88 偽りの宝石 (いつわりのほうせき)
念のため――
ライネルは、それとなく話題を投げた。
「もしかして……」
「始祖の宝石について知ってる人、いますか?」
「しそ? 何それ」
「どんな形なんだ?」
「名前、適当すぎないか?」
三、四人の船員が反応したが、
手応えはなさそうだった。
ライネルは残念そうに視線を外す。
その時だった。
甲板の隅。
ひとり静かに座っていた小さな存在が、
「始祖の宝石」という言葉が出た瞬間、目を見開いた。
その目は、はっきりしていた。
(知ってる)
ライネルは慎重に近づいた。
「……もしかして」
「始祖の宝石の話、聞いたことありますか?」
だが、その小柄な人物は目を伏せて首を振る。
「……知りません」
短く言い、立ち上がると静かにその場を離れた。
「まま。あいつはな」
「気が小さくて、こういう話が嫌いなんだ」
誰かの船員がむっとした顔で言った。
「海の男には、まるで似合わねえ。ちぇっ」
「品物の鑑定は上手いから船に乗せてるが、」
「仲間としては……つまらん奴だ」
「そんなの放っとけ、ライネル!」
「こっち来て、もっと話そうぜ」
誰かがライネルの肩を、ぽんと掴んだ。
そのまま数人が笑いながら、酒と料理の輪へ引っ張っていく。
振り返ろうとしたが、
小さな人物は、もう視界の外へ消えていた。
その夜。
酒と肉を腹いっぱい詰め込んだライネルは、
腹を抱え、今にも破裂しそうな顔で簡易の寝所へ戻った。
「う……ふらふらする……」
壁に凭れて、やっと座り込む。
その時、荷物の山からカミが顔を出した。
「ふふ……」
「ライネル。ついに、お前も俺と同じ立場になったな」
隠れていた小さなドラゴンが、
わざわざ一言、煽ってくる。
しかし――
「……うぅぉぇっ」
ライネルは本気で危ない顔になり、
慌てて立ち上がって寝所の外へ飛び出した。
カミはその背中を見て、くつくつ笑っていたが、
自分もいつの間にか胃が波打ち始め、顔が歪む。
「……くそ……」
「耐えるの、きつすぎだろ……!!」
こうしてカミの声にならない悲鳴は、
船の狭い空間で何度もこだました。
◇
「ついに……陸だ!」
ライネルの胸元から、小さな囁きが聞こえた。
声は小さい。
だが喜びだけは、隠しきれていない。
「そんなに嬉しいのか?」
ライネルが笑って訊くと、
カミはこくりと頷き、心の中で叫んだ。
「当たり前だ!」
「二度と……マジで二度と船なんて乗らねえ!」
「……ふーん。どうしようかな」
「島に何か……置いてきた気もするけど?」
わざとらしく、ライネルが見下ろす。
「は、はぁ!?」
「ここまで来たのに!! 戻るとか言うなよ!!」
「冗談だよ、カミ」
ライネルは堪えきれず、声を上げて笑った。
その笑いには、
長い航海を耐え抜いた者だけが知る、小さな解放感が混じっていた。
「おい、冒険者さんよ」
髭面の船長が、のんびり歩いてくる。
「何でしょう」
ライネルは半分警戒しながら答える。
「この前、船で言ってたろ」
「赤い宝石に興味があるって」
「……はい。そうです」
「個人的に調べたいことがあって」
船長は頷き、ちらりと横を手で示した。
「なら都合がいい」
「最近、品薄がひでえからな。偽物が出回ってるって話だ」
「そこでだ……」
「お前さん、こいつと一緒に確認してくれねえか?」
「……え」
「俺、急ぎで……」
「へいへい、そう言うな」
「ちょっとだけ手ぇ貸してくれ」
船長は周りを窺ってから、声を落とす。
「見たところ……」
「王都までの旅費も、潤沢じゃねえだろ?」
ライネルは黙った。
「冒険者でもな、依頼を一つずつ片付けて稼いでたら時間がかかる」
「それに、この海岸都市から王都まで歩くつもりか? 夢見るな」
「盗賊も盗賊だが、」
「都市を離れるほど魔物が増えるのは……知ってるだろ?」
「……まあ、事実ですね」
「仕事がうまくいけば、王都へ行く商人会の知り合いを紹介してやる」
「そのルートなら、早くて安全だ」
ライネルは、少し沈黙した。
胸元からカミが小さく呟く。
(……また面倒に巻き込まれる予感しかしねえ)
ライネルはしばらく考えた。
「……依頼期間は?」
髭の船長は顎を撫でて答える。
「ふむ。俺たちがまたラフランスへ戻るのは、一週間後くらいだ」
「定期の荷は……三日もあれば準備が終わる」
「残った時間で、その赤い魔力石を確保したくてな」
ライネルはゆっくり頷いた。
「……分かりました」
「王都までの件、必ずお願いします」
「ははは! 疑うな」
「こっちの世界じゃ信用が命だ」
船長は豪快に笑い、くるりと背を向ける。
「おい、エリセル! こっち来い!」
その声に、遠くで荷の整理を手伝っていた船員が顔を上げ、こちらへ歩いてきた。
歩き方に無駄がなく、滑らかで、
なぜか他の船員と“質”が違う。
エリセルは静かに近づき、
ライネルの前で姿勢を正した。
「船で見たろ?」
「名乗ったかは覚えてねえが……」
船長が口元を吊り上げる。
「こっちはエリセルだ」
「この船で交易品の品質を鑑定してる」
エリセルは短く頭を下げた。
「……よろしく」
「あ、はい……」
「改めて。僕はライネルです」
短く、気まずい沈黙が落ちる。
それが面白かったのか、船長は腹を抱えて笑い出した。
「ははは! 空気が……妙だな!」
「まあいい!」
「出航まで、お前ら二人で赤い魔力石のことを調べてくれ」
「分かりました」
ライネルが答えると、船長はもう一度周囲を見回し、
ライネルの耳元へ小声で囁いた。
「いいか……あいつな」
「見た目に反して、この世でも珍しい“ギフト”持ちだ」
「その力で、物の本当の価値が見える」
「だから、気負うな」
囁きを終えると、船長は肩をすくめ、
停泊中の交易船へ歩いていった。
取り残された二人。
ライネルはしばらく突っ立ったまま、
何から手を付けるべきか迷っていた。
その時、先に口を開いたのはエリセルだった。
「行きましょう」
淡々とした声。
だが表情には、早く面倒を終わらせたい色が濃い。
「この辺り、詳しくないでしょう」
「私が先導します」
「市場はごちゃごちゃしてるので」
「私の後ろを、ちゃんとついてきてください」
「……あ、はい」
「分かりました」
ライネルが慎重に返したが、
エリセルはもう早足で動き出していた。
慌てて追いかけるライネル。
狭い路地を抜けた瞬間、
耳を叩くような市場の喧騒が押し寄せた。
「買ってけ! 今日獲れた新鮮な魚だ!」
「魔法素材! 本日限り! 本日限りだ!」
大小の声が、路地のあちこちでぶつかり合う。
ここは、ル・テルビアン王国最大の港湾都市――ポート・テル。
王国西端に位置し、
交易と軍事の両面で中枢を担う都市だ。
このポート・テルを治めるのは、
王家の血を引く分家――テルビアン辺境伯家。
かつて、王国が王都を中心に中央政権を築いた時、
王室の遠縁が西の辺境へ派遣され、
辺境伯の爵位を賜ってこの地に定着した。
姓こそ同じ「テルビアン」だが、
辺境伯家は数世代前に分かれた分家で、
現王家とは程よい距離を保っている。
それでも――
今日のポート・テルは、その威勢だけなら王都に迫るほど発展していた。
王国屈指の交易の中心地。
そして、いつでも国境を守れる軍事の要衝。
“ル・テルビアン王国の西の門”――
そう呼ばれるこの街で、いま新しい動きが始まっていた。
怒号、呼び込み、笑い声。
活気のある光景のはずなのに、
ライネルにはただ、頭が痛くなる戦場にしか見えない。
「おい兄ちゃん! これ見てけ!」
「お前みたいな強そうな若ぇのに、ぴったりがあるぞ!」
遠慮のない手と声。
ライネルの顔に疲れが滲む。
一方、エリセルは慣れた足取り。
呼び込みの手も、甘い言葉も、
視線すら向けず、決めてきた道を歩くように進んでいく。
「ちょ……! 待って……!」
ライネルは一瞬で人波に飲まれ、
見失いかけたが、どうにか追いついた。
「……もう少し、ゆっくり――」
息を整えながら訊くと、
エリセルは横目すら向けず言う。
「急ぎます」
「でないと、競りが始まります」
「競り……?」
「赤い宝石を探すのが目的じゃ……」
その言葉に、エリセルの口元が少し上がった。
「ふふ。そこは問題ありません」
「贋物も出回ってますけど、私には特別な能力があるので」
「ゆっくりでもいい部分と」
「急がないといけない部分があるんです」
「この街に来たなら、一度は見ておくべきです」
「面白い品が出ますから」
ライネルはため息混じりに言った。
「……それのために、この混雑を?」
「鑑定士としては、我慢できません」
「……まあ、別行動でも構いませんけど」
エリセルは振り返らず続ける。
「道に迷って、変な所に入り込んで」
「泥棒扱いされても、私は責任取りません」
ライネルはため息をつき、
嫌な予感と好奇心の間で結局決めた。
(……ここで一人になって何か起きたら、もっと面倒だ)
初めて来た街。
ここで離れるのは、それ自体が危険。
それに、エリセルの“ギフト”の正体も気になる。
そうしてライネルは黙って、エリセルの背を追った。
二人は市場を抜け、
巨大な石造りの建物の前へ辿り着く。
入口には、鍛えられた武装警備が二人。
「少々」
エリセルは静かに、何かを取り出して見せた。
小さく精巧な銀色のプレート。
警備はそれを確認し、
無言で頷いて入場を許した。
ライネルはその様子を見て、そっと訊く。
「さっきの……何ですか?」
エリセルは短く答えた。
「王国鑑定協会の証票です」
「これを持つ者は、競売場への入場と入札資格が保証されます」
そうして二人は、テール競売場の中へ足を踏み入れた。
中はすでに、熱気の渦だった。
広く荘厳な空間。
赤い絨毯の敷かれた壇上に、競売人が立つ。
「この品は――!」
豪快な声が、場内に響く。
「百年前、この都市近郊に出没した――」
「“ユニコーンの角”であります!」
「所有者の若さと活力を保つ、伝説の品!」
客席から興奮したざわめきが走る。
「本物のユニコーンか?」
「真贋次第じゃ王室も狙うぞ……」
その時、ライネルの目が見開かれた。
(ユニコーン……子どもの頃、孤児院で聞いた……)
薄い記憶が、ふっと掠める。
だが、その瞬間。
「偽物です」
隣から落ちた、断言の囁き。
「……偽物?」
驚いたライネルは、思わず声を出してしまった。
客席の視線が、一斉にライネルへ集まる。
即座に、エリセルが動いた。
「あはは……!」
手に持っていた短剣を少し掲げて言う。
「この短剣が……偽物って話をしてただけです。はは……」
「連れが失礼。はは……」
どうにか笑いで誤魔化したが、
場の空気が戻った途端、エリセルの表情が固くなった。
そしてライネルに、低くはっきり囁く。
「……何をしてるんですか」
「す、すみません……」
ライネルは消え入りそうな声で謝った。
「ここは一言で競りの流れが変わります」
「特に鑑定士と一緒の時は、もっと気をつけてください」
エリセルの目は、明確に怒っていた。




