90. 収集家 (しゅうしゅうか)
走る馬車の中。
カイルは窓の外に視線を置いたまま、険しい眉間をほどけずにいた。
「……偽物を、あの場で見抜いた、だと」
小さく首を傾け、呟く。
(確信のある目だった)
(でたらめじゃない)
ふと、隣に座る執事ネバスが遠慮がちに口を開いた。
「カイルさま、何かお悩みで?」
カイルは視線を移し、ネバスを見た。
「……いや。ちょっと気になることがあってな」
「それより、前に調べろと言った件はどうなってる?」
ネバスは即座に頭を下げた。
「申し訳ございません。まだ情報が足りず、進捗が芳しくありません」
「……いや、いい。急ぎじゃない」
カイルは無造作に手を振り、続ける。
「集まり次第、知らせろ」
「かしこまりました」
カイルは再び窓の外へ目を戻した。
傾きかけた赤い光が、馬車の車輪の影を長く伸ばしている。
しばらくして、馬車は滑らかに止まった。
扉が開き、聞き慣れた声がする。
「お帰りなさいませ、カイルさま」
テルビアン邸の執事長が頭を下げる。
その横には迎えの使用人たちが並び、ネバスにも礼をする侍従がいた。
カイルは適当に手を振って受け流すと、
そのまま大股で屋敷の中へ入っていく。
赤い絨毯の廊下を抜け、扉が開き、閉じる。
部屋の中。
カイルは鍵をかけ、落ち着いた手つきで机脇の引き出しを横へずらした。
カチリ。
重い金属音とともに床が微かに震え、
引き出しの裏に隠れていた壁が、ゆっくり横へ滑って開く。
そこには、隠し階段。
地下へ降りると、屋敷の奥深く――秘密の空間が姿を現した。
内壁には淡い橙の魔力石が一定間隔で埋め込まれ、
その光が空間を温かく包みながら、静かな緊張を生んでいる。
壁沿いには贅沢な彫像や、古代遺物に見える装飾品が整然と並べられていた。
裕福な貴族の収集趣味――そう言い切るには、
どこか異様に几帳面で、執拗な配置。
カイルは慣れた足取りで展示の空間を抜け、
さらに下へ続く階段へ向かう。
その先にあるのは、
小さな円形の魔力石が埋め込まれた、扉のない壁。
彼は何も言わず、そこへ掌を当てた。
ウゥン。
魔力の震えが指先にまとわりつき、
岩のように閉ざされていた壁が、滑らかに左右へ割れる。
冷たい気配。
肌を刺す空気。
さっきまでとはまるで違う圧が、そこにあった。
カイルがゆっくり中へ踏み込むと――
一瞬で周囲が明るくなる。
天井の魔力灯が同時に灯り、隠されていた形が次々と浮かび上がった。
「……ふふ」
短く笑い、満足げに頷く。
彼の前に並ぶのは、
異形の生き物たちで作られた、数十体の剥製。
この空間の構造上、巨大な魔獣は収められない。
だが、人間以下の大きさの存在なら――精巧に加工され、整列していた。
斧を振り上げ、今にも襲いかかる姿で固定されたドワーフ。
恐怖に歪んだ顔のまま、口を開けて固められた人間の男女。
片膝をつき、翼を広げようとする瞬間を切り取られたハーピー。
そして――
すでに滅びたとされる小人族。
小さくか細い手。
脅威を知らない澄んだ目。
それらが、止まったまま静かにその場を守っていた。
「ここに……エルフを置けばいいな」
カイルは展示室の中央――
ひときわ目立つ空白を見据え、指先で空をなぞる。
彫刻家が配置を想像するような動き。
そこに、異質な執着が滲んでいた。
「……一体は飾って」
「もう一体は、適当に遊んでやればいい。ふふふ」
口元に、いやらしい笑みが浮かぶ。
続いた独り言は、さらに冷えた。
「しかし……二体とも耳が半分、か」
「展示用は……耳を戻しておくべきかな?」
その瞬間、彼の目は子どものように無垢に転がった。
残酷な想像すら、
無邪気な遊びの延長に見えているような表情。
その違和感が、彼が何者かをありありと示していた。
カイルはゆっくり身を返し、
片側の壁にある書棚へ向かう。
無彩色の革で綴じられた分厚い本を一冊抜き取り、
気ままに開いた。
ページをめくる指が、ある箇所で止まる。
視線が留まった単語はひとつ。
「……ギフト」
短く呟いた、その一言で
地下の空気が妙に揺れた。
彼は目を細め、
その頁をゆっくり追っていく。
ギフト(Gift)
神が選別した者に授ける、先天の能力。
記録には、様々な能力が列挙されていた。
水の上を歩く。
一度見た道を決して忘れない。
魔法使用時、消費魔力を半分にする。
相手の強さを“オーラ”で感知する。
奇妙で、だが魅力的な力。
神話や伝説ではなく、確かに存在する――そう示す一覧だった。
カイルの口角が、ゆっくり吊り上がる。
「……百万人に一人、か」
本を閉じもしないまま、片手で顎を支え、呟く。
「飾られて立ってるだけのやつも悪くないが……」
「収集家としては、だ」
視線が、剥製の列へゆっくり移る。
「こういうギフト持ちを一人くらい……」
「手に入れたいんだよな」
低い笑いが、
地下の静寂にじわりと滲んだ。
「……はあ。想像するだけで、いい」
瞳に映る灯りが揺らめく。
それは単なる欲ではなかった。
収集の狂気と、絶対の所有欲。
カイルは本を閉じ、
小さく囁いた。
◇
日が完全に落ち、
港町に闇がゆっくり降りてくる頃。
ライネルとエリセルは、
船員たちが使う簡易宿舎へ静かに戻ってきた。
夕の空気には潮の匂いが混じり、
空には星がひとつ、またひとつと顔を出し始めている。
扉を開けると、
中では船員が数人、焚き火のそばで身体を温めていた。
先に気づいた男が手を振る。
「おっ、エリセル!」
「今日、あの赤い宝石のことで何か掴めたか?」
エリセルは手荷物を下ろし、淡々と答えた。
「気に入る品がなくて」
「もう少し見ないといけませんね」
するとライネルが、呆れたように彼女を見て小声で言う。
「……いや、今日、宝石なんて見てもいないじゃないですか」
その言葉に、エリセルは片目を軽く閉じ、
慣れた口調で返した。
「明日。明日は必ず見るから。黙っててください」
そして、きっぱり言い切る。
「もう夕飯です」
そう言うなり、エリセルは自分の部屋へ入って
バタン、と扉を閉めた。
「……はあ」
ライネルは荷を下ろし、
ゆっくり座り込んで長く息を吐いた。
その様子を見た船長が、近くから声をかける。
「どうした、冒険者さん」
「何かあったか?」
「いえ……何でもないんですけど」
「知らない町だからですかね……人の多い所に行くと、どっと疲れて」
その言葉に船長は、豪快に笑って流した。
「はは! それくらいでへばってどうする」
「その体力じゃ王都までは持たんぞ?」
ライネルは苦笑し、肩をすくめる。
その時、船長がまた口を開いた。
「そういや、エリセルのやつ」
「今日、隣で品を見る目――見ただろ?」
「ええ、まあ……そうですね」
ライネルは気まずい笑みで答えた。
内心の引っかかりを隠しつつ、(まあ……嘘じゃない)と自分に言い聞かせる。
船長は気づかないまま続けた。
「どうだ、すげえだろ?」
「エリセルの“ギフト”ってやつさ」
「俺も最初は『嘘だろ』って思ったんだがな」
「知れば知るほど、ほんと……ぞっとするんだ」
ライネルは頷き、少し寂しげに言った。
「……はい。すごいです」
「僕も、ああいう能力があればよかった」
「ギフト、ってやつ」
照れくさそうに笑って付け足すと、
船長は首を傾げて聞いた。
「もしかして、お前……持ってるのか?」
「……いいえ」
「ギフトって言葉自体、正直ここで初めて聞きました」
ライネルは小さく首を振り、慎重に答えた。
「え?」
「じゃあお前、今までどうやって旅してきたんだ?」
船長は驚いた顔で聞く。
「仲間にさ、情報担当みたいなのがいたのか?」
その言葉に、ライネルはふと顔を上げ、
記憶の中の顔を思い浮かべた。
元気な笑い声。
前後を考えず、前向きな言葉ばかり投げていたアイラ。
そして――
やる気だけはあるのに、結局いつも騒ぎを起こす単純なバカ、モネロ。
◇
その記憶に、ライネルの口角がゆっくり上がる。
「……いいえ」
「そういう人は……いませんでした」
船長は少し黙ってから、
真面目な調子で言った。
「まあ……どういう事情で仲間とはぐれたのかは知らんがな」
「せっかくだ。戻るまでに色んな情報や経験を積んどけ」
「お前のこれからの冒険に、絶対役に立つ」
ライネルは短く頷き、静かに返す。
「それでさ、ライネル」
船長は顎に手を当て、首を傾げた。
「王都へ行く理由、何だって言ってた?」
「仲間を探すってのは分かるが、王都まで行く理由はまだ聞いてない気がしてな」
ライネルは一瞬、言葉に詰まり、
そっと答えた。
「あ……」
「冒険者学校の入学試験です」
「試験を受けに王都へ行って……その最中に色々あって」
「僕だけ……別の場所に飛ばされました」
船長は眉を寄せ、天井を見上げる。
「うーん……冒険者学校か……」
「聞いたことはある気がするんだが……何をする所だったか……」
そう呟き、考え込んだ、その時。
後ろから、聞き覚えのある声が静かに割って入った。
「精鋭の冒険者を育てる所、だと聞いたな」
二人が振り向くと、そこにいたのはテニンだった。
日に焼けた肌。
その上に浮く、引き締まった筋の輪郭。
現場で身体を張ってきた者の気配が、はっきりあった。
「おっ、テニン。お前、冒険者もやってたよな?」
船長が嬉しそうに言うと、
テニンは頷き、懐から小さな金属のバッジを取り出して見せた。
「やってたっていっても……大したもんじゃない」
「当時のCランクのバッジだ」
ライネルはそのバッジをじっと見た。
重みのある金地に、黒い文字が刻まれている。
「今はもう活動してないが……記念みたいなもんでな」
「テニンさんも、入学試験を受けたんですか?」
「うん。もちろん」
「有名だからな、あの試験は」
テニンは軽く笑い、
ライネルの胸についたバッジへ視線を滑らせた。
「……銀縁か」
「え?」
ライネルは反射的に、自分のバッジを見た。
形は似ている。
だが、確かに違って見える。
ライネルは、テニンの手のバッジを見直した。
同じC等級のバッジなのに、縁の色が明らかに違う。
「縁の色……違うんですね?」
テニンは少し笑い、
自分のバッジを軽く揺らして見せた。
「ああ」
「入学試験に通ると、こういう金縁のC等級バッジが出る」
「同じCでも、そこははっきり分けてある」
ライネルは自分の銀縁のバッジを見下ろした。
「……じゃあ、これは……」
「さあな」
テニンは短く答え、頷く。
「差をつけてるってことは……基準が違うんだろ」
そして、柔らかく続けた。
「もちろん」
「同じCでも、金縁のバッジは国が“危険区域”に指定してる地域じゃ」
「通行証みたいに使える」
その言葉に、ライネルは目を少し丸くして頷いた。
「……そうなんですか」
「知りませんでした。そんな機能があるなんて」
「でも、テニンさん」
ライネルは慎重に続ける。
「じゃあ……どうして卒業しなかったんですか?」
「卒業すればB級冒険者になるって聞きましたけど……」
その言葉に、
テニンの眉間が、ほんの僅かに揺れた。
「……それがな」




