感謝を……」
「カイル・テルビアンさま」
カイルは大したことでもないように
片手を軽く上げて応じ、
待機していた馬車へ乗り込んだ。
そして窓から顔を出し、一言だけ投げる。
「品は、目立たないように送れ」
「承知いたしました」
「万全に整え、手配いたします」
馬車が消えるまで、
競売人と職員たちは腰を折ったまま立ち尽くしていた。
しばらくして、
競売人は白い手袋を外し、静かに呟く。
「……お気をつけて」
「辺境伯の次男……カイル・テルビアンさま……」




